誤謬・詭弁とは何か?
※一日二話投稿予定です。
〜〜 登場人物紹介 〜〜
先手及び聞き手・『弱火で五分』は『強火で一分』とする事で時短可能じゃ
ね?……と常々思っている"万学の祖"。
後手及び解説・最近になって、生卵をかき混ぜる行為を『テンパリング』と言い
始めた"最後の魔術師"。
※※ 前提その一 ※※
本稿における"誤謬"とは『論理的な誤り』、"詭弁"とは『論理的な誤り(誤謬)を意図的に犯す』ものであると定義する。ただし、場合によっては『誤謬と詭弁』の両方を纏めて『詭弁』と呼ぶ場合もある。表現上の都合であり、本定義を崩す意図ではない。
※※ 前提その二 ※※
本稿で使用される"例文"はあくまでも『説明のため』に挙げられるものであり、『意見の主張』を目的としたものではない。従って、本稿筆者は例文によって意見を述べた事にはならず、また読者も筆者が何らかの意見を主張しているものとして取り扱う必要はない(仮に筆者にその意図があったとして、読者はこれを一切無視しても問題ない)。
※※ 前提その三 ※※
個人の趣味嗜好に関する点、個人の感情に起因する点などについては、
『お前がそう思うんならそうなんだろう。お前ん中ではな』
……の姿勢を筆者、読者問わず標準のものとする。
上記前提にご納得の上、お読み下さい。
「うわ〜ん! 後手えも〜ん!」
「後手えもん言うな。……どうしたんだ?」
「聞いてくれよ! さっきまで、ネットの掲示板に書き込みしてたんだよ! 『古代の火星ではシドニア人とユートピア人が文明を築いていたんだけど、これらは古代の熱核戦争によって滅びたんだよ!』……って!」
「どこで拾って来たんだそんな情報」
「だけど、誰も俺の説をまともに取り合ってくれないんだ! 『暇人乙』だとか、『大草原不可避』だとか、『ナ、ナンダッテー』だとか、みんなぞんざいに扱いやがる!
……で、俺はこの真実を一人でも多くの人達に知ってもらおうとあいつらに議論を仕掛けたんだ! 『シドニア人がいないって証拠はねーから、シドニア人は実在したんだよ!』とか『偉い学者だってそう言ってたんだよ!』とか『じゃあお前は俺の説が間違ってるって証拠出せんの?』とか!
……にも関わらず、あいつらは真面目に俺の意見を聞こうともしない! それどころか、詭弁を弄して俺の説を否定する始末だ! 『何の理由にもならねーぞ』だの、『偉い学者って誰だよ』だの、『いやまずお前が出せよ』だの!」
「そうか。元気そうで何よりだ」
「残念ながら、今回の俺は相手を論破する事は出来なかった! しかし次こそは奴らの卑劣なる詭弁を看破し、ギャフンと言わせてやる! ……そう言う訳で、君に卑劣なる詭弁家達に対抗するための方法を聞きに来たんだよ!」
「……はあ。まあ事情は分かったが……」
「おお、分かってくれたか!」
「……そもそもだな。話を聞く限り、詭弁を弄しているのはむしろ"君の方"だ
ぞ?」
「…………え?」
「まず尋ねよう。『詭弁』とは一体何だ?」
「……え〜と……何か、相手を騙すための言葉……とか何とか……」
「間違いでもないが、正確でもないな。
まず、『論理的に正しい道筋が立っていない意見』の事を"誤謬"と言う。
そして詭弁とは、
『論理的に正しい道筋が立っていない意見を"意図的に"述べた』
意見の事を言うんだ。
言い方を変えれば、
『誤謬を"意図的に"犯した』
『間違った理屈を"間違いと知った上で"、相手を騙すために言った』
意見でもある。
『間違った理屈』を"ミスで言った”のなら誤謬、"知った上で言った"のなら詭弁……と、明確に区別される」
「はあ……」
「……つまり、重要なのは『相手に騙すつもりがあったか否か?』な訳だ。それを確認出来ていないにも関わらず『詭弁』だと決め付けるのは、あまり良い事ではない。
しかも、君の言った意見の方こそ『論理的に正しい道筋の立っていない』意見に該当する。
