閑話・とある鋳物師
本作はみどりいろ様より寄贈されたものになります。
side:那古野郊外の鋳物師
わしは春日井郡上野村の水野太郎左衛門範家という。上野村は那古野の城から瀬戸や品野の方へ行く途中にあるところで、そこで鋳物師の職人たちをたばねておる。
鋳物師たるもの一端のものを作り、戦で武功を上げてこそと今は亡き親父や長老衆に耳にタコができるほど聞かされ、指にタコができるほど懸命に励み、10年以上前に観聴寺の仏像を鋳造できてようやく長老衆から認められ家督を継いだ。
先日、かの小豆坂の戦にて古渡の殿様より『古今無双の高名』と賞せられ感状を賜ったと言われるほど武功の誉れ高い上野城主下方様の下で清洲城攻めの戦に出向いたが、そこで不覚を取ってしまい思わぬ深手を負ってしまった。
正直深手を負ってからの記憶がない。気がついたときには床に寝かされており、すぐに若い女から動かないよう一言言われたが、その方が少し前に那古野の若様の御家臣になられた久遠様の奥方様である薬師の方様と知ったのは、しばらく後に下方様が直々にお見舞いに来てくだされたときだった。
しばらくの療養の後動けるようになったが、薬師の方様から戦働きはしないほうがいいと言われた。とはいえわしは鋳物師の家業を継いだ立場なので戦働きができないと言われても悲しゅうはなかったな。鋳物師の仕事ができなくなると言われたら困ったであろうが、薬師の方様曰く自分の家業に関してははじめは無理をせず徐々に復帰すればいいとのことであった。
その後上野村に戻って時折痛む体を労りつつ日々の仕事をこなしておったある日、下方様が直々にわしらの仕事場に来てくださった。聞くと最近は上野城になかなかお帰りになることができず、那古野のお城でのお役目でお忙しいところを暇を見つけて同じ上野村にある天満宮においでになりご寄進され、そのついでにここに寄られたそうだ。
このようなむさ苦しい場所に来られずとも用があればこちらから出向きましたのにと言うと、下方様は笑って構わぬと仰られ話を続けられた。
「太郎左衛門、身体の調子はどうだ。」
「はっ。まだ十全とは行きませぬが徐々に仕事を増やしておりまする。」
わしがそういうと下方様は少しホッとされたようだった。
「そうか。・・・実はな、那古野の若様がそなたのことを気にかけておってな。なにか力になれることはないかと仰せになっておられるのだ。」
なんと、那古野の若様がわしなんぞに気をかけてくれるとは。有り難い話ではあるが、どうしてわしのようなしがない鋳物師風情を気にかけてくれるのか。
「そなたがまだ気を失っていたときに、清洲攻めの戦にて怪我を負った兵たちの慰問に来られていた若様が此度の戦で大きな傷を負ったそなたを見舞われたらしくてな、その場におられたケティ殿からそなたがもう戦働きは二度とできないと聞いて憐れまれたそうだ。」
「有り難い話ではございますが、とはいえ那古野の若様に何かを頼むような畏れ多いことはできませぬ。ただでさえ久遠様の奥方様に我が身をお助けいただいておりますれば、それ以上を望むは過分にございまする。」
わしがそういうと、下方様は思わぬことを口にされた。
「そなたら、鉄はどのように手に入れておるのだ?」
「はっ。守山のお城の向こうにある勝川を上った山奥や矢田川を上った場所に砂鉄が取れる場所があり、その場のたたらにて鉄を得ておりまする。」
「そうか。それほど遠ければ便も悪かろう。それにそれほど沢山の量はできまい。・・・実はな、先日久遠殿が主導して精進川の近くに建てた高炉なるものにて鉄を大量に作ることができるそうだ。」
