閑話・『なし』と呼ばれた女
本作はみどりいろさんから頂いたものになります。
side:とある遊女
『不浄な銭を扱う下賤な商人の娘ごときが名など無くてよい。そうだ、お前の名はこれから『無し』だ!』
『おい、無し!あそこの薪をすべて割っておけと言っておいたのにできておらぬではないか。割り終わるまで厩に戻るな!当然飯も抜きだ!』
・・・
「おい、大丈夫か?・・・ずいぶんとうなされておったが」
・・・またあの夢。
夢の途中、隣に寝ている客にうなされていたからと起こされ、客に心配させて申し訳ない気分になる。ただ、最近はここ『四箇市庭浦』の湊町を行き来する者が減っているみたいだから、今回のように客じゃなくて一緒に雑魚寝している遊女仲間に起こされることもある。
あの時のことを未だに夢に見てはっと目が醒める。時折何も悲しいことがなくても突然涙が出ることもある。あの地獄から離れてまだ一年と半年ほどしか経っていないから仕方ないのかもしれないのだけれど。
私は伊勢桑名の商家に生まれた。名は『華やかな娘になって欲しい』とのことで父親が『お華』と名付けてくれたと聞いた。
店も家も広かったし使用人が何人もいたから、桑名の中でも大店であったのだと思う。
父や母は五つ上と二つ上の兄には跡取りとそれを支える者して厳しく育てたようだが、末っ子の私には自分で言うのも気恥ずかしいがいわゆる『蝶よ花よと育てられた』というくらい今になっては甘かった思う。
私は覚えていないが、幼い頃に父親が書いていた帳簿に興味を持って文字を書きたいとねだったらしく、『商家の娘ならば文字はもちろん商いなども知っておかねばな』とわざわざ長島の大きなお寺から父親と昵懇だったというお坊様を呼んで、私に文字や学問などを教えてくれていた。
お坊様は『お華が男子ならばな。さすれば、すぐにでも寺に連れ帰って修行させれば良き学僧となろうに』と事あるごとに父親にも話していた記憶があるが、当時それがどういう意味なのかはわからなかった。ただ、私は物心がついた頃には既に文字の読み書きや学問が好きだったのは間違いない。
十四歳になった夏か秋頃だったか、川の向こうにある尾張の津島という湊に南蛮船が来るようになったと父親たちが大騒ぎをしていた頃だったと思う。父親が付き合いのある商人の伝手ということで北勢の武家への奉公の話が持ち上がり、あれよあれよという間に武家へ将来的に奥に入る前提の侍女として迎えられることが決まった。
世間のこともよく知らず『ねんね』だった私は、どのようなお武家様のところなのか、お武家様の暮らしはどのようなものか、奉公先でも学問は続けたい、と不安よりも期待を胸に桑名を後にした。
・・・それが地獄の始まりだと知らず。
北勢の武家の館に来て、いきなり最初に当主の母親や親族か室らしき女たちにそれぞれこう吐き捨てられた。
「由緒ある家柄であり公方様の奉公衆である当家に、氏素性の知れぬ卑しき商人の娘が侍女になろうなど身の程知らずもいいところよ。お前など妾でも侍女でもない。下人ぞ」
「なんとまあ、見るも汚らわしき女子よな」
「不浄な銭を扱う下賤な商人の娘ごときが名など無くてよい。そうだ、お前の名はこれから『無し』だ!」
そして、今まで着たことはもちろん見たこともないほどのおおよそ着物とも呼べないような粗末な着物に着替えさせられ、館の外にある厩に住めと命じられた。父親が家財道具や反物などをまるで嫁入りのように手配してくれていたが、全て取り上げられた。今考えれば恐らく何食わぬ顔で自分たちが使っていたか銭に替えられたかどちらかだったのだろう。
そうして私は『蝶よ花よ』の暮らしから一転、他の下人にさえまともに名を呼んでもらえないどころか、他の下人はそれなりの部屋が与えられているのに私だけが厩の片隅で馬糞の臭いと寒さに耐えながら過ごす日々になった。
薪割りや重い荷運びなどの重労働や厠での汲み取りと厩の馬糞の処理と、他の下人があまりやりたがらないような役目を押し付けられ、さらに、少しでも作業が遅かったり不満な顔や涙を見せるとすぐに折檻された。時には何も悪いことをしていないのに、機嫌が悪いからとか何かが失くなっているとお前が盗んだのだろうと言われて折檻されたこともあった。
私は毎夜一人、厩の片隅で声を押し殺して泣くことしかできなかった。幾度もこのまま仏様からお迎えがきて極楽に行ければと心のなかで『南無阿弥陀佛』を唱えながら。
この館に来て地獄のような日々が続き、二度目の春が過ぎ秋となったある日、初めに会って以来顔も見ることがなかった家の親族らしき女が薪を割っている私の前に姿を表したと思ったら、なにか不満そうな顔をしながら雑巾のような布を投げつけられ、吐き捨てるように言われた。
「おい無し。川の水で身体と髪をよく洗って、夕刻に館の裏口で待て」
折檻されるのは嫌なので、役目を終わらせた後すぐに近くの川へ行って髪や体を洗った。川の水は夏よりも冷たく折檻された傷がしみたが我慢して髪や身体を布でこすって洗い、館の裏口で待っていると先程の女が顔を出し館の中に入るよう促された。相変わらず不満げな顔で。
そして館の中の物置部屋と思われる場所に入れられた。もしかしてここに閉じ込められるのかと思い恐怖しかなかったが、そのような様子はなくいつもの食事(雑穀が入った味のない雑炊)と桑名の家で見た以来のきれいな白い寝間着が出されたので、食事を食べ終わり寝間着に着替えて暫くすると女に呼ばれついてくるよう言われた。
「殿が寝所でお待ちぞ。氏素性も知れぬ下賤な商人の娘には破格の事ゆえありがたく思え」
私は言われたことの意味が一瞬わからず、戸惑いながら館の廊下を歩いているうちに障子が閉まっている場所の前に来て、その前で平伏するよう促された。
