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豚箱での出会い

 あれ、なんだろ、ここ。温かいな……あの世か? にしては、服はびちゃびちゃで気持ち悪いし、手を握れば砂かなにかが固まっている。もう開かないと思っていた目も、聞こえないと思っていた耳も、だんだんと光を取り戻し、辺りの音が聞こえてくる。見えるのは、寄せては返す青い海で、聞こえるのは波の音。たしか、クルーザーから落ちて……どこかの浜辺にでも打ち上げられたのか? いや、沈んでいたはずだが……それに、今気づいたが、こんな気持ちのいい夏の日差しなんて差していない真冬の夜だったよな。


「……ホントにどこだ、ここ」

 ようやくハッキリした意識で起き上がってみると、夏の砂浜にうち上げられていたようだった。体も痛くないし、特に問題はないのだが……いやいや、さっきまでいた場所とも時間とも季節とも違うわけで。

「まさかブラジルまで流されたか」

 なんてことは流石にないだろうと立ち上がると、さっきも感じたがTシャツとジーパンが海水を吸って肌にくっ付いて気持ち悪い。周りに人もいないので、Tシャツだけでも脱いで雑巾のように絞る。ああ、このジェームズ・ボンドに憧れて鍛え上げた体は間違いなく自分のものだ。立ってみて視線もいつもの百八十センチのものだし、とりあえず生きているようだか、現在地がわからない。


「あ、そうだIドロイドで見れば」

 GPS機能はもちろんついているし、世界中どこにいてもナビが使える。そうして完全防水のIドロイドを取り出して無事なのを確認すると、AIに現在地と喋りかける。

「――――あれ、遅いな」

 いつもならどんな田舎にいても一秒で現在地とナビ機能やらをONにするかなどを聞いてくるAIがうんともすんとも答えない。この遅さは近代史の授業で習った九十年代のパソコン並みだ。


「お、出た……確認できませんって、え?」

 あの父親は嫌いだが金持ちだったので、持っているIドロイドは最新型だ。サハラ砂漠の真ん中にいても衛星画像なりで教えてくれるというのに……というより、まずネットに繋がっていない。五年程前に移住が進んでいる火星まで電波が届くようになったというのに。

 なら、本当にここはどこだ。

「とにかく、人のいるほうへ!」

 焦りを感じながら念のため翻訳アプリを起動して砂浜を歩いて堤防を越えると、言葉を失った。

「……タイムマシン?」


 ローブやらドレスやら、世界史で習った中世あたりの服装によく似た人々がそこらを歩いている。建物も煉瓦で造られており、剣を携える騎士のような人もいる。だがどこか習った世界とは違うような目の前の光景に、二千十年代から細々と続いていたライトノベルのジャンルが頭に浮かんだ。

 異世界転生。昔は夢の産物だったその名は、日本の伊集院グループという科学者の団体が多元世界説とやらを唱えられてから一気に現実味を帯びた単語だ。とはいっても、別の世界があるかもしれないよというだけで、実際に行き来したり、本当に発見されたりはしていなかった。だが、目の前の光景とIドロイドの画面、それに季節と時間の違いから、軽くパニックになりそうになりながらも、だんだんと自分がどこにいるのか思考が追いつく。


「中世ファンタジー世界って、ベタだな……」

 頬をつねっても痛いので夢じゃない。ここは元いた世界でもあの世でもなく、本当の異世界らしい。

 しかし、そうなると色々とヤバいのではないかと口元を押さえる。言葉は通じるのか、どこまで常識が通じて、どこまでがやってはならないことなのか。どこまで文明が進んでいるのか。不安がいっぺんに襲い掛かってくるが、悪いことばかりではないと、青葉は気付いた。


「ここが別の世界ってんなら、あれだな」

 自由だ。言葉さえ通じれば、おそらく文明は数世紀ほど遅れていても自由な世界だ。


「レールなんかない!」


 そう思えた時、心が一気に軽くなった。よく聞けば、雑踏の声は聞きとれるし、なんといってもIドロイドが無事なのだからなにをするにしても、そこらの一般人より有利かもしれない。電卓に、メモに、写真に……とてもここから見える人々が持っていない最先端な機能を使えるのだ。充電は太陽光でも、なんなら炎に近づけるだけでもなんとかなる。

