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新宮党の一矢  作者: 次郎
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第十九話.興経と信直

 奇襲にあった熊谷勢は大将の直続を失い、這う這うの体で退却した。

 その死者は数知れず、紛れもない大敗であった。籠城する瀬戸山城の赤穴勢の士気は大いに上がり、包囲する大内勢の士気は大きく下がった。この敗戦はすぐに、周辺諸国にも伝わり、国人衆は再び動揺した。

 多数の死者を出し、重臣も多く亡くなった熊谷勢であったが、生き残った家臣たちは直続の遺体を引きずり、何とか大内の陣に帰還した。軍令を犯して抜け駆けをし、大将まで失って帰ってきた軍勢の姿は、憐れであった。

 直続の遺体は本陣まで運ばれ、諸将の前に置かれた。隆房の合図で、家臣がそのかけられた筵をゆっくりとめくる。

「うっ……!」

 その遺体を見た途端、義隆の養子晴持は口を覆い、うめき声を上げた。周囲を囲んだ元就らも、息をのむ。

 直続の首は死んだ時のまま皮一枚で体に繋がり、引きずられたせいで顔は汚れ、傷だらけになっていた。。まぶたが削れて閉じられず、ずたずたになった眼が晴持を見つめている。戦場に慣れない晴持には、その屍は衝撃的であった。口を覆ったまま、帷幕の外に飛び出す。

「鳥銃が、このように強力なものであるとはな」

 義隆も着物で口を覆って、直続を眺めた。晴持のように逃げはしなかったが、長く凝視する気にはならなかった。

「当たり所が悪かった、ということもありましょうが……至近距離では恐ろしいものでございますな」

 隆房は、食い入るように直続の首を見つめる。その美しい横顔と汚れた屍は、あまりに対照的であった。

 明との貿易を独占する大内にも、鳥銃は伝わっていた。しかしそれは、武器というよりは珍しい渡来品といった扱いで、戦に使うといった考えはなかったのだ。

「しかし、敵が鳥銃を使うとなると……今後は、何らかの対応を考えねばならんのではないか?」

「……それはどうでございましょう。何せ、鳥銃の弾薬は値が高こうございます。我らですら数をそろえられぬ物を、大量に所持しているとは思われませぬ。また、合戦に使うには欠点も多いと聞いております。この直続の姿を見て、殊更恐れることもございますまい」

 鳥銃の弾薬には硝石を必要とするが、これが日本では精製できない。鳥銃本体だけでなく、この硝石を使った火薬が高価な物であった。銃を撃つ度に消費するのだから、高くつく。鳥銃は大内の経済力ですら、飾り物としての渡来品であった。

「もうよい。早う、荼毘に付せ」

 義隆は目を逸らし、手で払う仕草をした。家臣が遺体を抱え、帷幕を出ていく。

 その後に、腰を低くして信直が入ってきた。義隆の前に平伏し、体を縮こまらせて額を地面に擦り付ける。

「此度の弟の不始末、お詫びのしようもございませぬ。直続が勝手にやったこととはいえ、その責はすべて某にござる。大内の名を汚した某に、何卒御存分の御裁きを……」

 信直は額を擦りつけたまま、大声で言上した。

「……直続は余の軍令に違反したばかりか、功を焦って抜け駆けして敗走し、大内の威光に傷を付けた。本来ならば熊谷家の当主であるそなたにも、万死に値する罪がある……しかし、直続は勇敢に戦い、その死でもって自らの罪をあがなった。その家臣たちは敗走はしたが、命がけで主人の首を持ち帰り、敵に大将首を取らせなかった。その上、そなたの忠義は余がよく知っておる。此度のことは不問に付す。より一層大内に尽くすがよかろう。しかし、二度はないぞ」

 その義隆の言葉に信直は一度頭を上げると、そのまま地面に額を打ちつけた。

「ははーっ、ありがたき幸せにござる。この信直、お屋形様のお役に立てますように、全身全霊を持ってお仕えいたしまする」

 信直を見て満足気な表情を浮かべる義隆の隣で、隆房の眉が歪んだ。

 隆房は直前に、決して熊谷を許してはならないことを繰り返し進言していた。軍令違反は厳しく罰せられねばならない。しかも今の大内軍は寄せ集めの軍隊で、ただでさえ隆房らは統率に苦労していた。ここは、見せしめの意味も込めて厳しく罰し、軍紀を引き締めねばならない。

