閑話・織田学校でのとあるひととき
本作はみどりいろさんから寄贈されたものになります。
side:アーシャ
今日は各教室を見回っている。校長になって子どもたちを教えるよりも事務仕事が多くなってしまったので、ちょっとした気晴らしも兼ねているのよ。
まずは体育館。誰もいないかと思ったらルフィーナが一人で片手懸垂をしていた。私に気づくと鉄棒から手を離してスタッと降りる。
「アーシャか」
「今日はお休み?」
「ああ。ナザニンは今頃邸でグータラに過ごしているか誰かと駄弁っているかどちらかだろう」
ルフィーナはナザニン護衛の合間を縫ってトレーニングをしている。それはギャラクシーオブプラネットでのときと変わらない。
ただ、シルバーンでは様々な施設があってトレーニング内容には事欠かなかったけど、ルフィーナがナザニンとともに尾張に常駐し始めた頃は、『こっちではなかなか思うようにトレーニングができない』ってこぼしてたわね。
今ではここ体育館だったり、邸の中の倉庫を間借りしたり、道場にも行ったり、時には領内で長距離ランニングしたりしてトレーニングをしてるみたい。
「どうせだから子供たちに教えてくれてもいいのに。もう少ししたらここで体育の授業あるし」
私がそう言うとルフィーナが珍しく少し困ったような顔をする。
「教えること自体は私自身のためにもなるので吝かではないのだが・・・」
口数は多くないものの言うことはきちっと言うルフィーナにしては言葉の歯切れが悪いわね。
「子供が好きじゃないの?」
「そういうわけではないのだが・・・子供と接する時にどうすればいいのかわからなくてな」
そういえば、ルフィーナが司令の子たちの世話をしているのを見たこと無いわね。
「まあ、無理強いはしないわ。いずれ慣れるでしょ」
「そうだといいのだが」
その声を背に体育館を後にしてルフィーナと別れた。次は教室を少し回りましょうか。
とある教室で、少ない人数が琉璃になにか教わっているのが見えた。ああ、あれはアラビア語の授業ね。
エスパニア籍船やポルトガル籍船のアジア航路がかなり弱くなっているのを引き換えにイスラム商人がついに蟹江に姿を表しだした。元の世界でも長崎や博多とかに来てたようだけど、歴史がかなり変わっているのを改めて感じる。
蟹江でアラビア語の対応ができるのは事実上ミレイとエミールだけで、蟹江の商人達からの要望もあり明の閔南語だけじゃなくアラビア語も教えることになったらしいけど、例の南蛮船の通訳だった周殿は閔南語やポルトガル語は話せるけどアラビア語は挨拶程度しかできないとのことだったので、急遽私達アンドロイドでアラビア語を教えることになった。
琉璃は普段かおりさんと邸で事務仕事をしているけど、合間を縫って来てくれるから助かるわね。ちなみに、琉璃は生徒からは『琉球の方』って呼ばれてる。
琉球は交易のハブだったこともあって色々な商人が行き来していてもちろんイスラム商人も来ているわけだからアラビア語を知っていても、まあおかしくはない。とはいえ、他のアンドロイドの娘達もみんなわかるんだけどね。
誰が教わってるのかしら、と思って見てみると周殿もいる。
そういえば、アラビア語の授業を始めるときに『アラビア語は知らないから私も教わりたいくらい』と言ってたけど、ほんとに教わってるのね。まあ、知識を増やすことは結構なことだからいいけどね。
あとは西保三郎、元服したから武田三郎信之殿もいる。なにせ明との交易でよく使う閩南語を話せるから元服してすぐに蟹江に赴任してるけど、暇を見つけてまだ学校にも通ってるのよね。
「それではイスラームの商人衆を饗す際には日ノ本の坊主が食しているという精進料理を用いたほうが良さそうですな」
「概ねその考え方で間違ってないよ~。でも薬だからと言って酒や猪肉を出すのはダメだよ~。そういう言い訳はあの人達には通用しないさ~」
