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新宮党の一矢  作者: 次郎
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第二十五話.京羅木山へ

 新しい年が明けた。

 大内義隆は、天文十二年(一五四三年)の正月を敵地、出雲の正久寺で迎えることになった。

 大内軍に属する国人衆も、遠征地出雲で新年を迎えた。しかし大内が主催する新年の祝いは、彼らが自らの領国で迎えるものより豪華なものであったに違いない。

 元就ら国人衆は、祝いの品々を持って正久寺を訪れたが、義隆から彼らに下賜された品々は、それらを遥かに凌ぐ贅を尽くした物ばかりであった。こんなところにも、王道を歩もうとする義隆の主義が見て取れる。

「今年は尼子を駆逐し、出雲を平定する良い年となろう。これもここにいる皆のおかげじゃ。今後もそなたらの働き、期待しておるぞ」

 居並ぶ諸将の前で、義隆は晴れやかにそう言った。盃を傾ける諸将は一斉に平伏し、義隆は満足気に頷いた。大内の未来は、順風満帆に見えた。

 天文十二年(一五四三年)一月二十日、義隆は住み慣れてきた正久寺に別れを告げ、本陣を宍道の畦地山に移し軍議を開いた。

「本陣を、一気に京羅木山に進めるという意見があるが……どう思うか?」

 義隆は開口一番、本題を切り出した。献策したのは、山口からやって来た田子兵庫頭である。

「まさに時は今、と言うべきでございましょう。今や尼子晴久は月山富田城に引きこもり、我らに西出雲を蹂躙されても何一つできませぬ。領民、国人衆もすでに尼子を見限り、ことごとく我らに服しております。ここは速やかに月山富田城を一望できる京羅木山に軍を進め、野戦築城して山を要塞となし、月山富田城と対峙するべきと存じまするが……各々方の御存念やいかに?」

 田子兵庫頭は、居並ぶ諸将を見渡してそう語りかけた。その声は、自信に満ち溢れていた。

 京羅木山は月山富田城の北西に位置する山で、月山富田城とその周囲を一望できる。その京羅木山と月山富田城の間には、富田川という川が流れていた。

 兵庫頭の進言は、現在の畦地山から長駆して一気に京羅木山に至り、月山富田城に対峙しようという策であった。尼子の勢いが衰えているとしても、月山富田城が天下の堅城であることに疑いの余地はない。京羅木山を整備して要塞となし対岸に対の城を築くことで、月山富田城を攻めようというわけだ。

「田子殿にお尋ねいたします。速やかに京羅木山に進軍するとは、いつ頃のことでございましょうか?」

 そう言葉を発したのは、居並ぶ諸将の中の一人、石見の国人、益田藤兼である。

 藤兼はこの時まだ十五歳で、この戦は初陣であった。しかし、家臣の補佐を受けながらもすでに益田氏の大将としてこの戦に参陣しており、その器量は周辺にもよく知られていた。

 とは言え、この若さで他を差し置いて軍議で口を開くのは、中々できることではない。それができるのは、益田氏と陶氏の姻戚関係にあった。その縁で、隆房と藤兼は懇意であったのだ。隆房の後ろ盾がある藤兼は、ただの若造ではない。

「言葉通りでござる。この軍議で決まり次第、直ちに進軍いたす。雪どけを待ち、春には月山富田城攻めを開始する所存にござる」

「しかし……ここ畦地山から京羅木山までは距離がございます。今までの進軍と比べると、少々強引すぎるように思えますが……」

 大内軍は出雲に入ってから、石橋を叩くように進軍してきた。寺社を懐柔し領民に施しをして、確実に地域を制圧しながら進んできたのだ。畦地山から京羅木山までの距離を考えれば、早急すぎると言うべきであろう。

「益田殿、今や尼子の士気の衰えは火を見るよりも明らか。我らが大軍をもって押し出せば、それを野戦で迎え撃つ気運などありますまい。晴久や新宮党は、月山富田城で震え上がっておりましょう。我らが京羅木山に布陣することを、阻止することなどできましょうや」

 兵庫頭は、自信満々にそう言った。

「各々方、異存はございませんな」

 諸将はざわざわと騒がしくなったが、積極的に反対を唱える者はいなかった。

 そもそも瀬戸山城の戦いから半年以上、ここまで出雲深く進攻しても、大きな尼子軍との衝突はなかった。尼子は逃げているとさえ言われており、最近は諸将の間にも尼子の実力を侮る風潮も出始めていた。

