碧き海にかがやく白醤油の香り
本作はみどりいろ様より寄贈されたものです。
注:前半sideと後半sideとは2・3年程時間が空いています。それを加味してお読みください。
side:知多郡の塩問屋
「面をあげよ」
わしは今緒川城に呼ばれて来ておる。緒川城の水野様がわしに何の用であろうか。思い当たることがない。自分で言うのも何だがご城主様に咎められるような商いはしておらぬとそれなりの自負はあったのだが、顔を上げてみると水野様はそれほど厳しいお顔はされておらぬ。とはいえわしのような大店でもない商人が緒川の殿様にお目通りが叶うとは。
「知多郡青木村の知多屋清兵衛で間違いはないな」
「はっ。間違いはございませぬ」
横におられるご重臣の方がわしの名を確認されると水野様は軽く頷かれた。
わしの名は清兵衛。生まれた知多郡の村の名前から青木村の清兵衛とも、店の屋号から知多屋清兵衛とも呼ばれておる。この辺りで塩と米や麦などの穀物を主に扱う問屋の一つではあるが他に誇れるほど大店というわけではない。
暫く前に古渡の織田弾正忠様に地元のご領主である水野様が臣従されたときは、正直わしらの商いもどうなることかと思っていたが、そんなわしらの不安が杞憂だとわかったのに時間はかからなかった。織田様に仕えておられるという久遠様というお方が南蛮の船を持たれており商売にご熱心であるとのことで御領内の商人にも商道に悖らぬ限りで活発な商売をご推奨されているとか。わしも今では知多郡どころかささやかながら那古野に出店を出せるまでになった。これもひとえに織田様や久遠様、そして水野様のおかげであろう。
わしの名を確認された後、水野様が直々にわしの商いのことをお聞きになったので、あるがままに話した。緒川城の近くの沿岸で塩を作っている者や米や穀物などを作っている者たちを訪ねに行くことや、作っている者に手抜かりが無いよう理解してもらうまで話をして、その分の銭は手間賃として渡していることなどだ。何より大事にしているのは売り手と作り手との信のおける関係だと思っておる。
同じ商いをする者たちにはなんでわざわざ頻繁に足を運んでまでそのような無駄なことをするのかと言うものもおるが、米や穀物はもちろんのこと塩も人の口に入るものゆえ万が一のこともあってはならぬと思っている。また、他の店が平気で混ぜものをする中わしの店やわしの店から介して塩や穀物を売るよう約した者たちには決してそのようなことが無いよう申し伝えている。
「一時の利で集まる者たちはその利が無くなればそれまでございますが、義をもって集まった者たちは利に左右されて離れることはない、とわたくしは思っておりまする」
それを言うと水野様は少し微笑みを浮かべ頷かれた。他の問屋たちには鼻で笑われたり陰で何か言われているようだが、それだけは曲げられぬわしの信条だ。
「やはり久遠殿の耳目は確かだな。知らせにあった通りだ。・・時にそなた、久遠殿が造られておる醤油を口にしたことはあるか」
久遠様の醤油といえば、わしらでは到底手に入らぬが一度だけ津島の旅籠で女将が刺身と一緒に出してくれたことはあったな。後に聞いたが、あの旅籠は久遠様と直接関わりがある旅籠らしい。どのような関わりかは少なくともわしの聞いた限りではわからなんだ。
「はっ。一度だけではございますが」
「うむ。そうか。では例のあれだけでよさそうだな」
そう言うと、水野様はパンパンと手を叩かれた。すると何やら膳が出てくる。
「・・これは、刺身でございますか」
膳には皿に白身の刺身があって、別の小皿で茶色っぽく透き通ったタレが出てきた。刺身の醤油といえば久遠様の醤油だが、それにしてはあの旅籠で見た物より色が薄いな。果たして何であろうか。
水野様の重臣に促され茶色っぽく透き通ったタレで刺身を食べる。・・これは旨いな。久遠様の醤油とは違った美味さだ。わずかだが甘みを感じるうえに塩味も強い気もするがこれはこれで良い。これも醤油なのだろうか。
「それは『白醤油』というものらしいのだが、久遠殿がわしの方で造ってみてはどうかと言われてな。その時にそなたの名が出たのだ。そなたの扱う塩と穀物を使えば良い白醤油ができるであろうと」
「それは光栄なことでございます。わたくしどもの品が水野様のお役に立つことができるのであればみな喜びましょう」
願ってもない話だが、税の代わりに供出せよと言われるのはちと困る。皆に分け与える銭のこともあるからな。そう思っていたら水野様は驚くべきことをわしに持ちかけられた。