琉璃はアラビア語とともに、コミュニケーションに必要最低限の範囲でイスラム圏の習慣や文化とかも教えてるみたい。
ただ、今のところ布教と交易を切り離すことを良しとする商人しか受け入れていない。ただでさえ神仏と坊主神官とは別という考えが広まっている最中に他の宗教が入ってくるのはどう考えても厄介でしかないし。
とはいえ、あっちも強かね。それでもいいからってドライな考えの商人はいる。イスラム教の教えは、実情はともかく商業活動における正直さや公正さを重視していることもあって、布教を切り離してくれればいいお客さんよ。まあ、商館内での個人的な礼拝だけであれば他人に布教していないので今のところ黙認ね。
別の教室に行ってみる。
ここは開校当時から教師となってもらってる明叔慶浚殿が受け持つ教室ね。ちなみにこの方、すでに史実の寿命を超えている。ていうかもう史実の寿命は特に織田領の人は参考にならないんだけど。
この方、亡くなった三木直頼殿の義理の兄であり、京極高頼殿の義伯父に当たり、直頼殿の葬儀で導師をつとめている。
今日の授業は日ノ本にある国名とその漢字の授業。あの方も決して若くないけどうちの学問をよく勉強されているわね。他に算数や古文、書だけでなく道徳的な授業もする、意外と言っては失礼かもしれないけどマルチな方。
次は・・・。
・・・ここはアンジェ、アンジェリカが教えてるのね。いつもはシルバーンにいたりシベリアの造船所や南方にもいったりといろいろ動いてるみたいだけど、司令に会いに来る時、ついでに学校に来てくれる。
主に技術的なことを、一端の職人相手にはもちろんのこと、元服した前後のいわゆる『職人の卵』達にも教えてるけど、今日は10代前半の元服前の子供たちに教えてる。
何を教えてるかと思ったら、何チームかに組分けして、いわゆるピタ◯ラ装置の簡単なものを作ってるのね。遊びながら論理的な思考や空間認知能力とかを学ばせたいってことかしら。
アンジェは設定年齢が15だから、今の年齢は25のはずなんだけど、いまだに言動を含めて中学生くらいにみえる。元々が小学生に見えてたからしょうがないといえばそうなんだけど。
同じツインテールのパメラも大概若く見えるけどそれの上を行くわね。なんか、教わってる子たちと歳があまり変わらないくらいの子が教えてるようにも見える。
「はーいっ、第1組の発表でしたぁ。みなさん拍手ぅ~。・・・で、アンジェ先生からしつもーんっ。最初の落ちる部分を採用した意図を教えてくれるかなあ?」
ああ、チームで作ったピ◯ゴラ装置についてプレゼンさせて、質疑応答もさせてるのね。アンジェらしいといえばらしいわ。
ここは・・・北畠の大御所様が子供たちに楷書を教えてるのね。
元々大御所様は能書家と言われてただけあってか楷書も綺麗に書かれるのよね。ただ元々の書き方の影響もあってか私文書は行書っぽいものが多いけど、それがまた流麗で見事だったので、私から子供たちに教えてもらうようお願いした。
大御所様御自身の書体は流麗な行書っぽいけど、子供たちにはちゃんとした楷書を教えてるのがあの方のすごいところ。ほんと、北畠の大御所様には司令はもちろん私達も色んな意味で助けられてるわね。
「少しの間、各自で書いておるようにな」
大御所様がこちらに気づいたみたい。教室から廊下に出てくる。
「見回りかの、天竺殿」
「相変わらず教え方も御見事でいらっしゃいますね」
「なんの、天竺殿らに比すればまだまだよ。とはいえ、これでも一応書には一家言あるからの。ただ、童達に教えておると新たな発見ができることもあって、それがまた面白うてな」
「左様でございますか」
「時に、今日は内匠頭は邸におるかの?」
司令は今日は朝から清洲だったっけ。急用がなければ、政務だけして帰ってくるはずだけど。
「急な用がなければ夕方にはいると思いますが、何かありましたか?」