なんと。精進川といえばここからそれほど遠くないではないか。高炉とはよくわからぬが鉄を作るということは新しきたたらなのであろうか。しかしあのあたりでそれほど多くの砂鉄が取れるという話は聞かぬが。
「わしもまだ詳しくはわからぬが、うまくいけば日ノ本全てで得ることができる半分ほどの量の鉄をその高炉で作れるという。そこで、若様はそこの鉄をそなたに融通すると仰られてな。」
日ノ本全てで得ることができる半分ほどの量の鉄とはまた話が大きすぎてよくわからぬが、それでもいままでのたたらよりは多く鉄を得ることができるのだろうか。
実のところ、鉄を得るために勝川にしても矢田川にしても川を上り下りするだけで関所やらなんやらの銭がかかってしょうがない。それらを差し引いても作業場の者たちをなんとか食わせていけるだけの利はあるが、それでもわしや弟子たちも食っていくのが精一杯で余力がないことにはかわりはない。
「高炉とやらを中心にして職人たちを住まわせるらしいが、そこまで鉄を取りに来られるのであればそなたに融通すると若様が仰せだ。」
わしには過分なお申し出ではあるが、そこまで仰られて断れば下方様、ひいては那古野の若様の面目を潰してしまうことになるな。これは断れぬ。まあ正直な話、渡りに船ではあるのだが。
「若様の格別のご配慮、ありがたくお受けいたしまする。」
わしが下方様にそう言って平伏すると大きくうなずかれた。
「うむ。高炉にて鉄ができた際にはこちらに使いを出すゆえ、その鉄を用いて大いに励むが良い。」
下方様からのお申し出を頂き、尾張たたらにて鉄を融通していただいた。二度目以降は流石にいくらか銭を払っておるが、それでもかなり安く贖うことができるようになると、それが噂で広まったのかわしらのもとに様々な仕事の依頼が来るようになった。ただ、以前のような仏像やら鐘やらの仏様に関する仕事はとんと少なくなり、その代わりに鍋やら釜やら農具やらの仕事がほとんどになってしまった。
仕事の量が増えたうえに、川を行き来する関所の費えも必要なくなったのでわしらの生活も良くなりつつあるが、なにぶんにも忙しい。
どうも、三河などからの流民が那古野や清洲などにかなりの数で居着き始めているという。そういえば上野村の近くの矢田川やその向こうの勝川で堤の普請をしており、その間にある守山のお城のあたりでも町の普請をしていたが、あれらもその流民たちがかなり働いておるという。なんでも織田様が流民や付近の民に銭を出して普請をさせているそうだ。
それらの流民は着の身着のままでたどり着いておるから生活するための鍋やら道具やらがない。となると必要なものは贖うしかなく、そんな者たちが多くなるとそれだけ鍋やらが必要になってきているとそういう経緯である。と先日ここに来た那古野の商人が話しておった。
鍋作りで忙しい毎日を送っていたある日、わしの弟子の一人が二枚の文を持ちつつ思案顔でわしのもとにやってきた。
「どうした、平蔵。」
平蔵は一族の中でも筋が良い奴で、元服してそれほど間がないが簡単な仕事を覚えさせてある程度任せているほどだ。文は熱田の商人のものらしいが何かあったのだろうか。
「へい親方。これなんすがね。なんだか訳がわからんすよ。」
そう言うので、持っている二枚の文を見た。
・・・いくつも丸いくぼみがある鉄板を作って欲しい?小麦の粉を水で溶いたものを入れて焼くと丸くなる?・・・なんだそれは?
もう一つの文もまた奇妙な。・・・同じく小麦の粉を水で溶いたものを入れて焼くと魚の形になるものを作って欲しい?
