愚かな選択
大繁盛だ、また来てくれ。そんな言葉を殺し屋の様な店主が不器用に笑うと、店を閉める時間だと、酔いつぶれている海賊たちに冷や水をぶっかけて起こしている。フィンも歌い疲れたのか寝ていたが、店主は女神の眠りを妨げたら罰があたると、青葉に任せられた。
なんだかあっという間で、不思議な感覚だ。思い描いていた海賊の酒場とは違うが、フィンの歌声に全員が同調したのは気分がいい。
「いい歌の後は、綺麗な月か」
まん丸の月が夜を照らしている。この世界でも太陽の反照なのだろうか。まあ、そんな細かいことはいい。悪い気分ではないのだから。
「ちょいと、そこの王子様よ、待ってくれ」
誰が王子だと見やれば、しわの目立つ初老の男性がランタンの灯りも消えそうな頃合に、さっきは助かったと眠っているフィンに語りかけた。
「見ての通り老いぼれでね。まだ鍛え直せば海に出られるかもしれないが、そんな気概もさっきの酒場でなくしてしまったよ」
「あー、その、話が見えないんだが」
「そうですよね、こんな老いぼれの話なんてそんなもんです。とにかく私は恥ずかしい話、稼ぐ手段が酒場での賭けくらいしかなくてね。今日は連勝だったんだが、それに怒った若造に殴りかけられていたのだよ。そこに、その子の歌声が聴こえてきて、拳は止まった。私も久しぶりに海を思い出せた。だから、お礼がしたくてね。どうかこれを受け取ってくれ」
初老の男性が懐から取り出したのは、四つ折りになった羊皮紙だった。
「それと、もう一つ違うが似た海図を示した物も見つけたんだけどね。一つは君と同じくらいの綺麗な女の子にあげたよ。その文字が読めるらしいからね。どうにもそれには、まだ誰も行ったことのない宝島への航路が記されているとか言っていたかな。その子は、赤い髑髏の船に乗ってこの一か月ほど前に港を出たよ。この一枚も、私には船がないし、その文字も読めない。こんなものだが、せめてもの恩返しとして受け取ってくれ」
そう渡してきた羊皮紙をいったん懐に仕舞うが、気にはならなかった。
「好き」酔った勢いで口に出たのであろう言葉は、男装を捨てて薄汚れもない、灰かぶりではないシンデレラの様な顔でそう言った。正直、心がフィンに傾いている。前々から誤魔化していた感情が、あの一言で胸の奥からあふれ出て、どうしたらいいのかわからない。
とにかく、寝ているフィンにはバンダナを被せてエルドラード号へ急いだ。
翌日、ニオが集めていた新しい船員と怪我人がある程度治ってきたので、今日中に出港するとエルビスが命令し、必要な物は買いそろえておけとのお達しが来たので、エルドラード号には青葉とフィン、それからエルビスが残っていた。フィンは昨日のことをおぼえていない様子でキョトンとしていたが、陸が怖いところではなかったと思えるようになったとはにかんでいた。
「あ、昨日といえば」
初老の男性が渡してきた一枚の航路が描かれた羊皮紙をポケットから取り出す。大したものではないだろうと開いてみると、目を疑った。頬を叩いて夢じゃないと確認すると、予測不能なことは、いつも当然のようにやってくるのだと思い知らされる。
「日本語、だと?」
この世界に来て、どういうわけか形も違う見たことのない文字を読むことができた。しかし、ここに書かれているのは紛れもない日本語だ。よく見れば、海図の上には懐かしい文字が並んでいる。
『これを読み解いた者は船で指定された島へ向かえ。そこには金銀財宝があり、それを資金として、次の宝島を示す海図が置いてあるからそこへ向かえ』
にわかには信じられないが、一旦冷静になると見えてきた。この海図の意味が。
「異世界転生した別の誰かがいる。それも二人だ」
昨日聞いた赤い髑髏の船に乗る女と、この海図を書いた者。でなければ、異世界で日本語などあるはずがない。この世界の文字は英語でもロシア語でもなく、全く知らないものなのだから。
「船長!」
罠かもしれない、なにもないかもしれない。いや、それはきっとない。ここに記されている緯度と経度を計算して読み取るには、日本の高校は出ていないと無理だからだ。