軽く一例を上げれば『偉い学者が言ってたから正しい』、これは『権威論証』と呼ばれているものだ。……まあ騙す意図こそなかったんだろうが、"誤謬"を犯している点には違いないぞ」
「」
「まあ、そんなに落ち込むな。折角の機会だ、詭弁の種類とその対処方法について解説して行こうじゃないか」
「……お……おう! そうだな! シドニア人とユートピア人の名誉を守るためにも、俺がしっかりしなければな!」
「……そうか頑張れ」
「んで、何から始めるんだ?」
「まずは『人は何故、詭弁を使うのか?』から始めよう」
「何故って、騙すためじゃねーのか?」
「だから『何のために騙すのか?』と言う事からだよ。
考えられる理由を順番に述べて行こう。
第一に、
『間違いに気付かなかった、知らなかった』
……恐らく、最も多いケースはこれだろう。単純に誤謬、詭弁に関する知識がなかった、と言うだけじゃない。普段論理的に物事を述べている、十分な知識を持っている人物でも、ついうっかり誤謬を犯してしまうケースは決して珍しくない。これは誰にでも起こり得る事だ。むしろ、"全く間違いを犯さない人物"の方が珍しいだろう。
こう言うケースである場合、話は単純だ。軽い間違いの場合は特に気にせずスルーすれば良い。それなり以上の間違いなら、間違っている理由と共に指摘すれば良い。それで終わりだ。
そもそもなぜ『間違った理屈、誤謬』は悪いのか?
間違った理屈からは、間違った結論にたどり着く可能性が高くなってしまうからだ。それでは、誰にとっても得をしない結果になる。
例えるならば、『間違った方角』へ進もうとしているようなものなんだ。そのままでは正しい目的地(結論)へとたどり着けなくなってしまう。だから『適切な方角』に修正する必要がある。一方で『軽い間違い』程度なら、目的の方角からズレてしまう確率も低い。放置していても自然と修正され、大きな問題にはならないだろう。
むしろこう言うケースが十分に考えられるから、軽々しく相手の意見を『詭弁』呼ばわりするのは望ましくない。結果として相手が意固地になってしまい、話がこじれる可能性だってあり得るからな」
「なるほどな。……確かに、間違う事はあり得る。俺みたいに!」
「自慢する事でもないけどな。
……じゃあ第二に行こうか。
『議論の目的が"相手を言い負かす"事である』
そもそも議論を行うのは『問題を掘り下げ、より良い対策を考える、探り出す』『物事に対する知識を深める』『相手の考え、意見を知る』……と言った目的のためだ。これらは全て『相手の話を聞く』事が前提となる。
『相手の話を聞く』とは、単純に"相手の意見に賛同を示す"事ではない。"相手の意見を理解しようと努める"事だ。『聞いた』上で反論する事だってあり得るだろうし、『意見を理解した』上で賛同しない事だってあり得る。『あなたが"シャケおにぎり"を至高だと考えている理由は分かりましたが、やはり私は"シーチキンマヨおにぎり"が究極だと考えます』……みたいな感じで。
対してこのタイプは『人の話を聞かない』――つまり、『問題を掘り下げるつもりがない』『知識を得るつもりがない』『相手の考えを理解するつもりがない』タイプの人物なんだ。
彼らが議論をする目的は『相手を言い負かせて爽快感を得る』事だ。要するに
『勝った! 議論完!』……と、気分良く終われればそれで良いんだ。
そのために、相手はあらゆる手段を使って『勝敗』を決めようとする。それが論理的に正しくない理屈であろうとも、相手をギャフンと言わせればそれで満足なんだ」
「迷惑な奴もいたもんだ……」
「そうだな。……で、このケースの対処法としては、普通に誤謬を指摘するだけでなく『議論を打ち切る』と言う選択肢を視野に入れておいた方が良いだろう」
「え? ……いや、それだと相手から『尻尾巻いて逃げ出した』って思われるんじゃねーか? 相手の思うつぼじゃ……」
「それで一体何が困るんだ?」