「殿、連れて参りました」
「おみつは行って良い」
「かしこまりました」
女がその場を離れると奥から再び声が聞こえきた。
「入れ」
部屋に入るよう促され、中にいた男が自分の寝所に入るよう告げた。
そこから先は詳しく憶えていない。ただ、その『殿』と呼ばれた当主の男は暗がりながら私の上の兄と同じか少し上くらいに見えたということ、寝所ではとても優しくされたという記憶、そして事が済んだ後に『部屋をあてがうゆえ、わしのそばにいてくれ』と耳元で囁かれてすすり泣きながら肯定したことは憶えている。
しかし、その翌朝には元の粗末な着物に戻され、寝る場所も元の厩に戻された。役目も一切変わらなかった。
寝所でのあの言葉を信じて、他の下人に折檻されても厠や厩が臭くても重労働がつらくても冬の厩が寒くても耐えて我慢して待ち続けたが、部屋があてがわれるどころか再び当主に呼ばれる気配すらなかった。
そして、冬、春、夏と過ぎ再び秋になり、厩の近くにあるもみじの木が赤くなってきた頃、私は人買い商人に売られた。
『下賤な商人の娘というだけでなくさらには石女など、我が由緒正しき家には要らぬ、と殿が仰せだ』と館の女の言葉を最後にその館から連れ去られた。
館から離れて最初に立ち寄った『四箇市庭浦』という湊の町に来たときに私は遊里の主に買われた。
そしてこの湊町の遊里で一年と半年、様々な客を相手にして身体を売ることにも慣れた。決して楽ではない。でもあの地獄のような武家の厩から逃げることができた事になにより安堵していた。
ただ、その一年の間に、とある商人から気になる話を聞いた。二・三年程前かに桑名の商人たちが尾張の織田様が攻めてくると勘違いして大恥をかいて以降急速に町自体が以前の勢いがすっかり無くなってしまい、逃げたり打ち壊し被害に合う商家もあるという。両親や兄たちは大丈夫なのだろうかと、話を聞いたその日の仕事の合間に桑名がある方の空に皆の無事を祈り手を合わせた。
春もそろそろ終わって、もうすぐじめじめとした季節になる前の空気が清々しいと感じるある日の朝。私がうなされていたのを起こしてくれた先程の客が帰ると、私だけ遊里の主に呼ばれた。
「オレたちはちょっとした伝手もあるが盛況だって言う大湊に移ることにした。あそこは織田様の船が着くからな」
なんでも、私がこの湊に来た頃にはすでにその兆候はあったようだが、最近は更にこの湊町へ立ち寄る人が減っているとのことだった。
主が他の商人たちから話を聞いたところによると、尾張の織田様の船が人々を乗せてこの湊の沖を素通りしていくことや、畿内からくる舟は湊に来るが町には留まらずすぐに尾張や大湊の方へ行ってしまうこと、そして伊勢の者たちが働けば飯にありつけるという尾張に逃げていってしまっているのが原因らしい、とのことだった。
「お前さん目当てに通う客がまだそれなりはいるが、これ以上ここにいたらオレたちみんな干上がっちまうからな」
主と私を含めたここの遊女全員が移るのであれば一度に皆に言えば済むはずだと、主の態度に少し違和感を覚えた。
「そうですか。でもなぜ他の娘たちを呼ばず私だけにそのことを?」
すると主は一瞬言葉を探すように眼を動かした後こう言った。
「お前さんには買い手がおってな。・・・ああ、身請けではなくてオレが贔屓にしておる人買い商人が高く買ってくれたんだ。そいつ曰く、美濃の井ノ口に太口の買い手がおるらしい。なんでも、美濃守護代の斎藤様が尾張の織田様に臣従されて、その斎藤様が治める井ノ口の町がえらく繁盛しておるらしくそこに売りたいんだそうだ」
その言葉を話し始める主の顔を見ていて瞬間にわかった。私を売った銭で大湊に行くのだと。ただ私一人を売っただけでそんなに銭が入るとは思えないから今までの蓄えもあるのだろう。
「というわけで、お前さんとはこれでおさらばだ。明日その商人が来るらしいから今日の客の相手が終わったら用意しといてくれ」
「わかりました」
私がそういって踵を返すと主が声をかけてきた。
「なあ、いつか聞こうと思ってたんだが、お前さん、真に『なし』なんて名なのかい?お前を買った商人からそういう名だって言われたから『おなし』と呼んできたし、今度お前を買う奴にもその名で伝えてあるが、『おなつ』ならともかく『おなし』ってのもあまり聞かない名だと思ってな。まあ言いたくないってんならいいけどよ」
私は主の方を振り返らないまま答えた。
「・・・明日でおさらばなのですから、そのままでよろしいのではないですか?」
「それもそうか。・・・じゃあな、井ノ口でも達者でな、おなし」
その翌朝、私は人買い商人に連れられて四箇市庭浦の湊町をあとにした。
四箇市庭浦を離れて、伊勢と尾張の境の川に沿って上っていくことになりその途中桑名に寄ると商人は言った。この姿を知っている人や特に親族に見られるかもしれないのは気が引けたが、人買い商人に桑名に寄らないで欲しいと言う事はできなかった。
後ろめたい思いで桑名の町に足を踏み入れたが、記憶の中にあるあの賑やかしい桑名の町ではなくなっていた。
以前四箇市庭浦で商人が言った通り、人の通りもまばらで、数が少ないながら行き交う人は下を向きがちで表情が暗いか、何もここで買う気がなさそうに足早に通り過ぎていく。商家の屋敷も壊されたようなところや閉まっているところが多い。
知らぬふりをして何があったのかと人買い商人に聞いてみると、桑名の商人たちが尾張の織田様に当時仇なしていた市江島の服部様に与したらしく、織田様との商いを絶たれてしまった上に、なにかの勘違いで桑名の商人達が世間に大恥を晒したことでさらに人が寄り付かなくなってしまったらしく、さらに付け加えて、織田様が近くの蟹江という場所で大きな湊を作ったものだからそちらに人が流れてしまっているとのことだった。