「ノックくらいしろ」
ひとまず謝ってから、興奮で荒い息をしながら地図を見せて事情を説明すると、訝しがるのではなく、不敵な笑みを浮かべた。
「ここまでついてきたお前ならわかるだろうが、俺は一方的な略奪はしない。最近は見かけないが、そんなことをしなくても、エルドラード号を欲しがる輩が後を絶たないからな。そいつらの相手だけしていれば、海賊を名乗れる。だから俺が求めているのは、まだ見ぬ未知に満ち溢れた宝だ」
エルビスは誰にも話すなと釘を刺した。しかし、これと似た海図を赤い髑髏の旗を掲げた船に乗る女が持っていったことを伝えると、エルビスは真剣な面持ちで、そうかと遠い目で呟いては右目を伝っている一筋の切り傷へと手をやった。
「この海図の航海は、いずれ激戦に巻き込まれる。海軍の屑どもとは比べようもない、血で血を洗うような戦いになるだろう。だが、海賊は宝を求めるものだ。海図があって、そこに宝があるのなら行かねばならない。たとえ、どんな相手が待っていたとしてもだ」
それでも来るかと、青葉はエルビスの優しくなってきた視線に問いただされる。答えなど、決まっているが。
「俺なしでこの海図は読めないでしょう。それにいい加減、俺だって海賊の端くれのつもりです」
だから行く。そう心に誓うと、エルビスは静かに笑うと、そろそろ出てこいと口にした。
「なんのことです?」
「今にわかる」
深く椅子に座りなおしたエルビスはもう一度来いと扉へ声を向ければ、汚らしい笑い声で扉が開かれた。
「流石は船長、俺の考えなんてお見通しってわけだ」
「メダルカ……? お前、なにしてるんだよ!」
そこにはピストルを構えたメダルカがいて、フィンの姿が見えない。
「俺だって海賊だからよぉ、欲しいものは奪えって頭に叩きこんであるんだ。それにしても、なぁ青葉、昨日の舞踏会はすごかったな」
「あの場にいたのか!」
「偶然な。そのお姫様も、人質にさせてもらった。どうにも船長は青葉とフィンを特別視しているからなぁ。とにかくだ、ようやくこの時が来た。俺は船員たちがいないこの時を、ずっと待っていたんだからよぉ!」
ピストルはエルビスに向けられたまま、エルドラード号を頂くと声高に宣言した。
「大砲の弾ですら傷がつかず、向かい風なら、ここら近辺の船では追いつけない構造、理由を上げればきりがねぇが、一つに絞るならあれだな。俺が船長をやるにはちょうどいい!」
青葉はピストルを抜くが、メダルカはニオにも勝るとも劣らない早撃ちで撃ち落とした。今の速さなら殺すことができたろうに、メダルカは指を振る。
「お前が使っていた、あの四角い天候を操る力が欲しくてなぁ。お前は殺さずに、俺の船で働いてもらうぜ?」
誰が! ともう一丁手にしたら、エルビスが待てと止める。
「まったくどこまでも、ゲスの考えそうなことだ」
ピストルを向けられているというのに、エルビスは目を閉じてため息を付く。そして開かれた黄金の瞳には恐怖など一切感じられなかった。
「初めて見た時から、裏があるのは承知で迎え入れてやった。お前に同調して反逆する輩を炙り出す為にな。だからいつでも目に入るように一等航海士にもしてやった。だが、誰一人としてお前についてきた仲間はいない。実に滑稽だな」
「てめぇ……そんなに死にてぇのか! 殺した後にあのチビを片づければ、俺だけが一等航海士になって、船を手にできるってのによぉ!」
そこらのチンピラと化したメダルカに、エルビスは余裕たっぷりで頬杖をついた。
「お前じゃニオには勝てない。それと因果なことに、この体はなかなか死んでくれなくてな。ついこの前、断頭台を前にしても死ななかった。死ねるものなら、死んでみたいものだ」
こんな状況で煽る船長にとうとうキレたのか、なら死になと引き金に指がかかる。その刹那、船長は座っていた椅子から両足で海図を置いた机をひっくり返すと盾として、青葉の落としたピストルを拾うと、転がり出て的確にメダルカのピストルを狙い撃つ。撃たれた衝撃で呻いているメダルカへカトラスを抜いて距離を詰めたエルビスだったが、舌打ちと共に撤退していく。