一応走り書き程度で絵が描いてあるが、これではわしにもわからぬ。わしもそれなりの年月を鋳物師として仕事をしておるが、そのような道具は聞いたこともなければ見たこともない。
「先日の『平鍋』じゃねえですが、新たな鍋の依頼なんすかね?」
平鍋とは最近那古野などで流行り始めているらしい鍋で、あんな浅い鍋をどうするのかと思っていたが、どうやら油を用いる鍋らしい。とはいえ安くはないはずの油を使う鍋などそんなに売れるのだろうかと疑問に思っていたのだが、その平鍋が最近それなりに出始めているから弟子たちとともに首を傾げつつ驚いていたところだ。
「どうも違うな。ただ、この文だけではなんとも言えぬ。」
そういって平蔵を依頼元の熱田の商人のもとに行かせようとしたが、すんでのところでこれは平蔵だけでは手に負えぬと思い直した。
「うむ。わしが直に聞きに行く。平蔵、そなたも支度せよ。」
「へい。」
わしは留守を長老衆に任せ、那古野の城から古渡の城を経由しつつ熱田の湊に着いた。
そこで真っ先に目についたのは、それはそれは大きな黒き船であった。あれが噂の久遠様の南蛮船か。遠目で見てもこれだけ見えるということは近くだともっと大きかろう。聞いた話ではあの船で尾張たたらで鉄を作る材料を海の向こうから運んでいるという。その材料に興味はあるが、今はあの訳のわからぬ依頼の仔細を先に商人たちから聞かねばならぬ。
依頼主の熱田の商人をそれぞれに二軒とも訪ねたが、答えはほぼ同じであった。『熱田や津島の祭りにて久遠様がたびたび店を出されるが、その際に売っておった食い物を作るためのもの』らしく『詳細はわからぬから久遠様に聞きに行けば良いのではないか』と言われたのだが、そのようなものは久遠様の秘伝であろう。秘伝であれば教えていただけるはずもない。そもそもわしのような一介の鋳物師が清洲の殿様の御猶子である久遠様に会えるわけがない。門前払いならまだましで下手をするとわしの首だけでは済まぬ話になるのだが。
どうしたものかと文を手にしたまま熱田の町中で思案しておると、周りが急に物々しくなった。なにかと思って町の者に聞いてみたら薬師の方様が熱田に来られたのだという。
薬師の方様が通られるのを道端で控えて跪いていると、薬師の方様がわしの前で立ち止まられた。
「水野殿、傷はどう?」
「はっ。お方様のおかげをもちまして、仕事ができるまでに癒えましてございます。」
「そう、よかった。でも無理しないで。」
もうあれからかなり時が経つというのに、薬師の方様はわしのことを覚えていてくださっていたのか、と少々感じ入っておるその時、わしが手にしたままだった文に薬師の方様の目が向いた。
「・・・たこ焼き?」
文に書かれてあった走り書きの絵をご覧になったようだ。どうやらこの丸きくぼみがいくつもある道具は『たこ焼き』というらしい。
「は?・・・これでございますか。これなるは『たこ焼き』という名の鋳物でございますか?」
わしがそう言うと薬師の方様は二・三度瞬きされた。
「話を聞くから、一緒に来て。」
わしは平蔵とともに言われるがまま薬師の方様とその付き人らとともに久遠様の屋敷に入った。そして少し待たされた後、中央に見事な漆塗りの台がある部屋に通された。そこには金色の髪をした・・あれが『桔梗の方』様か。ここ熱田の久遠様の御屋敷を差配し、見事な茶の振る舞いがさも桔梗の如しといわれる久遠様の奥方のお一人、と先ほど合うた商人が言うておったな。隣の平蔵をふと見ると桔梗の方様のお姿を見て固まっておる。
曲彔のようなものに座るよう促されると、桔梗の方様が口を開かれた。
「ケティから話は聞きましたわ。前置きはいいので先程ケティが見たという文を見せていただけるかしら?」
わしはさきほどの『たこ焼き』の絵が描いてある文を渡して事の仔細を話した。
「・・・熱田の商人からこの絵だけで作れと言われましたのね?」
