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yorunohazama   作者:
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 僕はその日、疲れ切った顔をした妻と今にも死にそうなシゲルを家において旅に出た。旅、というほど立派なものではないけれど、僕の中ではある程度の覚悟と責任を必要とする行動だった。タバコを初めて吸った17歳の夏のような、そんな感じだった。そしてシゲルとは僕ら夫婦が飼っている肺炎を患った猫だ。


 妻は荷造りをする僕の背中を見ながら「ねえ、いきなり何処に行くのよ?そんな話聞いてないわ。何か少しくらい相談してくれても良かったんじゃないの?」とは言わなかった。妻はダイニングテーブルに座ってタバコを吸っていた。そして僕が荷造りをする過程をぼんやりと見ていた。まるで、定点カメラに映し出される高速道路の映像を眺めるような顔だった。妻の膝の上には泥団子をコンクリートに叩きつけたような顔をしているシゲルが座っていた。そして時より何かを思い出したように咳をした。


 シゲルは猫が本来持つべき愛嬌というものをほとんど、全て放棄していた。匂いは臭いし食い散らかしは酷かった。おまけによくお漏らしもした。あらゆる猫が生まれつき、明るい世界を生きることの出来る権利を持つためにシゲルは一匹でその代償を払っているような気さえした。しかし僕(おそらく妻もだろうが)はシゲルを抱いているとなんとも言えないような落ち着きを得ることが出来た。どれだけ苛立っていても落ち込んでいても、シゲルを抱けばその悩みはなんだかとても小さくくだらないようなことのように思えてならなかった。そしてそういう時にシゲルは決まっておならのような声で小さく鳴いた。


 これといって荷造りはなかった。しかし僕は自身の匂いや生活の雰囲気が漂っているものを家に置いてはおきたくはなかった。(こんなことは起こるはずがないのだけれど)僕がいない間にそれらが勝手に自我を持ち始めて、テレビを見たりダンスを踊ったり風呂に入ったりするような気がしたのだ。だから僕はハブラシやカミソリ、マグカップ、着なくなってしまったYシャツ等々、それらを次々とゴミ箱に捨てていった。そして捨てる度に手の上にあった僅かな温かみが消え去り、僕がこの家で過ごしてきた時間や、妻との思い出が少しずつ崩れて行くような気がした。鉄球につっこまれた高層ビルのような崩れ方ではない。水を垂らされた時の大きな砂の山のようなそんな崩れ方だった。


「私達の間に子供がいたらこんなことにはならなかったと思う?」と妻は言った。彼女の言葉は部屋の中をいくらか散歩した後に僕の耳にゆっくりと届いた。哀しい言い方だった。こういうときの部屋は決まってシンとしていて、嫌というほど時計の針の音は大きい。古い画の中みたいな世界だ。


「分からないよ。でももし、僕らの間に子供がいたとしたら、ここまで来ることは出来なかったかんじゃないかな。それになにも離婚するわけじゃない。僕は今でもキミが好きだよ」と僕は言った。彼女は何も言わなかった。彼女は頬杖をついてぼんやりと、まるで霧の中みたいな色の空を見ているだけだった。


 僕は次に書斎の本を捨てていった。尊敬していた作家達の本を捨てるのはいささか心の奥が痛んだが、いくらかのけじめをつける必要があったし、僕としては自身とこの家とを結びつける橋を絶っておきたかった。それは僕の覚悟の現われでもあった。作家にはスコット・フィッツジェラルドだったりドストエフスキー、三島由紀夫、村上龍なんかもいたりした。


 妻とシゲルはほとんど一切、本を読まなかった。僕がリビングで本を読んでいると「どうして本なんか読んでいるのよ?」と妻はよく言った。その度に僕は「僕に必要だからだよ」と言った。すると妻は毎回ふうん、と同じ返事をした。何故、本なんか読むのだろうか。妻にそう聞かれ始めたときから僕はこの問題について時折、考えるようになった。単純に読書という行動が好きだから?人の考えを知るため?孤独になるため?多少の差異はあれどいつもこんな感じの答えが僕の頭の上をグルグルと回っていた。しかしいつも明確な答えは出てこなかった。それはある意味で僕は既に孤独であり、どれだけたくさんの本を読んだところで妻の考えや思いを理解することなど出来るようにはなれないと自分自身、理解していたからかもしれなかった。いつから僕と妻は本当の意味で繋がりあえなくなってしまったんだろう。いつから私達の背後に孤独が見え隠れし始めたのだろうか。そして最近になってそんな現実から目を背ける為に僕は本を読んでいるのかもしれないと思うようになった。


 そして以前、といっても数日前のことだが、その時も僕は書斎を整理していた。(書斎を整理することは本を読むことと同様に僕を現実から少し切り話してくれる一つのトリガー、というほど立派なものではないけれど引き金みたいなものだった)それは僕の前に突然、現われたのだった。まるで、僕が歩こうとしていた道に、ベチャッと空から鳥の糞が落ちてきたような、そんな感じだった。でもそれは(もちろん)鳥の糞なんかではなくて1冊の本だった。その本は酷く古びていて、周浩然シー・ハオランという中国人の作家が書いたものだった。知らない作家だったし、この本を買った記憶も無ければ読んだ記憶も無かった。何故、こんな古い本に今まで気がつかなかったのかも分からなかった。でも(だからこそ、なのかもしれないが)不思議とその本が僕にとっては他の本とは何か、明らかに違うものだと思えたのだ。おまけに一ページだけ丁寧に折られており、その文章の一つにボールペンで線が引かれていた。


「何故、私達は何かを失った後でしかその価値の大きさに気がつく事が出来ないのだろうか。死んだ後でしかその人の本当の存在について知る事ができないように」


 そこにはそう書かれていた。この文を読んだまさにその瞬間、僕はどこかに旅に行かなければならないと思った。誰かが(ジネディーヌ・ジダンかもしれなかったしパブロ・ピカソかもしれなかったが)コンコンとノックをし、僕の心の中にある部屋やってきた後に、好む好まざるに関わらずアナタは旅に出なくてはいけません。と言われたような、そんな気分だった。どうしてそんな事を思ったのか、今思えばことさら不思議だが、とりあえず僕はどこかの知らない街で少しの間生活をしなくてはならないと思ったのだ。たとえ僕にいささかの小さな家庭があったとしてもだ。

 そして僕はその一ページを切り話し財布の中に入れた。ブラウンの財布。牛革。イタリア製。


「何故、私達は何かを失った後でしかその価値の大きさに気がつく事が出来ないのだろうか。死んだ後でしかその人の本当の存在について知る事ができないように」


 全くその通りだなと思った。


 僕の荷造りが終わり、ブーツの紐を結んでいるとシゲルを抱えた妻が「帰ってくるの?」と言った。僕は


「ああ、帰ってくるさ」と言った。


「無理しなくてもいいのよ」


「僕は今でもキミが好きだよ」ともう一度言った。彼女はシゲルの頭を撫でながら小さな声でありがとう、と言った。大きな黒いバックパックを背負い僕はさよならを告げた。妻は手を振り、シゲルはおならのような声で鳴いた。そうして僕は妻とシゲルを失った。



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