宝島
生きている、それだけは実感できた。手足も動き、命の脈動を感じる。ボンヤリとした意識で目を開けば、寄せては返す波に体を半分浸かりながら、砂浜にうちあげられていた。まさに、この世界にたどり着いた時のような感覚で、意識がハッキリしてくると、頬に痛みが走って起き上がる。
「フィン……?」
やわらかかった手の感触から愛する人の名を呼べば、とっとと目を覚ませと乱暴に蹴られた。フィンならば、こんなことはしない。というより、頬の痛みの原因であるビンタすらしないだろう。
「あんたもあたしも、しぶといものね」
「……お前かよ」
太陽の後光と手の感触でフィンと間違えた相手は、異世界転生仲間の鳴瀬瑞樹だった。
「起きてもらわないと困るの。Iドロイドはロックがかかってるし」
と、いつのまにやら青葉のIドロイドが瑞樹の手にある。
「この世界の住民ならともかく、日本人ならプライバシーを守れよ」
「そういう面倒な気遣いとか、あたし嫌いだから。それで、これがフィンとかいう子? 船で見たより可愛いじゃない」
Iドロイドを渡しながらロック画面に映し出された、いつだったかに船の上、インカメで取った青葉と笑顔のフィンが映っている。
「さっきも見たけど、ずいぶんとスレンダーな子ね」
「それ、本人も気にしてるから言うなよ」
「あらそう、でも、その機会はもうないかもね」
なんだと、とやっと辺りを見回せば、見たこともない島に二人だけしかいなかった。
「また異世界転生してないよな?」
そんなことになれば、フィンに二度と会えなくなる。だから、3Dホログラムを展開してA1からD5までの視覚データを映しだしたら、横たわっているが映像が回ってくる。死んでいないでくれよと神なんて信じていないが祈りながらいくつか映った映像を見ると、思わず舌打ちをしてしまう。
「人質、というより、この場合は捕虜かなにかか?」
映像はエルドラード号ではなく、おそらく敵船の甲板を映し出しており、メーンマストにエルビスが縄で縛られている。よく見ればフィンとエムロードを含む船員たちも拘束されている。
「おやおや、この光は、どうやら見ているようだな」
突然、A4の視界に顔の皮が赤く爛れた男が覗き込んできた。瑞樹はクソ野郎と罵っており、誰かと問えば、レッドスカル海賊団船長のマルコ・シェパードだが、名を捨ててスカルロッソと名乗っているらしい。
「赤い髑髏にふさわしい名前だが、アンドロイドの機能を知っているのか?」
今もこちらを覗き込んでは狂ったような顔つきで笑っているスカルロッソに、瑞樹はカードキーのあった島で登録者となった際に全てを説明しろとピストルを何十丁も向けられて洗いざらい話したそうだ。
「情報面でも追いつかれているのか……クソ!」
悪態をついても現状は変わらない。せめてもの意思表示としてA4の発音機にリンクすると、台詞に憎しみを込めた。
「I Will Be Back」
瑞樹もスカルロッソも何の台詞なのか知らないようだが、古い映画だから仕方がない。とにかくそれを最後にA4の両目が黒いインクで塗られて見えなくなる。
「さて、決め台詞を言えたが、どうしたものかね」
ここはどこだかわからない島。偶然二人が流れ着いた、たぶん無人島。酒の密輸業者が密輸品を隠しているとかなんてないので、絶望的に何もできない。瑞樹に関しては元がギャルなのか、深く考えてもいない。
そんなどうしようもないと思われた砂浜で、いい加減飽きてきた突然の出来事が起こる。今回は、鳴るはずのないIドロイドの着信音が発したのだ。青葉は奇妙に端末を眺めると、すぐ答えにたどり着く。相手は瑞樹ではない、もう一人の日本人だと。早速タップすると、瑞樹にも聞こえるようにスピーカーをONにした。
「もしもし誰かさん――いや、たしかなんとか恭介。あんたで間違いはないか」
しばし沈黙が流れると、頭がいい若者だと老人の声がする。
「もう廃れてしまったラジオという音楽機器の周波数を合わせるように何度もこの世界に来て通話を試みたが、奇跡的なタイミングで繋がってくれたようだ」
「前置きはいい。アンタは何者で、なにが目的だ?」
「それには、私の前へ来てもらう必要がある」
「生憎と無人島で知らない女とランデブーでね。そっちから来てくれないか」
「その心配はない。言ったろう? 奇跡的なタイミングだと」
青葉はしばし黙考すると、納得のいく答えにたどり着く。
「なるほど、ここがあんたの指定した島ってわけだ」
