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海賊の歌

「――と、いうわけで、その船長はウミガメを二匹縄で縛ると、それに乗って孤島から脱出したわけだ」

 この前の戦いで生き残ったが負傷した船員たちを集めて、フィンと傷の手当てをした後に、痛くてたまらないから何か気を紛らわせるために話してくれとの声が続出してきたので、喉を整えると初代パイレーツオブカリビアンのことを聞かせてやっていた。始めこそ退屈そうにしていた船員たちも、いつの間にか青葉の語るジャック・スパロウがスクリーンに残した偉業を聞いて興奮していた。ウミガメの話は作中と後の作品で嘘だとばれしまうのだが。

「それで! 裏切り者を殺した後に、どうやって処刑台から逃れたんだ?」

 子供の様に早くと急かす船員にお楽しみは取っておくものだと制して、また明日つづきを話すと、その場をしめた。ブーイングが上がったが、それもここ数日では当たり前のことになっていた。

 この前の海戦で死傷した乗組員六名と、重傷でしばらく寝ていなくてはならない者が十四名いる。大砲もピストルの弾も底が尽きるまで使い切ってしまったので、療養と補充のため、エルドラード号は新たな海賊の港エルフェースに二週間ほど滞在することになった。今日で一週間と半分ほど経っただろうか。船員たちも痛みを紛らわすのではなく、純粋につづきを気にしていた。


「聞きたきゃしっかり寝てろよ? 怪我人の仕事は寝ることだからな。それじゃ行くぞ、フィン」

 男装のため口数を最低限にしているので、コクリと頷いた。この後は未だに慣れない二人っきりでの風呂だ。他人の目をどうやって誤魔化すかと悩んでいたが、エルビスが金を出して、一つの共同浴場を交代制で入れるようにかしきりにした。この一週間はそのままで、軽症や無傷の船員たちがゆっくり浸かっている。船員たちはこの扱いに満足しているが、本当の目的は違う。ニオとフィンの性別を隠すための措置だ。フィンは青葉と浸かり、ニオはエルビスと浸かる。しかし船員たちはニオとエルビスたちが長い付き合いかつ一等航海士と船長なので納得していたが、フィンと青葉には男二人で何やっているのだと嫌な噂がたっている。この前の海戦で抱き着かれたりしていたところをよく見ていた船員もいて、完全にホモカップル扱いだ。今も、行ってこいホモ野郎とゲラゲラ笑われている。


「……私って、そこまで女に見えないの?」

「ぶつくさ文句を言うんなら、いっそのこと全部ぶちまけたらどうだ?」

「むぅ……!」

「え? ――あ」

 声にして、やってしまったと口を手でふさぐ。フィンにとって女だとばれてしまうのは、牢屋へ送られた理由であり、トラウマでもあるのだから。

「悪かった! でも、俺には女性へのデリカシーとか、そんな都合のいいものはないんだ!」

 暗くなりかけていたフィンへ頼みこむように両手を合わせると、ウナギのかば焼きと呟いた。

「それで許すから」

 少し頬を膨らませているフィンの機嫌は日本でもこの世界でも高い品物だった。

「給金はもらっているけどよ……」

 貨幣相場は港ごとに異なり、更に大きな港町ができては、新しい硬貨が造られる。つまり、港の数だけ、銅貨、銀貨、金貨の三種類がいくつにも枝分かれしているのだ。いくら頭のいい青葉でも覚えきれず、今の持ち金がエルフェースでどれだけの価値があるのかなどわかりもしない。わかるのは、痛い出費だということだ。

「この前教えてくれた、親しい仲にも礼儀ありっていうことわざ、だったかな。それを破ったから要求しているだけ」

 彼女がいればこんなものだったのかと、シーウィースと大きく変わることのないエルフェースで購入したネズミ色の布袋の中を覗けば、払えないことはないが、今日初めて飲める機会がやってきた酒を控えることになりそうだ。


