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死にかけているノーデンスの集中力が切れ、クトゥルフを抑えつける槍の力が緩んだ。
クトゥルフはその隙を逃さず、槍を引き抜き、逆にノーデンスに突き刺し返した。
悲鳴をあげるノーデンスを殴り飛ばし、クトゥルフはエインセルのスマホを構える純と対峙する。
クトゥルフの顔面は再生を終えていた。ラバンと同じ顔でありながら、人間の物とはかけ離れた横長の瞳孔の瞳が、彼がラバンではないことをはっきりと示していた。
「あなたはラバン教授ではなかった。ラバン教授の姿で悪行を働くのをやめなさい。これ以上、あの方を侮辱することは許しません」
エインセルの言葉に、クトゥルフは心外といった顔だ。
「侮辱か……。そう受け取るのも無理はない。だが、これは侮辱などでは断じてない。私がこの姿でいるのは、私からラバンへの、最大の敬意を払ってのことだ」
「敬意……? ふざけないで!!」
「星の戦士の“呪い”によって、我々最上級超越者は人間の姿に貶められた。人の形にならねばならぬのなら、私にはこの姿以外あり得なかったのだ。矮小で愚劣な人間という存在でありながら、超越者に挑む勇気ある者。命と魂を懸けて戦ったあの人間に、私は敬意を表す」
「敬意を表すと言うのなら……、尚更、今すぐにその姿をやめなさい。その姿で罪を重ねることは、私と純が許しません」
クトゥルフはやれやれとため息を吐く。
クトゥルフが手の平の上に崩壊弾を作り出し、戦う構えを取った。
「理解できないか。所詮は人間に使われる程度の機械でしかない。元より、理解してもらおうとも思っておらぬ」
「理解される気もないのに、ぺらぺら喋るのは、究極の星辰が揃うまでの時間稼ぎ? いつもこそこそ、卑怯なクトゥルフ」
“彼女”はいつも突然に。クトゥルフの背後に現れたのは、踊り子。クトゥルフの敵対者。ハスターだ。
クトゥルフが崩壊弾を握りつぶし、ハスターの方を向く。
「それがお前の選んだ姿か。おぞましきハスター」
「そう。これが、私が“呪い”で選んだ姿。私が出てきたってことがどういうことか、あなたなら分かるでしょ? あの子が純くんの所に戻った時点で、あなたの負け」
「人間如きに、力と一緒に命も魂も預けるというのか。正気の沙汰ではない」
「“正気”だなんて。無粋なこと言うようになったね。あなたも」
ハスターはクトゥルフに不敵な笑みを浮かべ、純に言う。
「究極の星辰が揃うまで、あと二十分……。純くん。急いで終わらせよう。私の力をあなたにあげる」
もはや、勝負は決したかに思われた。だが、純にとって一番の地獄の時間が、ここから始まったのである。
純がエインセルの機能を使い、ハスターの力を手に入れようとした時だった。クトゥルフが、ノーデンスやハスターが隠し続けてきた“真実”を、純に教え始めたのだ。
「いいのか? 荒井純。ハスターの力を使うということが、お前の友人たちにどんな影響を与えるか、知らない訳ではあるまい? それとも、まさかノーデンス共から教えてもらっていないのか?」
実にわざとらしく、クトゥルフは純の興味を引く。それに合わせ、ノーデンスとハスターの顔色が変わった。
ノーデンスが急ぎ、クトゥルフの喉元に槍を飛ばし、貫こうとする。クトゥルフはそれをかわし、テレキネシスでノーデンスを叩きのめした。
「ははっ。慌てて口封じをしにきたぞ。どうやら、お前はこいつらに隠し事をされているようだなぁ。荒井純」
「……、どういうことだ?」
「純くん! 耳を貸しちゃダメ! 究極の星辰が揃っちゃう! 早く、私の力を――――」
「ハスターと私の力は、相反する物。互いが近くにいるだけで、体が傷つき、崩れていく。それは、私と同質の存在であるディープワンズたちも同様だ。私ほどの力を持たんやつらは、皆一瞬で体が崩壊するだろう。つまりな、荒井純――――」
「純くん!!」
「ハスターの力をお前がその宝物から呼び出した時、全てのディープワンズは死滅する。当然、お前の友人たちもな」
純の思考は、真っ白に染まっていった。
絶望が彼の中で渦巻いて、ノーデンスとハスターへの怒りで我を忘れそうになった。
恐怖と怒りがごちゃ混ぜになり、純は震える声で叫ぶ。
「騙したのか……!? ノーデンス!! ハスター!!」
「ごめん……。でも、これしか方法がないの。お願い、純くん。覚悟を決めて。人間かディープワンズか、どちらかしか生き残れない」
「そうだ。現実を見ろ、フォマルハウト。何かを成し遂げるには、犠牲は必要なのだ」
純の怒りが沸騰する。超越者たちの手の上で転がされていただけの、愚かな人間にできることは、泣くか、怒るか、狂うか。そのどれかだけだ。
「現実!? ふざけんな!! そんなもん、てめえらに都合の良い現実だろうが!! 俺は俺の目的のために戦ってんだ!! なのに、てめえらのせいで……!!」
クトゥルフは笑う。即席の協力関係を引き裂くことの、なんと容易いことか。
