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新宮党の一矢  作者: 次郎
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第十一話.大戦前夜

 大内軍は安芸を抜けて、石見に入った。

 雪どけが進むに従い、自然とその進軍速度も上がる。石見の国人衆も次々に合流し、その数は四万を超えるまでになった。稀に見る大軍である。

 四月に入るとその軍勢は、ついに出雲との国境近く、江の川の目前まで迫り、橋を渡して出雲に侵入する気配を見せた。国境近くの尼子勢は、すぐさま月山戸田城に急を告げた。川向こうの蠢く大軍に、出雲の領民は震えた。

「大内はまだか。これでは、身体がなまってしまうぞ」

 新宮谷の国久の館で、りゅうりゅうと槍をしごく誠久は、広間中に響く大声で呟く。その声だけで、広間の空気が大きく震える。

「おそらく今ごろは、石見辺りか。ひょっとすると、もう国境に近づいているかも知れんな」

 豊久は、胡坐をかいて誠久の前にいる。その二人から離れた広間の隅には、敬久も無言で座っていた。

「戦には、戦機というものがある。こう長々と槍を持って待機させられていては、身も心も腐ってしまうぞ」

「……それは、兄上にも責任があろう。大内の遅い進軍に、父上はしばらく兵を休ませておけと仰った。それを好きで臨戦態勢でいるのは、兄上ではないか。これでは三十騎衆も、戦の前にへばってしまうぞ」

 文句を言いながら槍を振るう誠久に、豊久は遠慮なく返す。

 新宮党は一騎当千の強者がそろっていたが、三十騎衆は、その中から誠久がさらに選りすぐった三十人の侍たちで、誠久親衛隊とも呼べるものであった。誠久の一言で、いつでも死地に赴く男たちである。

「三十騎衆にそんな柔な男はおらぬ。宗家の兵と一緒にするな」

 そう言った誠久は、またもう猛然と槍を振るう。その猛烈な風が、豊久の頬を激しく打つ。

「……相変わらずとんでもない怪力だな。須佐之男の化身とは、兄上のことをいうのだろう」

 豊久は、半ば呆れたような表情で感心した。誠久は二丈を超える槍を、まるで竹ひごのように扱う。ここまでの人外の力は、もはや鍛錬などという問題ではなく、生まれた時から何かに体を乗っ取られているようだった。出雲ではやはり、それは須佐之男命になるだろう。

「俺が、須佐之男か。ならば大内の連中は、八岐大蛇か?」

「それはいい。主座の首が義隆で、両隣は晴持と陶の首か。残りは内藤と杉、弘中と冷泉、最後は……毛利元就か」

 豊久はそう膝を叩く

「義隆の首は、俺が取る。女のような陶隆房の首は、豊久、お前が取れ。敬久、毛利の如き国人領主の首は、お前にくれてやる。いいな」

「はっ」

 突然の誠久の一言に、敬久は慌てて返事を返す。

 敬久の館へ突然、晴久が訪問してきた一件からもう二か月が経っていたが、誠久がその一件に触れてくることはなかった。この誠久が、あの一件を知っていながら何も言ってこないことはあり得ない。

 敬久は、ちらと豊久を見た。誠久が何も言ってこないということは、この豊久がその話を誠久にしていないということだろう。その意図はわからないが、敬久には幸運なことで、ほっと胸を撫でおろしていた。

