第一話.巨星墜つ
この小説は、史実を基にした創作です。
天文十年(一五四一年)、出雲を支配する尼子氏の居城、月山富田城では、今まさに一つの命が燃え尽きようとしている。
謀聖、尼子経久。
希代の策略家として知られるこの男も、齢八十四を数え、往年の生気あふれる面影もなく、やせ衰えた身体を寝具に横たえていた。白一色の頭髪は、白い着物と相まって輝きをみせ、そのまま空間に溶け入るようであった。
その傍らには、すでに家督を譲られた嫡孫の晴久が、経久の手を握って座っている。
経久の長男であり、晴久の父である政久はすでになく、経久はこの孫に早くから家督を譲り、後継者として育ててきた。若き頃の経久に似て、威風堂々とした武将になっている。
その晴久の向かい側、経久の左側には、その経久の次男、国久が座っており、その後ろには、尼子新宮党の面々が居並ぶ。
新宮党は、元々経久の弟、久幸が組織した尼子一門からなる親衛隊であり、精強を誇る精鋭部隊であった。現在は経久の次男、つまり当主晴久の叔父である国久が継承しており、今はその息子たちが主力となっている。
そんな一門衆に囲まれた経久は、閉じていた目をゆっくりと開く。
「……詮久」
「……大殿。晴久、でございます」
晴久は経久の手を握ったままそう言って、頭を下げた。
「おお……そうじゃった。将軍から一字、賜ったのであったな。そうじゃ、晴久であったわ」
経久はそう言って笑みを浮かべる。
この年、詮久は将軍足利義晴から一字を賜り、晴久と名乗っていた。
そもそも、この一字拝領を幕府に根回ししたのは、経久自身であった。しかしこの老いさらばえた出雲の覇者は、それすらも忘れていたようだ。
主君や貴人から、通字でない方の字、偏諱を賜ることを一字拝領という。
室町時代、足利将軍家は積極的にこの一字拝領を行っており、第十二代将軍足利義晴も同様であった。将軍はそれによって、直接の支配関係を明確に公にすることができたからである。
偏諱を賜った側も、その地方の支配や権益に対して大義名分を得ることができるため、お互いに利益を得ることができた。足利将軍の存在は、戦国時代になってもいまだに大きな影響力を有していたのである。
わずかに浮かべた笑みをたたえたまま、経久は再び晴久の手を強く握った。
「よいか、晴久。周防の大内は、実に手強い。しかし、当面はそれ以上に警戒せねばならぬ男がおる。誰かわかっておろう?」
「……毛利元就でございますな」
経久の手を強く握り返しながら、晴久が答える。
周防の大大名、大内氏は、尼子にとって最大の敵であった。
安芸の国人領主、毛利元就は、現在その大内の傘下にあったが、かつては尼子の傘下にいたこともあって、つまりは裏切り者でもあった。切れ者として知られ、油断がならない男である。
先年、尼子はこの毛利元就の居城吉田郡山城を攻めたが、その徹底した籠城戦法の前に、大敗を喫していたのだ。
「この出雲を囲む輩どもは、油断のならぬ者ばかりじゃ。よいか、晴久。最後に頼みとなるのは、一門衆ぞ。ここにいる新宮党を中心とした身内を、大切に扱え。決して、軽んじてはならんぞ」
「はっ……胆に銘じまする」
経久は一通り晴久に訓戒した後、国久を手を取る。
「国久、晴久を頼むぞ。おぬしらの新宮党が、武の要じゃ」
「ご安心下され、大殿。若殿は、この新宮党が必ずお守りいたしまする」
それから経久は、次から次へと一門や重臣の手を取り、後事を託す。
その勢いは、命旦夕に迫るかと思われた老人の顔に生気を取り戻させた。息を吹き返した経久は、何度も晴久や一門衆の手を取り、繰り返し教訓を教え諭していたが、やがて言葉も尽きたのか、一人の若者の手を取ったところで固まったように動きを止めた。
その若者、尼子敬久は、恐る恐る押し黙った経久の様子をうかがう。
「……ああ、敬久か。お前、尼子を継ぐか?」
やがて発せられた経久の言葉に、一同はぎょっとなって経久を見つめる。
次の瞬間、誰ともなくその視線は晴久に向けられた。
