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閑話・公家を兄に持つ男

本作はみどりいろさんから寄贈されたものです。

side:井ノ口診療所の医師


「せんせー、ありがとうございました!」


「おう、元気なのは良いが怪我するほど走り回るでないぞ」


「はーい!」


 転んで足を怪我した童に患部の消毒と処置、そして化膿せぬよう薬の処方を手配すると童に礼をされ元気よく診察室を出ていった。


半井なからい殿、内匠頭様のお方様がお見えでございます。すぐにでも回診に行くと仰せですがいかがなされますか?」


「うむ、某も同行するゆえすぐ参ると申し伝えてくれ」


「畏まりました」


 某は半井光成という。斎藤美濃介様に仕えている医師だ。


 半井家は公家で、父上は某が生まれる前、明に渡って医業を学び、都に帰った際に時の帝に明の官服を来て出仕することを許されていたという。某が父上の姿を思い出すときはいつも明の官服姿であるくらい普段から身につけていた。


 某は元服前から兄上と共に父上のもとで家業である医道を学んでいたが、某が20歳を二・三年こえた頃、父上から縁があるという美濃の斎藤家から頼まれたゆえしばらく仕えて医道で役立てるよう言われた。その時はわからなかったが、今思えばあれは口減らしだったのではと思うておる。


 当時父上は従三位宮内大輔の官位を得ていたものの、半井家は和気わけの家系を汲む地下家でしかなく、父上は三位の位階を得ておりながら非参議であり昇殿は許されていなかった。

 はるか昔はそれなりにあったという荘園もすでに何処かの武士に横領されており、もはや取り戻すことも叶わぬと父上はなにかの度に言うておられた。

 思うような薬草の手配もままならず、苦慮していた父上の姿をよく見ていたものだ。某や兄上も薬草取りや散歩と称して京の野山や水辺で日々の糧を得に行っていた。他の公家らも同様だったゆえ当時はそれが当たり前だと思っていたものだが。


 美濃に下ってしばらく後に、父上が身罷られたが葬儀も全て済ませたからお前は都に帰らずとも良いゆえ役目を全うせよ、との文が来て以降兄上から音沙汰はない。


 そして斎藤家が尾張の織田家に臣従してからは久遠家の医術を学んでおる。秘伝を教え授けていただいておるし、こちらに妻子もできたゆえもはや都に帰るつもりもなければ公家に戻ることもない。美濃半井家を興すことを当時の殿であった御隠居様、斎藤山城守様からお許しを頂いておる。


「半井殿、おひさしぶりね」


「これはセシリア様。ご無沙汰いたしております」


 セシリア様は大智の方様と同じ髪色を腰の辺りまで伸ばしておられる、内匠頭様の奥方のお一人。滅多にお見かけすることがないが、たまにふらっとこの井ノ口に足を運ばれる。普段は本領の民たちを診ておられるという。


 セシリア様がここで入院しておる患者たちの回診をしたいというので同行する。


「これはセシリア様」


「あら、五郎兵衛殿。脚の調子はどう?私が作った日々の運動計画はちゃんとやってる?歩けなくなったら五郎兵衛殿自身がつらいんだからね」


「相変わらずセシリア様はお厳しい。もちろん毎日続けておりますとも」


「ちゃんと看護師の言うことを守るんだよ」


 セシリア様が患者に対して気さくに声をかけていく。セシリア様は『リハビリ』なる技を得意とされているという。もちろん薬師の方様などとおなじように通常の医術もされる。

 しかし、一度、多くて二度ほどしか会うておらぬような患者の名と病状を確と憶えておられるとは。


 一通りの回診が終わり、セシリア様や他の井ノ口詰めの医師たちとともに意見交換を行う。意見交換とはいっても、ほぼセシリア様主体の学びの会のようなものだが。

 某も一応この井ノ口診療所を任される身となっておるが、医術の腕はお方様方には到底及ばぬゆえ、学びの日々だ。時折那古野の本院に出向き、薬師の方様や光の方様などに教えを請うておる。


 その日のうちにセシリア様は井ノ口の診療所を後にされた。次に大垣の診療所に出向くという。

 そして陽も落ち本日の役目も終わり、家路につく。我が子らはもう寝ておるであろうなと思いつつ邸に戻ると妻が待っていた。


「おかえりなさいませ、旦那様。都から文が届いております」


「都から?」


 妻から文を手渡される。越前の和紙か・・・兄上からだ。これまで父上の件以来文の一つもよこさなかったが何故今更になって・・・。


 文を開けようとするが、すんでのところで思いとどまる。

 今、尾張と都はうまくいっておらぬ。先の譲位での関封じの件や院の蔵人らの件、それに守護様をはじめとした皆様方が等持院様(足利尊氏)の二百回忌法要にて都に上った際にも一悶着あったと伝え聞く。

