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新宮党の一矢  作者: 次郎
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第十五話.竹原小早川興景の悲哀

 瀬戸山城の前に布陣した大内軍は、未だに連日の評定を続けていた。

 相変わらずその方針は、攻城策と迂回策で揺れ動いていたが、徐々に迂回策が優勢になりつつあった。

 その一番の要因は、やはり義隆が迂回策を取りたがっていることであった。そして国人衆もその義隆に忖度して、迂回策に傾いていた。しかし国人衆の場合、それだけが要因ではない。

 そもそもこの戦は、圧倒的な勝ち戦という、希望的観測の上に成り立っていた。

 つまり、勝利が分かりきっているこの状況で、命がけの戦をする気概に欠けていたのである。しかも瀬戸山城は、玉砕の覚悟で籠城しており、落とすとなれば少なからず損害もでるだろう。国人衆の中では、瀬戸山城を強攻して自分たちだけ損害を出すのは馬鹿馬鹿しい、という空気が少なからずあった。

 勝ち馬に乗って鞍替えした国人衆は、尚更であろう。

「どうやら、迂回することになりそうですな。よろしいのですか?」

 評定の帰り、隆元は小声で呟く。

「……正直、今からこれでは先が思いやられるが……最後はお屋形様がお決めになることじゃ。もっとも重要なのは、決まった方針に皆が心を一つにすることよ」

 元就は、陶隆房ら重臣とともに攻城策を推していたが、積極的な発言をしたわけではない。このような大軍での戦は、元就にとっても初めてである。どちらが正解なのか、全てが兵法どおりというわけにもいかないだろう。

 元就が懸念するのは、義隆と隆房の意見が分かれていることであった。攻城策に積極的なのは隆房で、内藤興盛や杉重矩はそれに賛意を示す程度であった。冷泉隆豊は、義隆に従うと言ったのみである。つまり重臣の間でも、それぞれに温度差があったのだ。

 そんな状況であれば、結局、義隆が裁断を下すほかない。しかしその迂回策ためには、義隆が隆房を納得させる必要があった。大内家臣団の筆頭である隆房の発言力は強大であり、かれの率いる周防兵は、大内軍の最精鋭であった。

 元就と隆房が自陣に戻ると、その元就を訪ねてきた者がある。

「申し上げます。弥山と名乗るものが、殿にお目通りを願っております。如何なされますか?」

「……おお、あやつか。構わん、通せ」

 喜色をあらわにする元就の前に現れた大柄な男は、鮮やかな深緑の着物を纏っていた。

「お久しゅうございます、殿」

「殿はよせ、儂はまだおぬしの主君ではない」

 元就はそうたしなめたが、その表情は笑顔にあふれていた。帷幕をくぐり、弥山を招き入れる。

「しばらくぶりだな。竹原に戻っていたのか?」

「はい。竹原の殿の遺言を現実にするために、奔走しておりました。今日は、その成果を持って参りました」

「……そうか」

 そう言うと、元就は少し浮かない表情を見せた。その脳裏には、かつて共に戦場にあった男の姿が鮮やかに浮かび上がっていた。


 天文十年(一五四一年)、尼子による毛利攻め、吉田郡山城の戦いに敗北した尼子軍は、命からがら出雲に退却した。この吉田郡山城の戦いは、尼子の圧倒的優位から始まった戦であり、これに乗じて大内から尼子に鞍替えし、反旗を翻した者も多かった。皮肉にも、現在の状況とは真逆であった。

 大内義隆は、この尼子が撤退したこの状況を逃さず、安芸の尼子に与する勢力の一掃に乗り出した。 

 安芸の佐東銀山城は、安芸武田氏の本拠地であったが、この時すでにその衰微は明らかであった。有田中井手の戦いで、当主元繁を元就に討ち取られた後、家督を継いだ光和は、尼子の支援を受けて大内の攻勢をよく凌いでいたが、尼子敗北の前年に急死し、後を継いだ養子の信実は、大内の圧迫に耐えられなくなっていた。

 尼子敗走の報を聞いたその信実は、一族の信重を残して即刻出雲に逃亡した。義隆は元就らに命じて、武田信重の守る佐東銀山城を包囲させた。この中には、宍戸隆家や熊谷信直、そして竹原小早川の興景がいた。

 その攻城戦の最中、その小早川興景がにわかに病を発した。このところ体調が優れないと聞いていた元就は、以前から見舞いの使者を竹原に遣わしていたが、どうもそれが悪化したらしい。