「はっ。とはいえどのようなものかわからず先程この文を出した依頼の商人の所に赴いておりましたが、それでも皆目見当がつかず、途方に暮れておりましたところ薬師の方様にお声をかけられましてございまする。」
本来ならば『たこ焼き』なるものの現物が見られればいいのだが、まず間違いなく久遠様の秘伝であろうものを見せてくれなどと少なくともわしの口からは言えぬ。
すると侍女と思われる者がなにか丸きものを皿に乗せて薬師の方様とともに現れるとその皿をわしと平蔵のもとにおいた。
「それがたこ焼き。」
口少なに薬師の方様が言った。『たこ焼き』なるものは絵にあった鋳物ではないのか?もうひとりの侍女が絵に似た鉄の鋳物でできたものをわしの前においた。
「で、そっちはたこ焼き器。」
・・・しかし見事な鋳物だ。わしの前に置かれた鋳物に思わず見入ってしまった。ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ・・・十と六つの丸きくぼみがあり、鋳物自体の縦と横はおおよそ二咫より少し小さいくらいか。確かに絵のものに似ておる。
「その鋳物の方がたこ焼き器ですわ。たこ焼きはたこ焼き器で作ることができるその丸い食べ物。絵にあった屋台のたこ焼き器は大きいですので、この小型のものだったら少しの間貸してもよろしいですわよ。もちろん費えなど不要ですわ。」
平蔵とともに目の前にある見事な出来の鋳物に見入っていると桔梗の方様が思いもよらぬことを仰せになった。
「なんと。よろしいのでございますか?これは久遠様の秘伝の御品では。」
「秘伝と言えば秘伝ですわね。でもわからなくて困ってるなら教えて差し上げますわよ。秘伝というものには他に伝え広めてこそ意味のあるものと、門外不出にすべきものがありますわ。これは前者ですわね。もし他の鋳物師も作りたいようであれば水野殿から教えて差し上げればいいですわ。」
・・・そう言えば尾張たたらの職人が言うておったな。久遠家の方々は日々を真面目に懸命に生きておられる者には援助を惜しまれないと。しかし、ただでさえ我が命を救っていただいたのに、わしのようなものにここまで手を差し伸べていただけるとは。
「ありがとうございまする。・・・薬師の方様に命を助けられ、桔梗の方様にもこのようにお助けいただき、なんとお礼を申し上げたらよろしいやら。」
「これもなにかの縁ということかしらね。でもケティのことにしてもわたくしのことにしても、恩義に感じてくれるのであれば、様々な鋳物を作って民を豊かにする助けをすることで返してほしいですわ。」
すると桔梗の方様の隣で口をもぐもぐさせている薬師の方がわしに言った。
「冷めるから、とりあえず先に食べて。」
薬師の方様に促され、たこ焼きなるものを初めて口にした。おお、これは・・・噛むと中からでてくるもので口の中がやけどしそうになるが、この世のものと思えぬほど美味い。隣の平蔵は促された途端に無心になって食っておる。
その後、もうひとつの依頼の『たい焼き器』なる、これもまた見事な鋳物もお貸しくだされた。なんでもたい焼き器は二通りあるとのことで、これは『一丁焼き』という手法のたい焼き器であるらしい。
少しの間このお貸しいただいたものを手本にして幾度か試しに作ってみねばならぬな。久遠様のこの見事なものにまで仕上げられるかはわからぬが商人たちの意にかなうものを納めることはできるであろう。
わしと平蔵は薬師の方様と桔梗の方様に深く感謝した後熱田をあとにした。
あのたこ焼き器の件から数年が経ったが、上野の村もだいぶ賑やかになったな。他の村で細々と鋳物仕事をしていた一族縁者がわしを頼って上野村で仕事をし始め、わしらの作業場も大きゅうなった。あと、面白いのは村の者たちが以前から近くの竹林の竹を使ってざるなどを細々と作っておったのだが、それが那古野の商人の目に止まったらしく作った分だけ売れると村人が喜んでおった。村人は織田様の賦役でも銭はいただいておるが、賦役が終わった後や田仕事の合間の休みの日の時に竹のざるなどを作っておるという。