「ぬぅ……賭場で増やすか?」

 船乗りたちが自慢げに、時にうちひしがれながら話している酒場での賭け。どんな賭けなのかわからないが、酒と機嫌の二つを買うには心もとない。

 などと、布袋と睨めっこしていたら、フィンのクスクスという笑い声がする。

「……ごめん、嘘だよ」

 えっ、と布袋から視線を移せば、フィンは微笑んでいた。

「いつも手を繋いでくれる青葉に、そんなこと頼めないよ」

「そういう男を手玉に取るところは、女らしいな」

 一本取られたと布袋をポケットに入れておくと、ニオとエルビスが船に戻ってきた。順番だなとフィンへ手を差し出すと、掴もうとしては、手をひっこめている。

「いけそうか?」

 踏ん張っているフィンに問いかけると、しょんぼりと肩を落とした。

「ごめん、まだ無理……」

 結果的に、そうして手を結ぶ。ここ最近は自分でもなんとかしようとしているのか、一人で歩こうと頑張ろうとしているが、今日の結果は、またしても敗北だった。

「ま、気楽に行こうぜ。そんでもって、夜は酒だ!」

 レッツゴーといった気分で着替えとタオルを空いている手で持ち、船を下りていく。そろそろ夕暮れ時なので、酒を飲んで暴れたい海賊たちや売春婦たちが酒場へと向かい始めていた。

「ようお二人さん! この後は二人っきりでなにをするのかは知らないが、病気だけはもってくるなよ?」

 陽気なメダルカが船に登りながらやってくる。不思議なことに、一等航海士で前線に出て指示を出していたはずのメダルカには怪我一つない。そんなこちらのことなど気にしていないのか、背中をバシバシと叩いては大股で船内へと向かっていく。ただ一瞬だけ振り向いて、青葉を見やった。


「あの人、すこし苦手」

 今のはなにかと問おうとしていたら、フィンが過ぎゆくメダルカの背中をさしながら青葉の陰に隠れる。周りの船員たちに馬鹿にされるが無視して理由を聞いた。

「こんな私でも、長年船に乗っていたからかな。なんていうか、嫌な気配を感じるの。今まで船で問題を起こしてきた人みたいな」

「うむ。女の勘ってやつか? うーん、いや、あれじゃないか? フィンが乗っていたのは海軍の船だから、その分決まりが厳しかったみたいな。まぁ言われてみれば荒っぽくて掴みどころのない人だとは思うが、そんなにか?」

「うん、そんなに」

 即答だった。そうはいっても、特におかしな点は見受けられない。この一週間も船長と飲みで勝負していたり、甲板でニオ一人では見きれないところを担当している。大方フィンの怖がり癖が出ているだけだろうと、心配ないよと船を下りた。




 かしきりかつ高級ホテルに泊まった時のプールの様に広い共同浴場で、今日も背中合わせで手を結んでいる。日本の男友達も女友達も、カップルなら一緒に入ることが多いよと、彼女のいない青葉に教えてくれて、気が付けば慣れていると、いつか彼女ができたらわかると自慢げに話していたというのに。

「慣れないものだな」

 なにが? などと船員がいる時は若干意識して低くしている声ではなく、中性的だが正真正銘女の子の声で背中から伝わってくる。

「この状況だよ」

 フィンはこの世界の住人なので男の裸を見慣れているが、青葉にとっては未開の地。足を踏み入れてみたい欲求が常に湧き出てくるが、入ってしまえば、もう二十二年貫いてきた純粋さは帰ってこない。弱気な考えだろうが、意地の一つも貫けなくてなにが男だと、独り相撲を承知で気合を入れる。


「手、強くなったよ?」

「し、仕方ねぇだろ! 俺のいた世界、というよりは俺のいた国に住む若者はどっちかにわかれるんだよ。女の裸を見ては興奮して、何かしら理由をつけて押し倒す奴と、裸なんて見たら興奮して鼻血を出してぶっ倒れる奴にな」

 極端に分けすぎたが、ただれた大学生活を送ろうとする友人は、皆どこか女の弱みに付け込もうとしていた。二十歳前から酒を飲み、連れてきた女の子にも飲ませて持ち帰る。そんな光景を青葉は何度か大学生活の中で見てきた。それを正しいとか正しくないとかに分けるのなら正しくないのだろうが、今の自分、つまり蒼海青葉は海賊だ。明らかに正しくないところにいるが、それがどうしてもやめられない。それでも、自分が考えたその生きる方法しか知らない奴なんて腐るほどいて、青葉もその一人なのだ――などと、とにかく無駄な考えを張り巡らせて、煩悩を消そうとしていた。


