碇をあげろ
またしても前言撤回だ。捕まった翌日に青葉とフィン、それから向かいの男が手に枷をつけられて騎士に連れていかれると、昨日見た断頭台が待ち構えている。
ちょっと待って、いきなり死刑? Iドロイドを使っただけで? フィンに関しては男装していただけで?
「べ、弁護士は!」
趣味の悪いことに、赤茶色の煉瓦で造られた建物に囲まれながら、おそらく金持ちたちが興味津々とばかりに集まっている。当然青葉の叫び声など聞く耳もたれず、三人だけが枷をつけられたまま立ち尽くしていた。フィンは牢屋を出る時から俯くことすら忘れて茫然と死んだ魚のような目でフラフラとしていて、向かいの男は金髪を風になびかせながら堂々と立ち、黄金の瞳は人を殺せそうな眼光だ。
「これより、ウトピーア海賊団の裁判を始める」
断頭台の前に設けられた簡易式な長机と椅子に座る裁判官らしき男はそう告げると、場が一斉に盛り上がった。
「ウトピーア、海賊団……?」
牢屋を出る時から心ここになしといった様子のフィンが目を覚ましたかのようにその名を口にすると、ようやく向かいの男を見てハッとしていた。
「金色の髪に、右目にそって斬られた傷の跡……」
考えている通りだ。向かいの男は肩をすくめて息を吐き出すと、その金色の瞳をより一層鋭くして辺りのすべてを睨み付けた。
「ウトピーア海賊団船長、エルビス・ジークラットとは俺のことだ」
辺りがどよめいて、とっとと殺せと騒いでいる渦中に、青葉はエルビスと名乗った男を見上げていた。
海賊の、船長。それは青葉からすれば夢の一部であり、新しい世界に来たのだからと未来の予定に組み込もうとしていたものだった。
しかし、海賊団の船長なら処刑されても文句は言えないだろうが、青葉やフィンは違う。いくら中世のような世界でも、ただそれだけで殺されるいわれはないはずだ。
「当ててやろう、自分は海賊じゃないから裁かれないとでも思っているな」
エルビスと名乗った船長は青葉の考えを的確に読み取ると、向こうを見ろと青葉とフィンに顎で視線を移させた。そこには、青を基調としたスーツの様な服装の男たちが数名立っている。青葉には理解できなかったが、フィンは何かに気づいていた。
「私の乗っていた船の、偉い方々です」
「そうだろうな。なにせ、あいつらが俺の船を追い詰めて、そこにお前もいたのだから」
「でも、あれはエルドラード号が乗っ取られたからって……」
「そんな妄言は、仮にも正義の執行者を名乗る若い連中に大義名分を与えるための口実にすぎない。あそこにいる、海軍中将、ローレイド・ジュレグの差し金だ」
さっきから置いてきぼりをくらっている青葉は騎士たちが準備を進める中で生き残る方法を探すべく、どういう背景があるのか二人に聞く。フィンは気まずそうにして、エルビスが青葉を見やる。その顔には怒りと共に悲しさが含まれているような気がした。
「……俺たちウトピーア海賊団は、自由の海を荒らす海賊を狩る海賊だった。それ以外にも、他の海賊が宝を手に入れる前に入手して、海軍と分け合ってきた。だが、海軍の奴らは、俺のエルドラード号が欲しくなったんだろうな」
途中まで頭がついていっていたが、なぜ船の一隻欲しさに仲間や同胞と呼べるほどの海賊団を潰したのか。それを知りたくなったが、もう時間切れだとエルビスは目を閉じた。
「俺は特別鼻と耳がいい。だから聞こえるが、お前のIドロイドとかいう、この世界でなら魔術とも呼べる物が欲しくなったのだろう。おそらく、昨日の会話を聞かれていたか、雑踏の中で使ったのを海軍の誰かが見ていたか……とにかく、ここから聞こえる範囲なら、お前は異端の魔術師として処刑されるそうだ」
だから諦めて、神に祈れとエルビスは目を閉じたまま準備が進むのを待っている。
ふざけるな、こんな横暴が許されてなるものか。青葉の心には、確かな反抗心が芽吹いていた。それにこんな中世の世界じゃ学べないような知識を嫌というほど学んできたのだ。それを盾にすれば、自分の身くらいは守れるはず――。