 そんな微妙な時期、突如兄上からの文が来たことに違和感を覚えた。これはわが殿である斎藤美濃介様を介して清洲の大殿にお見せしてご裁断を仰がねばならぬかもしれぬ。


 翌日、診療所を他の医師たちに任せ、清洲の殿の邸に出向こうと先触れを出したが、清洲間近にある検めの関所にて先触れの返答が届き、殿は工務総奉行の役目多忙のため代わりに御隠居様がお会いくださるという。

 清洲にある斎藤家の邸で待つようにとのことだったので、半刻ほど待っておると御隠居様がお姿を見せた。


「半井か。井ノ口の診療所を任されるそなたがここまで出向くとはいかがした」


「はっ、実は・・・」


 兄上からの文を、近習を介して御隠居様にお渡しして事の仔細を伝える。


「ふむ。で、そなたはこの中身は見たのか?」


「いえ、見ておりませぬ」


「相変わらず律儀じゃの。読んでから渡してもわからぬというのに」


 そう言って御隠居様は少しニヤリとされる。御隠居様は御当主の頃からたまにてんごうのようなことを言って人の反応を見られることがあり、某も顔には出さぬもののどうお答えしてよいか分からぬ。


「うむ、表向きはそれほど大した要件ではないが、まあ、そなたの懸念はわからぬではないの。確かにこの難しき時期に突如なる文は偶然ではすまされぬ。これはそなたの言う通り念の為大殿のご裁断を仰ごう」


 御隠居様が近習に何か伝えると近習はすぐさま外に出ていった。

 それから半刻も立たぬうちに近習が戻ってきて『すぐ登城するように』とのことだったので身支度を整えさせてもらい急ぎ登城する。


「わしは先に大殿とちと話があるゆえ、そなたはしばし待て」


 御隠居様からそう言いつかったので待合部屋なる場所で暫し待つ。半刻か一刻程だろうか。大殿の近習より『南蛮の間に来るように』とお呼びがかかった。

 近習の案内により南蛮の間という場所に入る。様々な珍しきものや絵師の方様が描かれたであろう大殿や風景の絵があったが、それよりも目の前に座られている守護様と大殿が目に入ったのですぐさま異国の柔らかな敷物が敷いてある床に平伏する。


「苦しゅうない。面を上げよ」


「そんなところで伏していては話すこともできまい。山城守やましろの隣の椅子に腰掛けるがよい」


 守護様と大殿のお声が聞こえる。この国の頂に立たれている御二方と同席などと畏れ多いことで、誠によいのだろうかと思いながらも顔を上げて御隠居様の隣の椅子に座る。


「山城守から仔細は聞いた。しかし、公家とはいえ身内の文を読まずに渡すとは、そなたはやはり律儀な男だな。山城守が臣従した時にわしの直臣としても良かったのだぞ。そなたは義理があると言うて山城守の臣であることを選んだが、その頃から変わっておらぬな。だからこそケティやセシリアらからの評価も高いのであろうが」


 そう仰せであるものの、大殿のお言葉にどう答えてよいかわからぬ。


「半井卿の文の件だが、中身としてはさほど大したことではない。公家らしく婉曲的な言葉を弄しておるが、要は帰ってこずともよいし父の号を用いてもよいので銭の援助をして欲しいということだな」


 大殿から伺う文の内容になんとも言えぬ思いがこみ上げる。東国にいる弟に銭の無心をせねばならぬほど苦しいのかという憐れむ思いと、父上の葬儀にさえ呼ばず今までなんの音沙汰もなく今更そんなことを言ってきて随分と虫がよいなという冷ややかな思いが交錯する。


 大殿が文の要約で仰せになった『父の号を用いてもよいので』の言葉に、ふと過去の記憶が蘇った。都から美濃へ発つ間際、父上が言うたのだ。


『公家としての半井家は嫡男である明英が継ぐことに変わりはないが、医業の才優れるそなたには、吾の『驢庵ろあん』の号は、美濃から戻り出家した後名乗るのを認める』


 その時に兄上の顔を見た時になんとも言えぬ表情が一瞬見えた。あのときはなんとも思わなんだが、あれは某に対する嫉みの表情だったのではあるまいか?


