第二十六話.若者たち
大内軍は指揮を命じられた田子兵庫頭の号令の下、軍議の数日後には京羅木山への進軍を開始した。
進軍経路の領民たちは、一つの抵抗もなく大内に服した。兵庫頭は、物見に偵察させながら慎重に道を切り開き、地固めをしながら京羅木山に迫る。
「思った通り、京羅木山はもぬけの殻のようでございます」
自ら先発隊を率いた兵庫頭は、京羅木山の状況をそう義隆に報告した。どうやら尼子は、月山富田城に軍勢を集結させ、迎え撃つ構えのようであった。
報告を聞いた義隆は、直ちに京羅木山の占拠を命じた。兵庫頭は、三沢為清や三刀屋久扶らを率いてあっという間に京羅木山を支配下に置き、義隆を迎え入れる準備を整えた。
義隆は戦評定からひと月も経たぬ内に、京羅木山に本陣を移した。
「おお、ここからは月山富田城もその城下町もよく見えるのう」
義隆は、眼下に広がる月山富田城とその城下町を見渡して、満足気な表情を浮かべた。間もなくこの光景が、全て手に入るのである。
京羅木山の本陣は、早速要塞化が進められることとなった。冷泉隆豊の指揮の下大量の木材や石材が持ち込まれ、京羅木山の野戦築城が始められることになった。
京羅木山の義隆には、内藤興盛や杉重矩ら大内重臣が付いて守りを固めた。多くの国人衆もこれに従う。
大内軍の精鋭、周防兵を率いる隆房は経塚に布陣した。兵庫頭は、引き続き三沢為清や三刀屋久扶らと富田八幡山に布陣し、元就や吉川興経もこれに従った。
大内軍、総勢五万。
決戦の日は、間近に迫っていた。
夜の帳が下り、辺りがすっかり暗くなった月山富田城の城下町から、京羅木山を望む数十人の集団がある。
鉢屋賀麻党。
俗に鉢屋衆と呼ばれるこの忍びの集団は、経久の代から尼子に仕えてきた。現在の党首弥一郎は病を得て隠居状態にあり、弥一郎の長子、弥雲がこの集団を統率している。
「しかし、大内は凄いものだな。まるで山が燃えているようだ」
集団の先頭にいるその若き党首、弥雲は、感嘆の声を上げた。
京羅木山に布陣した大内の野戦築城は、昼夜を問わず行われていた。夜も松明の光が山を覆い、翌日には城が目に見えて大きくなっていく。その急速な発達は、大内の力を象徴するようであった。
「若、そんな呑気な事を言っていてよいのか?昼間は大変だっただろう」
その弥雲の隣で、精悍な顔の男が呆れたように言う。
尼子の要地、京羅木山が突然現れた大内軍に占拠された事実は、城下町の人々を一瞬で不安にさせた。
それでも、この尼子という大樹が倒されるとは誰も考えてはいなかったが、あっという間に築城される京羅木の城に、人々の不安は日々増大していた。そして遂にこの日、一部の町人が町から脱出しようと試みると、城下町は一気に恐慌状態を呈したのだ。
この事態に晴久は、側近、亀井秀綱に命じて直ちに高札を掲げさせ、尼子の万全であることを住民に知らしめた。鉢屋衆も加わって住民の鎮静化に努め、この騒動は一時的に収まったが、大内の圧力からくる不安はまだくすぶっていた。
「海堂、殿は此度、尼子の盤石なることを民に知らしめ、その動揺を御鎮めなされた。そのための働きが大変なものか」
弥雲に海堂と呼ばれた男は、首を横に振る。
「町民の不安は、まだくすぶっている。重要なのはこれからだろう。晴久公の度量が試されているのだ」
この海堂は、弥雲が幼い頃から兄貴分のようにして共に育ってきた。賀麻党の後継ぎである弥雲とも、何でも言い合える仲であった。
「どういうことだ?」
「かつて安芸の毛利元就は、尼子勢に居城吉田郡山城を包囲された時、周辺の領民全てを城に匿い、共に籠城した。民は形勢次第で暴動を起こし、裏切ることもあれば、内通者が紛れていることもある。しかしそれでも元就は民を城に迎え入れ、天下の評判を上げた。果たして今後、晴久公にそれができるかどうか……」
そう言った海堂の頭に、背後から鉄拳が飛ぶ。
後頭部を抱えた海堂の後ろには、眉をしかめた老人が立っていた。
「愚か者が!主君の度量をはかるなどと……二度と口にするでないぞ」
そう言う老人に、海堂は食ってかかる。