そう頭を回転させていると、Tシャツの裾を握る小さな手のひらに気付いた。見れば、フィンが震えている。おそらくだが、あそこに並んでいる海軍たちは、長年騙してきたフィンを殺すためにわざわざやってきたのだ。女だというそれだけで。
――柄じゃないのだけどな。
「任せろ、なにがあっても守ってやるから」
男なら一度は女に言ってみたい台詞だろう。裾を握る手のひらに自分の手のひらを重ねて、大丈夫だと言い聞かせる。
「青葉……」
「任せろっての。なんとかなる」
動揺していたフィンは、青葉の言葉を次第に信じていっているように見えた。そしてコクリとだけ頷いた。なに、十二人の怒れる男でもたった一人の反論が判決を覆した。それから百年近く経った今ならば、やりようはあるはずだ。
「――この状況でそれだけ言えるのなら、お前も海の男になれたかもしれないというのにな」
諦めていたエルビスが静かにそう目を開いた。そして、その眉間に一瞬しわを寄せた。それは、そのまま不敵な笑みへと変わった。
「そうだったな、海を生きるのは男だけではなかった。俺としたことが、それを忘れていようとは」
どういうことだ? 聞こうにもとうとう準備が整ったのか裁判官が三人を前に進ませるように騎士へ命令すると、断頭台の目の前に立たされる。分厚い教本を開き、エルビスにかけられた罪名を声高に宣言しようとして、同時に青葉がフィンを救おうと一歩前へ出た時だった。ここから見える港の方から轟音がして、なにかが飛んできて断頭台もろとも背後の建物までも破壊した。
「あれは、なんだ?」
突然のことにパニックになっている金持ちや騎士たちは逃げるか剣を抜くかのどちらかだったが、建物を一つ壊して、瓦礫から転がってきた物は大きな鉄球――大砲の球だった。
「来たか! 自由の海を生きる友よ!」
エルビスがそう叫ぶと、港の方――髑髏の旗を掲げた青い船体のフリゲート船から血気盛んな男たちがカトラスとフリントロック式とかいう海賊が使っていたピストルを手に突撃してきた。
「シーカラブローネ海賊団……!」
フィンが顔をあげて男たちを見たその先に、一人の光り輝く銀髪を腰まで伸ばした赤マント姿の女性がカトラスを振るって騎士たちと斬り合っている。
「どういうことなのか、誰か教えてくれよ!」
そんな青葉の言葉など関係なく、男たちは騎士や海軍の兵士らしき者たちと戦い、エルビスは鎖で繋がった枷を空に掲げると、丁度その真ん中を一発の銃弾が砕く。エルビスは青葉たちに同じようにするよう促すと、二人して手をあげれば続けざまに二発の弾丸が鎖を破壊した。
「腕は鈍っていなかったか」
趣味の悪い金持ちたちは逃げ、騎士や兵士は奇襲に追われ、海軍のお偉いさんは守られながら撤退している。この中でエルビスだけが状況を理解していた。
「詳しい説明は後でする! 死にたくなければついてこい!」
「ホントにもう、異世界転生二日目だってのになんなんだよ!」
わけが分からないが、とにかくエルビスに続こうとしたが、フィンの足が止まっている。なにをしているとエルビスが声を出せば、あっちへ行っても逃げ切れないと嘆いていた。
「臆病者に待っているのは死だけだ! それに付き合っていれる程、俺も酔狂じゃない!」
そのまま走り去ろうとするエルビスにほんの少しでいいから時間をくれと騒動の真ん中で頼みこんだ。ここが中世のような世界で、価値観も死生観も違うことなど、青葉の頭はしっかりと区別がついている。だからこそ、日本で育った価値観と死生観でフィンの両肩に手を置いて、俯いているその顔をあげさせた。そして青い瞳に自分を映させる。
「なにがなんだかわからないが、お前を守るって言っちまったからな! 来てくれないと、俺も進めなくて死ぬ羽目になる! だから一緒に来てくれ!」
どこに行くのか、それすらわかっていないというのに、青葉は騒然とする中でフィンへ語りかける。
「それに、ここにいたら逃げるとか逃げられないとか、そんな問題じゃ済まされないぞ」