 毛利の陣中にその興景の家臣を名乗る男がやってきたのは、それから間もなくのことである。

「我が主が是非、毛利元就様にお会いしたいと申しております。うつるような病ではありませぬ故、何とか御足労願えませんか」

 その弥山と名乗った男は、眼光鋭い獣のような顔をしていたが、その口調にはどこか気品のようなものがあった。

「……病ならば、御無理をなさってはいけない。今はとにかく、養生なさるのが肝要であろう」

 元就は、やんわりと断ったが、弥山は引かなかった。

「すでに大内のお屋形様の許可をいただいて、国に引き上げる準備をしておりますが……」

 弥山は元就に近づき、声を潜める。

「……主はすでに、死を覚悟しております。その前に、どうしても元就様にお会いしたいと……」

「そんなにお悪いのか」

「はっ……残念ながら」

 元就と興景には、含むところは何もない。元就の姪は興景に嫁いでおり、義理の甥でもある。むしろ今回の戦でも、頼りにしている男なのだ。その興景が今際の際と言われれば、赴かざるをえなかった。

「おお……元就殿、態々の御足労、かたじけない。このような姿で失礼を……」

 興景の陣営にやってきた元就に、横になっていた興景が立ち上がろうとする。元就は、慌ててこれを制した。

「どうかそのまま、横のままでいてくだされ。無理をなさってはいけない」

 元就はそう言って、興景を再び横にさせた。仮に造られた長屋には、案内してきた弥山と、元就が護衛として連れてきた家臣、渡辺通の四人しかいない。他の小早川家臣たちは、兵を率いて佐東銀山城を包囲していた。

 安芸には、二つの小早川家があった。本家である沼田小早川と、分家の竹原小早川である。この両家は鎌倉時代に分かれて以降、時に協調して助け合いながら、沼田と竹原に独自の勢力を築いてきたが、安芸の国人である以上、大内と尼子の勢力争いに巻き込まれるのは必然であった。分家である興景の竹原小早川は、長年大内の支配下にあり、例に漏れず興景も、大内義興の一字を賜っていた。

「本当に……よく来てくださった。これで、いつ死んでも悔いはない」

「気弱なことを仰られるな。竹原に帰り、ゆっくりなさるがよい」

 元就はそう言って励ましたが、興景の顔を見てぎくりとした。どこか顔色は黄色く見えて、酷く痩せていた。目は落ちくぼみ、その下は黒ずんでいる。

(もしや、酒毒ではあるまいか)

 そう思ったのは、元就が父と兄を酒の害で亡くしているからであり、その症状にも覚えがあったからであった。そう考えると興景の病状は、かなり深刻なものなのかもしれない。

「元就殿、私はこの通り余命幾許もない。事ここに至っては、元就殿にすがる他ないのです。我が願い、お聞き届け下さるか?」

 息も絶え絶えの興景の姿は、痛々しい。自分の子のような年である若さが、一層憐れであった。

「儂にできることなら、何でもいたしましょう。申されよ」

「では、遠慮なく申し上げる。元就殿、私には子がおりません。父の死後、私は一人きりで兄弟もおらず、庶家にも目ぼしい男子もおりません。竹原小早川の家を、継がせる者がいないのです。そこで元就殿、貴殿の御子を一人、養子にくださらんか?」

「……何とも、それは……」

 突然の興景の懇願に、元就は狼狽した。思いもかけないことだったのだ。

 興景には兄弟がおらず、血筋の近い男子もいなかった。そうなれば、本家の沼田からということになるが、その沼田小早川にも目ぼしい血筋の者がおらず、またこの前年に、大内義隆の不興をこうむる事件を起こしており、竹原に養子を出せる状況ではなかった。そんな中、義理の従兄弟にあたる元就の子は、相対的に縁が近くなっていた。

「すでに大内のお屋形様には、嘆願の書状をしたためております。しかし、お屋形様からの頭ごなしの縁組となっては、私の義が立ちません。書状を出す前に、是非とも元就殿に直接お会いして、快いご返事をいただきたかったのです。さすれば、私も心置きなく極楽浄土へ赴けましょう」

「しかし……他家からの養子となれば、御家中にも諮らねばなりますまい。反対する者もおりましょう」

 元就は、興景を落ち着かせるように言う。

「今、後継者を決めるとするならば、元就殿の御子をおいてほかにないのです。うかうかして、山口の子弟に跡目を譲るより、私は縁のある元就殿の御子を選ぶ。元就殿の御子ならば、お屋形様も御納得されよう。この話、貴殿にも悪い話ではないはずでござる。よく、お考えくだされ」

