閑話・ルフィーナさんのストイックな休日
本作はみどりいろさんから寄贈されたものになります。
side:ルフィーナ
護衛対象のナザニンが休日だから今日は屋敷でのんびりするという。
あいつはギャラクシーオブプラネットのときから、休日の時は交渉事も何も考えずひたすら寝るか他のアンドロイドと他愛のない話をしながらのんべんだらりと過ごしていたが、こちらでもそれは変わらない。
ナザニンが休日で護衛する必要がない場所にいる時、私は自分の心技体を鍛えるためトレーニングをして過ごす。
シルバーンにいるときは実践的な戦闘シミュレーションや、低酸素や高重力などの高負荷トレーニングをしたり、シルバーン内に高山を模したリージョンでのトレイルランや都市を模したリージョンでのパルクール、そしてアイアンマンレースと同じ内容のスイム・バイク・ランをしたりとトレーニングの種類に事欠かなかった。
しかし、ナザニンとともに尾張に滞在するようになったら、それらを使う訳にはいかなくなったので、こちらでできるトレーニングをしている。
今日はランニングをするので早速準備を早朝から始めるが、私の専属護衛の他に若い忍び衆の何人かが一緒に準備をしている。
実は少し前に八郎殿と出雲守殿から若い衆についての相談を司令やエルも交えて受けていた。
甲賀に長く居て山野を駆け巡っていた者達と比べてこちらで元服した若い衆の身体能力が少々劣っているのではと危惧していたようだった。
そこで私がランニングをする際には若い衆を護衛代わりに一緒に走って少しでも鍛えることができればと提案したのだ。
司令は『休みにならないんじゃないの?』と心配していたが、私自身はトレーニングになっていれば問題ないし、私の役目はあくまでナザニンの護衛だからトレーニングはあくまで私の趣味だ。役目に支障が出ないようにトレーニングするということで司令には納得してもらった。
那古野城から大凡20キロ前後の場所を目安にして行き、昼食を取って戻って来ることを想定している。
平坦な舗装路であれば私ならノンストップで1時間と少しで行けるが、この時代にそんな道はないし若い衆もいるからな。
道は大きい街道を使うしかないだろう。しかし、何人かがまとめて走る様はこの時代の旅人らにとっては異様だろうな。なにか緊急のことでもあったのかと勘違いされそうな気もするが、尾張の特に那古野近辺の民は私がよく走っていることを知っている。
私を含め走る者たちでウォームアップの体操を入念に行う。その後、若い衆の速さに合わせてもトレーニングの負荷がかかるように脚におもりを巻いて、準備ができたところでとりあえず熱田の方面に向かって走り出し、熱田からは東海道沿いに進んでいく。
途中に川があったが、尾張の大きい街道、特に東海道のような道にはよほど大きな川か桑名に向かう際の海辺でない限りは全てに木製か石製の橋がかかっている。
川といえば私が尾張でトレーニングをし始めた頃、ランニングで走っていたら川を渡らざるをえなくなった際にスイミングで渡ろうと思っていたところを護衛の全員に全力で止められたのを思い出す。
熱田からそのまま東海道を東に走り続け、鳴海城を越えて少し行ったあたりでちょうど昼食時になった。
私はもちろん古参の護衛はまだ余裕があるが、若い衆のこともあるのでこのあたりで休憩して、折り返すことにする。
「近くに寺がありますので、そこで休めるよう掛け合ってまいりまする」
私自身は地面とか草原とかで座っていて昼食を摂っても構わないが、古参の護衛が先触れとして寺に掛け合ってくれるらしい。
「これは久遠様の奥方様、ようこそお越しくださいました」
「すまないな、和尚」
寺の軒下を一時借りるだけだが、それなりの銭を渡すよう護衛に言って休息する。
私の昼食は、ナザニンの護衛のときや他の皆と一緒にいるときは同じものを食べるようにしているが、こうやってトレーニングをしている日などは大概玄米の塩おにぎりだ。よく噛むためゆっくり食べる。
添え物は竹輪の穴に胡瓜を入れたものだ。以前セルフィーユが私にでも作れるからということで教えてくれたものだ。竹輪はタンパク質はもちろん塩分も摂れるのでトレーニング直後の食事としてはいいものだからな。
若い衆らも食事を摂っている間に古参の護衛はこの寺の住職に色々聞いているみたいだった。