(……これは、まずいな)

 そう内心舌打ちしたのは、元就であった。

 ここまで大内軍は、慎重に慎重を重ねて進軍してきた。大内の経済力を背景にしたその進攻は、常に背後を脅かされることのない領国の拡大であった。ここにきて一気に月山富田城の眼前にそびえる京羅木山に布陣することは、敵地にある飛び地に入るようなものである。今までの戦果が水泡に帰すのではないか、という懸念が元就にはあった。

 元就は、陶隆房の様子をうかがった。元就と隆房は、徹底的な持久戦という点で戦略が一致していたはずである。この兵庫頭の方針には、乗り気でないはずであった。

 しかし隆房は、一言も口を挟まなかった。それだけではなく、元就の眼には平素隆房がまとう鋭利な覇気のようなものも感じられなかった。どこか沈んでいるようにも見えた。

「……恐れながら申し上げまする」

 止むを得ず、元就は声を上げた。

「おお、元就か……忌憚なく申せ」

 義隆が扇子を叩いて促す。兵庫頭が献策するということは、すでに義隆の賛意を得ているはずである。義隆は元就の顔を立てようとしているのであろう。

「月山富田城は、天空にそびえる天下の名城でございます。その月山富田城攻めのために、京羅木山に布陣すること自体に異論はございませぬが……進軍を急ぐのは危ういと存じます。ここは今まで通り、じっくりと攻めるが寛容かと……」

「毛利殿は、尼子がまだ怖いと仰るか?」

 兵庫頭の言いようは、挑戦的な響きがあった。

「出雲の懐は深うござる。尼子の士気衰えたりと言えども、月山とその周囲は正に尼子の庭。油断できるものではありませぬ。京羅木山は、尼子が東から攻められた時には月山富田城の後詰にもなる要地でござる。その周囲もまた、尼子の庭も同然でござろう。この地を心服させながら進攻するのは、時を要しまする。春に月山富田城攻めは、流石に性急であると存じますが……」

「では、毛利殿の月山富田城攻めの目安はいつ頃で?」

「早くとも……夏頃」

「それでは、遅い」

 兵庫頭は大きく頭を振った。

「出雲の背後、伯耆や美作にはまだ尼子に属する勢力も多い。この援軍が下手に動き出す前に、月山富田城を包囲して大勢を決すべきである。そのためには可及的速やかに京羅木山を手中に収め、その士気を挫くべきでは?」

「伯耆や美作の援軍が動く時は、我らが迂闊に敵地に入り込んだ時ございます。我らが地の利を得て精強であるうちは、援軍は手出しなどできませぬ。富田に近づけば近づくほど、尼子の影響が強い敵地であることは道理でありましょう」

「毛利殿、私は何の対策もせず京羅木山に布陣しようと言っているのではない。もちろん周辺に人を遣わし、懐柔しながら進むのは当然のこと。猪のような戦をしようとしているわけではありませんぞ」

「富田に近づけば近づく程、尼子に恩顧を受けた国人や領民も多くなりまする。それが表面上従ったとしても、火種が残るだけでござろう。ここはやはり時をかけ、じっくりと進むべきと存じまする」

 兵庫頭と元就の議論は平行線を辿った。そんな二人を見ていた義隆が口を開く。

「隆房はどう思うか?」

 一同の視線が隆房に注がれた。ゆっくりと口を開こうとする隆房に、元就は一縷の望みを繋いだ。

「……元就殿の懸念も尤もでございます。京羅木山は敵勢力の要地の一つ、油断はなりません。しかし兵庫頭の言う通り、尼子の士気の衰えもまた事実。速やかに京羅木山を押さえれば、さらに鞍替えする国人も増えるかもしれません。お屋形様がここを攻め時とお思いならば、兵庫頭の策でよろしいかと存じます」

 隆房は、視線を上げることなくそう言上した。隆房はあっさりと、持久戦を諦めたのだ。

「隆房殿、尼子の主力はまだ月山富田城にて健在でござる。特に新宮党は、我らの変事を手ぐすねを引いて待っておりましょう。今はまだ、危険な橋を渡る段階ではございますまい」