「あのな……俺は本当の事を言っている。あの大内の勢いを見ろ。当主にかつての経久公のような器量がなければ、尼子は危うい。晴久公が、新宮党久幸の忠言を無視して毛利攻めをした結果がこれだ。俺は、主君の狭量で死にたくはない」
「戦略は、おぬしのような若造が考えるほど単純ではない。ましてや我ら賀麻党と尼子家当主は一心同体、晴久公の命に従い、心を合わせることが肝要であろう。お前は、日頃の晴久公の恩情を忘れたか」
「しかし……」
「海堂、それぐらいにしておけ。爺の言う通りだ」
弥雲がまだ口論の続きそうな二人をなだめる。
「俺には戦術や戦略のことはわからないし、君主の器などもわからない。確かなことは、殿が我らを気にかけて下さっていることだけだ。だから俺は、殿の御恩に忠義をもって報いる。海堂、俺は間違っているか?」
「……そりゃあ、間違ってはいない。間違ってはいないが……」
海堂は納得いっていない様子だったが、それ以上は何も言わなかった。
弥雲はそんな海堂から視線を外し、闇に溶けかけている一団に声をかける。
「よし、これより夜番の者は城下の警戒にあたれ。敵の忍びはどこから侵入してくるかわからぬ。不審な者は、徹底的に調べ上げよ。我らの働きが、戦の趨勢を左右することを忘れるな」
「はっ!」
弥雲の言葉に一団は一瞬で散開した。薄暗い路地に、海堂と老人が残される。
「……角爺、若の考え方は甘い。我らは侍とは違う。忍びは、侍が忌み嫌う汚れ仕事もやらねばならん。英明な主君に仕えていなければ、やってられんよ。御頭も角爺も、若に忠義など教える前に、他に教えることがあるだろうに」
海堂は、苦い顔で呟くように言った。鉢屋賀麻党の暗部を全て取り仕切るこの若者からしてみれば、弥雲の理想論は時に歯痒くみえるのだ。
「海堂、お前は考えを改めねばならん。経久公という大樹に集い、その御指図のみで生きていける時代は終わったのだ。晴久公に忠誠を誓い、我らが全力で仕えていかねば賀麻党に明日はないのだぞ」
老人はそう言うと、夜の闇に溶けていった。
「ふん……侍にでもなるつもりか?」
海堂は、誰もいなくなった路地でそう呟いた。
「まあいいさ……大内を撃退することができれば、すべては変わる。晴久公のお手並み拝見といくか」
そう言い捨てた海堂も、やがて闇に消えていった。
田子兵庫頭に従い、富田八幡山に布陣していた元就は、渡辺通ら若い家臣を護衛にして西出雲にある鰐淵寺を訪れていた。
「いや、お久しゅうござるのう、元就殿。お待ちしておりましたぞ」
鰐淵寺の僧坊、和多坊の栄芸は満面の笑みで元就を迎えた。
元就と栄芸は、かつて毛利が尼子に臣従していた頃からの仲であった。毛利が尼子と袂を分かってからは直接会う機会はなかったが、現在に至るまで書状のやりとりを欠かしたことはなかった。肝胆相照らす仲、と言っていい。
「某も、再びお会いできることを心待ちにしておりました。これも御仏の思し召しでございましょう」
元就も栄芸の手を取り、笑みを返した。元就もこの日を待っていたのである。
和多坊の奥の間に通された元就は、栄芸と旧交を温める機会に恵まれたことを仏に感謝した。再会した二人の対話は、尽きることがない。
「元就殿といると、時が過ぎるのが早い。しかし此度は、何か御用がおありらしい。少々、うわの空ですな」
しばらくの後、栄芸が切り出した。その言葉に、元就の心は軽くなった。
「……栄芸殿の御心遣いに感謝いたしまする。実は此度、鰐淵寺に参りましたのは大内のお屋形様のためでござる。本来、仏門に帰依する御方が、現世の争いに関わらぬものであることは承知しております。有り体に申し上げよう。お屋形様を後援して下さらぬか」
元就は、来訪の目的を率直に述べた。栄芸との間に回りくどい言葉を使いたくなかったのだ。
「……ふむ」
栄芸はそう言って一瞬沈黙したが、返答はすぐに出てきた。
「昨年、新宮党の国久殿が息子二人を連れてこの鰐淵寺にやって参りました。拙僧はその時、御仏に誓って大内になびかぬことを国久殿に約しました。ましてや西出雲の寺院は塩冶興久の内乱で道を誤っております。申し訳ないが、大内に与することは考えられませんな」
その言葉に、元就は笑顔を見せた。
「いや、申し訳ないなどど仰られますな。これは当方の手前勝手、某も立場上言わねばならぬ故、一言申したまででござる。お忘れ下され」