私の両親や兄達は無事なのだろうかと改めて思ったが、それを聞くわけにもいかず、休息の後そのままほんの短い滞在で桑名を後にした。
徒歩と舟を使ってようやく井ノ口の町にたどり着いたが、そこはあの寂れてしまった桑名と対照的に記憶の中の賑やかな桑名よりもずっと賑やかな町だった。道は広くそこに様々な人々が表情明るく歩いており、なにやら物を売り歩いている者、荷物を載せた木でできたものを忙しそうに引いている者など、桑名でも見たことがない光景がそこにはあった。
私は井ノ口の川沿い近くの遊里に売られることになった。
ここ井ノ口は以前いた四箇市庭浦の湊町とは比べ物にならないほど人の通りが多く、そして遊里に来る客も多かった。ここの遊里の主も四箇市庭浦の主よりも良い着物を来ているので儲かっているのだろう。
ここの遊里についてすぐに客の相手を始めたが、初日だけでも四箇市庭浦の湊町での二日分は働いている感じだった。
それが日を追うごとに相手する客が多くなる。朝の早くまともに食事が取れぬまま客の相手をし、日が落ちても客はやってきて、やっと終わったと思い自分用に残してある夜の食事である冷めた雑炊をなんとか食べて他の遊女たちと雑魚寝する場で寝ることがほぼ習慣のようになった。
身体が草臥れるほど忙しかったが、あの地獄のような夢を見ることがなくなったので良かったと思っている自分がいた。
そんな日々が続き、夏が過ぎて秋から冬、そして三寒四温でもうすぐ春と感じるようになったある日のこと。
私はあれ以降休みの日など無く客の相手をしていて正直朝起きるのがつらい。まれに他の遊女に起こしてもらわないと起きられないこともあって、多少申し訳無さも感じている。
今日もなかなか起きられず耳元で声をかけられてようやく目を醒ました。
「おなっちゃん、今日は久遠様というお武家様の奥方様が来て、あたしたちに病がないか診ていただけるそうだよ。早く支度しな」
私はここの遊女仲間には『おなっちゃん』と呼ばれている。そう親しい遊女仲間に言われ、そういえば昨日の夜にそんな話を聞いたような気がするなと思い、さあ起きようと思って立ち上がろうとしたとき何か変な感じがした。
あれ・・・なんか・・・急に・・・・
side:レミア
わたしはレミア。医療型アンドロイドよ。
若菜が関ヶ原のウルザのところに行く用事があり、そのついでにまず井ノ口の様子を見に行くらしく、同行を頼まれたので一緒に行動をしているの。
若菜はギャラクシーオブプラネットではウルザやヒルザと別チームの隠密行動をしていた戦闘型アンドロイド。こちらでも忍び衆を率いてあちこち動き回ってるみたい。
ウルザとヒルザは二人一緒で行動していたけど若菜は当時単独行動だった。でも司令の指示でこちらでは最低でも二人で行動して欲しいと言われているので、どこかに行くたびに誰かに頼んでいるそう。それで今回はわたしに依頼が来たというわけね。
わたしたちは一昨日から井ノ口に留まっている。若菜はその見た目からか遊里にも回っていて、わたしも遊女の健康診断を兼ねてついて行く。
今日は井ノ口の川そばの遊里ね。井ノ口の景気が良いから遊里全体でも景気が良いけどここは一際客の入りが多いらしいと忍び衆が事前に調べてきてくれた。なんでも、美人で評判の遊女がいるとか。
わたしが遊女を診察したいからということで、早朝からその遊里にやってきた。もちろん忍び衆が先触れをしてくれている。
「これはこれは久遠様の奥方様。このような場所にわざわざお越しいただくとは・・・」
この遊里の主ね。なるほど、着物の質からして確かに儲かっていそうだわ。その分遊女の娘たちを酷使してなければいいのだけど。
「今あちきと隣りにいるレミアが井ノ口の遊里を回っているところでありんす。レミアは医師でありんすので、銭は取りんせんから遊女の娘達を診させておくんなんし」
「それはありがたいお申し出・・・」
主がそう言っているその時だった。奥の方で『バタン』という何か大きな音がしたと思ったら女性の悲鳴が複数聞こえた。
わたしはただならない予感がして遊里の主の断り無くすぐさま中へ飛ぶように入る。
悲鳴の出どころにたどり着くと、どうやら遊女たちの寝る場所のようだった。一人の遊女の娘が寝巻きのままぐったりと倒れていてすぐそばで複数の遊女が悲鳴を上げたり立ち尽くしたりしている。
「おなっちゃん!おなっちゃん!」
倒れている遊女のそばで一人の遊女がそう言って揺り起こそうとしているので慌てて引き離す。
「どいて!」
若菜がすぐにやってきてくれて遊女たちに自分たちが何者かを説明しているようだったからそちらは若菜にとりあえず任せて、わたしはおなっちゃんと呼ばれたその遊女の娘に大丈夫かと大声で呼びかける。
・・・返事がない。呼吸は・・・してない。心停止してるわ。心肺蘇生しないと!でもAEDなんてないから、形振りかまってられない!心臓に直接ナノマシンを当てる!お願い!間に合って!
「惣四郎殿!警備兵詰所にある物資輸送の大八車の手配を急いで!」
「はっ!直ちに!」
「他の忍び衆はこの部屋と遊里を封鎖!わたしか若菜の許可があるまで何人たりともこの部屋に近寄らせないで!」
「「はっ!」」
「若菜は胸骨圧迫を!」
一番近くにいてわたしの視界に入った忍び衆のまとめ役の惣四郎殿に指示を出す。若菜に心臓マッサージをお願いして、わたしは人工呼吸をしながらナノマシンを送り込み続ける。大丈夫!わたしが助けてあげるから貴女も頑張って!