わしらの仕事は以前にもまして鍋やら釜やらの仕事が主となった。あと、以前久遠様の奥方様からお借りして作ったたい焼き器やたこ焼き器も商人たちにそこそこ売れておるし、その噂を聞きつけてか以前にもまして様々な依頼も来るようになった。
中には相変わらずわけのわからぬものもある。先日は『南蛮の握り飯のようなものを焼くもの』を作ったな。どうやら『ぱん』なるものに様々な具材を挟んで食う南蛮の握り飯にあたるものがあり、それをたい焼き器と同じ要領で焼くのだという。まあ焼いた握り飯はうまいからな。特に味噌をつけて焼いた握り飯があれば他に何もいらぬほどだ。それと同じようなものと考えればわからぬでもない。とはいうものの味噌をつけた白米の握り飯などはわしも最近食べられるようになったのだがな。
今日は那古野で久遠様の御家臣のお一人がわしに用があるというので、那古野の商人に鍋や農具を納めがてら向かうことにする。
上野村を出て、萱場池を横目に見て那古野の城の方へ向かうが、しばらく行くと白き壁の蔵が幾つも建っておる。このあたりの者は白き壁の蔵ばかり建つので『ここは白壁村になった』と笑いながら話しているという。
蔵が幾つも建つ所から少し行くと那古野の町だ。しかし、わしも度々那古野へは作った鍋や農具などを自ら商人へ納めに行くことがあるが、来るたびにどこかしらが変わっており町自体が大きくなっておる気がする。
少し前那古野で聞いたのは、はるか遠くの西にあるという周防の国の民や職人らが尾張に大挙して移ってきている上に近江など近隣の国からの移住者も多いゆえに那古野の町はさらに大きくなったが、まだまだ大きくなるだろう、という。そのうち萱場池のあたりどころかわしらの上野村まで那古野の町と続きになってしまうのではないかと思うほどの勢いだというのは些か言い過ぎであろうか。
那古野の商人からわしの村のご領主であった下方様についての話も聞いた。下方様は少し前に上野村を含めた御自らの領地をすべて那古野の若様に返上し、清洲で警備兵という市中の警備を主とするお役目をしつつ、信濃の小笠原家の庶流であらせられるご縁で三河や信濃などの小笠原家の交渉事にも関わっておられるとのことで、お忙しいお立場のようだ。そういえば先日上野の城は破却されるという話を聞いて驚いたことを思い出す。城の場所は下方様のたってのご希望で清洲にあるという『公園』とやらにすると聞いたが、いかがなるのやら。
「おう、上野村の水野太郎左衛門殿だな。そんな堅苦しい挨拶はいらねえ。楽にしてくんな。」
久遠様の御家臣のお屋敷の部屋でしばし待っておると足早に近づく音がするので慌てて平伏する。そう言われ顔を上げるといかにも鍛冶の職人という感じの方が座っていた。
御家臣の名は清兵衛様。鍛冶屋の清兵衛様といえば尾張のたたら村やその外の職人村の職人たちを束ね、自らも鍛冶職人でもあられる織田家の職人衆筆頭であられる御方だ。
「とりあえずまどろっこしい前置きは無しだ。水野殿、あんた工業村に入って仕事してくんねえかな?」
なんと、工業村といえば、清洲の殿様や久遠様のご許可がないと立ち入ることさえ許されぬというあの高炉がある特別な場所だ。わしも鉄を受け取るために工業村の塀の近くまでは来たことはあるが流石に中までは入ったことはない。そこに入れとは。
他ならぬ久遠様の御家臣のご命令とあらば断ることはできぬが、いきなりの話で少々困惑する。
「・・・ああ、これは命令とかじゃねえから。いけねえな。こういう立場になっちまうとそういうふうに聞こえちまうんだなあ。」
わしの困惑が顔に出てしまったのだろうか。清兵衛様は苦笑して右の人差し指で軽く頭を掻かれた。
