伝統主義・自然主義・道徳主義的誤謬
「どうも、後手こと解説だ。
今回は三つ纏めて解説して行こう。
■伝統主義的誤謬
例:「"〇〇を行わない"などと言う話には前例がない。◯◯は昔から続けられて来
た事なのだから、これからも◯◯を行うべきだ」
"伝統主義的誤謬"とは、『昔・伝統』であれば無条件で正しいとする理屈だ。
しかし繰り返し何度も述べている通り、意見の正しさは"具体的な理由"によって決まる。昔のやり方が間違っている可能性もあるし、また"昔の前提"では正しくても、それが"今現在"に適用出来るとは限らない。
また、『なかった』と『必要なかった』は違う、と言う事にも注意しよう。
例:「昔は手洗い、うがいの習慣はなかった。だから手洗い、うがいなどする必要
はない」
単に昔は『手洗い、うがいが病気の予防に有効である』と言う知識がなかっただけだ。
逆に『現在、新しいもの』であれば無条件で正しい、なんて言うのも間違いだ。また『伝統を大事にする』事そのものには何ら問題ない。注意しておこう。
■自然主義的誤謬
例:「人間は本来、昼に活動して夜は眠る生き物だ。だから、コンビニの深夜営業
を行うべきではない」
"自然主義的誤謬"とは、『自然』な状態でなければならない、とする理屈だ。正確に言えば『自然の状態(〜である)』を『義務(〜でなければならない)』であると捉える論法だ。
しかし、"自然な状態"であれば正しいと言う訳ではないし、"不自然な状態"が誤りと決め付けられる訳でもない。例文の場合、仮に深夜営業が"不自然な状態"であったとしても、『深夜に買い物が出来る利便性』を否定する根拠にはならない。
■道徳主義的誤謬
例:「人間は誰しも平等だ。だから、"遺伝子によって能力に差が出る"と言う研
究結果は間違っている」
"道徳主義的誤謬"とは、世間一般的な『道徳』に反した"科学的根拠"は間違いである、とする理屈だ。
これも道徳的な思想と、科学的根拠の正しさとは関係がない。
そもそも、なぜ『道徳』を実践し守らなければならないのか。道徳を実践する事によって、個人や社会に対し好影響を与えたり、様々な利益を守る事に繋がるからだ。
例えば"弱者を守る"仕組みが備わる事によって、もし自分が事故や病気などで
"弱者の立場"に転落した場合であっても、それら仕組みによって自分自身が助けられる可能性が高くなる。
"アフリカの恵まれない子供達"に募金などの支援を行う理由は、生存するだけで手一杯な彼らに"それ以外"の事を行う余裕――例えば"学校に通う"など才能を伸ばす機会を与える事により、最終的に社会利益へと還元させる事に繋がるからだ。
『先進国からの募金で救われた子供達がその後勉強して医者になり、彼もしくは彼女が開発した薬が先進国に住む人々の病気治療に役立つ』……と言う可能性が考えられるから、『募金をする事は正しい』んだ。
『正しい理由があるから』道徳は正しいのであって、『人として当然だから』道徳は正しい訳ではない。むしろ社会へと適切に還元されなかったり、不当に弱者(利害関係の片側)が有利となる仕組みなどが"道徳"として扱われる事を『弱者利権』などと呼ぶんだ。
※対処法※
いずれも、『伝統が正しいとは限らない』『自然の通りが正しいとは限らない』『道徳と科学的根拠は分けるべき』……などの指摘を行い、相手の主張の具体的な論拠を尋ねよう」