「……別に、いいよ」

「なに?」

 波紋が広がると、湯船に顔を沈めながらフィンは呟いた。

「その、青葉になら……」

 押し倒されても、いいよ。手を握られる強さが増しながら、それと反比例するようにどんどん小さくなる声は、まるで耳元で囁かれているようでゾクゾクした。その内容にもだ。

「と、とっとと出るぞ!」

「あ、待ってよ!」

 無理に手を引けば、フィンの力で体勢が崩れて、湯船に頭ごと突っこんだ。

「あ……」

 見下ろす様に、フィンの青い瞳が青葉を映している。青葉の瞳にもフィンが映っていた。当然そこから下に見える、僅かな胸のふくらみまでも。

「ご、ごめん!」

 ゴッドファーザーのとあるシーンで見えていたそれが、初めて目の前に見えた。

「謝らなくても、私は、いいから」

 こっちが狼狽しているからか、フィンもそっぽを向いた。とにかく体制を戻すと、今度こそ早く出ようと、優しく手をひいた。

「意気地なし……」

「ならいつか見せてやるよ! 日本男児の根性って奴を!」

 そんなものは持ち合わせていないが、見栄だけは張っておいた。それにどうせ意気地のない草食系でも肉食系でもない自由人だと、熱く火照る体をさます様に深呼吸してから、その台詞を現実で聞くことになるとはとちょっと嬉しがっていた。




 二人して微妙な雰囲気のまま夜が来た。停泊していてやることなど一週間でやり切ったので、ようやく酒を飲める。

「やっぱり、ラム酒なのか?」

 気まずいがフィンに聞いてみると、酒を飲んだことがないらしい。

「海軍の給金なんて、私みたいな足手まといには、ほんの少ししか払われなかったから。そのお金も成長する体に合わせて服を買っていたからなくなって、今日が初めて」

 ならば初めてのコンビとして、賑わっている酒場の扉を開ける。

「おお……すごいな」

 何度か人数合わせでついていったライブ会場のような熱気が押し寄せてくる。あまりの勢いに苦笑いでフィンを見れば、案の定後ろへ隠れようとしている。


「大丈夫だって、なんかあったら船長の名前出せばなんとかなるだろ」

「それはそうだけども……」

「小さな一歩を踏み出せ! 二歩目からは自然と足が動くから!」

 待つような声も押しのけて、扉の先へと歩いていく。お洒落なバーとは正反対な騒がしい酒場では、二階から喧嘩でもしていたのか男が落ちてきた。それに酒を浴びせては、また新しい喧嘩が始まる。匂うような男たちの熱気の中、飛んでくる酒瓶だとかからフィンを守って、カウンターにたどり着く。当然このような場所に、お客様は神様です、なんて店員はおらず、とっとと頼め、金がないなら出ていけと、殺し屋の様な風体の大男が注文を待っていた。

「えっと、ラム酒を二つ」

 気持ちで負けてなるものかと硬貨をバンと音を立てて注文すると、木のジョッキにラム酒が注がれて、あとはそこらで飲めと言われて去っていった。

「これがラム酒か」

 サトウキビを原料に作られる白色の酒。やはり缶ビールやチューハイとは違うのだろう。フィンも初めての酒に緊張しつつ、手を握ったまま一緒に飲み始めた。

「へぇ、甘いのか」

 初めてサトウキビ口にしたかもしれない。 あったとしても、ちょっとした料理に使われていたかもしれない。そんな程度だ。

「意外といけるもんだな。甘いからどんどん飲めるし」

 甘い酒なら、あと頼むのは辛い肉や魚だ。なにがいい? と、ジョッキを片手にしているフィンを見れば、その顔は真っ赤だ。


「おい、大丈夫か」

 ほんの一口で明らかに酔っ払っている。お約束のように呂律も回らなくなるかと見ていたら、その顔が明るくなった。

「――あは、はははは」

 静かにだが笑い出した。笑い上戸なのか? なんて見ていたら、涙を流している。

「お父さんも、いない。お母さんも、いない。私の周りには、誰も、いない。誰も、助けてくれない。はは……はははは」

泣きながら笑っている。その言葉は胸の内に秘めていた物なのか、酔っ払っているフィンは心底楽しそうで苦しそうだった。よくわからないが、フィンは泣いているのだ。悲しい言葉を涙と共に零しながら。