「いや、昨日は驚きました。拙僧もこの地にもう何年も居りますが、もうすぐ梅雨になろうかという季節に小石の如き氷が降ってくるなんぞ初めてでございます」
その言葉に古参の護衛たちがぴくっと反応するが、私も思わず話している和尚の方をちらりと見た。
そうか、そういえば昨日は史実では桶狭間の戦いがあった日だったな。あの当日は雹らしきものが降ったという記録があったようだが、どうやら本当らしいな。
歴史が変わっているから戦い自体はもう起こらないし今更ではあるが、歴史学を専門にしている麗華に教えてやろうか。
和尚は昨日の雹が降った様子や、周辺の民の様子など事細かに話してくれ、その後和尚と古参の護衛との世間話が終わって、和尚が席を立つと私に進言してきた。
「お方様、先程の和尚が話していた氷が降ってきた件、このあたりの作物に影響があるかもしれませぬ。一足先に殿に報告してまいりまする」
「某は知多郡の代官、緒川城の水野様に知らせてまいりまする。殿や水野様にもう知らせ自体は入っておるやもしれませぬが、第一報のみで詳細な話はお耳に届いておらぬかもしれませぬので」
「わかった。ふたりとも頼む。気をつけて行ってくれ」
「「はっ」」
私が尾張に滞在をはじめたことからついている護衛である二人は、ウルザの子飼いの忍び衆、いわゆる『影の衆』と呼ばれていた者たちで、年長だからといわゆる影の衆を退いたものの護衛としてはまだまだ現役として働けるというので私についてもらったのだが、その二人がそれぞれ那古野と緒川に向かって行った。
1時間ほど休憩を取って寺を後にする。私はそれほど長く休むつもりはなかったが、若い衆の事を考えて少し長めに休みを取ることにしたのだ。
先程の道を逆に走り熱田、そして那古野を目指す。
しかし、本当に道を往来する者が増えたな。私が尾張に滞在を始めた頃よりさらに多くなった気がする。人が通り、そして集まる分色々整備せねばならないことが増えるが、それは司令やエルたちが考えるだろう。私の任務はナザニンの護衛、それはギャラクシーオブプラネットのころから変わりはない。
色々考えながら走っていると那古野に着いてしまった。おもりを付けているから私にとっても良いトレーニングになった。
クールダウンの体操を若い衆とともに行い、解散した。
若い衆たちは各々持ち場やらに散っていったが、さて、私はどうしようか。ナザニンではないが、ぼおっしていても仕方がないので屋敷でできるトレーニング、主に体幹トレーニングやアジリティでもするか。
次の休日、久しぶりにジュリアがいる織田家の道場に足を運ぶことにした。
「ルフィーナじゃないか。ちょうどいい、稽古をつけてやってくれないかい?」
ここにくると大概は道場の者たちに稽古をつけることになってしまうのだが、それでも身体を動かすことができて、単なる素振りではなく人間を相手にして刀を模した竹刀を振れるので、私自身のトレーニングとしても悪くない。
「わかった」
暫くの間、道場で稽古をしている者たちを相手にして程よく汗をかいた頃、ジュリアが何か思いついたような顔をしてニヤッとする。
「ルフィーナ、せっかくだから得意な南蛮の剣術で相手をしてやってくれないかい?」
ジュリアがそういうと道場にいた者たちがざわつく。そうか、こちらに来てサーベルやレイピアなどのいわゆる西洋剣術は見せてなかったからな。
レイピアは普段から帯剣しているんだが、今のところこちらで使う機会は無かった。こちらでは私にも護衛が常に複数いるからな。
ナザニンの護衛である私が護衛されるというのは、正直言うと未だに慣れない。私としては複雑な気分だ。
私が一番得意としているのはいわゆる西洋剣術、元の世界ではHEMAと呼ばれていたものだ。
その中でレイピアでの剣術を一番得意としているが、もちろんロングソードやハルバード、ショートソードとシールドを用いた剣術ももちろんできる。
今回ジュリアが道場の者たちに見せたいのはレイピアの剣術なのだろう。とはいえ、レイピアの模造は生憎もってきていない。
まさか本物でやるわけにもいかないだろうと思っていたらジュリアがこちらを見たままジュリアの背面にある倉庫の方を軽く親指で肩越しに指差す。
「そんなこともあろうと刺突剣と逆手短剣の模造は用意してあるよ」
