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新宮党の一矢  作者: 次郎
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第十八話.銃声

 安芸国三入荘を治める国人に、熊谷信直という男がいる。

 永正十四年(一五一七年)、信直の父元直は、尼子経久の後援を受ける安芸の武田信繁に従い、吉川氏の有田城を攻めたが、有田城の援軍としてやって来た大内方の毛利・吉川連合軍と戦い、戦死した。その首を取ったのは、吉川元経の弟で興経の叔父、宮庄経友であった。この戦いで総大将、武田元繁を討ち取った毛利元就の名は、一躍諸国にとどろくことになる。

 そんなこともあって、若くして信直が家督を継いだころは、熊谷と毛利は敵対関係にあった。

 しかし、大永四年(一五二四年)、大内義興が安芸に侵攻して熊谷氏の三入荘に迫ってくると、熊谷も毛利との連携を模索せざるを得なくなった。その時の毛利は尼子に鞍替えしており、尼子経久の指示も、毛利と連携して大内にあたれというものであった。主家筋の武田家は信繁の子、光和が継いでいたが、単独で大内に対抗する力はもちろんない。

 信直は、これに反発した。元就は父元直を殺した者たちの一人であり、仇の一人でもあったからである。

 しかし、尼子の助けを借りなければ、大内の侵攻は防げない。信直は家臣の助言に従ってやむなく元就と協力し、大内の安芸侵攻にあたることになった。この時信直はまだ十七と若く、家臣団の方針を覆すだけの力はなかった。

――これは……只者ではない。今はまだ、太刀打ちできまい。

 元就と共同戦線を張るうちに、信直はその力を認めざるを得なかった。

 信直ら尼子傘下の国人衆を指揮した元就は、大内軍を散々に打ち破った。元就はその評判に恥じぬ戦上手で、兼ねて元就を高く評価していた大内義興は、再び元就を大内に帰順させるため八方手を尽くした。その効果もあり、翌年、元就は再び大内に接近することになる。

 その間、信直は元就の指揮の下、生き生きと戦える己を感じていた。その将たる器は、今だ熊谷の主である武田光和を遥かに凌いでいた。

 その頃武田家中では、家臣同士の対立が深まっており、熊谷家もそれに巻き込まれていた。それに嫌気がさしていた元直は、一族郎党のため、やむなく単独で元就に接近した。そしてそれは、すでに大内と繋がっていた元就も望むところでもあった。

 その後、武田光和と対立した信直は、元就を通じて正式に大内の傘下に入った。

 それから数年、信直はどこか釈然としない複雑な思いを抱きながら、元就と共に出雲攻めに参陣していた。


「兄上、もう我慢ならん。いつまで評定を続けるつもりなのだ」

 そう吠えたのは、熊谷信直の弟、直続である。兄と共に剛勇で鳴らした直続は、圧倒的大軍で小勢にたじろぐ時間が馬鹿馬鹿しいと思っていた。踏みつぶして進めばいい話ではないか。

「お前も、あの城の堅固なことはわかるだろう。陶殿は、無駄な損害を出さない方法を考えているのだ。ただ無意味に時を過ごしているのではない」

 信直はそう言って、隆房ら大内の重臣を庇ったが、心の底では同じように、馬鹿馬鹿しいとも思っていた。しかし信直は熊谷の当主である。弟のように放言するわけにもいかない。

「ならば、捨て置いて進むべきであろう。城を出て背後からかかってくるなら、迎え撃てばいい。忌々しいが、吉川興経の言うことの方がまともに聞こえるわ」

 直続は、顔をしかめて呟いた。彼らの父、元直を実際に討ち取ったのは、興経の叔父、宮庄経友である。吉川への恨みは深い。

「なあ兄上、朝駆けだ。我ら熊谷で、瀬戸山城攻めの先陣を切るのだ。陶や内藤の目を覚まさせてやろうぞ」

「……馬鹿なことを申すな。瀬戸山城を小勢と言うが、我らも小勢じゃ。どうやって城を落とすのか」

 信直は、不機嫌に言葉を返す。

「城下の町や村に火を放てばよい。周囲を乱取りすれば、赤穴光清も黙っておるまい。必ず討って出てくるだろう。それを潜んで、迎え撃てばよいのだ」

「乱取りは、お屋形様がお許しにならぬ。のちの出雲の統治に、恨みを残さぬようにとの仰せだ。もし光清が出てきても、軍令違反で我らが処分されては、何にもならんのだぞ」

 義隆は、乱取りなどの領民からの略奪行為を、一切禁止していた。この時代の戦には珍しいことであったが、理想主義的な義隆らしい方針ともいえる。彼の考える王の戦は、民に喜んで迎え入れられるものでなければならなかった。

