海戦
船員が集まった翌日の昼ごろに、エルビスの独断で役職が決まった。青葉は中世もいいところな世界のコンパスより数十倍正確な機能やその他もろもろを持つので特別視されており、昨日言っていた通り特別航海士となった。一応水夫よりは上で非戦闘員の特別航海士という名の勉強を積んできて頭と育ちもよく、Iドロイドを使いこなす便利屋の様な立場だ。
それからニオが一等航海士となったが、そんなチビになにが出来ると声が上がった。しかし早撃ちで糾弾した船員たちすべての両頬にかすり傷をつけてやるとおさまった。他には、メダルカを名乗った耳輪の男も一等航海士に任命され、荒っぽいが甲板で指揮をしている。
フィンに関してはただの水夫だが、ニオがどうにも頼みこんだらしく、ニオ直属の部下となった。似ている境遇で、同じ男装仲間同士、一緒にいるほうが都合も良いだろう。
順風満帆。これといって問題のない航海がようやく始まった。昼間はメダルカが舵を握り、エルビスは虎の敷物がひかれ、どこかの島を描いた絵画が飾られたシャンデリアに見下ろされる豪華な船長室にいる。もっぱら元々保管されていた地図を見ては青葉を呼び、コンパス機能と緯度と経度を計算して次の海賊の港への航路を導き出している。そんな日々がしばらく続き、共同浴場へは相変わらず背中合わせで浸かりながらの生活がおくられていた。
そう、本当になんでもない航海だったというのに、ある雲行きの怪しい朝方に異変は始まった。フィンと甲板をモップで掃除していたら、頭上を大砲の弾が通り過ぎていったのだ。咄嗟にフィンを抱きしめて身を呈して守る。つづいて、当直の見張りが敵襲だと叫んだ。
「どこのどいつだ」
船長室から出てきたエルビスが遠眼鏡で大砲の飛んできた方へ向けば、出会って初めて、その顔に怒りを映した。
「その顔だと、奴らかい」
いつの間にかニオもエルビスの隣に立って、遠くに見える三隻の船へと視線を向けていた。普段は人をからかってなにも感じないだとか言っていたニオですら、眉にしわを寄せている。
「青い船体に砕かれた髑髏の旗……! 総員戦闘準備! エルドラード号最大船速で海軍の屑どもに突撃をかける!」
二人以外誰が敵なのかすらわかっていないというのに、エルビスは舵をメダルカからぶんどるとそう叫んだ。
「待ってくだせぇよ船長、こっちは一隻なんですよ? 今なら追い風で、あの一発も船首の大砲の弾でしょうから、そうそう当たらないでしょうよ。だから今の内に逃げましょうよ」
フィンを抱きしめながらメダルカの説得を聞いていたが、エルビスは無理だと冷たく告げる。
「奴らは――海軍幹部ローレイド・ジュレグが率いるフリゲート船三隻は向かい風でも奴隷たちにオールで無理やり船をこがせて追いついてくる。逃げていたら距離を詰められ、そうは当たらない船首大砲もかすってくるだろうからな」
「その口ぶりですと、戦ったご経験がおありで?」
「……俺を裏切り、かつての俺の仲間を殺してエルドラード号を奪ったローレイドは、地獄までも追ってくるだろうな。あの時の俺は、仲間を守るために持てるすべてを使って逃げたのだというのに、追いつかれて捕まったのだから」
命令に変わりはない。逃げるだろうと予想している奴らの隙をついて三隻全て沈没させる。エルビスの金色の瞳は燃えていた。
「青葉! 風向きが変わるのはいつだ!」
