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新宮党の一矢  作者: 次郎
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第十六話.天狗の師弟

 瀬戸山攻めの陣中で、興景のことを思い出していた元就に、弥山が一通の書状を手渡す。

 それは、血判された起請文であった。その内容は、毛利家からの養子を請う内容であり、竹原小早川の重臣の名がずらりと並ぶ。

「よくも集めたものだが……困ったものだな」

 元就は、苦笑した。もしこの起請文の存在が大内に知られたら、元就の増長と思われてもおかしくはない。義隆も面白くないだろう。これはもちろん、弥山の独断であった。

「拙者に限って、大内に知られるようなへまはいたしません。拙者はただ、亡き竹原の殿の御遺言を守り、これを成し遂げたいだけでござる」

 弥山は、己の成果に自信を見せた。こういった秘密の任に、この男は適任のようであった。

「興景殿の書状は、お屋形様に届けたのか?」

「はっ、竹原の殿がお亡くなりになってすぐに、大内に届けております。ただ、竹原に特段の御返答はございませんが……」

 毛利家にも、竹原への養子縁組の話は届いていない。もっとも、佐東銀山城が落城してからの陶隆房ら大内の重臣は、出雲攻めの準備で忙殺されて、一国人領主の跡目の話に関わっている時間がなかった。話が具体的に動き出すのは、出雲攻めの後になるだろう。

「如何でございましょう、殿。この起請文をもって、御子を竹原にお遣わしくださいますか?」

「殿はよせ。おぬしは、竹原の家臣であろう」

 元就がそう言うのは、興景に申し訳ない気持ちもあったからだった。

「竹原小早川に御子をお迎えすれば、暇をいただきまする。その後は、殿にお仕えする。そう約していただいたはずですが」

 弥山は、元就相手にも物怖じせず、佐東銀山城で交わした約束を口にした。

 興景が佐東銀山城の包囲陣から竹原に帰還した後も、弥山は毛利の陣に残り、元就と両家の今後について意見を交換していた。その他にも、二人は様々なことについて語り合ったが、この間に弥山は、すっかり元就に心酔してしまった。。知己を得るとは、まさにこのことであろう。弥山はすぐにその場で、己を知る者のために死すことを誓ったのである。

「確かにそのような話もしたが……おぬしにも義理があろう」

「竹原の殿には、厚く遇していただいた恩義がござる。その恩返しのため、なんとしてもその御遺言は果たさせていただく。その義理を、果たした上でのことでござる」

「……ふむ」

 元就としても、弥山のような配下は望むところである。諸国を巡っていたという弥山の知識と間諜の技術は、元就も舌を巻くほどであった。佐東銀山城の陣中で聞いた、興景の家臣になる前に諸国を見聞した話は、大いに元就を喜ばせた。

「奥羽でもっとも盛況なのは、陸奥守護の伊達稙宗でござる。稙宗は、子を養子縁組や婚姻で他家に送り込み、奥羽に一大勢力を築いております。しかし嫡子晴宗を中心に、この際限のない拡大政策に反対する勢力もあり、その隆盛がいつまで続くかは不透明でありましょう」

「関東管領の上杉家はすでに分裂し、その勢力は衰えております。変わって勢力を伸ばしてきたのは、相模の北条でござる。関東の諸勢力は北条を包囲して、これを叩こうと躍起になっているようですが、互いに仲が悪く、合従は難しいようです。北条が連衡策を用いれば、関東の雄になることも夢ではありますまい」

「甲斐の武田は、安芸の武田と同族であります。現在の当主は信虎で、積極的に外征を繰り返しておりますが、拙者が見た甲斐の領民は、随分と疲弊しているように見受けられました。この甲斐武田も、安芸武田と同じように衰微する勢力かもしれませんな」

 諸国を巡り集めたそれらの情報は、元就にとって新鮮な情報であった。もちろんその中には、真偽を確かめる術がないものもあったが、それら情報に自らの思考を加えて論じるありさまは、かつての戦国時代の説客にも似て、元就の好むところでもあった。元就も弥山を欲して、いずれは家臣にと約したのだ。

「実は最近も天下の様子見に、京に行っておりましたが、殿の武威は京にまで轟いておりました。その武名を聞く度に、やはり殿にお仕えせねばならんとの思いを強くしていたのでござる」

 元就は、吉田郡山城の戦いで尼子を撃退したことを室町幕府に報告していたが、管領、細川晴元はこの勝利を絶賛した。それによって、元就の名も天下に聞こえるようになっていたのだ。

「しかし、儂は安芸の小領主に過ぎぬ。諸国を巡ったおぬしに、そこまで見込まれる程の者ではないが」

 天下は広い。時の権力者に賞されたとはいえ、所詮は安芸の国人領主である。天下の雄と同列にはできない。元就は、自らを超える者はいくらでもいると思っていた。

「実は……以前から我が師より、殿のことは伺っていたのです。安芸の毛利元就は、晩成する大器であると」

「……我が師、とは?」

「司箭院興仙と申す」

「ほう……あの司箭殿か」

 元就は、その名を聞いて合点がいった。

 司箭院興仙は、京の愛宕神社に住まう修験者であった。とはいっても、その存在はもはやただの修験者ではない。天狗とも仙人とも呼ばれるこの人物は、天下の奇才として知られていた。その才は、兵法から怪しげな妖術、天狗の術にいたるまで多岐に渡っている。

