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二つ目のアルカディア

 ここは、どこだ? なにもない闇、それが意識の及ぶすべてに広がっている。手足は氷のように冷たく、吐く息は冬のそれより寒い風となる。聞こえてくるのは、沢山のうめき声だ。

「この、出来損ないの海賊が」

「てめぇ……」

 下を見れば、スカルロッソが、闇の中を落ちていく。その下には無数の亡者たちが手を伸ばして、真っ赤な水の中で蠢いているのが見えた。ああ、そうか、あっちは地獄なのか。だから、スカルロッソは青葉の足を掴んでいる。ゆっくりと登っていく青葉についていくのか、それとも落そうとしているのか。


「ここならエルビスの野郎も鉄人形も来れないだろ? 登るにしろ落ちるにしろ、俺たちは一心同体って奴だな、ははは、はははは!」

「まさに狂った野郎の笑い方だな。仕方ねえ、ここで決着をつけてやるよ……もう死んでるのなら、船長も怒らないだろうからな!」

 足にしがみつくスカルロッソをもう片方の足で蹴る。何度も、何度も容赦なく蹴りつづける。その真っ赤な爛れた顔がぐちゃぐちゃになるまで、一片の迷いなどみせずに、お前だけ落ちろと蹴りつづけた。それでも、痛みなど感じないのか、頑なに手を離そうとしない。更に、下に見えていた亡者たちがいつの間にか青葉の足元にまで登ってきて、その足を掴んでいく。


「離せ! この! 俺は蜘蛛の糸じゃねぇぞ!」

 そんなこと、知ったことではない。痩せ細った亡者たちは、青葉の足から体を伝い、腰から胸までも登ってきた。スカルロッソも、その一人だ。

 落ちるのか? このまま地獄へ。亡者たちにひかれながら、いつかは登れなくなるのか? そもそも、登っていった先は、どこだ?

「天国、か?」

 僅かな光が見上げれば差し込んでいて、その先には笑い声や鳥の鳴き声がする。でも、途方もない冷たさが感じられた。暖かいはずの光が冷たいのは、なぜか。簡単だ、天国も死んだ命しかないからだ。心臓が脈動しなければ、体は冷たくなる。それがこんなにも――恐ろしいとは。


「嫌だ……死にたくない、死にたくない、死にたくない!」

 上と下、どっちに行っても冷たく寒い世界。命ある者はいなく、偽りの生が与えられる。嫌だ、絶対に嫌だ。それでも、ここにいるということは、どちらかへ行くということなのか? 決まってしまっていることなのか?

「こんな、こんなエンディングなんて嫌だ! 俺は生きていたいんだ!」

 そして、もう危険な真似はしない。死ぬというとこがこれほど恐ろしいのならば、一分一秒でも長く生きてやる。だから、だから!


 ――ララ、ララララ……


 目を閉じて頭を抱えていた青葉の耳に、懐かしいメロディーが聴こえてくる。それはとても暖かく、冷たかった体中を包み込んでくれた。


  ――ラララ、ララ……


 ああそうだ、この歌を忘れはしない。青葉が愛する人の、愛おしい唄だ。


「心臓が、動いている……体に、血がめぐっていく」

 亡者たちはその暖かさで火傷でもしたのか、手のひらを真っ赤にして落ちていく。スカルロッソも悲鳴を上げて、亡者たちと落ちていった。

 青葉の体だけは、上にも下にもいかず、漂っていた。

 今、できることはなんだろうか。望むことはなんだろうか――決まっている。フィンの唄がする世界へ戻ることだ。でも、手足をばたつかせても、ただ宇宙の闇に漂うように、青葉の周りは真っ暗だ。

「あれは……」

 しかし、暗黒の世界に一本の手が闇を裂いて差し出された。青葉を探すように虚空を掴む腕は、細くて白い、フィンのものだと不思議と分かった。あの手に引かれていけば、戻れるのだろうか。叫んでも聞こえていない様子だ。こんな非科学的な世界で、通じる手段はなんだ。青葉は生死の境目で黙考すると、たった一つの答えにたどり着く。