「何とも甘い話だ。大内の殿は将棋でもしているつもりか。我々は、大内と尼子の間で長年泥水をすすってきたのだ。もう我慢できん。俺の手勢だけでも、戦を仕掛けてやる」

 直続はそういきり立つ。

「落ち着け、直続。しびれを切らしている国人は、おぬしだけではない。ここは安芸国人衆の総意として、今一度、瀬戸山城攻めをお屋形様に進言申し上げよう」

「安芸国人の意見がまとまるものか。誰が興経を説得できるのだ」

「毛利元就がいる。元就がまとめれば、お屋形様も陶殿も軽視はできんだろう」

 その言葉に直続は、かぶりを振った。

「また元就か。奴は父上の仇の一人だぞ。兄上は、何かといえば元就に頼ろうとするが、父上に申し訳ないと思わないのか。毛利と吉川は、仇敵だろうに」

「何とでも言うがいい。父上の御無念を晴らしたいのは、おぬしと同じだ。しかし儂の双肩には、熊谷の一族郎党の命運がかかっておる。そのために、耐えがたきも耐えてきたのだ。おぬしのように、好き勝手言うだけなら楽であろうよ」

 信直はそう言って、弟をじろりと睨んだ。その迫力に、直続もたじろぐ。

「……悪いことはいわん、おとなしくしておけ。お屋形様の御不興を買い、その上抜け駆けで他の国人の反感を買ったとあっては、のちの熊谷のためにならぬ。おぬしも少し、家のことを考えるのだな」

「……わかっている」

 直続は不貞腐れてそう呟いたが、心の中では納得していなかった。

 

 天文十一年(一五四二年)、早朝。熊谷直続は手勢三百を連れ、赤穴の城下町に迫っていた。

 城下町は瀬戸山の南の裾野に広がり、周囲は田畑に囲まれている。まだ夜が明けきらない薄暗い中、息を潜めてあぜ道を進む。

「よろしいのですか?」

「かまわん。兄上は慎重すぎる。古来より大功を立てれば、抜け駆けなどは帳消しになるものだ。我々は偵察で道に迷い、入りこんでしまったのだ。よいな?」

 不安な様子を見せる家臣に、直続はそう言い聞かせた。武功を挙げて熊谷の名を世に知らしめ、大内軍に活を入れる。この男の頭には、そのことしかない。

 町に入りこんだ熊谷勢は、民家に火を放ち、鬨の声をあげた。

 わずかに残っていた領民たちは慌てて家を飛び出し、蜘蛛の子を散らすように山に逃げこむ。薄暗い空は真っ赤に燃え上がり、周囲は逃げ惑う領民たちの叫び声で大騒ぎとなった。

「大内め、動き出したか」

 夜討ち朝駆けを常に警戒していた瀬戸山城は、城下の異変にすぐに気がついた。

 立ち上る数本の煙と赤い炎に、家臣の報告を受けた瀬戸山城主、赤穴光清は物見櫓に上り、唸り声を上げた。すぐに手勢を集め、討って出ようとする。

「お待ち下され、赤穴殿。これは、我々をおびき寄せる罠に違いありません。ここは慎重に、敵の動きを見るべきでは?」

 月山富田城からの援軍として入城していた田中三郎左衛門が、光清をいさめる。

「田中殿、罠にかかったのは奴らの方だ。城下町には、わざと民を残しておいたのだからな。見てみろ」

 三郎左衛門が櫓から目を凝らすと、逃げ惑う民を追いかけて、敵勢が城下町の北側に集まってくる。その軍勢は小勢で、周囲に大軍の姿はない。

「大内の大軍に動きはない。あの小勢が偵察か抜け駆けかはわからんが、狭隘に誘い込めば一瞬で方が付く。援軍が来る前に、終わらせてくれようぞ」

「敵は、この城を攻めあぐねております。無理に討って出ることは……」

「向こうから好機をくれたのだ。これを逃す手はない。尼子の殿より頂戴した、例のあれを使う良い機会でもある。おぬしにも、働いてもらうぞ」

 光清は目を輝かせて、三郎左衛門の肩を叩いた。そもそも命がけの籠城である。一世一代の大戦、やはり武将として華々しく戦いたい。もとより援軍の三郎左衛門も、命はないものと思ってる。腹を括るしかなかった。