「船の外に逃げたのか?」
「あの手の輩は、そんな簡単に諦めたりしないものだ。それに、丁度仲間が戻ってきた」
買い物を済ませた船員たちが甲板に上がると、何事かと騒いでいる。メダルカもそちらに向かっていたが、船長が反逆者だと叫べば、逃がさんとばかりにカトラスを抜いて立ちはだかった。
「どこへ逃げても、必ず反逆の罪は償ってもらう」
エルビスと青葉も出てきて、メダルカの逃げ道は絶たれた。しかし、まだ手はあると、冷や汗を流して船首へと走る。そこには縄で縛られたフィンが布を巻きつけられて喋れないでいる。そんなフィンを盾にすると、頭にピストルを突き付けて全員動くなとお決まりの口上を発した。
「もうこの際、船はいらねぇ。この女を人質にして、お前達から逃げさせてもらうぜ!」
女? と首を傾げた船員を見て、咄嗟に駆けだそうとした。だが、またもエルビスが止める。
「逃げたところで、お前に行ける場所はない。元々乗っていた船も船長もなくして、この前の戦いでは隅っこで隠れていたお前にはな。そんな男が一人でどうする? フィンをつれて逃げるなら尚更だ。コブのついた逃亡者など、どんな船長でも受け入れないぞ」
メダルカは、ただうるせぇと叫んでいる。興奮のあまり、引き金を引きそうなほどに。このままでは、いつフィンが死んでもおかしくない。
考えろ、フィンを助ける方法を。好きと言ってくれた大切な人を助けるためにはどうすればいいのか、答えを導き出すのだ。
「一瞬あれば十分だ」
答えは一瞬の隙で片が付くと出た。一瞬でも隙があれば、この距離くらいなら懐に飛びこめる。しかしその方法が出てこない。ジリジリと迫っている今だからこそ、その一瞬を生み出す方法を最速で導き出さなくてはならない。でなければ、追い詰められたからと、フィンを殺すだろう。
青葉の良くできた頭は解決策をピストルでの撃ち合いや斬り合いではなく、Iドロイドに頼る方法へと向かっていかせた。
「っ!」
真上に登った太陽の光が目に入り、光を背後にしているメダルカ以外が目を細めた。
「そうか、これか!」
なにをガタガタ言ってやがるとメダルカがこちらにもピストルを向けてくる。しかし、一発撃てば弾を込める必要があるので、決して撃たれないと確信していた。だが、この策を使えばIドロイドのことが知られてしまう。それでも、現状を打破するにはこれしかない。
「船長、背中を借ります」
左のポケットに入れていたIドロイドをエルビスの体で隠して、大学の講義で使ってきた機能を探す。二、三度しか使っていなかったので探すのに手間取ったが、使うのは一瞬だ。その隙に、フィンを助け出せる。
「赤い閃光とでも呼ぼうか!」
あえて大声を出して視線をこちらに向けると、レーザーポインタ機能をONにして、メダルカの右目に照射する。失明されないように調整されているが、直に目に入れば痛みが生じ、目を瞑る。その計画通りに事は進み、メダルカがフィンを離したら、怒りを込めて突進した。それでも、メダルカはもう一度ピストルをフィンに向けようとする。
――こんな台詞を言うのは、人生で一度きりだろうな。一度きりでなければならない台詞だが。
「俺の女に、手を出すな!」
突進しながらフィンを抱きしめると、その勢いのまま船首から三人で落ちる。ずぶ濡れになりながらも、フィンのことは離さなかった。
「てめぇ……」
フィンの状態を確認する暇もなく、ピストルを向けられた。メダルカは確実に青葉の頭に向けて弾丸を発射しようとしたが、引き金を引く虚しい音が響くだけだった。
「濡れたら火薬がだめになるって、知らなかったのかな?」
頭上、というよりは船上からニオがピストルで狙いをつけながら馬鹿にした。もうここまで来るとどうでもよくなったのか、青葉に殴りかかろうとするが、その手をニオが撃ちぬく。
「……チェックメイトって奴だ」
戦場からはニオだけでなく、他の船員もピストルを向けている。だが、エルビスは撃つなと命令した。
「まだ失せられては困る」
戦場からエルビスの声がそう言うと、三人合わせて引きあげられた。