この若き当主は、一瞬眉をしかめたが、すぐに能面のような顔をし、平静を装った。しかし、その動揺はありありと見てとれた。
「……大殿、敬久は、この国久の三男でござる。家督は、若殿晴久様が御立派にお継ぎになっております。御心配には及びませぬ」
国久が、慌てて取り繕うように父の手を握りしめた。
その言葉を聞いた経久は、虚ろな目を虚空に泳がす。
「ん……そうか……敬久は、政久の子ではなかったか。しかし国久の子なら、儂の孫に変わりはあるまい。尼子を継いでも、何の不都合もなかろう」
(また、御病気が出られたか……)
経久の言葉を聞いた広間の一同は、皆一様に同じことに思い当たる。
ここ数年、経久は突然意識が混濁し、突拍子もないことを口走ることがよくあった。
ありていに言ってしまえば、痴呆ということになるのだろうが、これには一つのきっかけらしきものがあった。
経久には三人の男子があった。
長男は晴久の父で、若くして戦死した政久、次男が現新宮党党首である国久、そして三男が出雲の名門塩冶氏の養子となった興久であった。
経久は、この三男興久をもっとも可愛がっていたが、事もあろうにこの興久が、享禄三年(一五三〇年)に父に対して反乱を起こしたのである。
この反乱の背景には、出雲国人衆の尼子への反発や、尼子家中の権力争い、さらに周防の大内の思惑など、複雑な要素が絡み合い、単純な反乱ではなかったが、経久にとっては、もっとも可愛がっていた息子の反逆には違いなかった。
この事実は、老いた謀聖に大きな衝撃を与えた。
結局、この出雲を二分した反乱は、天文六年(一五三四年)に鎮圧され、興久は自害した。
経久の様子がおかしくなってきたのは、その興久の塩漬けにされた首を実検した後、それを掻き抱いた頃からであった。この日から往年の鋭い眼光は徐々に衰えをみせ、呆けた日々が増えるようになった。
しかし晴久を後見し、謀を巡らすその時は、往年の謀聖が目を覚ました。
その覚醒した姿と呆けた姿の繰り返しは、あたかも正気と狂気の間をさまよっているようでもあった。
そんな老人の言動も、直近は呆けた発言がさらに多くなっていた。先程のような言葉は、最近は珍しいことではない。
右手に敬久、左手に国久の手を握る経久は、しばらく虚空を見つめた後、不意に声を上げた。
「ああ、そうだ、思い出したぞ。敬久は強弓を良く扱うのだったな。よし国久、庭に的を用意させよ。ほら、早うせい」
突然の言葉に面食らいながら、国久は晴久の様子をうかがう。晴久は強張った表情のまま、少し頷いた。
庭への戸が開け放たれ、眩しい日光が湿った広間に輝く。国久に命じられた家臣が、庭に的の準備を始める。
それにしても経久の発言は、この時期の微妙な尼子家中に、波紋を投げかけるに十分であった。
先年の毛利攻め、吉田郡山城の戦いは、晴久の主導で行われたものであった。
天文六年(一五三七年)、経久の隠居によって家督を継いだ晴久は、足利将軍十二代義晴からの「上洛せよ」との御内書を好機とみて、それを口実に因幡、美作、播磨にまで兵を送り、勢力を拡大していた。その晴久が次に狙いを定めたのが、安芸の毛利元就であった。
晴久は、元就を激しく憎んでいた。かつて尼子に属していたこともあった元就の裏切りを、晴久は許せなかったのである。
この戦にもっとも反対したのが、当時の新宮党党首であり、経久の弟である久幸であった。元就は一筋縄で行く男ではなく、新たな領土の地固めも半ばだったからである。
しかし晴久は、久幸ら老臣の忠言に耳を貸すことはなく、吉田郡山城攻めを強行した。播磨までの平定は、祖父経久も成しえなかった偉業であり、家督を継いでから負け知らずの晴久には、明らかな増長があった。
結果は尼子の大敗となり、久幸は晴久を守って戦死した。
しかもこの大敗は、傘下の国人領主らの離反を招き、その多くが毛利の背後にいる大内になびいた。その上、尼子家の精神的支柱である謀聖、経久の余命が幾ばくも無いとなれば、尼子にとって今の状況は、これまでにない苦境であった。
