第十三話.興久の怨念
出雲の北西に位置する鰐淵寺は、元々蔵王権現を信仰する修験道の行場として、発展した寺であった。
その後天台宗に転じたこの寺は、鎌倉時代に当時の守護、塩冶氏の保護を受けて発展し、出雲有数の寺となった。
戦国時代には、神仏習合(神道と仏教の融合政策)を進める尼子経久の意向を受けて、周囲の寺社へ影響力を及ぼし、南西に位置する杵築大社への介入も始めた。
杵築大社は出雲に強大な力を持つ神社であり、歴代守護大名の支配も受けず、独立した権力を有していた。経久はこの杵築大社を傘下に組み込むため、杵築大社の祭祀者である二つの家に、それぞれ娘を嫁がせた。
しかし、経久の強引な介入は寺社の反発を招き、杵築大社が興久の乱に加担するきっかけともなった。鰐淵寺もまた、この乱で興久方についている。鰐淵寺内においても、経久の強引な支配に対する反感があったからである。
興久の反乱後、加担した鰐淵寺と杵築大社はその罪は許されたものの、経久の介入は益々強くなった。経久は鰐淵寺を通じて、天台宗の施設を次々に杵築大社に建設して、神仏習合を進めた。一度反乱を鎮圧された寺社勢力に、これに抗う力はない。そして経久死後も、晴久は基本的にこの路線を踏襲していた。
「これはお珍しい。国久殿、ようお越しになられましたな」
鰐淵寺の僧、和多坊栄芸は、そう言って笑顔を見せる。
和多坊は、鰐淵寺にある僧坊の一つで、栄芸はその中心人物であった。その名声は出雲のみならず、天下に聞こえている。
「お久しゅうござる。栄芸殿も、お元気そうで何よりだ」
豊久と敬久を従えた国久も、笑みを返す。一行は栄芸に促されるまま、奥の間に通された。
「国久殿、この多事多難の折、わざわざのお越し何用かな?」
「……栄芸殿に隠し事をしても、仕方がござらん。率直に申し上げよう」
国久は現在の出雲の状況と、ここに至った経緯をざっと口にした。
「大内の調略、この西出雲に及んでいることは明白にござる。おそらく、この鰐淵寺にも、大内の接触があったのでは? 栄芸殿、鰐淵寺の現状をお答え願いたい」
国久の言葉は慇懃であったが、有無を言わせぬ迫力があった。豊久と敬久も、栄芸の表情をうかがう。
栄芸は特に顔色を変えることもなく、若い僧を呼んで何通かの書状を持って来させた。それをそのまま、国久に渡す。国久は、素早くその書状に目を通した。
書状は、大内家重臣、陶隆房からであった。一通目は、季節の挨拶や京の情勢などが綴られている。二通目も挨拶から始まり、仏典や経文の指南を請う文章が続いていた。当たり障りのない書状である。国久は、三通目の書状に目を通す。
「一番初めの書状は、昨年の夏ごろでしたな。二通目は秋でございました。どちらも捨て置いたところ、その三通目が年明けに参りました」
三通目の書状の内容は、率直に大内への帰順を促す書状であった。毛利攻めに失敗した尼子の威勢は衰えており、国人衆はことごとく大内に鞍替えしている。鰐淵寺も、かつての興久の乱の恨みを思い起こして立ち上がり、反尼子の旗幟を鮮明にして公にすれば、大内の力によって西国一の寺院になることも夢ではない、とまで書かれてあった。
書状の最後には陶隆房の花押があり、三通目のみ、内藤興盛が連署してあった。
「陶隆房からは、その三通でございます。他に相良武任から一通、杉重矩から一通ございました。内容は、陶の三通目とおおよそ同じ内容でございます」
栄芸はよどみなくそう答えた。その表情からは、後ろめたさは感じられない。
「それで……鰐淵寺はその書状に、なんとお答えになりましたか?」
父から書状を渡された豊久が書状に目を通し、引き継いで尋ねた。
「豊久殿……我ら鰐淵寺は、かつて経久公と立場を異にし、抗ったこともございましたが、経久公はそんな我らをお許し下さった。鰐淵寺は、尼子家にその御恩返しをしなければなりません。大内の奸計に乗るなど、考えもつかぬこと」
栄芸は、よどみなくそう述べた。その笑顔は、偽りには見えない。その栄芸に、国久が僅かに膝を進める。
「……儂と栄芸殿は、同じ世代じゃ。長らくともに出雲に育ち、立場は違えど感じてきたことは共有できると思っております。出雲の平穏を求める同志として、お心信じてもよろしいか?」
「御仏に誓ってもよろしゅうございます。大内に通じるなどありえません」
