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新宮党の一矢  作者: 次郎
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第十七話.沼田小早川正平の野望

 瀬戸山城攻めの戦評定が紛糾する最中、再び毛利の陣を尋ねてくる者がある。

「殿、小早川正平様がお見えでございます」

 そう伝えてきたのは、渡辺通である。その隣には、ともに今回の出征に従軍している桂元澄もいた。

「はて、小早川……どちらだったかな?」

「沼田の方でございます。本家の……」

 首を傾げる元就に、元澄が言う。

「おお、そうだったな。沼田の方だったか」 

 元就はそう言って、苦笑いを浮かべた。咄嗟に出てこなかったことが、歳の所為だとは思いたくない。連日の評定で、疲れているのであろう。

「殿、小早川様にお会いになられますか?お疲れでは……」

 通が心配そうな表情を浮かべる。隣にいる元澄も、元就の顔色をうかがう。

 渡辺氏は、源頼光の家臣であり頼光四天王の筆頭、渡辺綱の後裔で、代々剛勇をもって知られていた。通の父、勝もその武勇をもって毛利家の宿老であったが、元就の弟、相合元網に近く、坂広秀と共にその反乱の中心人物でもあった。

 元網の反乱の際、勝は元就に手討ちにされ、渡辺一族も多くが粛清された。そんな中、唯一生き残った男子が嫡子であった通で、少年であった通は、母と幼い妹と共に安芸から逃亡し、備後の国人、山内直通の保護を受けていた。

 奇しくも山内直通はその後、父尼子経久への反乱に失敗していた、塩冶興久も保護した。直通の妹が、興久に嫁いでいたからである。直通は、興久への友誼もあって経久の引き渡し要求を拒み続けていたが、その板挟みを察知した興久は、これ以上山内家を追い込むことはできないと判断し、自ら死を選んだ。その首は経久のもとに送られたが、この出来事によって尼子と山内の間には亀裂が生じることになった。

 これに乗じて山内に接近したのが、元就であった。この時直通は、親睦の一環として元就に渡辺家の再興と、通の毛利家復帰を要求した。山内家で元服した通は、直通の偏諱を与えられていた。元就もこれに応じ、通は毛利家臣に復帰することになったのである。

 当初、元就は渡辺家の再興にあまり乗り気ではなかったが、通は思いもよらぬ拾い物であった。通は粛清された父や一族の恨みなど一切もたず、ただひたすらに渡辺家の名誉挽回のために奉公していた。特にその武勇は抜群で、吉田郡山城の戦いにおいて元就の命を受けた通は、桂元澄らと共に伏兵となり、新宮党誠久率いる一万の大軍を小勢で撃退した。

 この戦いは、誠久の新宮党本隊を撃退したものではなかったが、大将として出陣すれば負け知らずの常勝、誠久に土をつけたのは、毛利の名を高めるに十分であった。その先陣を切った通の武勇は、近隣諸国に鳴り響いたのである。

 その通を毛利に復帰させた直通はその後毛利と講和したが、それが原因で、尼子の討伐を受けることになった。直通は隠居させられ、山内は尼子の支配下に置かれたが、尼子の敗北によって、他の国人と同じく大内側に鞍替えしていた。

「お疲れとあらば、若殿にお頼りなされては?」

 元就の顔色をうかがう桂元澄が、そう進言する。

 元澄の父広澄も、通の父勝と同じく、元網の乱の折に亡くなっている。もっとも広澄の場合は乱に加担していたわけではなく、一門の坂広秀が首謀者の一人であったため、責任の一端を感じて自害した。広澄は、坂氏の分家であったのだ。

 首謀者でないにもかかわらず、腹を切って一分を示した広澄の気性は、子の元澄にも受け継がれていた。後を追って自害しようとする元澄を、元就は必死に説得して思いとどまらせた。それ以来元就は、元澄を信任して重用していた。

 それにしても、元網の反乱の傷跡も大きいものであった。旗頭である元網が死ねば、それで事が収まるわけではなかった。その旗頭に集った家臣や、その郎党にも悲劇である。主家の身内の争いは、家臣の身内争いにもなり、その結果は取返しのつかない不幸となる。一族郎党を率いる、当主というものの責任は大きい。

