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海賊として

 あれから少しして、潮の匂いとやらは汚い日本の海より気持ちのいいものだと思えるくらいには落ち着いてきた頃、エルビスは甲板に座りっぱなしだった青葉とフィンを十段ほどの階段を登った先にある舵の前に集めた。そこには性別すら謎のマントが体中を覆っている人物とエルビスが舵を握っている。

「ここまで来ればエルドラード号に追いつける船はない」

 安心させるためか、思いやりか、エルビスはそれだけ言うと舵から片手を離して正面を向いた。

「聞きたいことがあるのだろう。俺の船に乗っている以上は家族も同然だ。なんでも聞いてくれ」

 そのなんでもが多すぎて頭がパンクしそうだったというのに、エルビスはどこ吹く風だ。

「あー……それじゃ、まずそこにいる方は?」

 エルビスの隣にいる背の低いマント姿の人物は、聞かれて青葉を見ると、エルビスへと視線を移す。

「教えちゃっていいのかい?」

「まだだな。いずれ時は来るかもしれないが、今はこの船の一等航海士ということだけにしておけ」

「了解したよ。まぁ、今のを聞いていればわかるだろうけれど、ボクはウトピーア海賊団の一員で、しかも一等航海士。名前はニオ・フィクナーだからニオでいいよ。さんづけとかはやめてくれよ? 長年船に乗っているけれど、今でも一等航海士だからってさんとか様とか呼ばれると気分がよくなくてね。それに歳も近いだろう? ちなみに僕は二十歳だよ」

 私も同じと、フィンがふと顔をあげてニオを見ていた。

「あと二か月くらいで誕生日ですが」

「そうなると、俺は二十二だから二歳違いか……フィンとはもうすぐ一歳違いだな。とりあえず話を戻させてもらうが、ニオ以外の船員はどこにいるんですかね」


 船の中にはいないようだったし、そもそもニオが飛び乗ってこなければ船員はエルビスだけだった。そこが気になったが、エルビスとニオは表情に影を落とす。

「聞いちゃいけないことだったら、いいんですが……」

 どうしてもエルビスを相手だと敬語になってしまう。そんなことはどうでもいいようなエルビスは、静かに口に出した。死んだと。

「ある者は、この船を欲しがる海軍の幹部、ローレイド・ジュレグが率いたフリゲート船十隻との戦いの中で死に、またある者は、俺より早くに処刑された。そして俺と、ニオだけが残った」

 その船のどこかにフィンを見つけていたという。想像より重たい過去に、青葉も俯きそうになりながら、シャキッと背筋を伸ばした。


「それで、なんでニオは生き残っているんです?」

「まるで死んでいて当たり前のような質問だね……それはそれとして、理由なんて簡単なものだよ。ボクは生まれつき体が軽くてね。ちょっとした高さなら飛び越えられるし、船の中なら自由自在に動けるから逃げ切れたんだ」

 こんなふうにと、ニオは三本あるマストの中で一番船尾にあるミズンマストに飛び乗ると、猿のように一番上まで登っていった。

「っと、こんな具合でね」

 そこからピョンピョンと降りてきたニオの体は、一瞬だけマントが剥がれて体つきが見えたが、性別はフィンと同じでわからない。しかし、何丁ものフリントロック式のピストルをホルダーに入れていた。

「もしかして、さっき鎖を壊してくれたのって、ニオか?」

「察しがいいね。見ての通りそこの女の子と同じくらい体が小さいから剣じゃ戦いにならない。ということで、ピストルの腕前だけは誰にも負けないように練習したんだ」

 その練習のせいで何丁のピストルがだめになったとエルビスが横やりをさすが、その口調は青葉たちに向けられるものより柔らかかった。


「それで、まだ何か聞きたいのだろう」

「いや、まぁ……なんとなくは理解しました」

「ほぅ、あの場からたいして時間も経っていないのにか」

「親は嫌いでも、育ちはいいと自負していますし、勉強は嫌というほどやってきましたからね。あの断頭台の前で笑ったときにニオかエムロードさんの声が聞こえて、それに乗って逃げてきた。合っていますかね」

 その通り、流石は異世界人だと言いかけて、ハッとニオを見やった。

「おやおや、なんだかおもしろそうな話だね。異世界人だなんて」


 悪そうな顔で笑うニオに、エルビスはしまったと口を押さえ、四人だけの秘密だと、昨日の取り決めを訂正した。それからは異世界についてニオに教えて、一度は行ってみたいとはしゃいでいた。