「いやな、先日『かりもり』なる漬物について聞こうかと出向いたが留守であったゆえ、また折を見て出向こうと思うてな」
「もしよろしければ先触れを出しておきますが」
「いや、よい。先触れを出すような事でもないゆえ、蟹江に帰る時に寄って居れば良し、居らねばまた出直せばよいでの」
そういうと、扇子で口元を隠して少し笑みを浮かべながら教室の中に戻られた。
いくつか教室を回った後、最後に来たのが他の教室からは隔離されていて門前に警備兵が守りを固めている場所。
通常は織田の大殿の許可がないと入れないけど、私はいわゆる顔パス。
「これは天竺の方様」
「いつもご苦労さまね」
ここは他に知られるとちょっと障りがある学問を教える場所。宗教学や歴史学などを教えて研究をしている場所もここに入る。
宗教学や歴史学を中で教えているのは麗華。万能型のアンドロイドで、設定年齢は16歳。中華系の切れ長の黒眼で艶やかな黒髪を古代中国の身分のある女性のような編込みをして、簪もつけている。
本人曰く、名前の本来の発音は『リーファ』らしい。でも、戦闘型のシグルドリーヴァ、通称リーファと被って紛らわしいので司令が造った初期設定時に名付けた日本語読みの『レイカ』を本人は『通称』として使っている、らしい。
まあ司令は『レイカ』と呼んでるんで私達も最初から普通に『レイカ』と呼んでる。本来の発音を気にしているのは本人だけなんだけどね。
ギャラクシーオブプラネットの頃から、麗華には二つの『顔』があって、一つ目の顔は縦横家というか論客として、他の勢力のアンドロイドやプレイヤーを口先三寸で味方につけたり、中立を保つよう説き伏せたり、時には敵対している勢力の内部情報を得たりしていた。
相手の心理も当然読むし、「珍しい言葉」「造語」「比喩」を巧みに用いて「論理」「好印象」「感情への訴えかけ」で巧みに説得する弁論術を得意とする。
論客なんだけど麗華自身が一番嫌いな言葉は『論破』なんだって。麗華に理由を以前尋ねたときに言ってた。『戦いでも逃げ場がない相手は死兵になっちゃうでしょ?だから相手に少しだけ逃げ道を残しておいてあげるのも論客の腕の見せ所ってものよ』だって。
外交専門で交渉術を得意とするナザニンは自他ともに認める黒に近いグレー。麗華はナザニンほどではないけど決して正道というわけでもない。とはいえ、交渉術のナザニンと比べても外交の貢献度は決して低くはなかった。
もう一つの顔は研究者としての顔。何の研究者かと言うと宗教学と歴史学。本人曰く、ギャラクシーオブプラネットで造り出されて間もない頃、心理学のスキルを会得していく際に人が宗教にハマる心理に興味を抱いたのが始まりみたいで、そこから宗教学や歴史学のスキルを会得していったそう。
ただ、ギャラクシーオブプラネットでは実用的な主に理系のスキルが重んじられて、そのあたりのスキルを取るアンドロイドはいなかったのと、司令が宗教のことをあまり良く思っていない節があったので、あくまで趣味の一環ということにしていた。ただ、その知識の深さは趣味で終わる範囲のものじゃないわね。まさに研究者というか専門家という言葉が当てはまる。
「あら、アーシャじゃないの。見回りご苦労さまね。今日の講義は今終わったところよ」
あらら、もうちょっと早く来ればよかったわね。でも、生徒となっている大人たちは誰も席を立とうとしない。麗華曰くそれぞれのテーマに合わせて研究をしていたり、研究について論じ合っているのだという。
ただ、ここで学習・研究している事項はたとえ家族であっても厳重に他言無用が義務付けられていて、ここに入れる生徒は全員大殿に誓紙を出している。
「どう?学徒のみんなの様子は」
「みんな熱心よ」
顔が中華系だからか目が切れ長のせいで少しきつく見えるけど、表情や言葉自体は柔らかく話す。これも弁論術のスキルのおかげかしらね?
