価値観の押し付け
「どうも、後手こと解説だ。
今回は何かを規制・禁止する場合にしばしば用いられる誤謬、詭弁について解説をするぞ。
■価値観の押し付け
例:「エアガンは生きて行く上で何の役にも立たない。だから、エアガンの規制を
強化しても市民生活に何ら悪影響を与えない」
価値観の押し付けとは、"特定の価値観"から導き出された結論のみを取り上げ
て、"それ以外の価値観"を考慮に入れない事だ。
例文の場合、Bは『"生存"に必要か否か』だけを取り上げ、『"個人の趣味嗜好"のために必要か否か』を無視している。
そもそも『生きて行くために役に立たない、必要ない』ものは、この世の中にいくらでも溢れ返っている。
各種芸術もスポーツも文化遺産も、生きるためには必要ない。ドラマも映画もアニメもゲームも本も音楽も、存在しなくたって生きて行ける。手元のPCなり携帯電話、スマートフォンをぶっ壊したところで、それで当人が死んでしまう訳でもない。食事も"最低限の栄養"さえ取れば良いのだから、ラーメンも寿司もケーキもコーヒーもビールも必要ない。
しかし、これらの存在は『満足の行く、充実した生活』を送る上で大変役に立っているぞ。
以下、ヘタクソな例を挙げよう。
例:「"古文"の勉強をしても、"体育"の成績が上がる訳じゃないから無意味だ」
確かに目的が『体育の成績を上げる』事であれば古文の勉強に意味はないが、
『古文の成績を上げる』目的のためには最適解と言って良いだろう。
■別パターン・他の手段があるから問題ない
例:A「創作物への表現規制を強めるべきではない。表現の自由は尊重されるべき
だ」
B「海外では、日本より遥かに創作物への表現規制が強い。それでも海外クリ
エイター達は、面白いものを作れているんだ。日本のクリエイター達も見
習ったらどうなんだ」
……これは『もっと悪い状態と比べる』と言う点で以前取り上げた"二分法"にも該当しているが、今回はそれとは別の箇所に指摘をしよう。
この理屈でBは、"規制が強い状態でも面白いものを作れる"事を理由に、『規制しても構わない』と言っている。しかし、"面白いものが作れる"事と"規制して構わない"事とは何ら関係がない。『手段が制限(表現の規制)されても面白いものが作れる』からと言って、『面白いものを作る手段(表現方法、表現の自由)に制限を掛けても良い』理由にはならない。
これを別の例に例えると、
例:「海外のシェフは、味噌など使わなくても美味しいスープ料理を作っている。
だから、日本で味噌の使用を禁止しても構わない」
……この理屈と同じだ。"他の手段で達成出来る"事と、"当該手段が不要"である事は何の関係もないんだ。
※対処法※
"価値観の押し付け"に関しては、議論の対象となっているものが『何の目的のために必要か』と言う事を事前に把握しておこう。その上で、『◯◯と言う目的のために必要』と言う点を指摘しよう。
"他の手段があるから問題ない"に関しては、"当該手段を必要としている"事を伝えよう。
そして、はっきりと言っておくが価値観と言うものに、
『仕事・勉強・生活 > 遊び・趣味・好み』
……なんて序列はない。状況次第で優先順位が変わる事はあり得ても、"絶対的な基準"によって決まっている訳ではない点を覚えておこう。
ただし、『客観的な根拠』が必要な場面で『主観的な価値観』を論拠にしても意味がない事に気を付けよう(逆も同様)。
例:A「◯◯対策には何の効果もない。止めておこう」
B「だけど、私は◯◯対策が好きなんです。止めるべきではありません」
……『○○対策に効果があるか否か』を論じている時に"好き"と言われても、こっちは困るんだが」