察しが早くて助かる。恭介は咳き込みながらも、青葉と瑞樹が島のどこにいるのかを言い当てた。空を見やれば軍事用のマシンガンを搭載した武装ドローンが二人をレンズに映している。恭介はそのドローンが行く方向へと進むようにと電話口で話している。
「疑問は全て解ける。ここにいる猛獣たちもドローンが守る。安心して来い」
そうして森の中へとドローンは飛んでいき、二人で追いかけていく。疑問が解けるのならば答えてもらおうじゃないかと、青葉の心中では異世界転生という漫画やアニメの世界での出来事について知ることができると、ドローンの進む森の中をかき分けていった。
森の中、生い茂る木々や草木を垂直に押しつぶしたように、一軒の建物が佇んでいる。コンクリート製の四角い建物の正面には二つカードリーダーがあり、瑞樹と合わせてカードを通すと、扉のロックが解除されて、一軒家と三階建てのマンションの間くらいの建物へと入る。ここまで来たら、なにが待っていようと受け入れてやろう。
だが、案外驚くほどの出来事は待っていなかった。
「ようやく来たね。蒼海青葉と、鳴瀬瑞樹」
そこら中にケーブルが伝い、ランプが点灯し、いくつもの3Dホログラムが映し出されている。懐かしきLEDの光も注がれていて、培養液やアンドロイドのパーツが錯乱している。中には動いているアンドロイドもおり、二人の前で頭を下げるとコーヒーと紅茶、どちらが好みかと選ぶ事になった。
「長い話になる。それと、懐かしい味だろう。遠慮せずに飲んでくれ。なに、茶葉も豆も裏で栽培しているから心配には及ばないよ」
釈然としないがコーヒーと答えると、瑞樹もコーヒーだった。他のアンドロイドが椅子と机を用意して座る頃にはカップに注がれた懐かしい香りが鼻孔をくすぐり、差し出された角砂糖を二つ入れると、一口飲んで恭介を見やった。
「ブルーマウンテンとはリッチなことだが、味を楽しんでいる時間はなくてね」
「なにを、そう急ぐ?」
「仲間たちが凶悪な海賊に捕まったんだよ。一刻も早く助けにいかなきゃならん」
「そのことか。そう焦らずとも、時間ならある」
恭介はリモコンを手にして壁に設置されたモニターの電源をつけると、スカルロッソを含むレッドスカル海賊団の姿が映る。
「事情があって、この世界のありとあらゆるところにアンドロイドを待機させておいた。あの船長にも気づかれないように、最も人間に近いI-300型――私が世に送り出そうとしていた最新モデルが一等航海士として信頼を集めている。時間なら稼げるよ」
「世に、送り出そうとした? この建物といい、機材といい、アンタはいったい何者だ」
前のめりに追求すれば、科学者だと答えた。それも天才だと。
「私の名前は伊集院恭介。恭介とはどうも歳をとると似合わなくなる名前でね、呼ぶときは伊集院か、ドクとでも呼んでくれ。私の大好きな映画の登場人物だ」
「バックトゥザフューチャーか? 確かに名作だし、あんたくらいの歳なら世代かもな」
ほう、知っているのか。伊集院は目に見えて喜ぶと、七十五年前に産まれてから始めて見た映画だと口にしている。
「さて、名乗ったわけだが……私の名前に心当たりはないか?」
瑞樹は話についていけずにちんぷんかんぷんだったが、青葉の頭にはちょっとした夢を与えてくれた科学者として記憶されていた。もし、それが的中していたとすれば、異世界転生の謎が解けるほどに。
「伊集院グループの会長、伊集院恭介。多元世界説を唱えた天才科学者。そうだろ?」
まさにその通り。伊集院は手をたたいて喜んでいた。しかし、すぐに悪いことをしてしまったと項垂れた。
「私がアンドロイドとIドロイドに搭載されるAIを作る片手間で見つけた、この中世のような世界。知ってからは、それはもう憑りつかれたようにこの世界について調べ、論文として提出した。しかし、世界はまだ異世界を知るのには早すぎて、私の研究は馬鹿にされたよ。そんな世界あるわけないとね。だから、一人でこの研究室に籠って研究を重ね、ついにこの世界へと行き来ができるようになった。ためしに超合金で作った帆船をこの世界に転移させることにも成功し、何年もかけて準備は万全だった。向こうにある台座の上に立てば、人を異世界に送れるよ」
エルドラード号はやはり元の世界から来ていたのだとわかったところで、ここからが私の罪だと前置きして、伊集院は懺悔を始める。本当に申し訳ないことをしたと伝わるように。