「俺くらいならここにいるよ。今だって助けてるだろ?」

 だから泣くなと繋いでいる手を離して頭をなでてやると、今度は心底嬉しそうに笑った。

「なにか可笑しいか?」

「ううん、ちがうよー……うん、違う、やっぱり間違ってるよ」

 普段の静かな雰囲気はどこへやら、ヘラヘラと笑いながらもっと撫でてと迫ってくる。

「わかった、わかったから。しかし、本当にどうした。そんな笑顔初めて見たぞ」


 出会って一か月弱だが、いつも一緒にいたから、その表情は嫌でも目に入っていた。いつも若干顔に影を落としていて、笑い方も微笑むくらいだ。それがどうしてこうなったのかと思っていると、青葉のおかげだとニッコリ笑ったまま口にする。

「生きていて、一人じゃなくて、幸せだから、笑顔なんだよ。だって青葉に出会ったから私は生きていて、青葉がいるから陸でも一人じゃない。そんな青葉は私に笑いかけながら勇気をくれている。だからね、こんなこともできるよ!」

 頭を隠していたバンダナをとって、少し伸びた灰色の髪を露わにする。風呂に毎日入っているので整えられていて、固い表情も緩んで、誰が見ても可愛い女の子になった。そして、手を離している。

「らら、らららら――」

 フィンは青葉の手を離れ、どこかで聞いたことのあるメロディーで歌う。優しさと温もりと、悲しみと冷たさが入り混じったフィンの歌は騒いでいた海賊たちの耳に届き、波の様に広がっていった歌声が酒場を静かにして、いつしか皆がフィンを見つめていた。青葉はフィンのなにがこの状況を作っているのがわからず、何か起きてもいいようにIドロイドをポケットで握った時だった。誰かが口にした。『俺たちの歌』だと。


「どういう意味だ?」

 呆然としていたら、フィンを見て涙を流す輩もいた。

「ああそうだ。俺たちがいつも歌っている歌だ。それをなんて美しい声で、華奢で儚い女が唄っている

歌っている……」

 フィンのメロディーにはやがて歌詞が刻まれていき、海賊たちは頷きあうとジョッキを掲げて歌い出した。粗暴で音程などない歌声は、フィンの声をかき消さない程度に酒場を包み込む。その歌詞と、この場の雰囲気が青葉の記憶に刺激を与えた。これは、航海の途中で船員たちがバラバラに歌っていた、いわば海賊の歌だ。


「青葉! 踊ろう!」

 まるでフィンの周りだけは神聖な場所で、誰も近寄らない円状の中へ、手が差し伸べられる。海賊たちは歌いながら口笛を吹いて、青葉はなんていい女を連れているのだとの声もする。

「でも、踊りなんて知らないんだけど」

 情けねぇぞ! なんて叱咤されながらも後ろにいた海賊に背中を押されて円の中へ入ると、私に合わせてとフィンは相変わらず笑顔だ。

「ここを、こう。そんでもって、こうか」

 美女と野獣の様に見つめ合って踊るのではなく、フィンの足元を見て踊りについていく。フィンは歌いながら、誰かの名前を出した。聞き間違いでなければ、お父さんとお母さんと聞こえた。

「二人が唯一残してくれた、海賊の歌。だって二人とも、海賊だったから」

 だから知っている。そうか、今わかった。この歌は世代を超えて受け継がれてきて、むさくるしい男の声ではなくフィンが歌うから、海賊の心に届いたのだ。きっと、エルドラード号でも。


「ほら兄ちゃん! 遅れてるぞ!」

「わかってるっての!」

 いつしか活気を取り戻した酒場では海賊の歌がいつまでも響いていた。

「ねぇ、青葉」

 真っ赤な顔のフィンは歌を中断すると、青葉を見つめて一言笑いながら口にした。

「好き」

「な、え? いや、えっと」

 どうした兄ちゃんと、海賊たちは青葉へと視線を変えた。

「そんな美人の気持ちに応えられねゃのか? 欲深すぎるぜ?」

 それが海賊だろうと反論しようにも、フィンの言葉が頭から離れず、情けないが少し待ってくれと、熱くなってくる顔を隠すようにジョッキを飲み干す。青葉はせめてもと唄いだした。海賊たちの勇気を奮い立たせる歌を。


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