「下方様や薬師の方様、あと工業村の連中からもあんたの為人は聞いてる。中に鋳物師がいないわけじゃねえが、なにせ那古野と清洲だけでなく熱田や津島でも『鍋は鍋屋の上野村』と言われるほど評判の上野村鋳物師の当主だ。あんたみたいなやつがいると心強いことは確かだが、とはいえあんたにも都合があるだろうから無理にとは言わねえ。」
『鍋は鍋屋の上野村』というのは鋳物を求めに来た商人にたまに言われるから何のことかと思うておったが、そんなにわしらの仕事は評判になっておったのか。最近は鍋ばかり作っておるからそのような名前になったのだろうか。
工業村に全く興味がないわけではない。が、少し考える時がほしいな。
「少し考える時を頂戴してよろしいでしょうか。」
「おう。急がねえし、さっきも言ったとおり命令じゃねえから無理はすんじゃねえ。答えは文でもいいし直接工業村に来てもいいし、この屋敷の者に言付けでもいい。あんたの存念を聞かせてくれや。」
こうして清兵衛様のお屋敷をあとにした。その後作業場に帰って依頼の仕事をこなしていく。そして仕事の合間や終わった後にふと考えるのだ。わしがいなくなってもこの者たちはやっていけるのか。やっていける気もするがやっていけない気もする。平蔵が独り立ちできるほどの腕前になっておるゆえに平蔵をわしの養子として水野家の家督を継がせることも考えたが、もしやと思い平蔵を呼んだ。
「親方、お呼びでしょうか。」
「うむ。平蔵もいい仕事ができるようになったな。」
そういうと、幼き頃の顔に一瞬だけ戻る。
「親方に比べればまだまだでございます。まわりにおだてられ浮かれているだけの若造に過ぎませぬ。」
とは言うが、長老衆からは細かな技が必要なたい焼き器をわしの次にうまく作れるようになったという評価もあり、また最近では平鍋を実際に使っておる者に聞いたり自ら試してみて、油で炒めるという調理方法では平鍋はすこしやりにくいと若い衆たちとで自ら研究し作った鍋は、平鍋よりも丸みを帯びて深さのある鍋で、平蔵は『炒め鍋』と名付けたようだがその炒め鍋がまた評判が良く、那古野はもとより津島や熱田の商人だけでなくわざわざ伊勢大湊や美濃井ノ口の商人もここに求めに来るようになった。
新しき物を生むという意味では工業村に入るべきはわしよりも平蔵ではないかと思い、平蔵にいっそのことと聞いてみる。
「平蔵、そなた工業村に興味はないか?」
そういうと平蔵は少し驚いたように言った。
「工業村でございますか?あの久遠様にお認めいただけないとどれだけ銭を積んでも入ることを許されないと聞きまする。工業村の職人たちはあの馬車をはじめとして様々な新しきものを手掛けておりますゆえ、興味はございますが・・・。」
「入れると言われれば入るか?」
「親方のお許しがあれば、腕を試してみたいとは思いまする。」
平蔵のその言葉でわしの腹は決まった。
後日、平蔵とともに那古野の清兵衛様のお屋敷に出向こうと先触れを出すと、清兵衛様が屋敷でお会いくださるというので、急ぎ那古野に向かった。
「清兵衛様、数日ぶりでございます。」
「おう。水野殿。この前の返答かい?」
そこで、平蔵を紹介し自分ではなく平蔵を工業村に入れてほしいという話をした。わし自身ではないことでご不快になられるか心配したが、表情を見る限りそのようなことはないようだ。
「水野殿の推挙であれば信も技も確かだろうから問題はねえ。だが、一つ聞いてもいいかい?」
「はっ。なんなりと。」
「なんであんた自身じゃないんだい?」
その問いにやはりご不快だったかと思ったが、声色と表情を見る限り単純に何故か聞きたいだけのようだ。
「はっ。工業村はそれぞれの技を持ち寄り新しき技や物を編みだすと聞き及びました。新しきことに柔軟に挑めるのは某のような者よりも若き者のほうが良いと愚考いたしました。」
わしの言葉に清兵衛様は何も言わず耳を傾けておられるので話を続ける。
「あと、先日清兵衛様より某らの仕事について様々な方から『鍋は鍋屋の上野村』とまでいわれるほど評価をされていると伺いました。それほどまで期待をされているのであれば、それを裏切らぬ仕事をせねば我ら水野家だけでなく上野村全体の恥になりまする。その期待に応えるため、某は上野に残りまする。」