なんとまあ、準備のいいことだ。用意周到なジュリアらしいといえばそうなんだろうな。私はジュリアが親指で指差した倉庫に入ってレイピアの模造剣を探す。
すると、私が倉庫にいる間に道場の方で話す声が聞こえる。
「今巴様、ルフィーナ様は南蛮の剣術を使われるのでございますか?」
「ああ、アタシも聞いた話でよく知らないけど先祖が南蛮で剣士だったそうだよ。ルフィーナも剣術を叩き込まれてたね。小さい頃、島でルフィーナの爺さんによくしごかれてたのを見てたもんだよ。アタシもたまにあの爺さんからは稽古してもらったね」
その話はジュリアが適当なことを言っているわけではなく、司令とジュリアと私で相談してそういうことにした。ヨーロッパの剣士とはいっても有名所の名を騙るわけでもないし、足はつかない程度の話にはしている。
ちなみに『刺突剣』『逆手短剣』はそれぞれレイピアとマンゴーシュのことだ。マンゴーシュは左手という意味があって、通常は左手で持ち、右手の剣の補助として用いるのだが、生憎私は左利きでレイピアを左に持つ。私がマンゴーシュを右手で持つのに日本語訳の『左手用短剣』ではおかしいからな。『逆手短剣』というのは私が考えた名だ。
用意ができたので倉庫を出ると、それまでざわざわしていた道場の者たちが息を呑むのがわかる。
私の主な剣術スタイルはいわゆる『イタリア剣術』だ。かなり低く構え、そこから素早く前に出て突いていく攻撃的なスタイルで、元の世界のフェンシング的な戦い方に近い。
あとはいわゆる『スペイン剣術』もやれる。『スペイン剣術』はまっすぐ立ち剣もまっすぐ突き出し、円を描く動きで戦う。
とはいえ双方の剣術では剣の鍔や持ち手が違うから、すぐに切り替えられるわけではない。ジュリアならともかく私はそこまで器用ではないからな。
ちなみに模造剣は双方の剣術用の持ち手のものがそれぞれ用意されていた。おそらくジュリアが私にここで模範を見せれるようにとシルバーンで作らせたんだろう。
「新介、やってみるかい?」
ジュリアがニヤリとして柳生新介殿に声を掛ける。
「拙者からお願いしたいと思うておりました。ルフィーナ様、お手合わせをお願いいたします」
私と新介殿が道場の真ん中で相対すると、道場が静寂に包まれる。
「小太刀での構えに似ておりますな」
私が構えると新介殿が言った。日本刀の使い手からするとそういう見方になるのか。
「ルフィーナ、遠慮は無用だからね」
ジュリアがニヤニヤしながら言うが、今の新介殿相手に遠慮や手加減をする余裕など私には無い。
ジュリアの意図を汲み取って、こちらで久遠流と呼んでいるギャラクシーオブプラネットの戦闘術を使わず、敢えて西洋剣術だけで2回相対して、なんとか2回とも勝つことはできた。
ただ、新介殿にとっては西洋剣術自体が初見だったから、慣れればジュリア並みに勝つことは難しいだろう。
「この剣術は恐ろしゅうございますな。剣が細いゆえ突きが見えづらく、どの瞬間で突かれるかの間合いがわかりませぬ。それに逆手短剣が厄介でございますな」
「日ノ本の刀とは根本的に違うからね。それにこの刺突剣は集団での戦向きじゃなく平時の護身や一対一の決闘とかに使われるものさ。あと、南蛮には他にも小型剣と盾の組み合わせや、両手持ちの長剣、槍斧なんてのもあるが、ルフィーナは一通り使うことができるよ」
「南蛮でも日ノ本と同じく右利きの者がほとんどだというが、私は左利きだからな。余計戦いづらかっただろう。あと、今回は逆手短剣を用いたが、片手用の小型盾や外套を用いることもある。」
ジュリアの言葉に私が補足する。
「なんと。では次回は小型盾や外套での手合わせをお願いいたしまする」
新介殿の真摯な言葉に私はわずかに苦笑しながらも無言で頷くのだった。
その後、何人かをレイピアの模造で相手をすると、皆の鍛錬の時間が終わったので私も終えて屋敷に戻る。
明日はどこぞの高僧が来るとナザニンが言っていたな。向こうがどういう態度で来るかもわからないし、万が一のこともあるから明日も気を抜くことはできない。
私は司令がナザニンの護衛任務を解除するまでこの役目を全うするつもりだ。任務を十全に果たすために私はトレーニングは続けていく。いままでもそうだったし、そしてこれからも。