懸命な心臓マッサージと人工呼吸とナノマシン、そして何より倒れてから間もない処置だったおかげで、しばらくしたら遊女の娘の呼吸と心拍が再開したので、二人でほっとする。まだ安心はできないからわたしはずっとナノマシンを適量送り続けつつ呼吸と心拍の状態を確認し続ける。
音がするほど倒れたと思われるので、念のためナノマシンからのバイタルデータリポートで骨折や頭部などへのダメージがないかを確認するけど打撲だけで済んだみたいね。
「レミアがいてよかったでありんす。あちきだけだったらと思うと心許なかったでありんすよ」
「まあね。でもまだ安心はできないわ。もし後遺症とか残ると大変だし」
若菜が心底ホッとしたように言った。まあ確かに若菜だけとか医療型の娘が一緒じゃなかったらナノマシンを使えないしそう思うのも無理ないわね。
しばらく様子を見て警備兵の詰所までは動かせると判断できたので、忍び衆の惣四郎殿が手配してきた大八車へ彼女を慎重に乗せて、同時に封鎖している忍び衆に解除を伝えてつつ、なるべく振動を立たせないようにゆっくり詰所まで運んでいく。この大八車は物資輸送に使うために置いてあったものだけどそんな事を言ってる場合じゃないわ。
しばらく警備兵の詰所の一室を借りて経過を見るしかなさそうね。あと、ナノマシンでの身体分析だとこの娘極度に疲労しているから、あの遊里の遊女たちに事情を聞いたそのうえであの遊里の主はお説教だけど、それは若菜にお願いしようかしら。遊里での『誠意ある説得』は以前からしてるようだしあの手の人たちの扱いには慣れてるでしょうから。
その翌日、わたしは変わらず遊女の娘の看病をしていたけど、若菜があの遊里で事情を聞いた後、主へのお説教ついでにこの娘についての処遇について話をつけてきた。
この娘については、見た目回復したように見えても極度の過労状態は残っているので、その回復も兼ねておよそ半年は経過観察するつもり。経過次第だけど、その間は働かせることはできない。
若菜が遊里の主に遊女の過剰労働を説教してそれを通告したら『自分が高い銭払って買ったのだからどう使おうと自分の勝手だ。病が治ったのなら早く返してくれ』と逆ギレのように言われたので、若菜はそれならばと売り言葉に買い言葉といわんばかりに遊女を半年前に人買い商人から買った当時の額を聞き出して(どう聞き出したかは敢えてわたしは聞かなかった)、それと倍額の良銭を主の眼前に突きつけて身請けさせたらしい。
司令の世界の江戸時代の遊女だと身請けするのに遊女のランクによって何十両から何百両とか千両近くとかって話があるって若菜が言ってたわね。でもこの時代はまだそこまでじゃないし、別にこの娘が遊里の主に高額の借金をしていたわけでもない。とは言ってもこの時代の身分があるからと接収扱いにしてしまうと回り回ってうちの商いの信用にまで関わるのも嫌だし、買った同額だといままでの費用やら何やらはどうなるんだって話になるから、もういっそ買った倍額にしたって。
ただ、あの遊里を封鎖したり人を運び出したりして大事になってる上に、うちに目をつけられたって噂にもなるだろうから、あの場所で遊里を続けてもあそこの客入れは間違いなく落ちるし、別の場所で同じ主が遊里を開いてもネガティブな噂はつきまとうだろうからうまくいかないだろうけど、それは仕方ないって若菜は扇で口元を隠しながらコロコロと笑って教えてくれた。
蘇生処置していたときはこの娘の容姿を見てる余裕はなかったけど、この娘、たぶん噂の美人さんね。栄養状態が良くなくて痩せているけど顔立ちは司令の元の世界で言うところの『綺麗可愛い』といったところかな?今でも十分綺麗で可愛いから、栄養状態が整って司令の元の世界で街を歩いていたら確実にアイドルかなにかにスカウトでもされそう。
彼女が回復するまでの間、わたしが警備兵の詰所に泊まって専属でおなっちゃんと呼ばれていた元遊女の娘を看病することにした。
数日後に関ヶ原に行く予定だった若菜も、自分が身請けしたんだし乗りかかった船だからと少し苦笑いしながらと井ノ口に留まってくれるという。たぶんわたしのことを相変わらずのおせっかい焼きだとでも思ってるのでしょうね。
ここに運び込んだ翌日の夜には意識も回復して、その何日か後に会話も大丈夫であることを確認すると記憶障害や運動障害などの後遺症がないかを確認するついでに、彼女の身に何が起こったのかということや、いろいろあってわたしたちが身請けすることになったことをわたしから話して、彼女のことを聞いた。
結果として記憶障害や運動障害はないようだったけど、その口から語られた彼女の壮絶な身の上話に、聞いていたわたしと若菜はしばらく次の言葉が出なかった。
この時代では『よくある話』なのかもしれない。同じような身の上の娘達を助けていたらキリが無いのかもしれない。でも目の前にいるこの娘だけでもなんとかしてあげたい。わたしはそう思った。
彼女が遊里で『おなっちゃん』と呼ばれていたから、てっきりこの娘の名前が『おなつ』とかかなと思ってたんだけど、『無し』が『おなし』に転じて、こちらの遊女が呼びやすく『おなっちゃん』と呼んでいたと知って、その名前はどうなのかと思い本人に聞いてみると、正直良いとは思っていないが四箇市庭浦でもここでもそう呼ばれるから、もうそれで慣れてしまっただけとのことだった。とはいえ両親がつけてくれた名は、呼ばれたのが桑名で暮らしていたとき以来で、桑名の今の状況を知っているだけに、その頃を思い出してしまい逆につらくなってしまうという。
「はな・・・なし・・・そうでありんす」
それを聞いた若菜はなにか思案しながらボソボソとつぶやいていたけどなにか閃いたようで、手元にあった藁半紙に文字を書きながら言った。
「『なし』は梨の木の『なし』で、『はな』は咲く花の『はな』で、『梨花』というのはどうでありんしょう?」
そう言うと、縦書きの楷書でありながら流麗な筆致の『梨花』という文字を見せた。いつもは扇で口元を隠して話している若菜が、両手を使って紙を広げて見せているものだから、ちょっとドヤ顔になっているのがわかって少し可笑しいけど堪えて平静を装う。