 

 逃げ惑う民を追いかけて、熊谷勢は城下町の北側に集結しようとしていた。その先の裾野は木々で徐々に狭くなっており、城までの細い道が続いている。

「ここから先は、慎重に行かねばなりますまい」

「よし……ここから赤穴光清を大声で罵れ。己の国を踏みにじられても出てこれない、臆病者とな」

 直続に命じられた熊谷勢は、それからあらん限りの罵詈雑言を山城に浴びせた。

 三百の人間が声を合わせ、大気を震わせる。しかしいくら時間が経っても、城の方からは何の反応もない。

「さて、困ったぞ。他に何も考えておらぬわ」

 呆れる家臣をよそに、直続は腕を組んで座り込んだ。瀬戸山城に立て籠もっている赤穴勢を甘くみている直続は、深い策を持って攻めているわけではなかった。

「この小勢で城攻めはできますまい。戻りますか?」

「戦功なく退くとなれば、面目は丸つぶれだ。抜け駆けした上に、軍紀を犯しておるからな。さて、どうしたものか」

「殿!あれを!」

 不意に家臣が声を上げた。見ると城下町の西側から、敵勢らしき集団が迫っていた。田中三郎左衛門の軍勢である。

「よし、やっと来たか!」

 直続は喜々として叫ぶ。

「殿、お気をつけを。どうやら抜け道があるようでございます」

 しかし興奮した直続には、その声は聞こえていない。膝を叩いて勢いよく立ち上がり、舌なめずりをした。

 その瞬間、東の木々が大きく騒めき、赤穴勢が目の前に姿を現した。光清の兵であった。声を潜めて進んできた光清らは、直続の近くまで身を潜めて迫っていたのだ。

「また来たぞ!武功が向こうから、転がり込んで来よったわ!」

 至近距離まで来ていた赤穴勢は、その顔まではっきり見えた。素早く刀を抜いた直続は、それを迎え撃とうとする。

 その時、直続は奇妙なものを見た。数人の赤穴兵が、刀でも槍でもない、黒いものを抱えている。

――こやつらは何を……。

 その刹那、凄まじい轟音が辺りに響き渡った。

 直続は、大きな衝撃を首に受けた。その瞬間、見ていた景色が反転する。

――何だ?俺は一体、どう……。

 それが直続が、この世で最後に考えたことであった。

 凄まじい轟音に思わず目をつぶった直続の家臣は、顔に何か生温かいものが飛んできたことがわかった。慌てて目を開き、隣にいた直続の姿を見て息をのむ。

 飛んできたものは、直続の生臭い大量の血しぶきであった。直続の兜は、その体の前方に不思議な角度でぶら下がり、首からは血が噴き出していた。その顔は皮一枚で繋がって、前に垂れ下がっていたのである。その状態でも、直続は敵に向かって歩いていた。

「う、うわー!うわあ!」

 家臣は半狂乱になって、直続の体にしがみついた。もう何が何だかわからない。わかるのは、自分の主君を連れて逃げなければならないということだけだった。

「た、退却、退却!」

 周囲の誰かがそう叫んだ。恐慌状態の熊谷勢に待ち受けるのは、一方的な蹂躙であった。


「何の音だ!」

 その轟音は、大内の陣にも届いていた。味方の抜け駆けを察知した元就が、義隆の本陣に向かおうとしていた時である。その本陣を囲む他の国人衆の陣営も、騒がしくなっていた。

「あの音はおそらく……鳥銃の音でございましょう」

 そう言ったのは、元就の隣に控える弥山であった。この男は一度竹原に帰った後に再びやってきて、出雲の諜報をしていた。たまに元就の陣に戻ってきて、その報告をする。この日も朝早く、元就のもとにあった。

「鳥銃、だと?」

 その名は元就も聞いたことがあった。大陸の明国から伝わっていた火薬を使う武器である。しかし、一国人領主が持っている代物ではない。

「おそらく、尼子晴久が光清に授けていたのでしょう。しかしまさか実戦で使うとは……晴久も思い切ったことをしますな」

 弥山は、素直に感心した素振りを見せる。

「感心している場合ではないぞ。しかし……」

 元就はしばらく耳を澄ませたが、もうその音は聞こえなかった。しかしその空気を震わす轟音は、いつまでも元就の耳に残っていた。

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