「そうと決まれば、早速使える機能の確認を――」

 と、Iドロイドを出して画面をスライドさせていると、充電も問題なく、ネットこそ使えないが便利機能は満載なので安心だ。


「さて、次は――っと、間違えた」

 便利そうでなかなか使わない3Dホログラム機能をONにしてしまった。Iドロイドからは課金してカスタムした海賊風の男性AIが立ち上がり、丁寧にお辞儀をする。最新式のIドロイドにしか搭載されていない機能だけに、自分なりのAIを作れるちょっとしたゲーム感覚で使っていたのだが、それを見てか突然周囲がざわついた。瞬く間に波の様に広がり、人から人へと、青葉の手元に浮かぶ3Dホログラムへ奇異の視線が向けられる。

「異端の魔術だ!」

 言葉を失っていた人々の誰かが声を荒げると、一斉にその場から逃げていく。考えてみれば当たり前だ。元いた世界ならともかく、こんな中世もいいところな世界でホログラムなど使っては。


「そこを動くな! 異端の魔術師め!」

「えっ」

 気が付けば西洋風の甲冑を着込んだ博物館で見た騎士そのものが数十人剣を抜いてじりじりと迫ってきていて。

「えーと……」

 何事にも代償はつきものなのだと、Iドロイドをポケットにしまって両手をあげながら頭を下げた。

「ごめんなさい」

一気に距離を詰められた騎士たちに縄で縛られながら、思わず苦笑いが出てくる。

「リトラっ!」

 リトライボタンくらい押させてくれよと要求しようにも、ここは異世界とはいえ命ある人の世界。ゲームでも映画でもないので、都合のいいリトライなんてない。青葉はそのまま馬車に乗せられて運ばれていく。まぁ、いいだろう。別の世界に来たのだから、たいしたことでは驚かない。ここにいる人たちにも一から順を追って話せばわかってくれるだろう。そんな思考に耽りながら、青葉を乗せた馬車は馬の鳴き声と共に走り出す。とりあえず、冷静でいよう。



前言撤回だと、運ばれてきた場所で冷や汗をダラダラと流しながら荒い呼吸をしていた。今まさにギロチン台にかけられる男たちと、無表情でその首を跳ねる処刑人たち。目の前には真っ黒で頑強な監獄があり、とどめの一撃とばかりに騎士が縄を解いた青葉を牢屋にぶち込んで、鉄格子に鍵をかけられて完成した。早く帰りたいという願い事が。




「話が違う……」

 一人、薄暗い牢屋の中、半泣きで膝を抱えて呟く。心細いし、ギロチンが怖いし、ジーパンもトランクスもびちゃびちゃだし。

 もっとこう、異世界転生とは夢のあるものではなかったのか? アニメや漫画より映画ばかり見ていたから知識は疎いが、流行り物や話題合わせである程度は知っているつもりだ。


 死んだ主人公が女神様とかそんな輩に選ばれて、特別な力と剣や魔法を手にして仲間と共に魔王と戦う旅に出る――だいたいそんな感じだろ? いや、確かにそうでないものも多いと映画サークルの面々やオタク寄りの友達から聞いてはいた。逆張りではないが、なんの力もなく、むしろ最弱くらいの主人公が出てくるものもあると。だがそういうのは、決まってなにかしら主人公にしかない能力やら設定があって、それが奇跡的にマッチングして強くなったり、実は強い能力持っていたりとかするのだろう? 少なくとも大学のアニメ研究会の奴らはそう説明してくれた。


「俺にあるのは、これだけか」

 騎士たちも怖かったのか、Iドロイドは取り上げられなかった。牢屋送りの元凶である3Dホログラムをもう一度出してみる。理由は一人でさびしいからだ。AIを利用したカウンセリングも実用段階にまで研究が進んでいたから、せめて寂しさを紛らわすために呼び出すと、牢屋のすみで物音がする。

 見やれば、ボロボロのローブを身に纏う背の低い……男か女かはっきりしない体型の輩が3Dホログラムを見て怯えている。というか、先客がいたのか。全く気が付かなかった。


「ま、魔術ですか……? 異端の化け物ですか……? お、お願いです、怖いことはしないでください……」

 震えながら発する声の主は、灰色の髪を肩まで伸ばして、非常に小柄かつ、声も声変わり前の中学生のようで、ますます男なのだか女なのだかわからない。とりあえず怯えているので3DホログラムをOFFにすると、どう説明したものかと迷った。寂しさを紛らわすなら、いくら発展していてもAIより人間がいい。それに、この世界についても知ることができる。