「向こうから足を運んできたものを、追い返すわけにもいくまい。それに隆元に応対させたとあっては、正平殿も面白くなかろう。お通しせよ」

 元就がそう言って腰を据えると、しばらくして通に案内されてきた小早川正平が入って来る。

「元就殿、お久しゅうござる。もっと早う挨拶に来るべきところ、雑務に時を取られ、遅くなってしまいました。何とぞ、御容赦の程を……」

「何、お気になさるな。よくぞ参られた……ささ、こちらへ」

 元就は笑顔を浮かべ、正平を迎える。恐縮した様子の正平は、元就の正面に座り一礼した。

 小早川家は元々、相模を本拠地とした桓武平氏土肥氏の支流で、平家討伐の恩賞として得た安芸沼田荘に、土肥遠平の養子、小早川景平が地頭として土着したものであった。

 その後、景平の長男、茂平は承久の乱で武功を挙げ、さらに竹原荘などを与えられた。その茂平の四男、政景がこの竹原荘を与えられて分家したのが、竹原小早川の始まりである。元々は本家である沼田の方が大きな勢力を有していたが、徐々に衰退し、正平が沼田を継いだ今となっては、その力は拮抗していた。両家は同氏として敵対することはなかったが、独立した勢力として、長く安芸に根を張っていたのである。

「……まずは今一度、御礼申し上げねばなりますまい。元就殿の御尽力なくば、沼田の血脈は絶えておりました。深く、御礼申し上げまする」

 正平はそう言って、深く頭を下げた。

(……興景殿によく似ておる)

 元就はその姿を見て、今は亡き竹原の興景を思い出した。同族の上歳も近く、当たり前と言えばそうとも言える。しかしその姿にどこか影が差して見えるのは、その眼差しが興景の最後を思い出させるからだろうか。

 その正平が、殊更慇懃に礼を重ねるのには理由がある。

 沼田小早川は長年、大内に従属してきたが、天文八年(一五三九年)、その大内を裏切って尼子の傘下に入ろうとした。この年は尼子の毛利討伐、吉田郡山城の戦いの前年であり、尼子の全盛期であった。尼子の安芸侵攻の噂が流れると、安芸の国人衆は動揺して、こぞって尼子に走った。

 正平も、尼子に通じる家臣に押されて裏切りを画策したが、これが事前に大内方に漏れた。義隆は軍を派遣して沼田の本拠地高山城を占拠し、正平らを軟禁状態に置いた。さらに激怒する義隆の怒りはそれだけでは収まらず、正平を隠居させ、竹原小早川の当主から引きずり降ろそうとした。

 この時、正平には子がいなかった。そこで義隆は、冷泉隆豊を使者として元就に遣わし、その内意を伝えた。元就の二人の男子のうち、どちらかに沼田小早川を継がせる気はないかと言うのである。それは、義隆の元就に対する、厚い信頼の証でもあった。

 しかし元就は、この話に乗り気になれなかった。佐東銀山城の戦いで、竹原小早川当主興景に養子を請われるのはこの翌々年のことになるが、沼田の条件は、のちの竹原に比べても悪いものであった。実際に裏切りを実行しようとしていた沼田の家中は、大半が尼子よりだったからである。その状況はかつて長女を送った高橋家より悪く、子の安全はまったく保障できなかった。

 とはいえ、義隆の意向を正面切って断るわけにもいかない。元就は何とかこの話をうやむやにしようと、冷泉隆豊に対して正平の行動を弁護した。正平の沼田小早川は本家であり、桓武平氏の血を引いた由緒正しい家柄で、その血筋を絶やすのは惜しいこと、長年大内に仕え、忠孝を尽くしてきたこと、尼子の脅威が迫っている今、寛大な処置を示すことで、他の国人衆の心を繋ぎ止めることが必要であることなどを挙げた。

 冷泉隆豊はその話を山口に持ち帰ったが、その後の返答はなかった。しばらくして、元就のもとに正平が赦された話だけが伝わってきた。安芸を狙う尼子の動きが活発になり、無理を避けたのだろう。正平は大内の監視を受けながらも、今回の出雲征伐にも従軍していた。結果として元就の嘆願が通る形となり、沼田を救った形になったのだ。元就の口添えの話は、当然沼田へも伝わっている。