「何って……」
「もう一度言うが、議論の目的は『問題を掘り下げる』『知識を得る』『相手の考えを知る』事だ。相手を言い負かすために議論を行う人物と話をしたとして、これらの『目的』を果たす事が出来ると思うか?」
「……出来そうもないな……」
「そう。つまり『時間の無駄』だ。議論を打ち切ればこっちは『時間を無駄にしなくて済む』、相手は『勝ったと思える』訳だ。まあ腹が立つ気持ちも分かるが、脳内で『WIN―WINの関係が成立した』とでも適当に処理してしまえば良い。
そもそも、議論の勝利とは『新しい知識や考えを知る』事であり、敗北とは『新しい知識や考えを知る事が出来ない』事だ。"相手を言い負かす"ために議論を行っている時点で、そいつは"負けている"。あまり気にしない事だ」
「なるほど……」
「では、第三に行こう。
『"結論ありき"で考えている。自説への賛同を得る事が目的である』
……ぶっちゃけ、さっきの君がこのタイプなんだよな……」
「な……なんでや!」
「説明するから落ち着こう。……そもそも"正しい意見"とは、『適切な理由に支えられた意見』の事だ。"正しい結論"と言うものは、"正しい理由"によって導き出されるものだ。
つまり、『(始点)理由 → 結論(終点)』の順番だ。
対して"結論ありき"とは、最初に『導き出したい結論』があって、それを説明するために『理由を作る』事だ。
つまり、『(始点)結論 → 理由(終点)』の順番だな。
これらは『理由が間違っていた』時に差が出る。前者の場合、『結論が適切ではない』として論の見直し、修正、あるいは撤回がなされる。対して後者の場合、
『結論に何の影響も与えない』。別の理由をでっち上げて何が何でも『都合の良い結論を導き出す』んだ。そう言う主張は、そもそもの信憑性が低い。『適切な理由に支えられていない意見』であるためだ。
結論ありきな人物は、『自分の意見を人々へと広める』『自分の意見を正しいと認めさせる』事を目的として議論をするんだ。……さっきの君は『火星の古代文明の存在』を『一人でも多くの人達に知ってもらう』ために議論をしていた。それが"結論ありき"の姿勢なんだ」
「」
「そう落ち込むな。次から気を付ければ良いだけなんだから。
……こう言うタイプの人物も、人の話を聞かない――つまり、『こっちが何を言おうがお構いなし』な可能性が高い。やはり、議論を打ち切る事を選択肢に入れておいた方が良い」
「……い、いやだけど、それだと他の人達がそいつの意見を鵜呑みにしてしまうかも……」
「それが心配なら『話を聞かない"当人"ではなく』、『話を聞くつもりのある"周囲の人達"』と議論をすれば良い。
むしろ、『相手にこちらの話を聞かせようとする』『相手の間違いを正そうとする』姿勢こそ危険だ。それらも"結論ありき"な思考の仲間だからな。"意見を知ってもらおうとする"姿勢は悪いとは言えないが、"意見を知らせなければ"と言う姿勢に陥らないよう注意が必要だ」
「なるほど」
「では、次回から本格的に解説を行おう」
※※ ちょっとした補足 ※※
「なあ。"結論ありき"、つまり『(始点)結論 → 理由(終点)』な考えは信憑性がない、って言ってたけどさ。最初に"仮説"を立てて、それを"立証"するために研究するってのは駄目なの? これも『(始点)結論 → 理由(終点)』になるじゃん?」
「仮説を立てる事そのものは問題ないぞ。
一番大事なのは、"筋の通った理由"を重視する姿勢だ。例え仮説が出発点であったとしても、理由を重視して研究を進めているのであれば、"結論ありき"な思考とは言えない。逆に『この仮説が正しいに決まっている』と言う思考で研究を進めているのであれば、"結論ありき"な思考と言える。
分かりやすく言うと、
『この仮説は本当に正しいのか?』
……は適切な思考、
『この仮説は正しいに違いない!』
……は問題のある思考、と言う事だ」