「『なし』も『はな』も嫌で忘れようと思うと余計に忘れられなくなりんしょう?それならばいっそ両方の名を身につければ次第に両方気にならなくなると思いんす。普段身につける着物をいつもわざわざ『着てる』と意識して着ないのと同じでありんす」
「・・・奥方様の意に従います」
彼女のその言葉にわたしは首を振った。
「わたし達が言うとどうしても命じているように聞こえると思うけど、これは貴女が決めて欲しいの。だって自分の名なんだもの。貴女が嫌だと言うなら強制はしないから」
「そうは言ってもそれはなかなか難しゅうありんすから、これからあんさんは『梨花』でありんす。よろしゅうござんすね?」
「かしこまりました」
そうね。身分差もあるから命じてしまったほうがいいのかもね。それに彼女の方も満更でもない様子だし。
その話の後、おなっちゃん改め梨花さんが、身請けしていただいたからには下働きであろうと何なりとお命じくださいと言うので、そんなことはさせるつもりはないけど梨花さんには自身がやりたいことはないのかと聞いてみた。
梨花さんは明らかに困惑していたので、それを聞いて梨花さんをどうにかするつもりはないからって促したら、少し考えた後、今はあまり考えられないが許されるならば何かを学びたいとのことだったので、那古野に学校というものがありそこに行くのは全然構わないということと、他のやりたいことについては時間はあるからよく考えるように言っておいた。
引き続き警備兵詰所の一部屋を借りて梨花さんの様子を診た。
その間に、遊里での一連の騒動を聞きつけたらしく、明智十兵衛光秀殿が詰所においでになり、斎藤山城守殿が『もしよければ我が奥の者たちを診ていただきたい』とのことで、梨花さんを若菜に任せて山城守殿の館で深芳野殿や小見の方殿などの健康診断や痛くない程度の指圧や按摩の施術をして喜んでいただいた。山城守殿も施術の様子を面白そうに見ておられ、御礼とともに施術費を出すと言われたがわたしが要らないと言ったら『まさに久遠殿の奥方じゃの』とお笑いになられた。
梨花さんを詰所に運び込んでから約二ヶ月ほど経った頃那古野までは移動できると判断できたが、念のためもう半月ほど様子を見た後、なるべく川舟を使うなどして梨花さんに負担がかからないような手段を手配し井ノ口を後にした。
若菜にはずいぶんと足止めをさせてしまったけど梨花さんのことは若菜なりに気をかけていたから、なんやかんやで那古野までは同行してくれたわね。ああ見えても根はいい娘だから。
病院まで着くのを見届けてから、若菜は津島や蟹江などをしばらくうろついていたようだけど、微生物の研究をしている万能型のマーガレットが久遠諸島から来たら、彼女を連れてまた美濃の方へ行った。今度は北方を経由して杉原砦のあたりまで行ってから、元の道を戻って関ヶ原のウルザとの用事を済ませた後、新しく臣従した北美濃や東美濃に行くって言ってたわね。
那古野に着いて、梨花さんにはとりあえず病院の一室でしばらく療養してもらうことにした。あいにく大部屋の病室にしかあてがうことができなかったけど、今いる三人共比較的若い女性で一人は清洲の遊女らしいから、会話もできたら少しは気が紛れるかもしれないわね。
梨花さんには、井ノ口にいた頃に伊勢の武家から虐げられていた時のものと思われる心的外傷へのカウンセリングもしていたが、もちろん那古野でも継続するつもりよ。
「若菜様、お久しぶりでございます」
梨花さんを那古野に移してからおよそ半年、若菜が久々に那古野に戻ってきたので一緒に梨花さんの病室に来た。
奇しくも今日が梨花さんを退院させるための最終確認の日。井ノ口の頃に比べたらだいぶん肌艶も良くなって、以前と比べれば少しふっくらしたみたいね。でも元々が痩せすぎだったからまだウェイトを増やして欲しいくらいよ。
お清殿に血圧などの測定をしてもらった後、わたしが脈診や舌診を行う。とりあえず退院はできそうね。
退院するにあたって、梨花さんのこれからのことを話そうとするが少し思い詰めた表情をしたので、なにか込み入った話でもあるのかと思い、この大部屋ではなく面会室に場所を移して梨花さんとわたしと若菜の三人で話をすることにした。
面会室で梨花さんのこれからについて話を切り出そうとすると、梨花さんはいきなり椅子から降りて床に土下座して謝りだした。
「申し訳ございません!」
わたしが慌ててもう一度椅子に座らせる。
「いきなり謝られても何の事かわからないでしょう?」
少し落ち着くまで様子を見た後、どうしていきなり謝ったのかを優しい口調で問いかけてみる。
「奥方様に助けていただきながら、このようなことを申し上げるのは僭越かつ不遜ではございますが・・・」
そう切り出して言うには、梨花さんはできれば再び遊女に戻りたいということだった。わたしは少し驚いたけど若菜は口元は扇で隠しているものの表情を変えずに黙って聞いている。
「四箇市庭浦に来た頃は、遊女など嫌だと思っておりました。でも、最初の殿方に『ありがとう。また来るよ』と晴れやかな笑顔で言われたときに、とても嬉しゅうございました。それまで折檻と罵詈雑言に塗れ、厩で寒さに震える日々の中で、私は生きていてはいけないのかと自問することが幾度となくございましたが、そんな私でもこれ程喜んでいただくことができるのかと、ようやく居場所を得た心持ちでございました」
そう話している梨花さんの表情は晴れやかで、そして綺麗だった。
梨花さん曰く、決して楽な仕事ではないのは重々承知しているし、もちろん良い客だけでなく嫌な客や乱暴な客もいるが、自分のような者でも客が喜んでくれることがなにより嬉しい。それがあったからたとえ疲れていてもここまでやってこれたと。
「でもさ、客に喜んでもらえるお仕事は遊女でなくても他に数多あるわよ?」
「つい先日まで私と同じ部屋で療養しておりました清洲のおよし殿から話を伺いました。少なくとも清洲や那古野の遊里は薬師の方様や若菜様といった久遠様の奥方様が遊女や遊里の主を御指導されていて、逆に私が井ノ口のことをおよし殿に話したら、そんなことをしたら清洲の御殿様から罰を受けるからこちらでは営むことすらできないと驚かれました」
元々はケティが遊女の労働環境があまりに悪いことを見過ごせなかったのと、性病対策のために見回り始めたんだっけ。ああ、情報漏洩防止も目的だったかしら?
