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新宮党の一矢  作者: 次郎
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第十四話.出雲侵攻

 大内軍は四月下旬になって都賀に橋を架け、江の川を超えて、ようやく出雲に進攻を開始した。

 しかし出雲に入っても、大内軍の動きは緩やかであった。何しろ五万近い大軍である。しかも寄せ集めの軍勢といった側面もあり、陶隆房もその統率に苦労していた。大まか取り決めをして、後は各々に任せるしかない。道々に尼子の小勢を蹴散らしながら、赤穴荘に迫る。

 赤穴荘の瀬戸山城は、尼子十旗の一つで、規模は小さいが堅固な城であった。城主、赤穴光清も名将として知られ、さらに富田からの援軍、田中三郎左衛門も千騎を連れて入城し、士気は旺盛であった。

 その上、赤名川をせき止めて盆地を水の防壁となし、鉄壁の構えを見せる瀬戸山城は、大内の襲来に備えて、万全の態勢であった。出雲の入り口として、天険を利用して造られたこの城を落とすことは、容易いことではないだろう。

 それから間もなく、瀬戸山城の西に布陣した大内軍ではあったが、五月になっても、開戦の火蓋は切られなかった。

 攻城するか迂回するか、戦評定で意見が分かれたのである。迂回策を主張したのは、吉川興経ら安芸や石見の国人衆であった。

「瀬戸山城は小城とはいえ、天険の地の利に支えられて、容易く落ちるものではありません。しかし、所詮は小勢の籠る城でございます。捨て置いて進攻しても、差し支えございますまい」

 国人衆には、長期的な戦を避けたいという思いが透けて見えた。その背後には、領国を長く離れる不安があったのだ。大内に属する同士であっても、土地を巡る争いはなくなるものではない。

 それに対して攻城策を主張したのは、陶隆房ら大内家重臣たちであった。

「このような小城一つ落とせぬようでは、大内の沽券に関わります。また此度の戦は、敗北が許されぬ戦。我が方の兵糧の蓄えは十分であり、長期戦を苦といたしません。もし捨て置いたまま進み、糧道を絶たれたならば、その時こそ大軍である我が軍に、ほころびが生じるやも知れません。ここは確実に、敵城を一つ一つ落としながら進軍すべきと存じます。」

「しかし、陶殿。敵が糧道を断とうと城を出てくれば、それこそ勝機ではないか。瀬戸山を出た小勢と野戦に及ぶとなれば、誘き出せたも同然。赤子の手をひねるようなものだ」

 興経は、隆房相手にも一歩も引かなかった。

「敵に背後を取られた時、万が一我が方に裏切りでもあれば、取返しのつかないことになる。ここは慎重に……」

「聞き捨てならぬ。それは、誰の事を言っておるのか」

 隆房の言葉を遮って、興経が声を震わせる。その形相は、鬼のように朱に染まった。

「やめぬか、隆房。誰も余を裏切る者などおらぬ」

 義隆がそう言って、隆房をたしなめた。

 本来、大内家重臣の意見と国人衆の意見など、比較にならない。しかし評定がそれで決しないのは、義隆自身の心が迂回策に傾いているからでもあった。

 吉川興経は、すでに義隆のお気に入りとなっていた。興経は、大内に合流して以降、その陣中で催される歌会のような文化的なものに、一切関心を示さなかった。

 他の国人は、たとえ興味がなかったとしても、招かれれば義隆におもねって機嫌をうかがいに来るが、興経は、それすらしなかった。当然非礼な振る舞いであったが、さながら山犬のようなその性質は、興経の剛勇と相まって、不思議と義隆の心を掴んだ。

 義隆は今まで、このような男にあったことがなかった。言葉遣いも無礼なことが多かったが、それすら新鮮であった。時折語られる武勇伝は、その大袈裟な物言いと相まって、一つの冒険譚のようなものとなり義隆を楽しませた。益々興経を気に入った義隆は、事あるごとにこの男を呼び、傍に置いてその意見を聞いた。そしてそれは、戦略にも影響を及ぼすようになっていたのである。

 そんな状況もあって、評定は容易に決しなかった。隆房は懸命に義隆を説得したが、義隆も迂回策を譲らなかった。しかしそれは、興経らの意見ばかりではない。

 義隆自身が、早くも戦に飽き始めていたのである。


 瀬戸山城近くに大内軍が布陣したことは、直ちに月山戸田城に伝えられた。

 出雲の主尼子晴久は、宇山久兼、亀井秀綱、佐世清宗の三人を一室に呼び出し、状況を分析させた。この三人は、晴久の側近中の側近であった。

「すでに大内軍五万は、瀬戸山城の目と鼻の先に布陣しております。瀬戸山城の赤穴光清殿は、赤名川の水を引き込んで城の防壁とし、自らも退路を断って、決死の籠城を敢行しております。如何に大内の大軍であろうとも、容易に落とせるものではございません」