「元就殿、兵は神速を貴ぶと言う。貴殿の得意とするところではないか」

 そう答えたのは兵庫頭であった。どこか沈んだ、浮かない表情の隆房はもう口を開かなかった。

「しかし……」

「伯父貴は心配性だな。臆病者に見えるぞ」

 そう口を挟んだのは興経であった。その言い様に元就の隣にいた隆元が反論しようとしたが、元就はその膝を押さえた。

「尼子は及び腰になっておる。そんな奴ら相手に必要以上に怯えるのは、甥の俺も恥ずかしいぞ。せっかく安芸に毛利元就ありと言われているのだ。その評判を落とさんでくれよ」

 興経はそう言って口の端に笑みを浮かべた。平然として表情を変えない元就の横で、対照的に顔を真っ赤にした隆元が拳を握りしめる。

「興経、そのくらいにしておけ。元就の懸念は、忠義から出たものであるぞ」

 義隆はそうたしなめ、扇子を大きく叩いた。

「では、裁断を下す」

 その声に、一同が義隆に向き直る。

「余は、兵庫頭の策を取る。各々、直ちに準備に取り掛かれ。元就の申す通り、くれぐれも油断はならぬ。指揮は兵庫頭に任せる。よいな?」

「ははーっ」

 兵庫頭が平伏する。

 義隆の一言で、軍議は終わった。


「元就殿、お気を悪くされるな」

 軍議が終わった後、そう声をかけてきたのは内藤興盛であった。

「これは内藤殿、お心遣い痛み入りまする。裁断が下ったからにはこの元就、全身全霊をもってお屋形様の御意に従いまする」

「それは結構。お屋形様も、元就殿を気にかけておられた。儂もその言葉を聞いて一安心じゃ」

「しかし、ここにきて一気に京羅木山とは……何ぞありましたかな?」

「うむ……そのことだがな」

 興盛は周囲を見渡して元就に顔を寄せ、小声になる。

「これは元就殿ゆえ、話す。他言は無用ぞ」

「はっ」

「本国の相良武任からお屋形様に進言があった。どうも軍資金の調達が芳しくないらしい。というのも今年は領内の米の出来が良くなくてな。その所為で、いつもより多く兵糧を買い入れねばならなくなった。これが予想以上だというのだ」

 この年の大内領の米は、記録的な不作であった。戦で必須な以上、買い入れるより他ない。

「それでお屋形様は、決戦をお急ぎに?」

「うむ……有体に言えばそういうことだが……もちろん、米を買い入れることぐらい多少増えても、大内が揺らぐことはない。しかし問題は出雲を制圧した後、予想以上に金を使うことになりそうだということだ。出雲を思い通りにするには、朝廷にも幕府にも莫大な献金が必要になる。そこに予想外の不作と、思っていた以上の鞍替え国人衆の数だ。武任は兵庫頭を通じて、その状況をお屋形様に伝えてきた。月山富田城攻めを急がねば、後の政の工作資金が滞る恐れがあるとな」

「なるほど……それで隆房殿も方針を転換なされたのですな。随分とお疲れの御様子でしたが……」

 元就は、隆房の沈んだ表情を思い出す。隆房はもう軍議の場にはいなかった。

「ん……まあ隆房にとってはそれだけではないがな」

 興盛は、歯切れの悪い言い方で元就から目を逸らす。何か事情があるらしいが、流石に立ち入ることは憚られた。

「……元就殿、隆房は若い。しかしあの若さでもう、大内の舵取りをせねばならぬのだ。そしてこれからも、今以上の苦難が襲い掛かるであろう。元就殿、今日の軍議のように、今後も隆房には思うところを正直に言っていただきたい。できれば元就殿に、隆房を導く一人となっていただきたいのだ。これは大内家臣というより、隆房の身内としてお頼み申す」

 興盛はそう言って、元就の手を握る。興盛の孫娘は隆房に嫁いでいた。彼にとって隆房は、子や孫のようでもあるのだろう。

「某ごときの言葉が隆房殿に響くかどうかはわかりませぬが、是非そうさせていただきましょう。これは、毛利のためでもあるのですから……」

 元就は興盛の手を握り返した。

 大内の未来は、陶隆房に懸かっている。そして毛利の未来は、大内に懸かっているのだ。

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