「今のは、あれだ。その、遠くの国で見つかったホログラムっていう妖精みたいなやつだ」

 この世界に国があって妖精がいるのかわからないが。とりあえず異世界っぽいことを理由にしたが、尚も怯えている。

「妖精って、人魚とか、そういう類ですか? 伝説上の生き物だと思っていましたけれど、いるんですね……見ちゃいましたから」

 よし、どうにか納得してくれた。とりあえずIドロイドをポケットに入れて横に座ると、その顔を覗き込む。相手はいきなり近づいてきた青葉に逃げる道もなく怯えている。

「大丈夫だ。俺は遠くの国から来たってだけで、別に罪を犯したわけじゃない。あんたも、その様子だと免罪か何かだろ?」

 免罪の意味を理解していないようだったが、罪は犯していないと自信がなさそうに俯いた。

「どうせ二人だ。腹を割って話そうぜ」

 そう言って肩を抱くと、塩と汗が交じった匂いの中にいい香りが混ざっていた。抱いた肩もなんというか、柔らかい。


「お前、男なのか? それとも女か?」

 気になっていたので直球で聞いてみると、相変わらず俯いているが女だと答えた。

「それで、あんたは――って名乗ってなかったな。俺は蒼海青葉だ。お前は?」

 その時、偶然にも薄暗い牢屋の中に日差しが差し込んで、薄汚れた目の前の、成人しているかどうか微妙な女の子を光が包むと、まるで灰かぶりのシンデレラのような顔つきで答えた。フィン・フィアーラと。

 とてもきれいだと、ぼんやりと眺めていたら、ハッとして聞いたことを頭に叩き込む。

「それにしても、名前は基本西洋とかと同じか……ああいや、それで、あんたはどうしてこんなところにいるんだ?」

 誤魔化すように聞いてみると、逃げられなかったと俯いてしまう。


「色々と事情があって、私も十四の時に遠くの国から海軍の船に男装して乗組員になったんです。見ての通り、女らしくない体ですから」

 近づいてみればボロボロのローブ越しでもわかる程に、胸も尻もぺったんこで、身長も低いからやろうと思えば男装も可能だろう。しかし、それがどうしてこうなった? それをそのまま問いかけると、男装がバレタと顔に影が差す。

「女が船にいるだけで不吉だって、船乗りの人たちの間では掟みたいになっているらしくて、長年騙していたのと、立派な海軍の船にいたので、ついこの前牢屋に入れられました」

 完璧な免罪ではなかったが、そんな話をパイレーツオブカリビアンで見た気がする。とはいえ、なぜ男装までして船に乗ったのかは聞きづらいので置いておくが、別に悪い人ではないようだ。


「それにしても、ここは辛気臭いところだよなぁ。異世界……じゃなくて、ここは俺の夢とは程遠いよ」

 つい口に出た異世界という言葉に首を傾げるフィンだが、忘れてくれとはぐらかす。知られては色々と面倒だ。

「そうだ! ここら辺の地理やら決まりごとに詳しくないから聞きたいんだけどよ、教えてくれるか?」

 フィンはまだ首を傾げていたが、ボソボソと話しだす。この港街は別の港にある本部から少し離れた海軍の拠点であると。そのせいか、安全が保障されているので住む人は貴族などの金持ちばかり。その他は奴隷くらいしかいないと。

 それから船の出港からなにまで緻密に管理されていて、船乗りには船乗りのルールが山の様にあるらしい。


「やっぱり、思ってたのと違うんだよなぁ……夢とは程遠い」

 片膝を付いて何度目かの深いため息を付くと、フィンが口を開きかけては、言葉を出そうとしてとどまっている。

「気になることあるんなら言えよ。どうせここには俺たちだけだ」

 そうですか、と自信がない声で呟くと、そのまま聞いてきた。夢とはなんですか? と。

「夢? なんでまた他人の夢が気になるんだ?」

 今度はこちらが首を傾げた。逆になった立場でフィンはオロオロとしながらも、繋がりたいと答えた。


「独りぼっちが、怖いんです……船の上には人がたくさん一緒にいますが、陸の上ではバラバラで、実のところ、陸にいるだけで怖いんです。まるで、この世界で独りぼっちみたいに寂しくて――恐ろしくてたまらないんです」