「それでだ。そなたに白醤油造りを任せたいと思うのだ。わしの方で場所と建物を確保するゆえ頼めるか」
三河の碧海郡にこの白醤油とやらをつくる蔵をすでに作り始めているという。
「それは有り難いお申し出でございますが、わたくしのような小さな問屋ごときにそのような大事は少々荷が重うございます。それにわたくしは醤油の造り方など皆目わからず・・。ご入用の物につきましてはこちらで売らせてはいただきますが・・・」
話によると、久遠様の家中の方からこの白醤油を造るための技法を教えに来てくださるとのことだが、それにしてもわしでいいのであろうか。それであればそれこそもっと大店の店主の方が良いとも思うのだが。
結局白醤油造りを引き受けることになってしまった。緒川の殿様から直々に頼むと言われては断れぬ。ただ、緒川城を辞した後もいまだにわしでいいのかと思いながら歩いている。
とはいえ引き受けたからには生半可な仕事はできぬ。半端なものを作って水野様の面目を潰すわけにはいかぬからな。
白醤油造りは久遠様の秘伝だ。とりあえず信頼できる者を集めなければ。まずは水野様が言われた味噌を造っておる者を誘わねばならぬな。信頼できるものといえば・・・そういえば同じ青木村で味噌を造っておるものがいたな。しかしあまり話を広げてもいかんな。今までのわしの繋がりのある最も信のおける者だけに助力を頼もう。
さて、これから更に忙しくなるな。店の方は番頭だけでなく弟にも暫く見てもらわねばならぬな。あやつもわしの信条を理解しておるから大丈夫であろう。
side:かおり
私はかおり。万能型のアンドロイドです。
今私は同じく万能型アンドロイドの琉璃とともに三河の碧海郡に来ています。水野殿から依頼を請けた知多屋清兵衛殿が白醤油を造っているので、その技術を教えに何回か来ているのです。そのくらいの技術ならわざわざ技能型がくる必要はないですが私達も大概暇だったので。
有機アンドロイドの中では私は最も新しく作られたうちの一人で、琉璃も同じです。これは司令から直接聞いた話ですが、ギャラクシーオブプラネットでの作戦の全ては司令とエルやメルティなどの古参のアンドロイド首脳陣でほぼほぼ完成・完結していましたが、他のプレイヤーや敵CPUがどんどん巧妙かつ狡猾になってきたので、首脳陣がもしかしたら見落とすかもしれないあと一手をカバーするために私達を作ったそうです。
でも結局そんな機会は来ずにギャラクシーオブプラネットは終りを迎えました。それで、待機していたその間の私達のシルバーンでの役割は何をしていたかと言うと庶務というか雑務です。個々のタスク管理やデータ管理の補助やそれぞれの機器や備品のコスト管理など多岐にわたりましたが、そんな中でも最も多かった仕事は清掃やら細かな備品の点検交換、それとみんなの食事手配やそのための食料確保だった気がします。
そのせいで元の世界で言うところのいわゆるお局様みたいな感じだったからなのかはわかりませんが、アンドロイドのみんなから私だけ『さん』付けされてて、一部の娘には『かおり姉さん』なんて呼ばれるし、しまいにはみんながそう呼んでるからって司令にも『さん』付けされるようになりました。有機アンドロイドのみんなの設定年齢が10代から20代前半なのに対して私だけ30だったから余計そうだったみたいです。なんとも解せない気分ですが、とはいえ元の世界のいわゆるお局様のように変な気を使われているわけではなくて呼び方だけなので気にするほどでもないといえばそうなのでしょうが。
この時代では私の歳だと設定年齢が若いアンドロイドや司令の母親だといってもおかしくない年齢で、そう見られたらどうしようと内心思っていたのですが、この時代の同年齢よりは若く見られるらしく私の要らぬ心配だったようです。ちなみに、初めて司令と顔を合わせた時言われたのですが、司令の当時の実年齢に合うアンドロイドが欲しかったんですって。
私の外見は元の世界でいうOLさんを意識して設定したとのこと。髪は黒髪のストレートのセミロングで、顔立ちは自分で言うのもなんですが元の世界の『隣に住んでいそうなちょっと年増のお姉さん』という感じといったところでしょうか。体型は、まあ普通です。
ギャラクシーオブプラネットでの設定年齢は30歳だったのでもう34ですか。この時代の34だともう御褥辞退なんて言われるくらいの歳なのですね。司令は諦めてないみたいですから嬉しいですけど。