その栄芸の断言に、国久は大きく頷いた。国久はもう、栄芸を疑ってはいなかった。
「では今一つ、お尋ねしたき儀これあり」
「何なりと、申されよ」
「鰐淵寺は我が弟、塩冶興久と繋がりが深こうござった。その後を継いだ嫡男、清久から何らかの接触はございませんか?」
「ほう……国久殿は、清久殿をお疑いか?」
栄芸は、驚いた様子で顎を撫でる。
「念のため、でござる。清久は一門衆ですが、我らは奴の仇でもあります。西出雲で、そういった話を聞いたことはございませんか」
「清久殿は、経久公にその罪を許された上に遺領の相続も認められ、一門にも復帰して、厚遇されておられると聞いております。まさか、大内になびくとは……」
「お言葉ですが、栄芸殿」
そう返したのは、豊久である。
「大内が出雲の支配を目論んでいるのなら、我ら尼子を滅ぼすだけで終わりだと思ってはおりますまい。残党や国人衆の反乱を防ぐためには、首をすげ替えるのが一番でござる。傀儡の出雲守護をたてるなら、清久ほどの適任もおらんでしょう。大内にとっての尼子清久の価値を考えれば、必ず調略してくると、我々は読んでいるのです」
「……なるほど、道理でございますな」
栄芸は感心したように、深く頷いた。尼子は、長きにわたって出雲を支配してきた。これを根こそぎ排除しようとすれば、抵抗も大きく時間もかかる。尼子の血縁を傀儡の守護に据えれば、残党の大義も薄れるだろう。古くから占領統治に使われる手である。
「ふむ……しかし、儂としてもわかることがあれば、何か教えて差し上げたいところじゃが、何せ興久殿の反乱が鎮圧されて以来、清久殿とも疎遠でしてな。我々鰐淵寺としても、経久公や晴久様に痛くもない腹を探られるのは、本意に非ず。あえて距離をとっておりました。それは杵築大社や、清久殿自身もおそらくそうでありましょう」
かつて反逆した三者の連携が密になることを、経久や晴久が喜ぶはずがない。彼らの懸念は、当然であろう。
「では、清久の近況や行動は把握しておらぬと?」
「誠に申し訳ございませんが……おそらく我らより、晴久様の方が御存知でしょうな」
そう答える栄芸の姿に、疑念を感じさせるものはない。
「しかし鰐淵寺は、鎌倉の時代から塩冶の後援を受けておりましょう。簡単に縁が切れるとは……」
尚も豊久が、続ける。
「豊久殿、その縁をあえて切ったのは、ひとえに尼子に対する我らの忠義と思っていただきたい。塩冶とは、切れておりまする」
栄芸は、そう断言した。こうまで言われては、それ以上の追及の言葉もない。
国久は一呼吸置いて、口を開く。
「……わかり申した。今の話は、殿にも伝えておきましょう」
「お話はこれで、終わりですかな?」
「ええ、まあ……如何なされた?」
国久は、怪訝な表情を浮かべる。
「いや、先程国久殿から、同じ時代を生きた者同士というお言葉があった。歳の近い国久殿とは、かねてより出雲の四方山を語り合いたいと思っておったのです。此度は良い機会、是非お付き合い願いたい」
「おお、それはよろしゅうござる。時の許す限り、語り合いましょう」
国久と栄芸は、互いに笑顔を見せあった。
「では我々は少し、境内を散策してよろしいか?」
豊久は敬久に視線を送り、栄芸に尋ねる。
「何もないつまらない寺でございますが、よろしければご覧になってくだされ」
その言葉に、豊久は敬久を伴い和多坊を出た。
「敬久、栄芸殿をどう思う?」
二人の前を辞した豊久と敬久は、鰐淵寺の境内に出た。そこから続く道の先にはいくつもの僧坊があり、多くの僧が修行している。それらの僧は、有事の際には武器を持ち僧兵となり、この寺を守る。出雲有数のこの巨大な寺の武力は、侮れるものではない。
「徳の高いお方に見えました。世間の評判に違わぬお方かと……」
「栄芸殿のどこがそう見えた?具体的に言ってみろ」
豊久は僅かに、不機嫌になった。
「……何といいますか、その、雰囲気が……」
「敬久」
言いよどむ弟に、豊久は呆れた目を向ける。
「おおよそ世の中には、押し出しや体裁で評価されている者がいる。見た目や肩書に騙されて、言葉にできぬものに呑まれるなよ」
「……栄芸殿も、そういった輩だと?」