それらの苦境は、晴久が毛利攻めを強行した失策が始まりであったと言わざるを得ない。
つまり今の尼子家中は、誰も口にはできないが、晴久の当主としての資質が、危ぶまれている時期でもあったのだ。
やがて、的の準備を行っていた家臣が国久の前に平伏し、準備が整った旨を伝えた。国久は経久の前に跪き、そのことを報告する。固唾を飲んで見守る一同は、晴久と国久に支えられ、わずかに半身を起こした経久の言葉を待つ。
「……よいか、敬久。おぬしが放った矢が、見事に的を射貫くことができたなら、尼子の家督はおぬしが継ぐのだ。儂がかつておぬしに与えた強弓には、神意が宿っておる。これは、決して儂の勝手ではない。出雲の神仏、つまりは杵築大社の須佐之男命の思し召しであるのだ」
経久のその言葉に、一同は一瞬騒めく。
杵築大社は、尼子氏の本拠地出雲にある神社で、神話の国譲りで有名な全国有数の神社であった。須佐之男命は、その祭神である。
「……しかし、大殿……」
虚ろな経久の隣で、国久が声を上げる。
「よいではないか、叔父上。大殿がそう申されるなら、儂は一向に構わぬ」
そう国久をさえぎったのは、能面のような表情のままの晴久であった。その表情からは、感情をうかがい知ることはできない。
このような時、普通ならば晴久に近い家臣が、何かと理由をつけてやめさせようとするところだが、尼子において経久の言は絶対であった。それは、道理の通らない話でも例外ではない。晴久の側近も、固唾を飲んで状況を見守っている。
「若殿。このようなことは、無意味でござる。大殿は疲れておいでなのじゃ。このような……」
「……無意味かどうかは、神意が決める」
再び国久をさえぎった言葉は、その国久の背後から発せられた。
その声の主は、国久の長男、誠久であった。尼子家中随一の剛勇として知られる男である。平素は口数も少なく寡黙であるためか、その朴とつな低い声は、奈落から発せられるような重々しさがあった。
「誠久、いらぬ口を挟むな」
国久は、視線を落としたままの誠久をたしなめる。
「いや、叔父上。誠久の言うとおりじゃ。まさしく、神仏がこれを決めよう」
そう言った晴久と、誠久の目が合う。平素この二人は折り合いが悪く、広間に緊張が走る。誠久は家臣ながら、この歳の近い従兄弟に遠慮がなかった。
「国久、早う敬久に射らせよ」
そんな空気を知ってか知らずか、薄目を開ける経久が催促する。晴久と誠久を交互に見ていた国久は、やがて諦めたように立ち上がり、敬久に視線を送って、共に庭に向かう。
(……これは何とも、面倒なことになったな……)
父の後について庭に出た敬久は、その背中を見ながら途方に暮れていた。
尼子敬久は、新宮党党首、国久の三男であるが、武勇に優れる長男誠久や次男豊久と違い、これといった実績もなく、家中でも影の薄い存在であった。
ただ、弓の腕だけは抜群で、経久もそれを認めて、自慢の強弓を与えた程であった。もっともその腕前も、戦場ではいまだ日の目を見てはいない。
(間違っても、的に当てるわけのはいかぬな)
これは、ともすれば愚図とも見られがちの敬久が、小心なのではない。
分家の三男である敬久が、本家を継ぐなどあり得ない。これは、正気を失った経久と家臣の前での、晴久の意地であった。その意地に誠久が張り合うのは、これまでにもあったことだが、ここで晴久の心証を損なうことは、敬久にとっても新宮党にとっても、いいことではない。
そもそも敬久は、兄誠久ほど晴久を嫌ってはいなかった。
そして、いらぬ波風を立ててほしくないのは、家臣一同も同じであろう。その空気を察した敬久の行動は、おのずと決まっていた。
家臣から自らの強弓を受け取った敬久は、壁の盛り土に置かれた的を見つめる。
的は、思ったよりも小さかった。これならば、狙っても五分五分であろう。
的と庭を確認した国久が、広間に戻る前に敬久に近づいて来た。その眉間に皺を寄せたまま、誰にも聞こえぬよう耳打ちする。
「……遠慮いたすな。射貫いてしまえ」