元就はそう言って深々と頭を下げる。
「元就殿、勘違いをなされては困りますな」
その栄芸の言葉に、元就は顔を上げた。
「拙僧は、確かに大内に与しないことを御仏に誓った。しかし、毛利元就に与しないとは誓っておらぬ」
「……栄芸殿」
「この栄芸は、毛利元就という男に惚れておる。大内でも毛利でもない。元就殿個人に惚れておる。大っぴらにお味方はできぬが、拙僧にできることなら何でもいたそう。いつでも御相談下され」
「……かたじけない」
元就は瞳を潤ませて、再び頭を下げる。天下の名僧が、自分をここまで評価してくれていることが率直に嬉しかった。
その後も、様々なことが二人の話題となった。その話の矛先は、先程出た新宮党の事にも及んだ。
「栄芸殿は、新宮党の三兄弟をどう見られますかな?」
元就は尼子傘下である頃、晴久と国久には会っていた。特に晴久とは、経久から直々に兄弟のような交わりを求められていたが、結局すぐに元就が大内に鞍替えしたため、お互いを深く知る機会はなかった。
国久とは、短期間ながらよく交流した。歳も近く、元就は国久の実直な人柄に好感を持っていたのだ。しかし、三人の息子とは会ったことがない。
「昨年やって来たのは次男の豊久と三男の敬久だが、豊久の方は、なかなか頭が切れる若者のようですな。国久殿は戦上手で忠義心が厚く、まさに天下の驍将に相応しい人物だが、少々頭が硬く離れ業は不得手と見える。豊久には、この父を補う才があるでしょうな」
豊久と毛利には、因縁がある。かつて経久は、元就の甥、幸松丸死去の際に豊久を養子として送り込み、毛利を支配しようとした。結果的にこれが、毛利を大内に走らせる事になったのだが、その豊久に謀略の才があるとするならば、あの時の毛利家の判断はやはり正しかったと言えるだろう。
「しかし元就殿。やはり恐るべきは長男の誠久でありましょう。戦場で相まみえる時は、くれぐれも御用心召されよ」
「かつて尼子が吉田に攻め寄せた時、伏兵を使い誠久を撃退したことがございましたが……誠久はそれほどの男ですか」
元就はかつて吉田郡山城で、新宮党誠久率いる一万の大軍を、渡辺通らを伏兵に用いて撃退したことがあった。この青山土取場の戦いで尼子方は、先頃大内に鞍替えした三沢為清の父、為幸ら五百余りを失うという大敗を喫した。
もっとも一万という数や三沢為幸が戦死したという事実が示す通り、この軍勢は新宮党のみで形成されていたわけではなく、尼子宗家重臣と国人衆も含まれた軍勢であった。
結局、誠久は新宮党の精鋭をほとんど投入することなく、久幸に説得され退却したのである。
「拙僧も直接会ったことはござらぬが、誠久は出雲では須佐之男の化身とも称されておりまする。膂力衆に優れ、その強さは尼子家中にも右に出る者はおらず、京の都にまで鳴り響いております。また、この誠久が直に選んで鍛え上げた三十騎衆なる剛の者が周りを固め、戦場でその一団は無類の強さを誇るとか。すでに誠久の強さは、半ば伝説と化しております。とにもかくにも、戦場で正面切って戦うことは避けた方がよろしかろうて」
戦において、無敵の名声は大きい。それだけで相手の士気を挫くことができるからである。もしそれが作られた伝説であったとしても、神話が兵士を恐れさせるのだ。
「……肝に銘じておきましょう。では、三男の敬久は?」
「敬久か。敬久は……」
栄芸はそう言って腕を組み、しばらく沈黙した。
「厄介な男ですかな?」
「いや……これが正直なところ、よくわからぬ」
元就の言葉に、栄芸は率直に答えた。
「今のところ二人の兄の影に隠れてこれといった評判もなく、海のものとも山のものともつかぬ。弓が達者で、経久公秘蔵の強弓を譲り受けたという話は聞いたことがござるが……しかし拙僧が一度会った限りでは、少し頼りない印象は受けましたな」
「しかし、人は……」
「左様、人は何がきっかけで変わるかわからぬ。敬久も国久という虎の血を継いでおりますれば、油断はなりますまい」
栄芸の言葉に、元就は何度も頷いた。
若者は修羅場をくぐって強くなる。だからこそ、一度の勝利で尼子に止めを刺さねばならない。
今回の戦は、そのための戦であった。