抱きしめていたフィンと照れあう暇もなくエルビスの怒声がすると、舵へと駆け上がって、メダルカがいるがIドロイドの周囲の天気予測機能をONにする。バッテリーを食うが半径百メートル以上の風速と湿度を読み込んで、分刻みで風向きや風の強さを予想してくれる。
「ええと、予測結果は――三分後、この船の左後方に向けて突風が吹きます! えーと、それはそのまましばらくは吹きつづけて、強くなるようです!」
「正確な向きを指で示せ! 正確な時間も今から三十秒刻みで報告しろ!」
あまりのことについていけなかったのと、突然だったのでIドロイドをメダルカに見られてしまったが、今はしょうがない。メダルカも気にしていたが、エルビスの命令で船員を砲甲板と甲板の大砲に配置させるために離れていった。
「本当に、戦うんですか」
舵を手に、怒りの表情のエルビスへと問いかけると、当たり前だと怒鳴られる。
「俺を裏切り、俺の仲間を殺し、俺の船を奪った。そのうえこの今も襲ってきている。それだけ理由があれば、戦う大義名分としては十分だ!」
そのまま、時間は! と怒鳴るので、あと一分とつっかえながらも報告する。
「五十、四十五、四十……の、残り三十秒で左後方に突風です!」
告げると、エルビスは舵を大きく回して船体を回転させた。初めての揺れに尻餅をつくと、エルビスはフィンをつれて船長室に隠れていろと命令する。
「前に言った通り、誰も殺すな。汚れ仕事は俺たちの真っ赤な手がこなす」
そのままエルドラード号の船首についているカノン砲の発射準備に取り掛かれと船員に指示すると、早く行けと背中を押された。
「なんだってんだ」
こんな状況でも隠れていろとは――悔しいが、正常な判断だ。
「青葉!」
あたふたと、以前揃えてもらったピストルをホルダーに入れて、カトラスに手を掛けているフィンを慌ただしい甲板に見つけると、隠れるぞと肩に手をやる。
「でも、三隻も相手じゃ……」
「俺たちがいても邪魔なだけだ。言われたとおり、隠れよう」
そう言って手を取ると、予測通りに突風が吹き荒れ、エルドラード号は大きく加速する。曇っていた空からは雨が降り出し、風は予測を超えて吹きすさんで、嵐へと変わっていく。そんな渦中で舵をきるエルビスは、黄金の髪が風になびいて、光り輝いて見えた。
「黄金の、嵐……」
その名の通り、エルビスは嵐の中でも揺らぐことなく船を操り、ローレイドとかいう海軍が率いる三隻は嵐と絶妙のタイミングで突撃してきたエルドラード号に対処しきれていないのか、バラバラの方向へと船がよれている。
「今は船長たちに任せよう! 早く来い!」
手を取ったまま船長室の扉を開けて引きこもる。殺すなと言われたが、念のため、教えられたとおりにフリントロック式のピストル二丁に弾を込めて、フィンを下がらせた。
「かっこ悪いな、俺……」
ここからでも仲間が海軍船に乗り込んでいく雄叫びと乗り込んできた海軍兵との斬り合いの音が聞こえてくる。嵐の騒音も相まって、扉一つ向こうは修羅の世界なのだと思い知る。青葉は震える足を叩いてしっかりしろと言い聞かせるが、外の状況が正確にわからないのは、かえって恐怖を増大させた。
「大丈夫、大丈夫……」
いくら言い聞かせても、震えは止まらずにピストルを落としてしまった。それを、フィンが拾って手渡してくる。同様に震えながら。
「なにか、その四角いので役に立つ魔法はないの?」