一方の琉璃は当初の設定年齢は16歳です。こちらは同じ黒髪のボブヘアで、一般的な日本人よりは少し彫りが深くて目力が強い、元の世界でグラビアなり女優なりでもやってそうな健康的な沖縄の美少女という感じです。この世界の日ノ本の人々にとってはこのくらいの顔立ちでももしかしたら外国人に見えるのかもしれません。ちなみに日焼けはしていませんが日焼けも似合うんでしょうね。
ギャラクシーオブプラネットの制服でないときの服装には必ず自分の名前である『琉璃の色』をどこかに入れています。シャツだったりショートパンツだったりどこに入れるかやワンポイントか全体かとかは気分次第みたいです。ただこの時代の日ノ本にいるときはさすがにショートパンツではなくて時代に合わせた着物ですが琉璃色は必ず入れています。どういう柄かやどのくらい琉璃色を入れるかはやっぱり気分次第みたいですね。
ギャラクシーオブプラネットでは私と同じ理由で庶務というか雑務やってましたが、きびきびしてて気立ても良くてとっても明るい娘です。名目的には私のサブとして一緒にやってましたが彼女も万能型アンドロイドで一人でも十分やっていける能力は当然ありますから、私から特に指示はしてませんでした。ただ、欠点と言えるかどうかわからないですが仕事はきびきびとキッチリする割に普段の口調がおっとりしてるところでしょうか。方言まではいかないけど沖縄の口調っぽいから余計そう思えるのかもしれません。物腰が柔らかいともとれるのでやはり欠点とは言えないですね。
「これはお方様方、度々のご足労恐れ入ります」
「知多屋殿、白醤油の状況はいかがですか?」
「まだそれほど数は多く出せませぬし久遠様がお造りになられた白醤油にはまだまだ及びませぬが、それでもおかげ様をもちましてようやくそれなりと思えるものが出来上がりました」
白醤油を造っているまだ新しい醤油蔵からここを任されている知多屋清兵衛殿がわざわざ私達を出迎えてくれました。
ここは碧海郡の史実で鷲塚城になるはずだった場所で、今は白醤油を造っています。緒川城主である水野藤四郎殿が今まだ元服していない弟に任せる城を作るつもりで用地を接収したものの、安祥を始めとした西三河が安定していてここに城を築く必要がなくなってしまったと思っていたところで白醤油の話が私達から持ちかけられたので、どうせならということでこの場所を使うことになったと先日水野殿が笑って話してくれました。ちなみに水野殿が言った元服していない弟とは史実の水野忠重のことでしょう。
「じゃあ、かおりさんが知多屋殿と打ち合わせしてる間に、るりーが蔵の職人に話を聞きましょうね~」
「わかった。お願いね」
琉璃はそう言いながら蔵の方にスタスタと早足で歩いていきました。琉璃は自分のことを名前で呼ぶけどそれは「私」っていうのがなんか気恥ずかしいんですって。ちなみに琉璃が「○○しましょうね~」と言うときは「○○は自分に任せてください」というような意味のようです。最初に言われたときは私と一緒に何かをするのかと思いましたがそういうわけではないって本人に言われました。
「・・・なんというか、相変わらず琉璃様は・・独特といいますかなんというか・・」
「まあ、良い娘ではあるんですけど」
そう言いながら私は知多屋殿と実績報告と打ち合わせに入ります。
「・・・以上でございまする」
「慣れないことばかりで大変でしたがよくやってくれましたね」
「いえ、これもひとえにかおり様や琉璃様や水野様、そしてともに頑張ってくれた職人方のおかげでございます」
知多屋殿は元々塩と穀物の問屋だったから慣れない醤油醸造の監督業務に苦労したようですが、私達の事前リサーチで見立てた通りうまくやってくれたようです。
「約定通りしばらくの間出来上がった白醤油は織田家にてすべて買い取ります。あと、金色酒や食べる品を持たせてありますので、後で皆さんで祝いの宴でもしてください」
水野殿との話し合いで、できた白醤油は当分の間すべてうち経由で織田家が買い取ることにしてあります。まだそれほどたくさん生産できないでしょうし、しばらくの間職人には増産と改良に頑張ってほしいですね。
「ありがとうございます。これでようやくはじめの山を越えた気が致しまする」
「そうですね。まだ目を離せないかもしれませんが、知多屋殿は問屋の方もありますものね」
「那古野や知多の店は番頭や我が弟がおりますのでなんとかなっておりますが、確かにそちらも心配ですからな」
この時代だと血を分けた弟でも信用できない場合がありますが、知多屋殿の弟は知多屋殿をうまく立ててくれているようです。