 興景はまるで、最後の力を振り絞るようにして、元就の手を握りしめた。その手は恐ろしいほどに冷たかった。

 確かにこの話は、毛利にとって悪い話ではない。

 実は元就には、前年沼田小早川が起こした不祥事によって、沼田に養子を出す話があった。元就は何かと理由をつけてこれを断ったが、沼田に比べれば、竹原の状況は悪くない。しかし、何分急な話である。元就も、竹原小早川の家臣団の状況はわからなかった。

 子が他家を継げば、その勢力を思いどおりできるという単純な話ではない。あの尼子経久ですら、塩冶の養子となった三男、興久を抑えることができなかったではいか。

 元就はしばらく考えた後、興景の手を握り返しながらゆっくりと口を開く。

「お気持ちはわかり申した。しかし、何とも急なお話でござる。私どもは、竹原のことを知りません。今少し地ならしをしなければ、両家にとって不幸なことになることもありえましょう。まずは、竹原に帰って養生なされよ。しばらくは両家の友誼を深め、然るべき時に結論を出しましょう」

 興景は、かぶりを振った。

「元就殿、私にはもう時間がござらぬ。勝手ながら今ここで、元就殿の言質をいただきたいのです。跡継ぎを残さずに死にゆく私を憐れとお思いならば、何とぞ御承知くださいませんか」

「興景殿……家を背負い、一族郎党を守っていかねばならんのは、儂とて同じことでござる。儂は毛利家のため、これを即断することはできぬ。どのように言われようとも、曲げることなはい。あまり無理を言われては、御身のためにもならぬ」

 これは元就も、ぴしゃりと言わざるを得なかった。同じ国人領主として、興景の無念もわかる。しかし元就にとって最も重要なのは、毛利家を守ることであり、賭けをして勢力を広げることではなかった。石橋を叩いて渡る慎重さがなければ、全てが一瞬でひっくり返る時代である。

 元就の態度に、興景は気落ちした様子を見せたが、再び意を決して顔を上げる。

「……わかり申した。もう、無理は言いますまい。家を大事と思う気持ち、私も同じでございます。しかし、私の大事も竹原の家でございます。せめて、この私の希望を綴った書状を、お屋形様に出すことだけはお許しくだされ。この意思だけは、伝えておきたいのです。何とぞ……」

 興景は、消え入りそうな声で頭を下げる。

「それは、貴殿とお屋形様の間でのこと。お出しなさるがよい。ここで儂にお話くださっただけでも、貴殿の義は立ちましょう。後のことは、竹原で養生しながら考えるがよろしかろう。ささ、横に」

 元就は、すこし体を起こしていた興景を押さえ、再び横にさせた。

「かたじけない……弥山、弥山はおるか」

「はっ、ここに」

 後ろに控えていた弥山が、興景に近づく。

「元就殿、この者は弥山と申します。譜代の家臣ではありませんが、目端が利き文武に優れた、私のような者の家臣というには勿体ない程の男です。是非、この男を使ってくだされ。竹原のことを知るにも、我が重臣と渡りをつけるのも、この者なら容易いことでございます」

 興景は手を伸ばし、弥山の手を握る。

「よいか、弥山。元就殿の御子を竹原にお迎えすることが、私の遺言だ。それに竹原が相応しいことを、おぬしに証明してもらいたい。これよりは、元就殿の知りたい情報を集め、全てお教えするのだ。国の家臣に反対する者がいれば、私の書状をもって説得してもらいたい。重要な任だが、おぬしならきっとできるはずだ。やってくれるな?」

「……竹原に流れてきた拙者を、殿は重く用いてくださった。この御恩に報いるためにも、必ず御意に沿いまする」

 深く頭を下げる弥山の答えに満足した興景は、再び横になり、瞳を閉じた。その目の端には、うっすらと涙が浮かぶ。

「ああ……一つ、肩の荷が下りた気がいたします。これでひとまず竹原に戻り、養生できるというもの……元就殿、私は病を治し、必ずこの戦場に戻って参ります。その時は、今日の話の続きをいたしとうござる」

 興景はそう呟いたが、それは自分自身に言い聞かせるようであった。

 明くる日、竹原小早川当主興景は、竹原への帰途についた。

 その数日後、佐東銀山城を包囲する元就のもとに、興景の訃報が届いた。竹原まであと少しの、無念の最後だったという。

 訃報を聞いた元就は、目を閉じてゆっくりと手を合わせた。やはり元就にも、後悔が残った。

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