 佐世清宗は扇子で地図を指し示しながら、瀬戸山城周辺の状況を説明した。山の尾根の先端に築かれたこの城は、一気に大軍が押し寄せることが難しい地形となっており、大内は、湖となった盆地の西に布陣していた。

「流石は光清、その知略と忠義、まさに赤穴の驍将と呼ぶに相応しい。久兼、援軍はあれを持って、もう瀬戸山城に入っておるのだな?」

 晴久は満足げに頷き、久兼に目を向ける。

「田中三郎左衛門率いる千騎は、すでに瀬戸山に入城して時を待っております。例の武器は、大内の度肝を抜きましょう」

 久兼はそう言って、不敵な笑みを浮かべた。今回、田中三郎左衛門は晴久の命を受けて、秘密兵器とも呼べるものを瀬戸山城に運び入れていた。

「興経たちの、様子はどうか?」

「それが面白い話でして……」

 晴久の言葉を受けた秀綱が、答える。

「大内義隆は、興経を気に入って、重用し始めているとか。此度、興経らが瀬戸山城の迂回案を出したところ、義隆は大層乗り気で、陶ら重臣の意見と対立して、戦の方針も定まらぬ有様らしいのです。義隆は興経を信頼しきっております。今後、様々な策が使えましょう」

「義隆は、海外との貿易でも目新しいものばかり好むらしいが、人間もそうらしいな。あの興経の無礼千万な態度も、功を奏したか」

「目新しいだけではないかもしれませんぞ。何せ義隆は、有名な衆道好み。興経の何が気に入ったか、わかりますまい」

「……気色の悪い話だ」

 晴久は、舌打ちをして顔をしかめた。衆道、つまり男色は、この時代珍しいものではなかったが、晴久にその素養はない。話を聞いただけで、気分が悪くなってくる。

「何にせよ、大内が瀬戸山城を迂回して進軍してくれれば、こちらも助かる。引き続き興経には、頑張ってもらおうではないか」

 もし義隆が迂回案をとれば、瀬戸山城の戦力が残ることになる。その戦力は、追撃戦の時に必ず役に立つだろう。

 そんな話をしていると、襖の向こうに家臣の影が見えた。

「申し上げます」

「何か?」

「鉢屋弥雲様が、お越しでございます」

「うむ、通せ」

 晴久の許しを得て、一人の男が襖を開けて入ってくる。浅黒く日焼けしたその長身の男は、晴久の前に恭しく跪いた。その顔には、まだわずかにあどけなさが残っている。

 この若者、鉢屋八雲は、かつて経久に仕えて暗躍した鉢屋賀麻党の党首、鉢屋弥之三郎の孫にあたる。その弥之三郎も今はなく、現在の賀麻党は、弥之三郎の子で弥雲の父、弥一郎が率いていた。鉢屋賀麻党は、今も昔も尼子宗家のためだけに活動する忍者集団であり、当主直属の配下であった。

 晴久の前で帰還の挨拶をし、平伏した弥雲は、西出雲における諜報の成果を説明した。賀麻党は晴久の命に従い、西出雲、特に尼子清久周辺の状況を探っていたのである。

「……大内が清久に接触しているのは、間違いないのだな?」

 弥雲の報告を聞いた晴久は、声を荒げることもなく、静かに尋ねた。

「とある行商人が、年明けから何度も尼子清久の館を訪ねております。備後の商人を装っておりますが、周防の人間であることは間違いございません。備後を経由して間者を入れることは、大内の常道であると父も申しておりました」

 弥雲の父、弥一郎は隠居に近い状態にあり、現在の賀麻党の実働部隊は、弥雲が率いていた。

「清久を問いただす必要があるか……」

「殿……その儀は、しばしお待ちを」

 晴久の呟きに、秀綱が反応する。

「何故か?」

「まず大内との接触があったとしても、直ちに清久殿の寝返りの証拠とはなりますまい。否定されてしまっては、それまででござる。また、清久殿に疑いがかかっていることが伝われば、西出雲が動揺いたします。それが原因で、いらぬ裏切りに繋がる恐れもありましょう。ここは、慎重になさるべきかと」

 その秀綱の言葉に、清宗が反論する。

「お言葉ですが、秀綱殿。本来ならば大内の間者が接触してくれば、その首を持って富田に出仕するのが筋でござろう。それを何度も会って帰しているとなれば、反意は明らかでござる。西出雲の国人の動向が気になるならば、秘密裏に富田城に呼び出し、問いただせばよいのでは?」