最近はケティも評定衆になったりと色々忙しくなってしまったから、若菜や他の医療型の娘が交代で見回ってるみたいだし、ケティ自身も忙しい合間を縫ってできる範囲で見回ってるみたい。
「それでも遊里なりの掟があり、およし殿も理不尽を覚えることは今でもあるそうでございます。それを聞いたとき、外から奥方様が変えようとなされている事を遊里の内側からできないだろうかと」
梨花さんの眼に強い決意が見える。本気なのね。ていうか、井ノ口で話し始めた頃から賢い娘だとは思っていたけど、今話している言葉の端々に改めてそれを感じる。
「私ごときが奥方様のようなことができるなど大それたことは微塵も思いませんし、もし私にできることがあったとしてもほんの些細な事だとは思っています。しかしながらその些細な事でも、幾時を経てやがて波紋のように広がることがあれば、些少でも奥方様への御恩返しになるのではないかと愚考致しました」
数秒の沈黙の後、若菜が口を開く。
「あちきたちへの恩返しはともかく、それがあんさんが本心でやりたいことなのでありんすね?」
若菜の問いかけに梨花さんは力強く肯定の返事をすると、持っている扇をパシンと閉じて自らの膝をパンと叩いた。ていうか、それ鉄扇のはずなんだけど、そんなに勢いよく膝叩いて痛くないの?
「ようござんす。遊女も立派な仕事でありんす。あんさんがその気なら、あちきが止めることはありんせん。ただし、幾つか守ってほしい事がありんす」
そう言ってわたしの方を流し目でちらりと見た。ああ、身体のこととカウンセリングのことか。それはわたしから話さなきゃね。
まず前提として無理は絶対にしないこと。当分の間三日仕事したら必ず一日休むこと。休みの日に学校に行ってもいいけど病院にもかならず来ること。一日三食の食事を摂って休息や睡眠は必ず十分に取ること。もし少しでも体調がおかしいと感じたら遠慮しないで病院に来ること・・・など、ずいぶん言ってしまったから後で紙にでも書いて渡してあげようかしら?
「あと、仕事はまず那古野の工業村外にある歓楽街でしておくんなんし。あそこなら学校にも通いやすいでありんす。もし将来違う道を見つけたのなら、そのときはあんさんの好きにしておくんなんし」
「かしこまりました」
「身請けしたことに恩義を感じてくれるのはありがたいけど、だからといって過度に気張らないでね」
数日後、梨花さんは退院していった。住む場所は工業村外の歓楽街傍に遊女たちがそれぞれ個室で寄宿できる場所があるので、とりあえずそこにしてもらった。これでも以前のような他の遊女と雑魚寝よりよっぽど良いし、食事は飯屋があるからそこで食べられる。寄宿舎と飯屋の主に一月分前払いしておいた。
それと、梨花さんが身請け金のことかなり気にしてるみたいだから、とりあえず気の済むようにしてあげて、その返済金は梨花さんの寄宿舎と飯屋代に充ててあげよう。それでも余った分は・・・まあその時考えればいいわね。
side:梨花
若菜様やレミア様にずいぶん勝手な事を申し上げてしまってから三年の歳月が経った。
私の命を救っていただき、さらに井ノ口の遊里から身請けしていただきながら勝手なことばかり言ってしまってもそれを受け入れてくださった奥方様には申し訳ないと思いつつ日々感謝をしている。
あのときお二方から仰せつかった掟は守りつつ、遊里と学校と那古野の工業村近くで貸していただいている寄宿舎といわれる館、そして病院を行き来するという、穏やかかつ充実した日々を過ごしている。
若菜様やレミア様は、身請けしたことはもう無き事こととして私の好きなように生きて欲しいと仰せになり、そうは言っても自分たちとの縁を切ったり疎遠にするとかではなくすべて今まで通りで良い、と仰せになった。身請けしたことに対して、私自身がずっと気にしたり行いに制約をもうけないで欲しいから、とのことだった。
しかしながら、身請けに少なくない銭を払っていただいていると思い、流石にそういうわけにはいかない事を申し上げたようとしたら、レミア様が私の表情でお察しになられたのか、本当はそんなことで気に病んで欲しくないけど、もしどうしても銭の面で気兼ねがあるのなら、身請けした時の額は教えるけど、何年かかってもいいしほんの少しずつでも返してくれれば良く、返せなければそれでいいし、こちらからは一切請求はしないし、何よりそのために無理だけはしないで欲しい、と仰せになった。
こちらの遊里では四箇市庭浦や井ノ口では考えられないほどたくさんの銭をいただくので、それを返済に充てている。レミア様からのそのようなお言葉は頂いているが、それに甘えることなく全額お返しするつもりでいる。
一昨年、休みの日は毎回病院に行く、という掟をレミア様が改められ、休みの日の三回毎の通院でいいと仰せになり、今は五回毎の通院となった。順調に時が経てば休む日の間隔や病院に来る間隔をもっと広げることはできるかもしれないが、病院に来なくて良いとはならないだろうとのことだった。
あと、井ノ口でレミア様から朝夕に必ず飲むよう頂いている薬は、こちらの病院でも同じく頂いて毎日継続して飲んでいる。
学校では楷書での読み書きを最初に習ったが、それ以降は様々な学問を学んでいる。最近学んでいるのは古の史書で記した者の立場によって同じ出来事でも見方捉え方が異なるということ。今読んでいるのは『吾妻鏡』『玉葉』『玉蘂』の三書。それらを読んで私なりに考察したものを報告書として提出するように言われている。
何故久遠様のもとに古の公卿の御方の書があるのかはわからない。久遠様が殿上人となられ尾張では武芸大会に御製が御下賜され、さらには次の帝となられる親王殿下が尾張にお見えになるほどなので、これらの書があっても不思議ではないのかもしれないが、雲の上の方々の話なので私ごときでは知ることはできない。
あと、レミア様が病院で施術されていた指圧や按摩に私が興味を示したら簡易ながら教えて頂けるとのことだったが、久遠の御家の秘伝なのではとお断りしたら逆に『ぜひ覚えて欲しい』というお言葉をいただいたので、知識と実技を習わせていただいており、レミア様から『筋が良いね』とお褒めの言葉を頂いた。