でも、もし司令から許可が出たら知多屋殿も大湊の丸屋殿のように湊屋殿の下でうちのために働いてほしい気もしますね。目先の利益より信義を大事にするのは丸屋殿、ひいてはうちのやりかたに通ずるものがあります。ただ、丸屋殿は文官寄りですが知多屋殿はより現場寄りという感じでしょうか。
知多屋殿との打ち合わせが終わって間もなく琉璃が蔵から戻ってきました。
「どうだった?」
「職人のみ~んなと話してきたけど、思いのほかうまくいって喜んでたよ~。かおりさんやるりーの教え方が良いからってほめられたさ~」
琉璃曰く、職人もまだ教えてほしいことはあるとは言うものの琉璃が状況を確認して今まで程の頻度で私達が通わなくても良さそうとのことです。
これは最近司令から内々に言われたことでありまだ確定事項ではないのですが、今尾張の湊町が特に忙しいのですが熱田や津島はそれぞれシンディとリンメイの一人ずつしかいないうえにシンディは茶会などで頻繁に清洲の大殿に呼ばれてますし、リンメイも酒造りなどで手一杯なので、もしかしたら私達は彼女らの補助としてそれぞれの町に常駐することになるかもしれません。そうなった場合今ほどここには来られなくなるかもしれないと思っていましたので、ある意味ちょうどよいタイミングだったかもしれません。
私達は知多屋殿と職人たちに見送られて鷲塚を後にしました。そういえば先程忍び衆から知らせがあり司令とエルの子が生まれたとのこと。私も琉璃も新しい生命の誕生を楽しみにしていましたから。あと、最新の白醤油の出来栄えを司令に確認してもらわなければなりませんね。では、緒川城の水野殿の所に寄ってから那古野の屋敷に戻りましょうか。
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知多屋ホールディングス株式会社
名古屋市に本社を置く持株グループ会社。知多屋商事株式会社の創業者といわれる青木清兵衛の屋号『知多屋』が社名の由来。青木清兵衛は元々知多郡で塩と米などの穀類を扱う問屋であったと言われている。
傘下に知多屋商事株式会社、水野醸造株式会社、株式会社青木不動産、尾参通運株式会社、株式会社アオキエネルギーなどの企業がある。
社是として創業者青木清兵衛の遺訓『利を以って集まれるは利によって離る。義を以って集まれるは利によって離れる事なし』が今も伝わっている。
創業者の青木家は長らく同社経営から離れていた時期があり、その間は久遠商事グループの傘下に入っていたが、創業者青木清兵衛の直系といわれる現在の知多屋商事社長青木忠清が同社社長就任後に久遠商事グループの傘下から円満独立後持株会社を設立し現在に至る。
水野醸造株式会社
名古屋市に本社があり、工場は碧南市などにある白醤油をはじめとした調味料メーカーの大手企業。
創業は古く天文年間と言われ、創業者青木清兵衛が緒川城主の水野信元の庇護と久遠家の技術供与で碧海郡鷲塚で作られたのが始まりだと言われている。
白醤油が広まった当時は緒川城主水野信元が造らせている醤油であったことから『水野醤油』とも、その見た目から『琥珀醤油』とも言われ、日本本土やその後日本圏の各大陸などにも広がった。
通常の濃口醤油や薄口醤油などと違い料理に醤油の色がつきにくいため、家庭用でも使われるが主に業務用で料亭や各国の高級料理店で使われることが多く、現在では醸造工場が創業した当時そのままの場所である碧南市だけでなく日本国内や瑞穂大陸、大和大陸などにも複数ある。
なお、碧南市鷲塚町の碧南工場敷地内にある創業者青木清兵衛の胸像は創業四百周年のときに作られたものだが、その横にある石碑は創業当時に青木清兵衛自身が建てさせたものと言われ、そこには白醤油製造に関われたことの感謝の言葉が記されており、その中に当時の緒川城主水野信元とその重臣達、そして白醤油の製造技術供与したとされる久遠一馬の妻である久遠かおりや久遠琉璃、また白醤油製造職人などの当時関わったとされる者の名前が記されている。
現在では知多屋ホールディングス株式会社の傘下に入っているが、元々創業者が同じであることから知多屋商事株式会社とも強い繋がりがある。また当時から創業に関与したと言われている水野氏の一族が現在も代々顧問に入っていることでも知られている(経営権は放棄している)。
時代が進むに連れ製作工程の機械化・自動化が進み大量生産も可能になり、またニーズに合わせたまり醤油や濃口・薄口醤油、各種味噌なども製造しているが、創業当時の製作工程と味を忠実に守った白醤油は『特撰水野醤油・アンバークラシック』の商品名で現在も造り続けられその伝統技法を継承している。