「想い、か」

 歌に乗せてやってきた、暖かな想いが青葉を救った。なら、今度はこっちから教えよう。

「ラララ、ララ――」

 音痴なのは百も承知だ。それでも、青葉は歌った。俺はここにいるぞと、命ある世界に届くよう、想いを乗せて。

だんだんと、闇の世界にひびが入り始めた。その先から、沢山の声が聞こえてくる。優しく、愛おしく、暖かく、それでいて乱暴で、粗暴で、むさくるしい。漂ってきた塩の香りを嗅げば、暗闇が鏡の様にバラバラに崩れていった。差し出された手は、もう目の前だ。掴めば、また戻れるだろうか。愛する人たちの待つ第二の故郷へ。

「フィン、この手を引いてくれ」

 光に向かって伸ばした腕は、届かずにしばらく虚空を掴みながらも、やがて優しい手のひらが重なった。

「掴んでくれたんだな、フィン……今いくよ、君の元へ」

青葉は、人の心の光に包まれて、闇は消えた。代わりに眩しく暖かな光が青葉を迎え入れた。


「おかえり、青葉」


「ただいま、フィン」


 そんなやりとりをすると、青葉の意識は光の中に消えた。



 甲板の上で、目が覚めた。その手にはフィンの手のひらがあり、ずっと一緒にいてくれたのだと深いため息が出た。

「いった、いつつ……」

 もう片方の手で右胸を押さえると、海賊の衣装に穴が開いており、その下は縫われているが血でぐちゃぐちゃとしていた。これだけの医療措置を、この世界の住民は知らない。知っているのは、命令コードQを言い渡されたアンドロイドたちだけだ。命令コードQは、救命救急から語呂がいいのでそう呼ばれるようになったモードだ。命令コードを受けたアンドロイドたちは、I型もF型も手を組んで、この世界、というよりは二隻の船の中から使えるであろう医療器具を探し出して、登録者である青葉を救うために尽力してくれたのだろう。消毒液の代わりに酒が使われたようで匂うが、一命は取り留めた。そこへ、エルビスが倒れている青葉へと屈んで見据える。黄金の瞳は、見下すでもなく、青葉を同等の立ち位置で見ていた。


「どうやったのかはわからないが、よくぞエルドラード号を取り戻してくれた――俺たちの命さえも、救ってくれた」

 だから、船長として礼を述べるの同時に、何か欲しいものはないかとエルビスは問う。金銀財宝は様々な港に隠してあるし、命を救われたのだから、どうしても借りを返したいとエルビスは真剣だ。

「……少し、フィンと話してからでいいですか」

 なぜフィンと話す必要があるとエルビスは言うが、大事な話だと伝えれば、通じたようだ。青葉が心に秘めている想いを。

「船員の半分はスカルブルム号を動かして、奴隷たちを港まで運んでやれ。忘れずに溜めてある宝も持って来い。終わり次第、シーウィースの港で合流だ」

 なら、船長が必要ね。ゲッソリと痩せたが、その目に光を失っていないエムロードが名乗り出て、エルビスは任せたとだけ言うと、借りがまた大きくなたとエムロードは隣に碇を下ろしていたスカルブルム号へと乗り移る。どうやらブルーパレス号は沈んだようだ。

「船長と、エムロードさんって、いったいなにがあったんです?」

 フィンの肩を借りて立ち上がった青葉は前々から疑問に思っていたことを聞くも、男と女には隠し通さなければならない約束があると跳ね除けられた。とっとと話し合ってこいと、背中も押されて。