 しばらくして、国久が広間に入ってくる。三人は、国久に呼ばれていたのだ。

「殿がお越しになる」

 国久は、短く言った。

「晴久が?」

「……誠久」

「……殿が?」

 国久にじろりと睨まれて、誠久は頭を掻いて言い直す。

「……先程急に、お越しになると知らせてきた。大内に、何か動きがあったのかも知れぬ」

「遂に来たか!」

 誠久は、喜びで持っていた槍の柄を床に叩きつけた。乾いた音が響き、床に穴が開く。

「……誠久」

「……失礼いたした」

 ばつの悪そうな顔で、誠久が縮こまる。こんな館の傷は、誠久が幼い頃からいくつも刻まれている。

「豊久、殿をお迎えする。準備をせよ」

「承知いたしました」

 国久にそう言われた豊久は、家臣を呼んで事細かに指示を出す。先の訪問における敬久とは違い、適度に警戒を含んだ出迎えであった。

 しばらくして、晴久が姿を現した。当主は一人ではなく、重臣の宇山久兼や亀井秀綱ら十人の家臣を連れていた。国久に促され、広間の一番上座に座る。

「敬久、この間は急に行ってすまなかったな。どうだ、奥方の具合は?」

 着座して開口一番、晴久は敬久に声をかける。国久と誠久の視線が、動揺し平伏する敬久に向けられた。豊久は、僅かに天を仰ぐ。

「……はっ、お、お越しいただきまして、その、妻もお出迎えできずに、申し訳ございませんでした」

「敬久、新宮党であるそなたの身内は、余の身内同然だ。出迎えなど、気にいたすな」

 しどろもどろに答える敬久に、晴久は笑顔でそう答える。

「殿、何時ぞやに新宮谷にお越しでございましたか」

 国久は、平伏したままの敬久から晴久へ、視線を移す。

「うむ……先日、敬久が新しく館を構えたと聞いてな」

「お教えくだされば、お迎えしましたものを」

「急に思い立ったことでな。時間も余りなかったのだ。許せ」

 そう言った晴久は、宇山久兼に視線を送り、目で促す。

「国久様、本日新宮谷に参りましたのは、いよいよ大内の足音が、近づいてきた為にございます」

 久兼が広げた地図に、一同の視線が注がれる。敬久も恐る恐る顔を上げて、国久と誠久の様子をうかがう。国久の表情に変化は見られなかったが、誠久は顔面を朱色にして敬久を睨んでいた。思わず敬久は、首をすくめる。

「先程、国境から早馬で知らせが参りました。江の川の向こうに、大内の軍勢が着陣したようでございます。橋を渡し、渡河してくるのも時間の問題かと」

「やっと来たか」

 敬久から目を離した誠久は、満面の笑みを浮かべた。この日が来るのを、首を長くして待っていたのだ。

「おそらく敵勢は国境を抜け、五月には赤穴光清の瀬戸山城に到達しましょう。そこで我々は、千騎の援軍を瀬戸山城に送り、光清を支援いたします。尼子十旗の一つである瀬戸山城は堅固な城、簡単には落ちません。この戦でまず、相手の手並みを見るが上策と心得ますが、如何でございましょうか」

 久兼は、そう国久に問いかける。当然これは、晴久の方針でもある。

「……宇山殿、お尋ねしてよろしいか?」

 口を開いたのは、豊久である。

「何なりと」

「我ら新宮党は、大内勢を月山戸田城へ敵を引き込み、殲滅すると聞いている。ならば無駄な損害を出さず、瀬戸山城はからは早々に退却し、月山戸田城に引き込めばよいかと存ずるが」

 その豊久の問いに答えたのは、久兼ではなく、隣の亀井秀綱であった。

「大内も馬鹿ではございますまい。抵抗せず、兵も損じずに月山戸田城に退却したとあっては、何らかの策ありと怪しまれましょう。月山戸田城までは死に物狂いの抵抗で欺けと、これは策をお立てになった亡き大殿のお言葉でござる」

 豊久は一瞬、眉をしかめた。これではまるで、自分が馬鹿だと言われているようなものではないか。しかし秀綱は、どこ吹く風である。これが晴久側近であるこの男の、真骨頂であった。

 そんな二人を見て、晴久が口を開く。

「豊久、赤穴荘一帯を支配する国人として、赤穴光清にも意地がある。我らにはどうしても、国人の心の機微がわからんものだが、光清は、何もせず城を明け渡し、所領と領民を侵されることは我慢ならんと言ってきた。その心意気に答えて、我らも全力で支援することが、亡き大殿の御意にかなうだろう。よいな」