「斯波家や織田家の名にて出すことはできぬが、そなたの家禄や職禄の中から工面するのであれば問題無かろう。現に、菩提寺や他国の分家に自らの禄で援助している者も少なからずおるからな」


「恐れながら、半井卿からは父御ててご殿が亡くなって以降何の音沙汰もなく、今この時期になって唐突なる文を出すとは、もしや近衛公や二条公あたりが半井卿を使って尾張に探りをいれてきているのではないかと、半井が気にかけておりまする」


 大殿のお言葉に、御隠居様が御進言された。


「それはわしも考えぬ訳では無い。使える伝手はいかなるものでも使うという思惑はあろうが、だとしても探りを入れる以上のことはできまい?」


「そうじゃの。そなたの疑念は間違いではなかろうが、音沙汰がなかったとはいえ血を分けた兄なのであろう。援助するかどうかはそなたの禄の中で好きにすると良いが、他愛のない話程度の返し文ぐらいはしてやるがよい」


 大殿の言葉を後に守護様がお話になり、兄上からの文が某に返された。


「もし援助をせずとも、文にあった『号』はわしが命じたこととにして名乗っても良い。なに、出家せずとも通称として用いればよい。半井卿に文句は言わせぬよ」


「久遠家の医術を学ぶ身ゆえもう都に戻ることはないであろうしその気もなかろう。さすればそなたやそなたの家は、斎藤が、そして織田が守る。公家衆から何かあろうともそなたは心置きなく役目に励め」


「はっ。ありがたき幸せにございまする」


 守護様と大殿の過分なるお言葉に畏まるが、椅子に座っておりどうすればいいのかわからぬゆえ、とりあえず頭を下げると御隠居様が某に顔を向けて話される。


「と、いうことじゃ。そなたなら半井卿への文にて久遠家の秘技を漏らすような不用意はするまい。さすれば守護様と大殿の御意のままにせよ」


「はっ、畏まりましてございます」


 某が畏まると御隠居様が席をお立ちになったのでそれに合わせて某も椅子から立ち上がり再度平伏する。


「それでは、これにて某も半井も井ノ口に戻りまする」


「うむ、未だ飛騨も難儀なゆえ、済まぬが山城守にはまだ楽隠居はさせられぬ。案配良く頼むぞ」


「承知いたしておりまする。それでは、これにて」


 御隠居様とともに御二方に礼をした後、南蛮の間を退出した。



 清洲から井ノ口に戻り、日々の役目に励むが、その合間や終わった後に兄上への援助を如何にするかを考えた。

 父上の菩提を弔う費えという名目にて一度か二度だけ銭を送ることも考えたが、中途半端な援助はかえって兄上の恨みを買うことになりかねぬ。

 とはいえ、多すぎる援助は兄上が他の公家からの嫉みや妬みを買い、結果として某への恨みとなりうる。

 無ければ無いで、それなりに恨みは受けよう。


 万が一でも身内で争い事や因縁事などあってはならぬ。その手の類いは守護様が最も忌避されておる。また、驢庵の号の件も守護様はああ仰ってくださったが、守護様に要らぬご負担をおかけすることもあってはならぬ。


 さすれば、三・四月に一度ほどの割で些細なりとも物や銭を援助するしかあるまい。それ以上無心してくる場合はもう知らぬ。某にも日々の暮らしがあり妻子をはじめ家を守らねばならぬ。



 そして今日も美濃井ノ口で民たちを診る。内匠頭様の奥方様方から学び、医の道を邁進する。父上から学んだ医道とは異なってしまったが、医術で人を治すことは変わらぬゆえ、理解していただけると思う。



◆◆◆◆◆


 半井光成


 室町時代後期の医師。生年は大永二年(皇歴2182年)と言われているが没年は不詳。

 半井明親(初代驢庵)の二男として生まれ、兄は正三位宮内少輔の半井明英。


 美濃守護代である斎藤利政に仕えるが、公家の生まれである光成がなぜ武士の斎藤家に仕えることになったのか詳細は不明。斎藤家から請われたとも、医術の修行のためとも、地下家であった半井家の財政事情のためとも言われる。

 斎藤家が織田家に臣従後に久遠家より医術を学ぶ。医聖久遠ケティや久遠セシリアなど久遠家奥方衆からの評価は高かったといわれており、井ノ口に診療所が開設された際の所長に推挙したのは彼女らだったとされている。


 尾張と都との関係が微妙になった永禄初期頃に、斯波義統の命で光成の父である明親が名乗っていた号『驢庵』を通称として名乗り、以降美濃半井家の子孫が『驢庵』の通称を継いだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 兄、生きてたのか。たぶん、織田家から吸いたい公家衆の手足となって美濃の弟に寄生しようとしてるんだろうな。
[一言] 井ノ口と聞いて、そういやこの作品で小六見てないなと連想する太閤脳。1526生まれなら三十前半か。
[良い点] 投稿ありがとう [気になる点] 半井は『なからい』のルビを入れたほうが良いかも [一言] 20世紀まで続く医療一族の2代目じゃ無いですか! 作中では久遠の秘伝も学んでさらに高名になりそうだ…
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