「砲甲板には誰も立ち入るな。命の恩人、蒼海青葉への、宝ですらかえられない恩返しだ」

 そうして、フィンと二人で降りていく。静かな覚悟を胸に。



 どれだけ寝ていたのか。それを聞けば、丸一日とフィンは言う。その間に負傷者の手当てなどが行われていたようだが、一番の理由は青葉の生死だった。

「みんな、青葉のことを褒めているよ。やっぱり、青葉はすごいね」

 奴隷たちですら、解放してくれたからと、エルドラード号に来ては、両手を合わせて祈っていたらしい。エルビスまでもだ。

「そうか……さて、なにから話したものかな」

 誰もいない砲甲板で、胸の痛みを押さえながら一息つくと、心配そうなフィンへと意地悪な笑みを浮かべた。


「今の俺、実は幽霊かもな」

 一瞬顔を真っ青にしたフィンだが、冗談だと笑えば、ムッと口を閉じてしまった。

「すまん、まだ生きているって自覚がなくてな。それにしても、新品だけあって綺麗だな」

 そうだね、フィンはそっぽを向きながらもそれだけ言って、青葉へと向き直った。

「それで、話があるって、言ってたけど」

「そのことか、ああその、すまんちょっと待ってくれ」

 恥ずかしいなんてものではないし、断られれば自殺するかもしれない。真っ赤になった顔と動悸の早い心臓が胸の傷を痛めても、なかなか言葉にできずにいた。

「まずは、そうだな……俺、海賊をやめようとおもう」

 えっ? と、フィンは突然のことに驚いている。あれだけ海賊に憧れていた青葉がそんなことを口にすれば当たり前だ。だが、青葉には死の恐怖が根付いており、もう戻りたくない。戻るのならせめて、人生を満喫してからだ。愛する人と一緒に。

「っ! ……ええい、男は度胸だ! だから言うぞ!」

 フィンの両肩に手を置いて、その青い瞳を見つめる。真剣に逃げださないように覚悟を決めてから、青葉は口を開いた。

「俺と、俺とこの先の人生を――」



「よーほー、よーほー、風向きは、どっちだ。よーほー、よーほー、宝はどこだ」

 レッドスカル海賊団との戦いから三日ほど、ボクは、エルドラード号のメーンマストの上で出番を待っていた。奇跡を起こした、異世界から来た科学という名の魔法を使う青葉のために。


「よーほー、よーほー、船長は、誰だ。よーほー、よーほー、一等航海士は、どこだ」

 準備が整うまで、ボクは珍しく羨ましいと思っていた。女として生まれて、女としての生き方を捨てたボクと同じようなフィンに対して。憎いだとかじゃなく、単純に羨ましいだけだ。


「ん? どうやら準備は整ったようだ」

 青葉が頭を下げてエルビスに頼んだお礼。それは、海賊という船乗りだからできる、特別な催し物だ。

「お、出てきて出てきた」

 砲甲板から、この前立ち寄った港街で買ったウエディングドレスを着ているフィンと、船乗りとしての服装ではなく、礼拝用の黒装束の青葉が手を繋いで出てきた。歓声が上がりながら、ボクも籠いっぱいの金貨をばら撒いた。黄金の嵐が船長として二人の結婚式を行なうのだ。その名の通りに甲板には金貨が嵐の様に舞い落ちる。

「よかったね、フィン」

 女の最高の幸せを手にしたフィンへ、マストの上から心からの賞賛を送る。我慢できずに飛び降りたくなるけれど、今は黄金の嵐を降らせ続けよう。けれど、ここから見える幸せそうな二人の笑顔に、ボクらしくないけれど、涙腺が緩んできた。

「本当に、幸せそうだね」

 いつかは自分も、だなんて思い描いては、柄じゃないと笑えてきた。その点、フィンは幸が薄くて、今フィンを覆う幸せが際立っている。

「本当に、おめでとう」




 砲甲板から甲板へ、フィンの手を取って登っていく。青葉の願いは、フィンの願いでもあったから、簡単に決まった。船の上での、結婚式が。

 静かに青葉と暮らして家族になりたいフィンと、日本育ちで死を甘く見ていた青葉の願いは、偶然にも一致した。結婚して陸に上がり、二人で生きていく。いつか子供ができて、家族になる。


「二十二で結婚か」

「気になることでもあるの?」

 真っ白なウエディングドレスのフィンは、この世界出身だから二十二での結婚に違和感はないが、青葉にとっては大いにある。晩婚化が進んでいた日本では、早くても三十歳からだ。それが、この歳でとは、笑えてくる。いや、もう既に笑顔か。こんなにも幸せなのだから。

