感情を問題にする
「どうも、後手こと解説だ。
早速始めようか。
■感情を問題にする
例:A「◯◯理論は健康に対し何の効果もない。○○理論は無意味だ」
B「そんな事を言って、◯◯理論を行った人々がどれだけ傷付くと思っている
んですか。彼らが可哀想です」
人格と同様に、感情も意見の正しさとは切り離して考えるものだ。これが認められるのなら、極論『俺はお前の意見にムカついたから、お前の意見は間違い』も通る事になる。もちろん、相手の感情に配慮する事そのものは大事だぞ。
これも『感情そのもの』が議論に関係ある場合は問題ないぞ。
■別パターン・感情を充填した表現
例:B「◯◯理論は血の通っていない数字を、頭の固い学者達がただ適当に並べた
だけの、薄っぺらい机上の空論でしかない。真実には程遠い」
例えばここに『30%』と言う数字があるとする。これを、以下のように表現してみよう。
1、『僅か30%でしかない』
2、『実に30%にも上る』
……君はこれを見てどう思った?」
「……"同じ数字"のはずなのに、何か1の言い方だと"小さく"、2の言い方だと
"大きく"感じられるな」
「そうだ。……このように、表現を工夫したり、特定の感情を煽り立てるような表現を多用するなどして、受ける印象を操作する事もしばしば行われる。
悪質なTV番組の場合、TV局側が否定したい物事の報道に対して"不穏な音楽や効果音"を流したり、"録音の驚き声"(『ええーっ!!』とかのアレ)を流したりもするな。それらも同様に、"視聴者が受ける印象"を操作しているんだ。
しかし、その時に"受けた印象"と、実際にその意見が"正しいか否か"とは、やはり無関係だ。論理は『骨格』こそが重要だ。いくら表面を着飾っても、『骨格』には何の影響も与えない。言葉を装飾してはならない……と言う訳ではないが、装飾しても意見の正しさが"補強される訳ではない"事は覚えておこう」
※対処法
「で、この場合はどうすりゃ良いの?」
「『意見の正しさ』と『感情』は別問題である、と言う点を常に頭に入れておこ
う。繰り返すが、もちろん相手の感情に配慮する事は大事だぞ。
"感情を充填した表現"については、相手の主張から"余計な表現"を取り除き、要点だけを抜き出して考えるようにすると良いだろう。場合によってはその点を指摘して、議論の要点を分かりやすくしておくのも有効だ。
例文のケースなら、
例:B「◯◯理論は血の通っていない数字を、頭の固い学者達がただ適当に並べた
だけの、薄っぺらい机上の空論でしかない。真実には程遠い」
A「Bさんの主張は、つまり『◯◯理論は間違いだ』と言う事ですよね。具体
的に、どこが間違っているのですか?」
『相手の主張を要約する』は、普段から意識しておくと便利だぞ」