この戦いを終わらせる機能があればとっくに使っている。しかし、青葉が持っているのは多機能で最新型とはいえ、携帯電話の延長線上でしかないのだ。それでも、青葉には知識という宝がある。
「それを生かすなら、見ておく必要があるか」
ファイルから、ニオの射撃を映した動画を選んで再生して、何度も確認して、計算する。弾速と弾道から、どんな距離からどう撃てば相手に当たるのかを。
「これくらいしかできることはない……」
あとは、フィンの盾になるくらいか。扉が開いて船長が戦いは終わったぞと伝えに来てくれるのを信じて、二人はひたすらに隠れていた。
大砲の撃つ音が聞こえ、悲鳴も断末魔も絶え間なく聞こえてくる。そんな時間がどれだけ経ったか。だんだんと静かになってきた外の様子が気になってきた。
「もし負けてたら、また牢屋行きだよな」
断頭台まで真っ直ぐかもしれない。恐怖は時間と共に増大を続け、静けさはそれを加速させる。やがて、ドスン、と扉の前で誰かが倒れる音がすると、扉が開かれた。
「っ!」
立っていたのは、白いロールの髪が崩れている青色のスーツ姿の男――海軍兵だ。
「う、動くな!」
必死に震える手を押さえてピストルを構えると、計算など無意味だったと思い知らされる。震えと船の揺れ具合で欠片も参考にもならない。
「は、ははは……船長が外で戦っているというのに隠れているということは、貴様ら特別な乗船者か? 丁度いい! 人質になってもらう!」
よく見れば、その背後には仲間の海賊たちが集まってきている。フリゲートの海軍船も沈んでいて、そこらに海軍兵の亡骸が転がっている。勝っていたのだ。しかし、目の前の海軍兵は諦めていない。
「ローレイド・ジュレグの名をもって命じる! 私の盾となり、人質となれ!」
この男がローレイドだというのなら、海賊たちに追い詰められて勝敗は決しているのは確かだ。だが半狂乱状態なのは見てとれたが、血のしたたる手に持たれたピストルは一ミリたりともぶれていない。
「お前たちも来るな! 来たらこいつらの命はない!」
ここにきてエルビスが青葉を特別視していたことが災いし、誰も動けないでいる。そんな価値などある命ではないというのに。
「小僧……お前も銃を下ろせ。人質は二人もいらぬのだから、そんな震える手から放たれる弾丸など怖くもないぞ。わからないのか? こちらが一方的に殺せるのだぞ!」
下ろせば、フィン共々人質になる。エルビスなら構うことなく来るはずなのに来ないということは、他の船にいるのか、考えたくないが死んだのか。
「ん? 後ろにいるのは……なんだ、ただの死にぞこないの嘘つきじゃないか! お前の平坦な体で、また嘘をついているのか?」
「やっぱり、あの時の船長……」
お互いに知っている? そうか、エルビスのエルドラード号を奪う時に、フィンはその場にいた。こんな偶然もあるものなのか。だが、それは悪い方へと傾いた。
「となると、そこの男が重要らしいな……人質は一人で十分だからな! 今度こそ死ね!」
青葉の頭の中で今の言葉が高速で現状にどう作用されるか導き出される。かつて騙していた無価値であろうフィンを狙い撃ち、そのまま自分が人質になるのだと。あのぶれない構えからなら、確実に青葉の横から顔を出しているフィンの眉間が撃ちぬかれると。
――ぶれない構え?――だとしたら!
「数学の偏差値だけは飛びぬけているんでね!」
弾丸が放たれると同時に、青葉の脳は最高速度で回転する。あとは体の動きさえ間に合えば――!