「今、清久殿を月山富田城に入れては、どこから興経らの裏切りが漏れるかわからんぞ。内応策は此度の戦の要、絶対に気取られてはならんのだ」

 清宗は、若い。秀綱は若き武将に慎重論を説き、晴久に向き直る。

「殿、ここは慎重になされませ。ここで清久殿を処断することにでもなれば、旧塩冶の国人衆が大内に走ることは、火を見るよりも明らか。今より戦力比が偏れば、興経らの心も揺らぐかも知れません。戦に勝ち、大内を駆逐すれば、清久殿はどうとでもなりましょう。今は粘り強く諜報を続け、決定的な証拠を掴むが肝要と存じますが」

「……ふむ」

 晴久は脇息にもたれかかり、顎に手を当てた。

「……弥雲」

「はっ」

「実際、探りを入れたおぬしはどう思うか。清久は、裏切っていると思うか?」

 急な主の言葉に、弥雲は一瞬返答に詰まったが、慎重に言葉を探しながら口を開く。

「……お恐れながら申し上げます。拙者はまだまだ未熟者、人の心の裏側は読めません。父からは主観を交えることなく、その目で見たものをありのままにお伝えせよと教えられております。拙者は、事実をお伝えすることしかできません。御容赦下さい」

「……そうか、弥一郎らしい教えだな」

 晴久は特に機嫌を損ねることもなく、笑顔を見せた。こういう率直なところも含めて、晴久はこの若者を気に入っている。

「……わかった、秀綱。そなたの言う通りにしよう。弥雲、引き続き、西出雲の諜報を頼むぞ」

「かしこまりました……殿、今一つ、これを……」

 弥雲は平伏しながら、懐から数枚の紙を取り出す。晴久はその紙を受け取り、目を通す。

「完成したか。御苦労だったな」

 そういった晴久は、その数枚の紙を地図の上に並べる。

「ほうこれは……新宮党敬久様の館でございますな」

 その図面を見た宇山久兼が、感嘆の声を上げる。かつて、弥雲が晴久とともに敬久の館に入った時に探ったもので、その後時間をかけて、細部まで仕上げられていた。

「これは、素晴らしい。これならば、いつ何時でも御首頂戴できましょうな」

 喜々として呟く清宗を、秀綱がじろりと睨む。

「清宗殿、言葉が過ぎる。控えなされ」

「しかし……」

「清宗、秀綱の言う通りだ。新宮谷は月山富田城の北にある防衛の要、この図面はその防衛網を確認するためのものだ。余に他意はない。敬久は、良い男だ。子供の頃の借りもある。余は、あやつを気に入っておるのだ」

「はあ……しかし、誠久様は……」

 清宗がそう誠久の名を出した途端、晴久の顔色が変わる。

「清宗……そういえば、最近誠久はどうしておる。大人しくしているか?」

「……相変わらずでございます。戦はまだかと、騒いでおります。また時折、殿の御方針に不平不満も言っておるとか……」

「あの、増上慢めが!思い上がりおって!」

 晴久は急に人が変わったように形相を変えて叫び、もたれていた脇息を殴り飛ばした。壁に大きな傷をつけ、跳ね返った脇息が転がる。晴久は、憤懣やるかたない表情で拳を握りしめた。平素、冷静な晴久とは思えない変わりようであった。

「……殿」

 晴久は、秀綱の視線を避けて虚空を見つめた。こうやって怒りをぶつけるのは、初めてのことではなかった。晴久と久幸の一件以来、誠久の無礼は目に余り、晴久の怒りは増大していた。その暴言が耳に入ったことも、一度や二度ではない。

 経久の死後、晴久はたとえ誠久の前でも家臣の前でも、その怒りを表に出すことはなく、平静を装っていた。しかし、時折気の置けない側近の前では、今のようにその憤りが噴き出すことがあったのだ。

 秀綱は、立ち上がって転がった脇息を拾い、晴久の元に戻す。

「これで殿の気が晴れれば、ようございます。某は、何度でも拾いますぞ」

 秀綱は遠慮なくそう言った。晴久は、苦笑するしかない。

「殿、決して新宮党を軽んじてはなりませんぞ。大殿が仰られたお言葉、お忘れになりませんよう」

 最後に頼りになるのは、一門である。それが経久の残した言葉であった。経久から後事を託された重臣である秀綱は、常々晴久にそう諭していた。尼子の隆盛に、新宮党の力は不可欠であった。

「……わかっておる」

 晴久は平静を取り戻し、ゆっくりと背筋を伸ばす。主君としてうまく家臣を使うためには、寛容さを見せねばならない。それもまた、経久の教えの一つであった。

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