 義隆はその進言を曖昧な言葉で返していたが、結局、隆房の意見は採用しなかっのである。隆房は、義隆に向き直る。

「お屋形様。此度は熊谷の独断でございますが、負けは負けでございます。このまま瀬戸山城を捨て置いては、大内の面目が立ちませぬ。もはや、避けて通れませぬぞ」

 百歩譲って、信直を許すのはよい。しかし事ここに及んでは、瀬戸山城を避けて通るなど考えられない。大内の体面は、大きく損なわれた。義隆の迂回策だけは、改めてもらわねばならない。

「無論じゃ。こんな小城に退けられたままとあっては、大内の沽券にかかわる。すぐに城攻めの支度を整えよ。必ず落とすのだ」

 以外にも義隆は、あっさりと迂回策を捨て、攻城策を認めた。

(さすがのお屋形様も、事の重大さを分かって下さったか。もう少し、お迷いになると思っていたが……)

 隆房はそう胸を撫でおろしたが、この義隆の心変わりには裏があった。

 実は義隆は、本国の相良武任に使者を出して、その助言を求めていた。迂回策を採用したいものの、隆房や興盛の反対に義隆も迷っていたのである。返書を携えた使者は、この前日に帰還していた。

 義隆は迂回策を採用したい旨、書状に書き記していたが、武任の返答は攻城策であった。確実に一城づつ落として進軍するべきである。そのための補給物資は、懸念に及ばずとのことであった。その返書に、義隆もやむなく攻城策を考え始めていたところ、熊谷勢の抜け駆けがあったのだ。

 武任の返書に書かれていたのは、それだけではなかった。そこには、長期戦における心得が記されていたが、そこに寛容であるべきことが書かれていた。

 軍令を厳守するのは当然のことだが、国人衆のやる気を削いではならない。尼子との戦に積極的な国人衆は、それだけでも評価してやるべきである。そうしなければ、彼らは命がけで戦をしない。義隆が信直を許した背景には、その武任の言葉があったのだ。

――余が武任の助言に従っていると知ったら……隆房は怒るであろうなあ。

 義隆はそう思いながら、心地よい感情に浸った。

 王としての義隆の寵愛を、家臣たちは争っている。義隆にとって自分のために争う家臣の姿を見ることは、一つの快感であった。その争いは武断派と文治派の対立原因の一つであり、特に隆房にはその傾向が強い。

 義隆と隆房には、かつての衆道関係の残り香のようなものが存在し、義隆は隆房の嫉妬を想像して、悦に入ることがあった。しかし隆房にとって、いつまでもその感情が嫉妬で終わる保証はない。

「やあやあ、遅くなった。申し訳ない!」

 そこに遅れて、吉川興経が騒がしく帷幕に入ってきた。

「興経、遅ればせながらお屋形様に拝謁いたす。熊谷の検分は終わりましたかな」

「遅かったではないか、興経。もう運び出してしまったぞ」

 義隆は笑顔で興経を迎えた。義隆は、興経を面白い男だと思っている。

「なんと……それは残念ですな。勝手に抜け駆けして、返り討ちにあった憐れな男の面を拝んでやりたかったのですが」

 興経のその言葉に、平伏していたままだった信直が顔を上げた。その瞳に憎悪が宿る。

「……興経殿!」

 不穏な空気を察知した元就が、興経を制す。しかし、興経がそれで引くはずがない。

「おお、これは負け犬の兄上殿か。出来の悪い弟を持つと苦労するのう」

「……なんだと!」

「おうおう、怒りおったわ。おぬしの弟の所為で、大内の面目は丸つぶれじゃ。使えぬ男よ」

「それ以上、弟を愚弄すると許さんぞ!」

 興経は、そんな信直の怒気も軽く受け流す。

「身内に甘いというのは始末が悪い。信直、聞くところによると、おぬしは妹可愛さに主君を捨てたらしいな。兄妹そろって、大義を知らん奴らよ」

「……!」

 信直が言葉に詰まる。彼の妹は美貌の誉れ高く、旧主武田光和に請われ、その側室となっていた。しかし折り合いが悪くなり、実家である熊谷家に戻ってきた。

 丁度その頃、武田家との関係悪化によって袂を分かつことも考えていた信直は、妹を不憫に思ったこともあって、武田家から離反した。もちろん妹のことは理由の一つであり、すべてではない。しかし口さがない者たちは、身内可愛さに主君を裏切ったと噂した。興経は、そのことを言ったのである。