「さあ、どうする!? ノーデンス、ハスター、荒井純!! 究極の星辰は、もう目前に迫っているぞ!? 私から究極の星辰を横取りでもしてみるか!? この地球のどこにいれば、星辰の力を受け取ることができるのだろうな!? 急いで探してみたらどうだ!? その方がまだ、ゴミクズ以下でも可能性があるだろう!」
純は動かない。うつむいたまま、じっと、何かを考え続ける。
そんな彼に、ハスターは懇願し、ノーデンスは叱責した。
「純くんお願い! 私の力を使って! もう、時間がないの!」
「失望したぞ、フォマルハウト!! お前の選択一つで、多くの命が助かるのだ! 選ばなければ、助けられる者も助けられない! もう、悩む時間はない!!」
誰の言葉も、純は聞かなかった。
純は雄叫びをあげ、クトゥルフに向かい走り出した。
「とち狂ったか?」
嘲笑うクトゥルフ。しかし、純は無謀にクトゥルフに殴りかかると思いきや、ブリンクでクトゥルフの背後に周る。純の右手が、クトゥルフの背中に添えられた。
気づけば、クトゥルフと純は、遥か空の上にいた。
「エインセル! どうだ!? まだ距離が足りないか!?」
「まだです! やっぱり、少なくとも太陽系から出ない限りは……」
「こいつら、まさか……!?」
純がブリンクを繰り返し、クトゥルフと自分を宇宙の彼方へと移動させていく。
「なるほど……! ハスターの力がディープワンズ共に届かない所まで、私を連れていこうという訳だ! 静かにしていると思えば、とんだ相談をしていたものよ!」
太陽系から出る直前、クトゥルフは純の右手を掴んだ。
「原始動物が。そんな策が通用すると思ったか?」
純が何回もブリンクを使って辿り着いた地点から、クトゥルフは純を連れて一気に地球のルルイエまでブリンクで戻ってしまった。
「これが現実だ」
純はクトゥルフに掴まれた右腕が凍らされそうになるのを感じ、急ぎ、ブリンクでクトゥルフから離れた。
未だ抗い続ける純に、ノーデンスは怒りを露わにする。
「なぜ分からない!? ハスターの力なしに、クトゥルフには勝てん! 何をしようと無駄だ! 今、この瞬間にも、大勢の命が失われる時が迫っているのだぞ!? お前のしていることは、身勝手な自己満足だ! 現実から目を逸らしているだけだと、なぜ分かろうとしない!!」
「黙れ!!」
純はノーデンスに怒号を返した。
「俺は諦めない! 人間もディープワンズも、俺は絶対に見捨てない!! 何かを犠牲にしなきゃいけないなら、俺が犠牲になってやる!! 最後まで最後まで苦しみぬいて、死んででも、絶対に勝ってやる!!」
「そうです! こっちは妥協するような半端な気持ちで戦ってないんですよ! 相手が誰だろうと、味方に嘘吐かれてようと、純と私はやり遂げて見せます!!」
純とエインセルがクトゥルフを睨む。絶望を振り払った、気高き眼差しだ。純はクトゥルフに対し、臆することなく言ってのける。
「おい、てめえ! 究極の星辰とかいうのがそんなに欲しいか!?」
「無論」
「だったらよぉ……。だったらさあ……。絶っっっ対に、邪魔してやらあ!!」
純が炎の塊をクトゥルフに投げつける。クトゥルフはそれを煩わしそうに叩き飛ばした。
するとその時、誰のものか、クトゥルフの体に無数の銃弾とテレキネシスの波が直撃したのである。
「……、どういうつもりだ?」
純の後方からクトゥルフに攻撃したのは、銀の腕の戦闘部隊と、クトゥルフに力を授けられたディープワンズたちであった。
「分かりません。ただ……、私たちはあなたではなく、その人間に命を預けてみたいと、そう思ったのです」
「馬鹿なことを……。一時の感情に惑わされ、私に牙をむくのか。報いを受けるがいい!」
「馬鹿で結構!! 撃てぇ!!」
ディープワンズの代わりに、クトゥルフの言葉を撃ち抜いたのは、銀の腕戦闘部隊。
クトゥルフには、銃弾もディープワンズたちのテレキネシスも効く道理はないが、銀の腕戦闘員一同は構わず銃の引き金を引き続けた。
「俺たちは一緒にあの衝撃波から地球を守った戦友だ! ディープワンズだろうがなんだろうが関係ねえ! てめえがこいつらを殺すってんなら、容赦しねえぞ! 俺たちゃイカれた戦闘狂よ! 相手がクトゥルフ大明神だろうが、銃弾まみれにしてやらあ!!」
銀の腕に続き、ディープワンズたちもテレキネシスの波でクトゥルフに攻撃を始める。
信じがたい光景を目にし、ノーデンスとハスターは完全に硬直していた。
「何がどうなっている……? 私は、何を見ているのだ……?」
「燃えているんですよ。みんなの魂が」
ノーデンスの疑問に答えたのは、ジョルドだった。傷つき、倒れていた彼はなんとか起き上がるだけの力を取り戻し、ノーデンスの隣で人間とディープワンズが共闘する様を見つめる。
「フォマルハウトが、みんなの魂に火を点けた。彼の戦う姿は、みんなを、世界を、変えてくれるんです」
「純くんが……」
ハスターの目に映る純は、未だ希望を失っている様子はない。彼は諦めず、この状況を打破する方法を、戦いながら探し続けているのだ。
「それを人間たちが選ぶなら、仕方ないか」
ハスターは、純の選択を信じることにした。ディープワンズの心すら動かした純に、ハスターもまた、心を動かされていたから。