「正平殿、儂がそうしたのは、一重に大内と安芸の国のためでござる。それをお屋形様がお考え下さったまでのこと。お気に召さるな」

「いや、この安芸の国人の誰が言っても、お屋形様は翻意なさるまい。元就殿だからこそ、お屋形様も我が沼田をお許し下さった。沼田小早川は、元就殿に救われたのです」

 正平は再び頭を下げる。その姿は、元就を信じきっているようであった。

「おお、そう言えば正平殿、男子がお生まれになったのでしたな。これで沼田も、安泰というものでござろう。いや、めでたいかぎりじゃ」

「その節は祝いの品の数々、痛み入りまする。実はまた一人、身ごもっておると知らせが参りまして……」

「なんと……それは重畳でござる。また、お祝いせねばなりませんな」

 元就は頷きながら、目を細める。

 正平には年の初め、嫡子となる男子が生まれていた。毛利からも、祝いの使者が立っていたのである。

「実は、その子のことについて、元就殿にお話しが……」

 正平はそう言って僅かに目を伏せ、逡巡する様子を見せた。

「……如何なされた?」

 元就にそう言われた正平は、居住まいを正す。

「……恥ずかしながら、再び元就殿のご厚情にすがりたく……」

「申されよ」

 元就に促された正平は、一度深く礼をして口を開く。

「元就殿、竹原小早川の当主であった興景が病で死んで、もう一年が経ちますが、いまだにその跡継ぎは決まっておりません。竹原は我ら沼田の分家でござる。本来ならば、我が沼田から養嗣子を送らねばならぬところでございましたが、その時はまだ私にも子がおらず、その上尼子に与しようとしてお屋形様の不興も買い、竹原どころではございませんでした。しかし今私には、二人目の子が生まれようとしております。この子が男子ならば是非、竹原の養嗣子にしたいのですが、何分尼子とのこともあり、私はお屋形様の覚えがめでたくありません。そこでなんとか、元就殿のお口添えを願えないものかと……」

「ふむ……なるほど」

 元就は特に表情を変えることなく、顎を手で撫でる。

「手前勝手なお願いであることは、重々承知しております。しかし元就殿をおいて他に、頼める方もございません。ここは竹原のためにも、何とか実現させたいのです」

 正平の言葉を受けた元就は、しばらく考える素振りを見せ、やがて口を開く。

「正平殿、それは貴殿の買い被りというものだ。竹原の跡目は大内にとっても重要なもの、儂の口添えなど何の意味もなかろう。逆に、沼田の野心とも取られかねませんぞ」

「……しかし」

「お屋形様の貴殿への疑念は、未だ完全に晴れてはおりますまい。今はただ、山口に神妙に御奉公することが最善ではあるまいか。まずは此度の出雲攻めで、武功を挙げるがよろしかろう」

 元就はそう助言して、話を切り上げようとした。

「もし武功を挙げれば、元就殿もお口添えくださるか?」

「……まずは武勲を、お立てなされ」

 元就は再び、そう言った。


「流石は殿でございますな。小早川様があのような大事をお話しになるとは……」

 正平が帰った後の帷幕で、通が呟く。

「通、儂は駆け込み寺ではないぞ」

 元就は少し不機嫌になってそう答えた。確かにここのところ、大内と国人の繋ぎばかりやっている気がする。

「……しかし、妙なことになったな」

 竹原の養子については、すでに元就の子を迎え入れるため、弥山が動いて起請文まで取っている。それは興景の遺言でもあり、地固めがすめば毛利にとっても悪い話ではない。それがまさか、ここに来ての本家であった。

「しかし小早川様も……鉄面皮とでも申しましょうか、大内を裏切って舌の根も乾かぬ内に、次は竹原を得ようとする。信義もへったくれもございませんな。もし大内がそれを許せば、某は大内の了見を疑いまする」

 そう言ったのは元澄である。昔からこの男は、口が悪い。

「……運が良ければ、誰しも神仏の加護を思うもの。裏切りが発覚して、最悪首をはねられるところまで落ちたこんだ正平が、奇跡的に許されて、すぐ跡継ぎまで生まれた。しかも分家の興景は子も残さずに死んだ。あの小僧、目の前に転がり込む幸運の連続に、欲が出たのであろうよ」

 自然、元就も口が悪くなった。大内の意向はともかく、この事に関して元就は冷静に振舞ってきたが、元就と興景、そして弥山の動きによってまとまりかけているものを、後から来てひっくり返されるのは、やはり面白くなかった。元就にも、竹原に対する欲が出てきていたのだ。

「しかし心配なのは、お屋形様の気まぐれでございましょう。此度の出雲攻めで小早川様が功を挙げれば、どう裁断されるかわかりませんぞ」

 通のその言葉を聞いて、元澄が笑う。

「通、月山富田城は山城だぞ。水辺から上がって来た小早川が、武勲など立てられるものか」

 沼田小早川は水軍で有名であったが、その軍編成は水軍に偏っていた。山岳での戦いで、活躍できる場は少ない。

「やれやれ……儂も少し、虫が良すぎたかな」

「はあ……?」

 通は首を傾げる。

「……気まぐれであろうがなかろうが、すべてはお屋形様が決めること。正平殿が功を立ててお屋形様がお認めになれば、それはそれでよい。やはり出過ぎた野心は身を滅ぼす。儂も正平殿のことは言えんな……慎まねばならぬ」

 元就は自嘲気味に笑った。

 結局のところ、すべては大内の手のうちにあるのだ。

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