「グッ……」
フィンの眉間に向けて放たれた弾丸は、青葉が咄嗟に動いて、その胸に着弾した。青葉の体は支える力を失い、フィンの体に寄りかかる形で倒れた。
「え……あお、ば?」
力なく崩れ落ちた青葉の体を、フィンは揺すっている。ピクリとも動かない青葉に、フィンの顔から血の気が引いていくと、涙を零して強く何度も揺する。
「青葉! 青葉ぁ!」
フィンが名を叫び、ローレイドは肩を落とす。その二人のうち、先に現実に戻ってきたのはフィンだった。
「魔法をかけてくれた……手を繋いでいてくれた……プレゼントをくれた……初めて大切だと思えた人を……青葉を……よくも!」
ホルスターからピストルを取り出し、泣いたまま怒り狂ったフィンの手から真っ直ぐに弾丸が放たれようとしていた。しかし、その手に別の手のひらが重なり、殺すなと咳をしながら声がする。
「――よくぞ守った。心から尊敬するぞ、蒼海青葉」
フィンの手から撃ちだされた弾丸は明後日の方向へ飛んでいき、扉の前で肩を落としていたローレイドは飛び降りてきたエルビスの一突きにより倒れた。
「はは……遅かったじゃないですか、船長」
「待たせて悪かった。しかし、傷は大丈夫なのか?」
フィンが茫然としながら涙をとことん流して生きていた青葉の名を呼びながら抱きしめると、穴の開いた胸ポケットからIドロイドが床に落ちる。
「古臭いピストルなんて、これ一つで防げますよ……やっぱり痛いですけど」
誰が好き好んで付けたのか理解のしようがなかったマグナム弾ですら傷一つつかないIドロイドを、計算によって予測した着弾点に忍ばせてフィンも自分も守る。それこそが知恵こそあれど戦う術を持たない青葉にできた、唯一の反撃だった。
「それとフィン、衝撃で胸が痛いから離して」
青葉の胸に抱き着いて離れないフィンを押すが、首をブンブンと振って離さない。
「……嫌だ、嫌だよ。離したら消えてなくなりそうだから、嫌だ」
「だけど、このままだと女だって……」
心配ご無用、そんなニオの声がしたかと思うと、扉はしめられて、外ではエルビスのため息と、ニオの指示する声が聞こえてくる。ああ、ここなら、二人きりだ。ばれないで済む。存分に礼が言える。
「なんか、あれだな……大切に思ってくれてたみたいで、ありがとな」
異世界転生の主人公は病的なまでに耳が悪いと聞いていたが、青葉にはそんなことなく、フィンの怒りが籠った叫びは聞こえていたようだ。
「お礼を言われても、わからないよ……。この気持ちは、なんなのかな……青葉が死んだと思ったら、とても悲しくて、嫌で嫌でたまらなくて……」
「でも、生きてたろ?」
涙を拭ってやりながら、微笑んだ。別に答えを急ぐ必要はない。青葉にはフィンが抱いている気持ちの正体がなんとなく察していたが、口に出してしまえば思い上がりかもしれないので心に留めておく。
「船長が生きてて船が無事なら、まだ航海は続くんだからな」
なんのこと? と疑問を口にするフィンに、怒ってくれてうれしかったとだけ伝えると、急に恥ずかしくなってきて扉を開けて出ていく。きっと顔は真っ赤だろう。
「いや、こっちの方が真っ赤だな……」
そこら中に斬られたか撃たれたかの遺体が転がっていて、甲板も大砲もマストも鮮血を浴びて血の赤に染まっている。臓物が腹から零れ落ちているのなんて当たり前な光景に、デリケートな人なら吐くだろうなと肩をすくませて、船の外にも目をやる。
「見事に沈んでらっしゃることで」
タイタニックを三つのスクリーンで沈んでいくシーンを流しているような、そんな有様だ。だが、エルドラード号は傷一つない。三隻から大砲を撃ち込まれたはずなのに。
「お前は俺の忠告を守り、フィンも守った。その疑問には、この先の港で答えよう」
気配もなくエルビスが並び立ち、当たり前のように青葉の疑問を読んだ。
「超能力か何かお持ちで?」
「なんのことだ」
「いえ、別に」
「とにかく、船体は傷ついていないが、死傷者と負傷者が多い。ここから近い海賊の港でしばらく休むことになるだろう。早速だが、航路を調べてもらうぞ」
はいと答えてフィンも出てきた船長室に入ろうとしたとき、エルビスが一度歩を止めた。
「……」
「どうしました?」
「いや、たいしたことではない」
明らかに何か隠しているが、今は無事を祝おう。青葉なりに海賊として成長できたと実感できたのだから。