 二人は金貨の降り注ぐヴァージンロードを歩くと、いつも通りのエルビスが待っている。聖書なんてなく、ただそこにいた。

「蒼海青葉、フィン・フィアーラ。お前たちはこの船の一員として誠実に働き、女神と魔法使いとして、この船を助けてきた。もっとも、この船は別物らしいがな」

 話がそれたなとエルビスは喉を整えると、金貨の降り注ぐ快晴の空の下で両手を広げた。

「今日ここに、二人の幸せが始まる! 苦楽を共にし、幸せに生きることを誓うか?」

 誓います。二人は揃って口にすると、エルビスは続けた。

「青葉はフィンを守り、フィンは家を守る。しかし、事前に話しておいたが、海賊として、お前たち二人には懸賞金がかかっている。だから、お前たちを海賊から一市民へと変えるための手筈は整っている。心配するな」

 あとは言うまでもないとエルビスが閉めれば、青葉とフィンは互いを見つめ合った。その顔はどちらからでもなく近づいていくと、柔らかい唇が重なった。同時に、歓声が上がる。

「おめでとう、フィン」


 黄金の嵐を降らせながら、ニオがマストの上から、フィンへと花束を投げ渡した。似たような境遇同士、思うところもあるのだろう。フィンが何かを話そうとすれば、問題ないと止められる。

「ボクは海賊をやっているほうが肌に合うからね。でもいつかは、結婚して君たちの元へ自慢しに行くかも」

 なんてね、ニオは笑うと、もう一度おめでとうと伝えて、結婚式の大騒ぎは夜の宴会までつづき、翌日目が覚めれば船は中程度の港街に停泊していた。

 家屋は四十ほどだろうか。あらかた生活に困りそうなものは調達できるだろう。そんな港街ルーフェスヘ、エルビスは戻ってきたぞと呟いた。

「ここは俺の生まれ育った、平和で退屈だと思っていた港街だ。だが、ここを出てわかったよ。本当の宝島――アルカディアはここだったのだと。海賊になって、何人も殺して、引き戻せなくなって、ようやく思い知った。エルドラード号が俺にとっての宝島なら、ここは二つ目の宝島だ」


 だから殺すなと命令した。エルビスは言いながら感傷に浸りすぎたなと、とあるものを運ぶように船員に告げて、ついてこいと青葉とフィンに促す。もう命令ではなく、一人の男として、人生の先輩として、二人のために用意したものへと連れて行ってくれた。


「墓場、ですか」

 予想外の場所にどうしてかと首を傾げれば、運ばれてきた青葉とフィンの『墓石』を、二つ分開いている墓場を掘って並べた。

「懸賞金がついた者が海賊を辞めるのなら、死ぬしかない。だから、ここで死んだという事にしよう。他の港街でも、二人は死んだと騒がせておく」

 あと寄るところは一つだけだと、エルビスについていけば、一階建ての一軒家が港街の外れに鎮座している。もう何年も使われていないように見えるが、扉の先も綺麗だった。

「かつての、俺の家だ。この港街の連中を金で買って、維持させていた。それを、お前たちにくれてやる」


 いいのですか、なんて聞くのは野暮だ。青葉もフィンも頭を下げると、最後の仕事に取りかった。

 まともに動けるアンドロイドはT型とF型を合わせて九体だ。その中からI-300をフィンの傍らにやると、残りのアンドロイドたちの登録者をエルビスに設定する。

「動かなくなったら、海にでも捨ててください」

「お前の世界のすごさは知っているつもりだ。そうそう壊れはしないだろう」

 青葉とエルビスは視線を合わせると、どちらからでもなく振り返った。片方は新しい家と愛する人へ、もう片方は新たなエルドラード号へ。

「ねぇ、青葉」

 扉を開けて掃除のいきとどいている内装を見れば、フィンは満面の笑みで青葉へと抱き着いた。

「大好き」

 人生とは、その一言だけで解決する。青葉も抱きしめ返すと、愛していると囁いた。

 これは、海賊に憧れた大人になりきれない青年が、二つ目の理想郷で生きることの大切さを知るための、それだけの物語だった。



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