 しかし、その手の人物に多い世捨て人というわけでもなく、その絶大な権力で半将軍とも称された管領、細川政元に仕えて兵法を指南していたこともあった。側近として、政にも関与していたのである。

 その細川政元は、修験道に政治を放り出すほどにのめり込み、司箭のような人物を側において、日々修行に明け暮れていた。その政元がもっとも熱心だったのが、天狗の飛行術を身に付けることであったが、結局その術を体得することなく政元は、湯殿で行水をしていたところを家臣に襲われ、殺された。

 それ以後、司箭は出家して政治に関わることはなくなった。今はただ、その飛行術で諸国を飛びまわり、すでに天狗になっているということだった。もちろん、どこまで本当の話かはわからない。間違いないのは、時折ふらりと愛宕神社に帰ってきて、悠々自適の生き方をしているということだけであった。

 この司箭が、元就の盟友ともいえる、宍戸元源の弟だというのだから面白い。この司箭によって、元源と管領細川氏は繋がりがあり、その縁を通じて、元就も細川家と繋がることになった。元就が吉田郡山城の戦いを管領細川晴元に報告できたのは、そういう事情による。弥山が聞いた司箭の元就評は、元源を通じてのことであろう。

「そうか、そなたは司箭殿の弟子であったのか。もしやそなたも、空を駆けることができるのかのう?」

 元就は、少し冗談めかすように言う。

「まさか。拙者が飛行術を行うには、あと三十年は修行が必要でございましょう」

 弥山は至極真面目な表情で答え、居住まいを正す。

「殿……拙者が殿にお仕えしたいのは、魚が水を求めるのと同じこと。しかし、その他にも理由はあるのです。お聞きくださるか?」

「申してみよ」

「……尼子への、復讐」

「ほう……!」

 元就は、大きく興味を引かれた。思わず身を乗り出す。

「実は拙者は、出雲の生まれでござる。月山富田城の鉢屋平で生まれ申した。本名は鉢屋弥山と申す」

「鉢屋と申せば確か……尼子宗家に仕える忍びの一党か」

 その名は、元就も聞いたことがあった。山陰随一の忍び集団である。

「左様でござる。拙者は、尼子経久に仕えた鉢屋賀麻党の党首、弥之三郎の嫡男、弥之助の一子でござる」

「ならばそなたは、鉢屋賀麻党の跡取りというわけか。それが今ここにいる……妙なことだな」

「それこそが、復讐の理由にござる。弥之三郎には二人の男子がおりました。長男弥之助と、次男弥一郎でございます。この弥一郎が弟でありながら、弥之三郎危篤の際に、その混乱に乗じて我が父弥之助を殺し、家督を奪ったのでござる。まだ子供であった拙者は命からがら鉢屋平を逃れ、出雲の山中をさまよっていたところを、司箭に救われその弟子となりました。この簒奪が、尼子宗家の後ろ盾によって行われたのです」

 弥山はそう言って平伏し、着物の襟首をまくる。その首には、大きな刀傷があった。

「この傷は、その時に斬りつけられたもの。この恨みは、一生忘れることはできませぬ。尼子と鉢屋弥一郎、そしてその息子の弥雲に恨み晴らすため、拙者は愛宕山から戻ってきたのでござる」

「……なるほどな」

 元就は、弥山の話に疑いを持たなかった。このような跡目争いは、戦国の世によくある話である。そもそも盟友元源の弟、司箭の話が出た時点で、元就には弥山の言葉を疑う理由がなくなっていた。

「数年前、安芸に入った拙者が易者まがいのことをしておりましたところ、その評判が竹原の殿に伝わり、召し抱えていただくことになったのです。お恐れながら、殿の評判を他国から見ておきたいという考えもございました。そしてその評判は、我が師より伝え聞いたとおりでございました。拙者は、このお方こそ我が主君との思いを新たにしたのでござる。もちろん、竹原の殿への御恩返しをした上で、でござるが……」

「ふむ……何にせよ養子のことは、この戦が終わってからのことになろう。しかし……尼子に復讐したいのなら、大内に仕えたほうがよいのではないか?今まさに、大内は尼子を飲み込もうとしておる。その後、上洛して天下を差配するという展望もあろう」

「確かに、大内の勢力は強大でござる。しかし、大内義隆というお方はどうでございましょうか?お恐れながら拙者には、芸能ばかりで武を軽んじるお方と見受けられます。その上酒に溺れ、色は女も男も問いません。古今東西、そのような人物が天下を取った歴史はございません」

 弥山の義隆評は手厳しい。確かにそう言葉を並べると、見事な暗君のように思える。しかし元就は、義隆の大らかな気質とその血統は、王者の資質として貴重であると思っていた。

「要するに、大内義隆とは真逆である殿は、名君足り得るということでござる。復讐の向こうに天下を見れば、我が主は殿をおいてほかにございません」

「……儂は、それほどの男か?」

 元就は再び、そう言った。

「酒を飲まぬ。その一点だけでも、驚嘆いたしまする。拙者は、酒も女も底なしでございます故……」

「ほう……天狗も酒色にふけるか?」

「天狗は聖人ではございません。拙者は師から、そう聞いております」

 弥山はそう言って、豪快に笑った。

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