第十二話.新宮党の三矢
晴久を見送った一同は、一言の会話もないまま館に戻った。
「敬久」
広間に戻った途端、声を掛けられた敬久が振り向くと、巨大な拳が眼前に飛んできた。咄嗟に腕で防ごうとするものの、そのまま吹き飛ばされて、部屋の戸ごと庭に転げ落ちる。
「歯を食いしばれ、敬久」
仁王立ちした誠久は、その顔も仁王のようになっていた。
「兄上、殴った後に言ってどうする」
「やめんか、誠久。これ以上、館を壊すな」
どこかずれた国久と豊久の指摘を無視して、誠久は敬久に詰め寄る。
「晴久が新宮谷に来ていただと?何故それを俺に言わなかったか。お前の館を見に来た?それでお前は、館を見せたのか」
「……殿がお越しになれば、断るわけには参りませぬ」
庭の砂まみれになった敬久は、少し後退る。
「俺が言いたいのは、何故それを俺に言わなかったのかということだ。まさか、父上は知っておられたのか?」
「ん?……まあ、大体はな」
意外な国久の返答に、誠久は目を丸くして父を二度見する。
「……ちょっと待て、おい豊久」
「仕方がなかろう。兄上が知れば、暴れるではないか」
「知らなかったのは俺だけか!」
誠久は激しく地団駄を踏む。誇張ではなく、地面が揺れた。
「まあ落ち着け、兄上。殿が新宮谷に来た時、俺もその場にいたのだ。その上で父上に報告して指示を仰ぎ、大事には至らんだろうと兄上には伝えなかった。殿は個人的に、敬久の新しい館を見に来ただけだ」
「豊久、お前らしくないぞ。晴久がそんなことのためにわざわざ、新宮谷まで来るものか。何か裏があるに決まっておろう」
そう決めつける誠久は、もちろん納得していない。
「……落ち着け、誠久」
国久も誠久をたしなめるが、その怒りは収まりそうにない。
「三人共、儂の前に来い」
そんな誠久を見ながら、国久は鋭い視線で命じる。二人は互いに目を見合わせながら、渋々父の前に立つ。
「敬久、お前も早うせぬか」
じろりとした国久の目に着物の砂を払いながら、敬久も恐る恐る兄の隣に並ぶ。
「よいか。新宮党は、大殿経久公の藩屏として生まれた。それは、晴久公になっても変わることはないのだ。その殿が新宮党をどう思っているかなど、我々は考える必要はない。我々が、尼子宗家にどう尽くすかが重要なのだ。そなた等は、三本の矢のようなものだ。全ての矢が一丸となって尼子宗家の敵に向かえば、殿は下らない雑音に惑わされることなく、我らの忠義を信じて下さるだろう。まずは兄弟三人心を合わせよ。つまらん諍いは、ならんぞ」
「足を引っ張っているのは、敬久だ」
誠久は、不貞腐れたように言う。
「兄なら、諭せばよい。ただ殴るだけでは、遺恨が残るだけだ」
国久は、拳で誠久の胸を叩く。
「今日の殿のお姿を見たであろう。そもそも殿は、我ら新宮党を信頼しておられるのだ。むしろそなたの遺恨が、殿のお心を乱すのではないか。先代久幸公を臆病者と謗られて、怒る気持ちも分かる。しかし、殿もお若い。そなたの怒りがいつまでも続いては、それが疑念の元になろう。折角の信頼を、こちらから揺るがすことになり兼ねんのだぞ」
晴久と誠久が徹底的にこじれたのは、先代新宮党党首、久幸を晴久が臆病と謗ったからであった。もちろんその怒りは、まだ燻っている。
「臆病野州の謗りを、受け入れろと言うのか」
「殿もその話は、二度としないだろう。だからそなたも、胸に納めよと言っているのだ。そして今後は殿を疑うより、殿の敵を殲滅することで信頼を得ることに努めよ」
「……父上には、大叔父の無念が分からんのか」
誠久は拳を握りしめ、肩を震わせる。
「分かっておらんのは、そなたの方だ。叔父上はたとえ何と謗られようと、殿をお守りして死んだ。その叔父上のお心こそ、新宮党の目指すところなのだ。」
毛利攻めの敗戦の折、久幸は晴久を庇って死んだ。たとえ主に遺恨を持たれようとも、行動で忠義を示す。国久はこれこそ、新宮党の生きる道だと思っていた。
「……もうよい」
誠久そう言い捨て、その場を去ろうとする。
「誠久!」
「分かっております。父上の御意には、従いまする」
誠久は振り向きもせず、肩を怒らせて廊下の奥に消えていった。
「やれやれ、困った奴よ」
誠久の背中を見ていた国久は、振り向いて眉をしかめた。
「……殿が敬久の館に来た時、鉢屋の忍びを連れていたことまで兄上に知られていたら……この館は兄上に、破壊されていたでしょうな」
本気とも冗談ともつかない豊久の言葉に、国久は反応する。
「そのことよ。そなたに確認しておきたかった」
「何なりと」
「そなた何故、殿が連れていた者が鉢屋衆だとわかったのだ?」
その問いかけに豊久は、僅かに考える仕草を見せる。
「……以前、見かけたことがございました。鉢屋平の長屋で……」
出雲鉢屋衆は、月山戸田城本丸の北、鉢屋平に長屋を与えられ、集団で生活していた。いつ何時も、尼子宗家の元に馳せ参じることができる位置である。
そんな豊久の言葉に、国久は訝しげな視線を向けた。
「そなた……よもや殿の周辺に、間者を放っておるまいな?」