 だから、なんでもいいから共有して悪い気分をなくしたいらしい。人にはいろいろな考えがあるものだなと両手を組んで自分なりの考えを提示しようとした。

「夢は――そりゃ、金持ちになってなんの不自由もなく暮らせれば満足できるかもしれねぇが、やっぱりおれの夢は一つだ」

 なんだろうと気になったのか、気持ち少しだけ前屈みになったフィンを見下ろすと、どこか遠い海の上を思い浮かべた。

「俺の夢は、自由に生きることだ。まぁ、風の向くまま気の向くままとはいかねぇでも、レールのない――選択肢に溢れた生き方。自由故の代償はあるんだろが、それを踏まえても、せめてつま先の向く方へ歩いていく生き方。それだけだな」


 クサい台詞が長くなってしまったと照れくさくて頬を掻いていたら、フィンがいつの間にか顔をあげていた。日の光も当たってようやく正面から見えた顔は、やはり灰かぶりのシンデレラのようだ。その灰があるからこそ男装ができるのだろうが、思わず見とれてしまった。

「同じ、です」

「えっ、なに?」

「同じなんです」

 真正面から青葉を見据えて、その海のような青い瞳のフィンは頷いてまた同じだと繰り返す。夢が同じだと。

「私は、生まれてからずっと、大人の言いなりで過ごしてきました。独りぼっちが怖くて、自由なんてなくて、選択肢なんてなくて、とにかく息苦しくて……だから海に逃げたんです。きっと、そこに自由や仲間があるって願いながら……でも、待っていたのは子供を物の様に扱う大人たちだけでした。だから、あなたの――青葉さんの言葉を聞いて、同じだなって、はじめて共感できたんです」

 そこまで言うと、恥ずかしくなったのか、長いこと話していたのに気が付かなかったのか、顔を赤くしてまた俯いてしまった。

しかし、いるものだな。こんなところに同じ夢を持つ異世界人が。


「まぁしばらくはここで二人きりなわけだから、色々と話そうぜ。フィンの話とか、俺の話とかをさ。あと、呼ぶときは『さん』をつけなくていいからな。歳も近いだろうし」

 またしてもそうですかと口にするフィンは、不器用な言い方で青葉と呼んでくれた。なんだろうか、この、前の世界にいた女どもとは違う潔白さは。

 仲良くなれるかも、なんて笑っていると、鉄格子の外から声がする。面白い話だと。

「こっちだ、こっちを向け」

 これまた薄暗くて気が付かなかったが、狭い廊下を挟んで向かいに青葉よりも大きな男がこちらを見ていた。

「夢を語る若者に横やりをさそうかと迷っていたが、職業柄お前がさっき言っていたホログラムだとか、妖精だとか、そういうものはこの世界にいないと断言できる。だが、お前が口走った異世界とやらにならいるんだろ?」


 低く、殺し屋の様な声の主は青葉の嘘を見抜くと、異世界とはどんなところだと問い詰めてくる。鉄格子越しでも伝わってくる覇気のような威圧感に押されて、青葉はフィンに謝ってから本当のことを話した。科学技術が発展した、この世界では何世紀も後に作られる様々な技術や道具について。Iドロイドの機能まで。

 向かいの男もフィンも沈黙を保っていたが、実際ここにIドロイドがあるので信じるようだ。おまけにライトやら写真やらを見せてやると、向かいの男はクックと笑い出す。

「まるで、その世界自体が宝島だな――俺にも、そんな宝島はあったんだがな」

 意味深な言葉に黙っていると、向かいの男は三人だけの秘密だと提案した。宝の地図はなくても、宝があるということを知っているのは少ない人数の方がいいと。しかし、向かいの男は宝島や宝にやけに興味を持っている。だから船乗り、もしくは海賊なのかと聞いてみると、その通りだと鼻で笑った。


「こんな様じゃ、ただの航海士にもなれないがな。それに、時間もあまりない」

 どういう意味だ? フィンと顔を合わせてみるがわからないようだ。

「気にしなくても、そろそろ来るだろうよ。自分勝手な死神たちが」

 それだけ口にして、向かいの男は横になって寝始めた。追求しようにも、もういびきをかいている。いったいなんのことなのか。わからないが、悪い方へはこれ以上進まないだろう。そう心に決めて、フィンにこの世界について改めて質問した。フィンも異世界に興味があるのか、Iドロイドを使ったりして驚いている。釈放されたら、どうせだからついていこうかな、なんて考えながらの時間はあっという間に流れていった。


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