その言葉に、内心仰天した敬久であったが、かろうじて表情には出さずに、素知らぬ顔をした。しかし一気に息が苦しくなり、胸の鼓動が大きくなる。
国久は、そんな敬久を意に介さず、広間に戻っていった。
(聞き違いではあるまいか……)
そう思うのも無理はない。国久は先程まで、経久や晴久をいさめていたのだ。しかも国久は、新宮党の党首なのである。波紋を広げるような発言は、平素の冷静な父からは想像できないものであった。
気持ちの整理がつかないまま、敬久は的の正面に立つ。
今まで、父の意に逆らったことなどなかった。しかし、此度はその思惑がわからない。晴久の勘気をこうむることは、経久亡き後、どんな禍を呼ぶかも知れない。
敬久は、再び経久の隣に座った父の表情をうかがおうと目を凝らすが、その感情のない表情からは、特別な意図を読み取ることはできなかった。その視線を見た経久が、指で的を示し、早くしろと促す。
もはや、猶予はない。やむなく敬久は矢をつがえ、ゆっくりと打起し、さらに間をとって引き絞る。その右手は、いつもより大きく震えた。
(……こうなれば、ままよ)
敬久は半ばやけっぱちになって、焦点を的には合わせず、空間に泳がせた。彼自身、当たるも当たらぬも、須佐之男命に任せたのである。
乱暴に放たれた矢は、鋭い音で空を切り、鈍い音で突き刺さる。
敬久は、その行方をはっきりと見てはいなかった。しかし、広間の一同から安堵のため息が聞こえた時、的を外したことを察した。
その矢の行方を見ていた経久は、しばらくその矢を凝視していたが、やがて、庭の敬久を手招きする。敬久は、慌てて広間に上がり、祖父の前に平伏した。
「……国久」
「はっ」
「今後、尼子の大戦の際には、必ず敬久に的を射らせ、戦の吉凶を占え。敬久が的を外したら、無理に戦をしてはならぬ。よいな」
「心得ましてござる」
国久は、表情を変えることなく頭を下げる。
「敬久、次は外すでないぞ」
「ははっ」
敬久は、経久の言葉に、床に額を打ちつける。
「……晴久、儂は疲れた。寝るぞ」
「……はっ」
「なんじゃったか……ああ、元就じゃ。元就には、くれぐれも油断なきようにな」
経久はそれだけ言うと、ゆっくりと目をつぶった。すわと、一同に緊張が走ったが、本当に眠っただけのようであった。この老人に迫っていた死は、ひとまず避けられたのであろう。
そんな経久が、眠りに入ったのを見届けた晴久は、ゆっくりと立ち上がり、一同を見渡す。
「……皆の者、今日はここまでじゃ。大義であった」
その一言でほっと息を吐いた家臣たちは、一様に平伏した後、次々と立ち上がって、広間を後にし始めた。
国久はそんな家臣たちを見送った後、敬久を立ち上がらせ、人気のない廊下に呼び寄せる。
「……射貫け、と言ったはずだが?」
「……申し訳ございませぬ。射ち損じましてございます」
敬久は辛うじてそう答え、頭を下げる。
国久は、そんな息子の姿を一瞥しただけで何も言わず、廊下の奥に去って行く。
「腰抜けめ」
低く響くその声の主は、兄誠久であった。彼はそう言い捨てて、荒々しく歩いて行った。その後ろで成り行きを見守っていた次兄の豊久は、溜息をつきながら、無言でその後に続く。
(やはり、ご不興を買ったか)
敬久がその場でうなだれていると、戸を開けて晴久が出てきた。晴久は敬久には目もくれず、目の前を通り過ぎていったが、不意に振り返る。
「……大義」
そう一言だけいった主君に、敬久は慌てて頭を下げる。その顔を上げた時には、すでに晴久の姿はなかった。
暗鬱な表情のままの敬久は、戸を少し開けて広間の様子をうかがう。
布団に入って眠る経久は、微塵も動きを見せない。おそらくまた、この世とあの世を行き来しているのだろう。
この老人亡き後、尼子本家と新宮党は、どうなってしまうのか。先の吉田郡山城の敗戦によって、出雲を取り巻く環境は一段と厳しさを増している。敬久は再び、暗鬱な顔にならざるを得なかった。
それから一か月の後、出雲の英雄、尼子経久は静かに息を引き取った。
それは、再び迫る動乱の幕開けでもあった。