「……まさか」
豊久は笑って否定するが、国久からは目をそらす。
「……もし放っているのなら、すぐに引き上げさせよ。万が一それが露見すれば、それこそ殿の疑念の元になるぞ」
「我が家臣に、そんな下手は打つ者はおりません」
「……やはり、間者を使っておるのか」
「言葉のあや、にございます」
豊久はそう言って、薄く笑う。
「しかし殿も、用心深いお方ですな。本当に怪しい者は、他におりましょうに」
「……誰の事を言っておる」
豊久の含みを持たせた言動に、国久は鋭い視線を向ける。
「父上は塩冶興久の遺児、尼子清久が気になりませんか?」
尼子経久の三男興久は、塩冶氏の養子となり、その家を乗っ取ることに成功したが、後に塩冶氏とその周辺勢力を糾合して、出雲を二分する反乱を起こした。
反乱は天文三年(一五三四年)、興久の自害によって終結したが、その嫡子清久は許されて遺領の一部を相続し、尼子姓に復して一門衆の扱いを受けていた。興久の死に後悔のあった経久が、孫に情をかけたのだ。現在清久は出雲の西、斐伊川流域に館を構え、対大内の戦に備えているはずである。
「……清久が裏切ると申すか?」
「はっきりとしたことは申せませんが、そういった情報も我が間者から入っております。大内の調略は、かつて塩冶興久に与した者たちにも伸びているようです。何せ奴らは反乱の鎮圧後、冷遇されておりますからな。特に清久は、大義名分にもなりましょう」
興久の乱に与した者たちは、降伏後、命が助かっても所領を削られたり、租税を多く負担させられたりと、冷遇されていた。そんな者たちが大内になびくのは、ある種の必然であろう。出雲を二分した興久の乱は、鎮圧して数年たった後も、未だに尾を引いていたのだ。
「年が明けてからもずっと、清久が月山戸田城に参内していないのは、幸運でありました。一門とは言えども、奴に興経らの裏切りが策であることを知られるのは、危のうございます」
「……懸念は無用だ。殿はすでに清久を疑っておる」
「ほう……」
国久の言葉に、豊久は目を細める。
「すでに清久の行動は、去年の暮れから鉢屋衆が監視しているようだ。旧興久の勢力に、策が漏れることはないだろう。しかしな、豊久。そなたが家臣を信頼するのは結構なことだが、その力量に過剰な自信を持つのは危険なことだ。鉢屋衆の忍びは、その一枚も二枚も上手を行く。今のままでは、いつか足元をすくわれるかも知れんぞ」
「……胆に銘じておきましょう」
豊久の顔からは、先程までの笑みが消えていた。
「さて……敬久」
国久はそう言って敬久に近づき、その首根っこを掴む。
「殿がお前の館にお越しになったこと、いつかお前自身が儂に報告に来ると思っていたが、ついぞ言いに来なかったな。豊久から話を聞いて以来、待っておったのだが」
「も、申し訳ございません」
その低い声に、敬久は震えあがる。蛇に睨まれた蛙のように動けない。
「殿は、館を見に来ただけだ。それに関して、お前がお迎えしたのが悪いわけではない。しかし、それを儂に報告しないのは、明らかな落ち度だ。半人前なら半人前らしく、常に儂の指示を仰げ。よいな」
「はっ」
敬久は、大きくうなだれる。
「本来ならここで、お前を殴りつけておきたいところだが……まあそれは、先程誠久がやった。兄の拳を父の拳と思い、同じ間違いはするな。二度は許さぬ」
国久は、投げ捨てるように敬久の首を離す。廊下の端に、大きくよろける。
「……儂は近いうちに、鰐淵寺に行く。豊久、敬久、供をせよ」
「ほう……清久の様子を探りますか?」
豊久は、再び笑みを浮かべる。この男は兄と違い、こういう話が好きであった。
「清久だけではない。西出雲に対する大内の調略、見ておく必要があろう。誰が敵で誰が味方か。それは、見定めておきたいのだ」
鰐淵時は、出雲の北西にある天台宗の寺院である。興久の乱に際しては、南西に位置する杵築大社と共に興久の支持に回り、今も旧興久勢力と繋がりがあった。それら勢力の動向を探るには、うってつけであろう。
「なるほど……この際、鰐淵時や周辺の寺院を締め付けておくことも、悪くありませんな」
出雲西部の旧興久領は、多くは清久が相続していたが、一部は分割され、新宮党の支配下に入っていた。しかし寺社勢力はそれぞれ独立性が強く、新宮党の関与を容易に許さなかった。
「いらぬことを考えるな。鰐淵時の和多坊栄芸は、天下に隠れなき名僧だ。礼を欠いてはならんぞ」
鰐淵時の僧、栄芸は、諸国にも信奉者がいるほどの名僧であった。経久はこの鰐淵寺や杵築大社を含め、出雲の寺社勢力に度々圧力をかけていたが、それが興久の乱に際して、多くの寺社が興久に与する要因の一つとなったことは否めない。故に国久は、その扱いに慎重であった。
話も終わり、豊久は広間を退出した。敬久もその後ろについて広間を出ようとするが、その肩を、国久が引き留める。
「敬久」
「はっ」
国久は僅かに逡巡した後、
「館の部屋の配置は、変えておけ。特に、そなたの寝所の位置はな」
と声を潜めて呟いた。