 亡き経久の策と言われては、豊久に異論があるはずもない。月山戸田城に引き込むのではなく、押し込まれたように見せねばならない。

「おい、宇山」

 その野太い声は、誠久である。

「ならば、戦はいつになる」

「……敵勢が、月山戸田城の正面に布陣した時でしょうな」

「冗談ではない!」

 誠久は、更に声を荒げる。

「大内は弱兵だ。奴らが尼子十旗を落として月山戸田城に到達するなど、一体いつになると思っているのだ。それを待つぐらいなら、全兵力を集結させ討って出るべきであろう。違うか」

「まあ……落ち着いて下され、誠久様」

 亀井秀綱が、独特の間延びした声でなだめる。

「大内勢が最短距離で月山戸田城に迫ろうとするなら、道中にあるのは三刀屋城でございます。しかし三刀屋殿や三沢殿は、すでに大内に降るよう決まっておりますので、敵勢は難なく三刀屋を通過いたしましょう。さすれば月山戸田城からは目と鼻の先、程なく新宮党の出番となるはず。今回の目的は敵勢を撃退することではなく、大内義隆を討ち取ることでございます。しばしの御辛抱を」

 三刀屋城城主、三刀屋久扶は、同じく尼子十旗である三沢城の三沢氏と共に、すでに吉川興経を通じて大内に寝返る手筈となっていた。もちろんこれは偽りの寝返りであったが、その時には瀬戸山城から三沢城に至るまでの大部分が、一時的に大内の支配下となる。三沢城の北東は、月山戸田城に至るまで尼子十旗の城もなく、砦も少ない。つまり瀬戸山城さえ落とせば、大内は月山戸田城までの道のりを、無人の野を行くが如くであるのだ。

「瀬戸山が落ちるまで待て、と言うのか」

「左様でございます」

 誠久は、低く唸った。味方の城が落ちるまで待つとは妙な話だが、義隆をこの一戦で屠るためならば止むを得ない。味方の犠牲で成り立つならば、誠久も勝手ばかりは言えなかった。

「敵が月山戸田城の前に出てくれば、まずその背後を南北からうかがい、奇襲して糧道を脅かします。その時は新宮党の武威を、天下に知らしめる機会となりましょう」

 地図を扇子で指しながら、久兼が誠久に説明する。そうやって大内軍の力を削いだ後、内応者と共に総攻撃となるのだろう。

「ならばもう一つ、聞いておこう」

 再び豊久が口を開く。

「もし、興経らが寝返らなかったらどうなさる。内応者を完全に信頼するのは、剣呑ではないか?」

「……その時は」

「豊久」

 答えようとする久兼を遮ったのは、晴久であった。

「その時は、全軍で討って出る。余は城を枕に、討ち死にする覚悟だ。そして新宮党の奮戦に、尼子の命運を賭けようぞ」

 そう言った晴久の表情は、清々しい。心の底から、新宮党を信頼しているように見えた。

 その後も月山戸田城の兵站の事や、周囲の播磨や美作などの国々の状況が話し合われた。出雲を取り囲む環境は厳しく、予断を許さない状況は変わらなかった。

 評定が終わった後、新宮党の面々は晴久らを門前まで送る。

「本日は大義であった。また事態に動きがあれば、意見を尋ねに参る」

「わざわざ殿に、御足労いただくことはございません。お呼びくだされば、我らいつでも月山戸田城に参上いたしまする」

 そう言って頭を下げる国久に、晴久は笑う。

「しかし大殿がお亡くなりなってから、叔父上は人が変わったようだ。もっと以前のように、厳しく言ってもらってかまわんぞ。余に間違いがあれば、叔父上以外、正してくれる者はおらんのだからな」

「はっ」

「誠久、豊久、敬久。そなたらも意見は遠慮なく申せ。余にとって、もっとも信頼できる一門は新宮党だ。頼りにしておるぞ」

 三人が頭を下げると、晴久は満足げに頷き、家臣を連れて館を去っていった。

 経久が亡くなって以降、晴久の威風は増している。その姿はかつての経久を彷彿とさせるものだった。

 その去り行く後ろ姿に、誠久も自然と頭を下げた。

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