「あ、それと気になったんですが、エムロードさんが船長を黄金の嵐って呼んだのって、なんのことです?」

 見たらわかるんじゃない? とニオが茶化すが、エルビスは長い金髪を潮風に乗せて迷惑な話だと愚痴を零した。

「かつてエムロードと海賊狩りをしていた頃の話が勝手に大きくなって、そんな風に呼ばれるようになっただけだ。おかげで海賊どもは名声のために俺を狙い、エムロードはそれが嫌で海軍の下から出ていった」

「ね? 見たらわかるだろう? 黄金の髪に黄金の瞳。それとついこの前まで無敵だったエルドラード号が合わされば、海賊たちにとっては、それはもう防ぎようもない嵐だったんだよ」

 まだ牢屋から出たばかりなのでフィンと同じく薄汚れていて、くすんだ金色だが、洗えば綺麗になるのだろうか。まず一に、この世界に風呂があるのかすら曖昧だが。

 とにかく、エムロードとのつながりも、さっき起こっていた騒動の訳もわかった。


「最後に一つ、いや二ついいですか」

 なんだとエルビスが視線を向ければ、なにかとエルドラード号が特別視されていたことが疑問なのだ。さっき見た時も隣に並ぶエムロードの船に比べて違和感があった。フリゲート船とかいう種類の船であることに違いはないのだが、言葉にできないなにかがある。

「なに、少し硬いだけだ。向かい風でもそこそこ速く進める。そんなところだ」

「隠すほどのことだったかい?」

 念のためだ、その質問にはこれ以上答えないと話を打ち切ったエルビスは、二つ目の質問は何かと投げかけてくる。

「ええと、最初に聞くべきだったんですが、この船はどこに行くんです?」

 そんなことを聞けば、まずお前たちがどうしたいか決めろとエルビスは青葉たちへ選択権を投げ渡した。


「この先一度、以前手にした宝を隠した小さな港街に立ち寄る。そこで降りて宝を回収したら、その先は海賊たちの港で船員を探す。だから今決めろ。次の港街で降りて静かに陸で暮らすか、俺についてきて海賊になるか」

 反論など、もちろんできない。言ってしまえば、この状況はエルビスに生殺与奪を握られているのと同じなわけだ。だが、青葉にとってはまたとない海賊になるチャンスだ。

「あまり浅く考えるなよ」

「え?」

「異世界の、それも平和な世界から来たのだろうから言わせてもらうが、海賊の自由に代償はつきものだ」

 一人浮き足立っていたところに、エルビスの冷たい言葉は続き、それは全て青葉に突き刺さる。

「お前の世界なら、どんな悪党でも弁護人はつくだろうし、殺人を起こしても殺されることはないのだろう。だが、お前がいるのはこの世界だ」

 わかるな? とエルビスは片眉毛をあげて確認を取る。そしてカトラスを向けられて、青葉はヒヤリとする。

「俺はもう海軍の犬じゃない。かといって、弱者から金を搾り取るつもりもない。それでも、この船を見れば襲い掛かってくる海賊も海軍も少なくない。陸に上げられて縄で縛られては、言い訳一つ聞いてはくれないだろう。他の海賊に乗りこまれて、船は無事でも自分は死んでいた、なんてことも嫌というほど見てきた。だから言わせてもらおう――海賊としての自由の代償は死だ。それも、海賊として名を上げれば上げるほど懸賞金がかかり、敵も増える。海賊を辞めたいと思っても、懸賞金目当てやこの船への人質として捕まるかもしれない。つまり、海賊の辞め方は死ぬことでしか得られない。そして死は、お前が思うよりも何倍も恐ろしいものだ。その覚悟があるのなら、頭を縦に振れ。嫌だというのなら、首を横に振って、次の港街で降りろ。路銀くらいはくれてやる」


 海賊としての自由、それは映画や漫画で見たことはない世界で生きることだ。こうしてエルビスから向けられたカトラスはとても鋭利だし、つい先ほどまでは首が跳ねられるところだった。

 迷ってしまう。いきなり突きつけられた現実の重さと大きさに縮こまってしまう。ここはスクリーンの中ではなく、海と船に揺られて、いつ、どこで死んでもおかしくない場所なのだ。