メダルカがボートに四肢を縛り付けられている。助けてくれ、もうしない、この船とも関わらない。そんな台詞など聞く耳持たずといったエルビスは、ボートを下ろせと命令する。
「お前の様なゲスでも海賊にしてやる。このままボートに乗って、誰もいないところで死んで、髑髏になるんだな」
冷たく口にしたエルビスは、このボートを海に流せと命令した。あまりの措置に、船員たちも身震いしている。
「これで分かったろう、俺は裏切り者に容赦はしない」
そうして流されていくボートから殺してくれと懇願するメダルカの声を聞きながら、船員全員が背筋を伸ばして誠意を見せた。
「いいか青葉、それとフィン。殺すなといった理由を教えてやる」
フィンと横にいた青葉へ、エルビスは金色の瞳で見つめた。
「一人殺せば、次なんて躊躇なく殺せる。それはどうあがいても、殺したという真実を残すことになる。真っ当な道は歩けず、なにかしらの悪に堕ちる。覚悟もなく堕ちれば、矮小で卑しくなる。そんないい例が、メダルカだ」
「なら、俺は海賊になれないんですか?」
「そうは言っていない。だがな、お前の瞳もフィンの瞳も、人殺しに向いていないと、俺ならわかるんだ。だから、戦いのときは隠れていろ。甲板の掃除と航路を知らせる役割だけあれば十分だ」
簡単には納得できないが胆に銘じておこう。さて、そろそろ時間だ。
「フィン、大丈夫か?」
優しく聞くと、もうここには居られないと泣いていた。船員たちの前でメダルカが女と呼び、青葉もそう叫んでしまった。女が船にいると不吉なことがあるからおろされると、ただ泣いている。
「……大丈夫だよ。下手な慰めなんかじゃなく、本当に」
船員たちがフィンを見ている。睨むような奴もいたが、青葉は冷静にフィンを立ち上がらせると、笑って言った。歌おうと。酒場の海賊たちを一つにした歌声で船を包んでくれと。
歌うだけで、降りなくて済むの?」
「俺の世界じゃ、歌が戦争を終わらせたなんて事もある。だから信じて歌ってみろ」
ざわつく甲板で、頷いたびしょ濡れのフィンは静かに立ち上がると、頭を隠していたバンダナを取り払い、柔らかい女の顔になる。そうして、昨日のメロディーを口から発した。それは次第に歌詞が付き、船員たちは聞き入っている。
びしょ濡れのシンデレラは、いつしか両手を広げて海と同じ青い空へと、俯かず上を向いた。
「良いものだな」
「うん、本当に」
ニオとエルビスも聞き入っていた。フィンの儚い姿と美しい歌声に。そこで、青葉は提案した。
「この船の船首には女神の像がない。たとえ迷信でも、そこに女神がいるってだけで勇気が湧いてくると、俺は思う。だから、フィンという女神を受け入れてはくれないか」
歌は、続いている。青葉は頭を下げて願うと、船乗りたちの笑い声が歌に交じって、海賊のハーモニーが奏でられる。
「所詮は迷信か」
誰かがそう口にして、こんな女神も悪くないと笑っている。エルビスも、若干微笑んだように見えた。
「二人が風呂から戻り次第、エルドラード号は女神を乗せて、ついに見つけた宝の地図の通りに進路をとる。準備しておけ」
そして、海水でびしょ濡れの二人をホモカップルではなく初々しい二人として見方を変えた船員から見送られる形で船を下りた。
共同浴場へ歩きながらも、もう手は繋いでいない。フィンは無意識に昨日のことを思い出していたのだ。
とはいえ、さっきの台詞はクサすぎたと、言葉が出てこない。そんな静寂は、互いが一緒に口にして破られた。
「お、お先に、どうぞ」
「そ、そうか? なら、その、遠慮なく」
青葉は深く深呼吸して、これからは一緒だなと、フィンの瞳とも同じ空を見上げた。
「もう心は決まっているよ。俺はお前が好きだ。答えは昨日聞いているが、お前は?」
沸騰した様なフィンは、私もですと呟いて、手を繋いだ。
「怖いからじゃない、近くにいたいから」
好きにすればいいいさと、初めて両思いになったが気持ちに余裕が持てていた。それはフィンだからか、この世界だからか、わからないが、幸せなことではあると受け取った。
「不思議と、笑えてくるな」