ここの遊里で働き出した頃は他の遊女仲間とともに待機部屋で出番を待って客が来たら部屋へ出向いていたが、暫くしたら遊里の主が『ここで客の相手をすればいい』と私専用の部屋をあてがわれた。
そのような特別扱いは不要だと私からは言ったが、『売れっ子なんだからそのくらい受けておけ』と笑って言われた。お仕事はそれなりに頂いているが、他の遊女もおそらく同じほど働いており少ないというわけではなさそうで、『売れっ子』というのは些か大袈裟だと思う。
あと気になったのは、寄宿舎代と隣接する飯屋の飯代を私は払ったことがない。払おうとしても私の分は遊里の主からもらっているからいいというので、那古野ではそういうものかとしばらく思っていたが、何気無く他の遊女に聞いてみると格安とはいえ自分で払っているという。改めて遊里の主に聞いてみると『お前さんにはこっちが儲けさせてもらってるんだから、そのくらいしてもバチは当たらねえだろう?』とやはり笑って言われた。
お仕事部屋の件や寄宿舎代と飯代の件は、もしかしたら奥方様の御意向や忖度が入っているのではと思うと少し申し訳ない気もする。
那古野の遊里に身を置いてから、主を通して度々私に身請けの話が持ち上がるが全て断っていただいている。奥方様は先日言ったとおり自分たちが身請けしたことは気にせず私の好きにすればいいと仰せになり、その気があるなら身請けを受け入れてその人と添い遂げてもいいし、もし子が欲しくなったら養子でも貰えば良いと仰せだった。しかし、今のところその気は無い。今が充実してるからというのはもちろんだが、何より、あの北勢の武家の男に裏切られて以降、一人の殿方に自分が添い遂げているという姿をどうしても思い描くことができないでいるから。
そういえばつい先日、若菜様が見回りついでとのことでわざわざ私のお仕事部屋におみえになり、私に関わった人達のその後がわかったと仰せになった。思い出してつらいというなら教えないが、もしそれを聞いて気持ちを吹っ切ることができるのならば教えると仰せだったので、私は教えていただきたいと答えた。
まず私の両親と兄達は、桑名の町が大恥をかき、久遠様の御家臣が桑名商人の引き抜きをしていた頃、知り合いの商人に『親族が近江にいて呼ばれたから商いの拠点を変える』と言い残し町を出ていったという。恐らく近江商人からの引き抜きだったのではとのことだったが、近江の何処に行ったかはわからないとのことだった。桑名の大店の中には打ち壊しにあい殺された者もいるというので、そうでないことに安堵した。恐らくもう会うことはないだろうが、無事に近江で商いを続けていて欲しいと願った。
次に、私を学問の道に導いていただいた長島願証寺のお坊様は、残念ながら三河にあったという本證寺で一揆があった際に亡くなられたとのことだった。一揆を止めようとした御立派な行いでの御不幸だったとのこと。それを聞いたときに私は『南無阿弥陀佛』とあのお坊様に教えられた念仏の言葉を心のなかで口ずさんで静かに手を合わせた。
四箇市庭浦の遊里の主は大湊で同じく遊里をそれなりに営んでいるという。また、井ノ口の遊里の主は少しの間同じ場所で営んでいたが客足が鈍り別の場所に移ったが、それでも客足は戻らず、遊里を畳んだ後は行方知れずだという。
そして若菜様から最後に教えていただいた北勢の武家は、あの辺りで大規模な一揆があった時に普段からの苛政のせいもあって真っ先に標的となり、館は跡形もなく打ち壊され当主を除く一族や郎党は殺されたという。一揆から逃げ延びたあの当主は、その後近江の守護様である六角様のところに行った後若狭に向い、その後の消息はわからないとのことだった。ただその後、若狭におられるという管領様を討とうとして逆に討たれた北勢の者たちがいたらしく、もしかしたらその中の一人だったのかもしれない、とのことだった。
北勢の武家の末路を知り、少しは溜飲が下がるかと思ったのだが、自分でも妙に思うほど淡々と聞いてその後何の感傷も湧かなかった。
那古野の工業村外の遊里で、私は様々な殿方とお会いした。四箇市庭浦や井ノ口と違い尾張の殿方はほとんどが優しい御方ばかり。もちろん嫌な客や乱暴な客はいないわけではないが、遊里の主に報告すると即刻つまみだしたり、『黒色帖』なるものに名や外見などを書いて今後の出入りを禁じている。それは若菜様の御発案と主から聞いた。
お城勤めの武官や文官の御方もたまにお見えになる。軍務総奉行の織田孫三郎様がお見えになった時は流石にすごく緊張をしてしまったが、気さくかつ優しい御方で、お酒を嗜まれ肴をつままれつつ様々なお話をされた後『そなたと話していると楽しいからまた来る』と仰せになって私と寝所をともにすることなくお帰りになった。
久遠様の御家臣である滝川慶次郎様は度々おいでになる。昨年だったか、『そなたの絵を描いてやろう』と仰せになり、その下書きというものをこの部屋で描いておられたが、慶次郎様が面白いお話や冗談を仰せになりながらお描きになるので思わず笑ってしまって、それで良かったのだろうかと思ったが、後日出来上がった絵を見せていただき思いの外美人に描いていただいて、とても嬉しかった。
職人の方々は職人村や工業村が近いこともあり幾人も来てくださる。その中でもまだ見習いだと笑って自ら仰せだった木下藤吉郎様も来ていただいているが、先日『頼む!おいらの身請けを受け入れてくれ!』と目の前でいきなり土下座された。藤吉郎様は愛嬌もあって色々な話をされる楽しい御方で嫌いではないが、やはり断らせてもらった。その時はしょげてお帰りになったが、何日か後には何事もなかったかのように来てくださっている。
お方様に以前約した遊里を内側から変えることは未だできていない。一人の遊女でしか無い今は来てくださる殿方のお相手をするだけしかできることはない。
しかし先日遊里の主を介して熱田の御方から、できれば月に一度、それがだめなら熱田祭りのときだけでもいいから仕事をしないかというお話をいただいた。遊女仲間に聞いてもそんなことは聞いたことがないというし、ここの遊里の主は『そんな程度だったらお前の好きにしな』と言われたので、滅多にない機会を頂き有り難い限りだが、私の身体のことを御心配くださるレミア様や若菜様にも相談をさせていただかねばならない。もし許可を頂いたら熱田にも出向こうと思っている。