「私は、乗りたいです」

 ハッとして隣を見れば、蚊帳の外にいたフィンがその細い腕をあげて覚悟を決めていた。こんな背も小さく、立ってみて改めて見えたか細い体。まるで激流に流されかけている小枝の様なフィンですら、行くのだ。


「どうして、行くんだ?」

 自然と聞いてから取り消そうとしたが、フィンは細い両腕で自分の体を抱きしめた。震えてもいるようだ。

「昨日も言ったけど、陸がとても怖い……私の顔は広まっているから、陸にいればいつか捕まってしまう。だから、行けるというのならこのまま船に乗る。どうせ降りても、私一人じゃ生きていけないから」

 覚悟というよりは逃げるために船に残ることにしたわけだ。なるほど、そういう見方もあるのかと、青葉は考え直していた。


 たとえ降りても、Iドロイドがあれば生きていけるだろうか……いや、難しいだろう。人の目がどこから見ているのか、使ってしまったらどうなるか。そんなのは昨日捕まってわかっただろう。Iドロイドなしかつ異世界で一人生きていくのは途方もなく難しい。だが幸いなことに、ここには異世界とIドロイドを知り、秘密を守れる人が集まっている。それでも、学があれば生きていけるかもしれない。でも……やはり海賊への憧れを捨てきれない。


『人生はチョコレート箱のようなもの。開けてみるまで中身はわからない』


 ふと、半世紀以上昔の映画での言葉が混乱している頭に浮かんだ。まるで夜の暗い海に浮かぶ灯篭の様にその言葉は頭の中にボンヤリと浮かんでいる。それは青葉の肩を叩くと、沢山のチョコレートが詰まっているのはどちらだろうかと問いかけてきた。


『負け犬ってのは、負けるのが怖くて挑戦しないやつらのことだ』


 負け犬には、なりたくないな……。答えは決まっていたようなものじゃないか。

 タイトルが思い出せなくても、監督や役者が残した言葉は色褪せることなく人の心に残ってくれる。元々あった夢で、尚且つ沢山のチョコレートがあって、負け犬にもならない選択は決まっている。

「この世界について知らないことばかりで、迷惑をかけるかもしれません。それでも、俺も……」

 覚悟は決まった。青葉は平穏を捨てて、斬られて死ぬか撃たれて死ぬかの世界へと足を踏み込む。その瞬間に、エルビスは割り込んだ。


「その目は、来るんだろ? だったら俺の命令は聞け。いいか? お前たちは全てにおいて望んで海賊になったわけじゃない。海でしか生きていけない女と、異世界で右も左もわからない男だ。だから、人を殺すな」

 どういうことだ? 海賊なら戦うものだろう。その覚悟も決めたつもりなのに、殺すなとは、いったい。

「いずれわけは話してやる。それまで、青葉にはIドロイドとやらに仕込まれているなによりも正確なコンパスで航路を見つけるのを手伝ってもらう。いずれは一等航海士として航路を決めてもらう。フィンは乗船経験があるから水夫として掃除なり色々と仕事を頼むだろう。だが、俺は女とて気にしないが、これから集める連中の多くは女が船にいることを嫌うだろう。賑やかな港街で男装用の服装を青葉と買ってこい。金はニオが出す」


 なんでボクがと驚いた様子のニオだが、宝を全部持ってきて好きなだけ使っていいから見繕えと命令していた。

「新任たちの衣装決めとはね。ある意味ボクにとって合っている」

 そんな風に笑いながらも、フィンや青葉の体をジロジロと見ている。男なのか女なのかわからないのでなんともいえない気持ちなので聞いてみるも、内緒と唇に人差し指を立てた。

「宝が隠してある港街ターリヤまであと一日はかかる。砲甲板にハンモックがあるだろうから、そこで休んでいろ」

 大砲などが並んでいる階段を下った先の砲甲板には、いくつものハンモックが残っている。きっと死んでいった船員たちのものだろう。両手を合わせてからハンモックに揺られると、疲れが出たのか急に眠くなってきた。とはいえ、これからは海賊として生きていくことになった。後悔が全くないといえば嘘になるが、こうして船の中から大砲の隙間に見える海を眺めていると、これでいいか、と割り切れた。


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