「私一人が異世界に行ってもどうにもならないからね、冬の海に面した私の、今ここにある研究室ごと異世界へと飛ばそうとした。だが、過剰なエネルギーは暴走を始め、コントロールが利かなくなり、微細な異世界へと転移させる電流が海を伝って流れていった。それは、その時海にいた人物を巻き込んで異世界へと転移するという事態になり、私の実験は失敗だと嘆いた」
なんとなく覚えている、冬の海に沈んでから聞こえた誰かの声。あれは伊集院のものだった。しかし、ならばどうして、先に海図をばら撒いたり、宝を用意できたのか。
「時間だろう? 答えるよ。簡単なことで、人一人と研究室一つでは時間に差が生じてしまったのだよ。結果として私は君達より十年早くこの世界に来てしまった。だが君たちが来るのを知っていた為、アンドロイドを使い金貨を集めて、来たるべき君たちの為に準備を進めた。それが実り、今、こうして私たちは出会っている」
「つまり、えーと、あたしは彼氏に付き合って冬の釣りについていったときに海に落ちたから、この世界に来たってこと?」
それくらい話を聞けば分かるだろうと瑞樹を見やる。そういえば、クルーザーが出港するときに、寒い中釣りに来ているカップルがいたなとも思いだした。
「すべては私の責任だ。それを償うために君たちが来るのを待っていたが……遅かったな」
なに? とドクは困った顔をしている。
「元の世界に戻る転移装置のエネルギーは二人分しかない。向こうに戻っても、もう一度こちらに来たら戻ることもできなくなる。当然この研究室もアンドロイドたちも戻れない――私もな」
すべては自分の責任だと、伊集院は心に決めているようだった。自分がこの世界に残ると。
「君たちは若い。人間百年時代と呼ばれて長く経ったが、私の体はこの世界での暮らしで疲弊している。そんな死にぞこないのことは忘れて、君達だけでも元の世界に戻るんだ」
瑞樹は、喜んでいる。やっとシャワーが浴びられると、子供の様に。しかし、青葉は首を振った。
「フィンが、船長が、みんなが捕まっているんです。見捨ててはいけません」
「それならば、動けるアンドロイドを総動員して助けに行かせよう」
「それはいい策だし、俺は人を殺せないから大歓迎だ。だが、俺はこのレールがない世界が好きだ――大切な人もいる。尊敬する人もいる。まだ見ぬ世界が広がっている。だから伊集院博士、俺はもう、戻らない。元の世界とは断ち切れたよ」
そんな大見得を切ったが、策もないし、なにより船がない。だとしても、青葉が何とかしなくてはならない。この世界の海で見つけた大切な物を守るため、スカルロッソ率いるレッドスカル海賊団と戦う。
「ああ、いいね、その目は」
唐突に、伊集院は懐かしむような口調で青葉を見つめた。
「夢を見て、夢を追いかける若者の目だ。レール社会などと呼ばれ、若者から活力がなくなっていた世界出身とは思えないほどにね。けれど、せめてもの償いをしたい。そこで策があるのだが、聞いてくれるかな」
天才科学者の思いついた策とはなんだと耳を貸せば、流石だと称賛できる。
「早速はじめよう」
「では、私たちは元の世界に戻らせてもらうよ。そこのコンソールの使い方を教えるから、覚えたらその通りに入力してくれ」
「短い付き合いだったけど、女の為に戦うっていうのは格好いいんじゃない?」
それは違う。フィンも大事だが、青葉が本当に大事にしている物は別にある。
「つま先の進む方へと自由に生きていく世界そのものが好きだから、戦うんだ」
そういうのも嫌いじゃない。出会い方が違えば友達になれていたかもしれない瑞樹との会話を終えると、コンソールでの入力を頭に叩きこむ。時間はそうないのだから。
「おまけ、と言ってしまえばちんけに思えるかもしれないが、この研究室とアンドロイドとパーツ、それから太陽光発電と地熱を利用したIドロイドより精度の増したコンソールを含む機材一式と裏の茶葉畑とコーヒー豆は君のものだ」
さて、戻るとしよう。二人が台座に立つと、教えられたとおりにスーパーコンピューターすらしのぐコンソールに入力する。
「最後に一つ、その機材の説明書も本棚にあるから、使う時は読んでくれ」
そんな事態にならないよう祈ると、準備は完了した。あとはコードを入力するだけだ。
「コード名『デロリアン』ね。もっと長く映画について語らいたかったが、それも永遠にかなわぬ夢になるか」
それでもいい。その分の宝はある。青葉は入力すると、青白い光が二人を包んで、一瞬の間に忽然と姿が消えた。
「それじゃ、行きますか」
青葉は数名の壊れていないアンドロイドをつれて研究室を出る。みんなを助けるために。