自分が遊女としては異例なことを始めることで何かが少しずつ変わっていくならば良いと願いつつ。
遊里の主の、お客様が来ることを知らせる声がした。もうそんな刻限か。レミア様から客の相手の合間は少なくとも四半刻とることを命じられて、主も理解してもらっている。
私は居住まいを正す。・・・お客様が来られた気配があったので、正座のまま深々と礼をして挨拶をする。
「ようこそおいでくださりました。私は『なしのはな』と書いて『梨花』と申します。今宵はよしなに願います」
◆◆◆
『尾張那古野に梨の花あり。その姿最も佳し』
これは戦国時代、三河のとある豪商がその商売仲間に宛てた手紙の文章の一部である。
この史料が発見された当時、那古野に梨畑が存在していたのかと調べられたが結局それらしき遺物や史料は見つからず、長らく名古屋市博物館で当時の民俗資料として展示されるのみにとどまっていた。
この史料が脚光を浴びることになったのは、皇暦二六五〇年に尾張大寧寺で行われた大内義隆の墓地調査から端を発した『第三次戦国ブーム』であった。
長年戦国時代の性風俗事情を研究していた京都織田学院大学の唐橋靖孝教授が同年に別件を調査中であった際、偶然上記史料の『梨の花』は植物のナシのことではなく当時那古野にいた『梨花』という遊女のことであることを史料から突き止め、それを発表したことにある。
唐橋教授の発表内容によると、同じような事を記した史料は那古野だけでなく津島や大野、さらには三河など近隣の者が記した史料がいくつかありこの『梨花』という女性が那古野以外の近隣にも知れ渡っていたと記している。
出身地や元の身分は不明だが、唐橋教授の推測では、史料から伊勢の商家か武家の出であろうとしている。また、那古野に居着いた経緯もまた不明であるが、この当時は働き口や食糧を求め伊勢から尾張へ多数の移民があった時期であり、彼女も何らかの理由で家から離れて移民となった一人であったのだろうとの結論を出している。
唐橋教授の研究結果が知られるようになってから、戦国ブームも相まって戦国時代マニアや歴史学者などにより、今まで個人所蔵などで眠っていた史料が次々と発見されるうちに、この『梨花』という女性の実像が徐々に浮かび上がってくる。
梨花の活動範囲は那古野だけでなく守山、熱田、清洲、津島と、通常一ヶ所の遊里に所属したら原則他に行くことはなかった遊女としては異例であり、彼女自身が那古野と清洲で遊里を営んでいたとされる史料も存在する。また、遊里に存在していたと思われる不文律のいくつかを改めようとして、遊里から反発を受けていたが、その反発した遊里に対して何度も働きかけを行っていたという記述もある。
梨花自身は三十代後半まで遊女として活動していた形跡があり、その後は遊女を引退したと思われるが五十を超えてもその容色は衰えることがなかったと言われている。
なお、梨花が身請けをされた、もしくは結婚をしたり子供をもうけているという記載の史料は一切見つかっておらず、それらについての記載がある未知の史料が存在するのではと探し続けるマニアや専門家もいるが、現在のところ未だ見つかっていない。
梨花は遊女としての活動の他に指圧や按摩、反射療法(欧州名でリフレクソロジー)を客に施術していたといわれ、それを得意としていたといわれる久遠レミアとの関係も指摘されている。ただ、久遠レミアは当時の織田学校でもそれらを教えていたこともあり、ただの教師生徒の関係だったのかを含め久遠レミアと梨花がどういう関係であったかは不明である。
また、織田学校(現在の織田大学)蔵書の史料で梨花が在籍していたことが確認され、鎌倉時代の史書・日記についての考察をはじめとしたいくつかの論文が残されており、その内容もさることながら女性らしく柔らかでありながらきっちりとした楷書の筆跡は、その人柄と知識教養の高さを垣間見ることができる。
さらに、遊女を引退してからは遊里に関わりを持ちつつ那古野城で文官も兼任していたという文献も存在する。引退した遊女でさらに遊里の主が城の文官として勤めるのもまた極めて異例である。
当時一流の文化人でもあった滝川秀益の描いた絵画で『美人画』とだけ題された作品が現在名古屋メルティ記念美術館に所蔵されている。
部屋で佇む女性の自然な笑みとその美しさをありのままに瑞々しく表現したと言われる、秀益の数ある傑作のうちの一作品だが、そのモデルは長らく謎とされてきた。
美術館関連の文献アーカイブの膨大なデータは学芸員でも調査しきれていないものを含めて現在インターネットにて閲覧可能であるが、この戦国ブームの最中、とある戦国マニアがそれを閲覧、調査してその解析の結果、アーカイブ内の一文献にこの絵画について記されているもの((要約ならびに口語訳)秀益が絵を描いているのを見た久遠一馬がこれは誰かと尋ね、秀益が梨花という遊女であると答えて一馬が『可愛い娘だね』と言った際、その隣にいた久遠エルは微笑んでいたがそれが逆に怖かった、という内容の久遠家侍女手記の一部)が発見され、『美人画』のモデルがこの梨花であることが明らかになった。その際、美術館にテレビや新聞などマスメディアの取材申込みが殺到し一躍梨花の名は一般に知られる存在となった。
また、『梨花』という名が当時の民間女性の名前としては一般的な傾向でないものであり、さらに上記の事象(滝川家と関わりがある、五十を超えてもその容色は衰えることがなかった、久遠レミアとの関係がある等)から、実は久遠家の縁者、近親者、もしくは関係が極めて近しい人物であったことが推測されているが、それを否定する推測もある。
そもそも、戦国時代で一人の遊女に関する史料がこれだけ残っている事自体他に例が無く、滝川秀益の絵画から推測される程の美女であることや、数々の史料から推測されるその多才ぶりがあいまって、現在では戦国時代を題材にしたドラマやゲーム、小説などに登場する人気キャラクターの常連の一人としても知られている。
中盤以降から登場する2名の有機アンドロイドの詳細な設定につきましては、閑話集内の拙作『それぞれの役割』ならびに『来たるべき時のために』をご参照いただけると幸いです。