わしがそう言うと清兵衛様は頷かれて言った。
「あんたの意思はわかった。それもまた職人の道ってやつだろうさ。オレや平蔵は工業村で、あんたは上野村で、それぞれ励めばいい。・・・ということで、平蔵、これから頑張んなよ。」
「はっ。精一杯励みまする。」
わしとともに平蔵は清兵衛様に頭を下げた。
その後、吉日を選んで平蔵にわしの諱の一字を与え、『家興』という諱をつけて、数名の若い衆とともに工業村に送り出した。新たに家を興すくらいの覚悟を持てという思いから付けたが、平蔵ならばうまくやっていけるであろう。
そして、わしは変わらず上野村で鋳物を作り続ける。『鍋は鍋屋の上野村』といわれた期待に応えねばならぬからな。そして、いつぞや桔梗の方様に言われたように、わしらの鋳物が民の生活の助けとなるべく、より良き鋳物を作り続けられるよう一層励まねばならぬ。
◆◆◆
水野範家
通称は太郎左衛門。生没年不詳。春日井郡上野村の鋳物技術集団水野家初代当主。(範家以前は家系図などの資料が残っておらず全くの不詳であり、範家から資料が現存していることから初代と言われているが、その以前から上野村で鋳物師の仕事をしていたようである。)
天文16年の清洲攻めの際に上野城主下方貞清のもとで従軍したが重傷を負い、久遠ケティの治療で鋳物師の仕事には復帰できたが、それ以降範家は二度と戦場に行くことができなくなった。
それを耳にした織田信長はその境遇を憐れみ、範家の工房名義で当時できたばかりの高炉で産出される鉄を鋳物用に優遇したと言われている。
その後鍋や釜などの鋳物製の生活用品を主に生産し、『鍋は鍋屋の上野村』とまで呼ばれるようになった。なお、屋号の『鍋屋』は水野家の文献によると屋号をいただいたと記されているが誰からもらったかは一切史料が残っておらず、詳細は不明。説としては織田信秀、織田信長、下方貞清、当時の工務総奉行斎藤義龍、久遠一馬、もしくは水野範家が自ら名乗った、など様々な説があるが、いずれも確かな史料はなく推測の域を出ない。
現在、『鍋屋』は鋳物調理器具の製造販売で知られ、工場は瀬戸市に移転したが鍋屋上野町商店街で今も直売ならびに他メーカー小売の販売店を構えている。
鍋屋上野・下方町商店街
名古屋城から東へ5粁ほどの場所にある屋根付き大型商店街。
起源はおよそ450年ほど前に水野家一族の鋳物師が春日井郡上野村で鍋や釜などの家庭用品を生産していたこととされる。
その後鋳物や竹細工を始めとした調理器具メーカーの工場がこのあたりに集中したが、周辺部の人口が爆発的に増加、上野村は名古屋市に編入され、その一部が鍋屋上野町と下方町になる。
急激な都市化に伴い大手メーカーの工場は本土の各地、もしくは瑞穂大陸や大和大陸に移転していった。しかし、中小の町工場や大手メーカーの支社・営業所は鍋屋上野町や下方町周辺にまだ多く残っており、取引する卸問屋や小売業はそのまま商店街を形成、今では日本本土で屈指の調理器具専門店街となっており、『ここに来たら家庭用・業務用問わず調理用品で揃わないものはない』とまで言われている。
特に春秋の年に二度、両商店街と上野公園、そして上野天満宮境内で行われる『左近市』では多くの露天市とともに屋台なども多数出店、歌舞伎や大道芸などの催し物も披露され多数の観光客や買い物客で毎回大きな賑いを見せている。
なお、『左近市』の名の由来はかつて上野公園にあった上野城の城主下方貞清の通称『左近』からとされる。
※追記
水野太郎左衛門がいたと言われる『春日井郡上野村』は現在の名古屋市千種区鍋屋上野町周辺と春日井市上野町周辺の2説ありますが、今回は前者を採用いたしました。
また、『水野平蔵家興』は筆者オリジナルですが、史実で代々水野平蔵を名乗った鋳物師は実在しました。