「さあな。しかし、言葉にできないものを盲目的に崇拝するのは嫌いでな。父上は名僧などと言っていたが、時節を読めず尼子に敵対していた者の一人ではないか。長年御仏に仕えているといっても、悟っているとは限るまい」
豊久の考え方は、如何なる時もこのようなものであった。誠久のように直情的ではないが、父国久の考え方にも懸念を持っている。甘い、と感じるのだ。特にかつて興久に与した寺社勢力を、豊久は信じていなかった。
「まあこの鰐淵寺にしても杵築大社にしても、近いうちにその化けの皮も剝がれるだろう。大内が月山戸田城に迫り、尼子が窮地に陥った時、奴らが裏切る光景が目に浮かぶ。偽りの窮地とも知らずにな。大内を駆逐し、出雲の支配を回復した時には今度こそ、付和雷同する高僧どもの首をすげ替えるいい機会となろう。もう文句は言えまい」
豊久は、興久の乱鎮圧後の寺社への処分を、甘いと思っていた。むしろ大内に与してくれれば、今度こそ一掃できる大義となるだろう。
「それは、清久もでありましょうか?」
敬久は、従兄弟の顔を思い浮かべながら尋ねた。特に親しくしていたわけではないが、何といっても血の繋がりが近い。その動向は、もちろん気になる。
「清久は、経久公の格別の思し召しによって命を救われ、殿も今日まで厚遇してきた。その清久が裏切るとは思えない、という栄芸殿の見方もわからんではない。しかしな、敬久。何故殿は、清久に興久の遺領を相続させ、厚遇していると思う?」
清久の厚遇の一因は、死んだ興久を憐れんだ経久の親心であろう。しかしそれを踏襲する晴久にも、思惑があるはずである。
「……我ら新宮党を、牽制するためでしょうか?」
敬久は、頭に浮かんだことを素直に答えた。経久が死んでから、新宮党は急に家中において浮いた存在になっていた。それを敬久は感じていたし、最近の国久の新宮党を戒める言動も、そのことを反映しているように思えた。
豊久は、我が意を得たりと膝を大きく叩いた。
「それだ。我らの力だけが尼子家中で突出するのは、殿にとって好ましい状況ではないだろう。清久は殿の従兄弟で、立ち位置は我らと同じだ。相対的に新宮党の力を削ろうと考えているとすれば、その厚遇は納得できる。しかしその裏に、殿のそういった思惑があるとわかれば、清久の心は揺れるだろう。一門衆として遇されても、所詮奴は反逆者の子だ。それは一生、消えることはない。その上で、清久が大内の誘いをどう見るか……どちらに転んでも、おかしくはない」
「……しかし、殿にそんなお考えがございましょうか?私にはどうも、その辺りがわからないのですが……」
敬久の頭に、新宮党への牽制という言葉が浮かんできたのは、日々父や兄の言動を耳にしていたからに過ぎない。敬久に対する晴久の態度や言動からは、新宮党への警戒は感じ取れなかったのだ。
「だからお前は、兄上に怒鳴られるのだ。まあ兄上も……近頃少し度が過ぎているがな。何にしても、古の昔から、骨肉の争いは枚挙にいとまがない。多少口うるさい後見役の父上が、煙たい程度で済めばそれでいいが、命取りになっては困る。清久がどうなるか……丁度よい試金石になるかもしれんぞ」
清久の感じる憂いは、新宮党の憂いになるかもしれない。それが杞憂ですめばよいが、歴史はそう簡単には進まない。
それにしても厄介なものは、興久の残したものであろう。大内の侵攻が近づくにつれて、旧興久勢力の国人衆の離反は、確実なものになりつつある。それは正に、興久の怨念であった。
鰐淵寺の境内は、春の風が吹き抜けている。しばらくの沈黙の後、豊久はその風に向かったまま、敬久を見ることなく声を発した。
「敬久、尋ねておきたいことがある」
「なんでございましょうか?」
「……昨年、大殿がお前に、強弓を射らせたことがあっただろう。的を射ることができれば尼子を継げとか、突拍子もないことを仰ったあれだ。あの時、父上がお前に何か耳打ちしていただろう。あれは、何と言われたのだ?」
予期しない、言葉であった。
「……射てはならぬ、と。外せと仰いました」
しかし敬久は、よどみなく答えた。国久からはすでに、忘れろと言われている。あれは敬久の中で、なかったことになっていた。
「……そうか」
「何か、気になることでも?」
「いや、いい。それならば、良いのだ」
豊久はそれきり、口をつぐんだ。敬久は一瞬、ことの次第を兄に話すべきか逡巡したが、結局口にすることはなかった。