「そういえばナザニンがね、忙しいから少し仕事を手分けしてほしいって」
「そう、でも珍しいわね。あの娘がそんな事言うなんて。直で会うときは言わないのに」
「一件一件の事項はそれほどでもないらしいけど、なにせ案件が多くて流石のあの娘も持て余してるようよ」
「ふうん、わかった。向こうでもそうだったけど少し支援しようか。元々私もそっちが本業だし。ちょっとウチのダンナに掛け合ってくるわ」
そういえば、ギャラクシーオブプラネットの終盤では外交のメインがナザニンでサブが麗華になってることもあったわね。とはいえ二人揃って出張ったのは、確かギャラクシーオブプラネットのサービス終了が告知される直前の一度だけだったと思う。
さて、体育館で私が授業をすることになっているから、そろそろ戻ろうかしら。今日は子供たち相手に跳箱の授業だったわね。準備もあるし早めに行かないと。
ちなみにロイター板、つまり踏切板にはしれっと板バネを使っている。まだ司令は工業村の人達には教えていないみたいだけど、まあこれだけ技術レベルが上ってるから教えるにしても思いつくにしても時間の問題だし。
跳箱は元の世界の通り木製。跳箱自体は原型が古代ローマにも存在してたらしいけど、この形として考案されたのは19世紀らしい。まあそういう類のものはうちではもう結構あるし今更ね。
今回授業対象は5段前後を飛べる程度の子供たち。今は小さい子供たちだけだけどいずれはもっと大きくなった子や大人の身体鍛錬でも使えるようにしたいわね。密かにもっと高い段は用意してある。
一応私もアンドロイドなんでたぶん15段くらいは普通に行くと思うし、戦闘型でトップクラスのジュリアや普段からアスリートのように鍛えているルフィーナあたりはたぶん20段を超えると思うけど、そこまでしちゃうと隋の沈光の『肉飛仙』じゃないけどさらに変な噂が立ちそうよね。
体育館に着くとさっきまでいたルフィーナの姿はなかった。
「・・・私達にも向き不向きはあるし、まあいいか」
そう独り言を言いつつ授業の準備を始めた。
◆◆◆◆◆
近年になって、長らく校外秘とされてきた織田総合大学(旧名織田学校)の資料の一部、主に室町時代末期のものが公開された。
それらは当時秘密裏に研究されていた事項であったが、現代ではすでに陳腐化、またはすでに隠す必要がなくなり、歴史的価値を判断されたものである。
織田学校では、宗教や歴史など当時の時代背景で公にすべきでないと認定された学問も盛んに研究されていたが、すべて校外秘とされ研究者は全員誓紙の提出を義務付けられていた。その誓紙も、当時の織田家当主である織田信秀に向けられた誓紙が今回公開されている。
研究内容は日本のものだけでなく欧州圏や中華圏などもあった。宗教学については、当時まだ発生して間もなかった天文法華の乱についての宗教的考察や、興って百年も経っていないキリスト教の宗教改革についての論文も存在している。また、歴史学については史料の信憑性、書かれた歴史的・政治的背景、どういう立場で書かれているかなど考察され、できうる限り客観性をもたせた研究がされていたことが伺える。
北畠晴具が当時の織田学校で自ら教わるだけでなく教壇にも立っていたことは良く知られているが、主に児童を対象に書の授業も行っていた。それは晴具が能書家として知られていたこともあったが、当時織田学校の校長であった久遠アーシャの依頼によるものだったとされている。
晴具は主に児童相手に書を教える際には楷書を教えていたが、本人の私文章には行書を用いており、その筆跡はわかり易くも流麗であり、今もその文書が数多く残っている。
パーソナルコンピュータの普及により文字印刷の際に様々なフォントが現在出回っているが、先日現在の北畠家当主公認の『天佑行書フォント』が発売された(『天佑』は北畠晴具の法名)。
式典礼典や祭事、また店舗の紹介や飲食店の品書きなど、その流麗でわかりやすい文字を採用したいと主に日本圏の企業団体からの問い合わせが殺到。また、企業団体だけでなく個人的に使いたいという需要も多くあり、単一のフォントの価格としては決して安いものでは無いにも関わらず異例の累計一千万ダウンロードを記録し、今も売れ続けていると言われている。