確かにその通りだと、だんだんとその瞳に迷いが消えていく。ようやくフィンは、またコクリと頷いた。
ひたすら走って、途中でエルビスが騎士を蹴り飛ばしてカトラスを奪って港までくると、先ほどの銀髪の女性と鉢合わせた。
「これで少しは借りを返せたかしら」
「気にしなくていい、エムロード」
「それじゃ、私の気が収まらないのよ。だから、あれも取り返してあるから。次に会う時は海の上でね」
「相変わらず手際がいいな」
「『黄金の嵐』なんて呼ばれるあなたには敵わないけれどね」
どこか笑ったような表情の二人は、背後での戦いに目を向けて、撤収、とエムロードと呼ばれた女性が大声を出すと、突撃してきた男たちは傷を負いながらも港へと集まってくる。
「助けてくれたってことか?」
未だ状況のつかめない青葉に、エムロードは見慣れない服装だと見やりながら、知らないのかと疑問にしていた。
「知らないということは知っているんだけどな」
「やけに深い言葉ね、どこかの思想家の言葉かしら? とにかく知らないのならしょうがないわね。私はシーカラブローネ海賊団船長のエムロード・アリエスよ。それにしても、いい体の坊やを手に入れたじゃない」
こんなドンパチしているというのに、二人はカフェかなにかでくつろぐ様な口調だ。しかし、いい体の坊やと聞くと、エルビスはため息をついている。
「誤解を招くなエムロード。俺にそんな趣味はない。それに、こいつが仲間というわけではないしな。だが、共に来たいというのならそうするまでだ」
「そっちも相変わらず、固いわね」
二人は海賊であり、海賊仲間ということだろうか。だが、港街の中に大砲を撃ち込んでくる海賊団と、今まで海軍と手を結んでいたエルビスが仲間だとは思えなかった。
「詳しい理由は安全なところにまで逃げてから説明する。お前たちも船に乗れ」
「エムロードさんの船ですか?」
もうすぐ開けた港に出るが、エルビスは笑みを浮かべると、それは違うと指をさした。
「俺の船、エルドラード号にだ」
大砲を撃ち込んだ船の横に、帆が張られた真っ黒い船体のフリゲート船が停泊している。どことなく、エムロードの船とは違う光沢のある船体が気になるが、今はエルビスに続いて甲板からおりている階段を登って船に乗る。以前調べた帆船は出港のために色々と準備をするものだと学んでいたが、素人目でも準備完了といった様子だ。
「碇をあげろ!」
一段登って船尾の舵を握ったエルビスは当たり前のように口にするが、青葉にはそこまでの知識はない。フィンも、知らない船だからかどうすればいいのかと途方に暮れている。
「ちょっと失礼」
と、中性的な声がどこからかすると、亜麻色の髪をした黒いマント姿の、これまた男だか女だかわからない誰かが突然青葉たちを飛び越えて、碇をあげた。それから船の上をバッタの様にピョンピョンと飛び回ると、エルビスになにかを投げ渡した。
「新調しておいたよ!」
受け取ったエルビスはその声に微笑むと、受け取った黒い布地に白い髑髏が描かれたマントを着込んで風に揺らした。その姿に、青葉はあれこそが求めていた海賊なのだと無意識に心が躍っていた。
「エルドラード号、出港!」
その声と共に船体は傾き、帆が風を受けて海へと進みだす。なにがなんだかわからないが、一安心できたのかと船の背後を見れば、青い船体のエムロードの船が他の船を襲って時間を稼いでいた。
「助かった、のか?」
なんだか濁流の様に色々なことが一緒に起きすぎて頭がついていかないが、安全だということはわかった。それはフィンも同じようで、二人して手を結んだまま座り込んでしまう。
「はは……ほら、なんとかなっただろ?」
フィンの手を握っていただけだが、助かった。自然とそんな言葉が出て、フィンもありがとうと口にしたところで、ようやく結んでいた手に気づいて、二人とも顔を赤くして離した。
「と、とりあえず、よかったな」
なにがどうしてこうなったのか、あとでしっかりエルビスに聞くとして、初めて乗った帆船に揺られながら港を去っていった。




