プロローグ
古びた車椅子の車輪を回し、一人の老人がぼそぼそと独り言をこぼしている。
本や実験道具が所狭しと置かれた部屋だ。照明もついておらず、窓から差し込む月の光が、宙に舞うほこりを照らす。
老人以外、そこには誰もいはしない。
「そうか……。君は、それを望むのか。面白い……。実に、興味深い……」
なのに、老人はまるで誰かと話しているかのように、言葉を発し続ける。目を閉じて、傍から見れば、眠っているようにしか見えないのに。
「君が選んだ人間だ。私は、ただ信じよう。白痴の如く、君と、その少年を。もはや、他にできることもないのだから」
老人は車椅子を動かし、散らかり放題の部屋を進んでいく。
どこかにいる誰かに、語りかけながら。
「あれだけいた同志も、今では私を残して誰もが死に絶えた。あの、勇敢なる星の戦士でさえ。私もこれ以上、体を移し替えて生き続けるには、精神が限界のようだ」
老人の瞳は、闇の如き黒さのレンズがはまった眼鏡に隠され、表情をうかがうことはできない。
だが、そのしゃがれた声は、確かに寂しさを含んでいた。
「もはや、世界の破滅は避けられまい。大いなるクトゥルフの復活の時は、今や目前だ。人間はいつの時代にあっても、超越者の手の平の上だった。けれども、最後にこうして、君との接触に成功した。我々の希望が消えることなく、次の世代に繋がった」
部屋に飾られた数多の写真はほこりをかぶり、いくつも並ぶ机を使う者も、今となっては彼一人。
老人は窓際に辿り着き、夜空に浮かぶ星々を見上げた。
そして、その目から、一筋の涙を流して――――
「エインセル。君もいつか、生きる意味を見つけなさい。それこそが、君を幸せにするのだから」
チャカチャカチャッカ!!