 信直は、拳を握りしめて興経を睨みつけた。僅か十歳で父を失った信直は、幼い兄弟たちと手を携えて生きてきた。身内への思いは、人一倍強かったのだ。

 今にも刀を抜かんとする勢いの信直に対して、興経は薄ら笑いを浮かべていた。

 しかもこの男は、予想外の行動に出た。

 興経は、無言で刀を抜いた。そして上段に構えて、そのまま思い切り信直に打ち込んだのだ。

「ぬう!」

 咄嗟のことに辛うじて反応した信直は、刀を抜いてその斬撃を受け止める。鋭い金属音に、火花が散った。

「何と……双方とも、お屋形様の御前なるぞ!引け!」

 予想だにしない出来事に、慌てて隆房が制した。諸将も呆気にとられて、声が出ない。怒っていたのは信直であった。しかし刀を抜いたのは、笑っていた興経である。

 興経は再び刀を振り下ろそうと上段に構え、少し距離を取った。こうなれば信直も黙ってはいない。下段に構え、興経を睨みつける。

「やめぬか!」

 隆房の制止も聞かず、興経が再び距離を詰めた。隆房と元就の目が合う。

「通!」

「御免仕る!」

 元就の声に、隣で控えていた渡辺通が反応する。

 再び鋭い金属音が響く。しかしその音は、一つではなかった。

 興経の斬撃を受け止めたのは、義隆の隣から躍り出た冷泉隆豊の刀であった。下段から切り上げようとした信直の刀は、通が弾き飛ばしている。今度は四人が、距離を取った。互いの様子をうかがう。

 しばらくの対峙の後、興経が舌打ちした。

「ふん……興が削がれたわ」 

 そう言って刀を収める。その姿を見た他の三人も、取りあえず刀を収めた。その様子を見て、隆房が間に立つ。

「そこまでだ。吉川殿、熊谷殿。お屋形様の御前で刀を抜いて……ただではすまされぬぞ」

「よい、隆房」

 義隆が、立ち上がりながら言う。

「……しかし!」

「場を収めたのは、冷泉と元就の家人じゃ。おぬしではない」

 義隆は不機嫌そうに呟くと、帷幕を出て行った。慌てて後を追う隆房が、陣幕の前で立ち止まり、一同に向かって振り返る。

「御一同……以後、帷幕に入る時の帯刀は禁止する。よろしいな」

 そう言って隆房は、義隆の後を追った。一同は、一斉にがやがやと騒めく。

「興経殿……」

「伯父上、小言は聞かんぞ」

 興経は近づいてきた元就にそう言い捨てると、信直を一瞥して再び舌打ちし、帷幕を去っていった。溜息をつく元就と通の前に、冷泉隆豊が近づいてくる。

「実に見事な御手前でござった。流石、元就殿の家臣じゃ。もしや、渡辺通殿ですかな?」

「左様でござる、冷泉殿」

 隣で元就が、頭を下げる。

「素晴らしい太刀さばきでござるな。それにその刀……名刀とみた。某は、刀に目が無い。見せていただいてもよろしいか?」

 通は腰から刀を外し、両手で隆豊に差し出した。隆豊はその刀を抜いて、刀身を何度も陽にかざしながら、食い入るように見つめる。それは、吸い込まれるように美しかった。

「これは……素晴らしいものだ。確か渡辺殿は、かの鬼退治で有名な渡辺綱の後裔と聞いている。渡辺殿、もしやこの刀は、伝説の鬼切の太刀ではあるまいか?」

 隆豊はそう言って、再び刀を陽にかざす。その長く大きく反った刀身は、最近では珍しい。

「まさか……確かにこの刀は、我が家に代々受け継がれたものでございますが、そのような名刀ではございません。我が祖は、源頼光公から鬼切をお貸しいただいただけでございます。本物は、出羽の最上に伝わっていると聞いておりますが……」

 通は、恐縮して答える。

「いや、そうとも限らぬ。伝承などあてにはなるまいよ。間違いないことは、この刀が鬼切に匹敵するような名刀であるということだけだ。某は、自分の目しか信用しておらぬでな。渡辺殿、もしその刀を手放すつもりがおありなら、いつでもお声がけいただきたい。対価は、いくらでも払いますぞ」

「……この刀は我が家の家宝であり、父の形見でもござる。その儀は……」

「はっはっは、やはりそう仰るか。大事になされ」

 隆豊は豪快に笑いながら、二人の前を後にした。

 帷幕の中央では、信直が拳を握りしめて立ち尽くしていた。

 彼の父を殺したのは、興経の叔父、宮庄経友であった。それを考えると、余計にはらわたが煮えくり返る。

 そんな信直に、誰も声を掛けることはできなかった。

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