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侍女さんに通された客間は質の良い手作りのキルトや、刺繍の施されたテーブルカバー。窓際には庭で摘んだと思われる花が飾られており、ぬくもりが感じられる部屋だった。同じ公爵家なのに住む人によってだいぶ印象が違うなと少しだけ驚いたが、庶民の私たちにとっては本館の客間よりもこちらの方が過ごしやすい空間だった。
マリエル様のお手製のスコーンと黄金ルールに則って淹れられた紅茶はすごくおいしかった。
ただ、こうも料理が上手なお母さんが居るのに、ミケ姉さんはどうしてあんな殺人料理になるのか不思議で仕方なかった。
肝心のマリエル様だが、何故か私たちを眺めながらニコニコと微笑んでいる。
眺めているというか、観察している?
「ふふふ、我ながら素敵な服を選べたと思いませんこと? ディアーヌ様」
「確かに、二人とも本当によく似合っているな」
「え、マリエル様がこの服を?」
「ええ! 貴方たちのことはミケーレからの手紙で滞在すると聞いていたのよ。貴族のお宅でお世話になるのであれば、服装にも気を使わなければいけないのだけど、剣一筋で生きてきたあの子のことだから服装にまでは気が回らないと思ったの。だから、お節介かもしれないけれど、私たちの娘と孫がどれほどお世話になったか……。その、お礼も兼ねているから是非とも受け取ってくださいな」
私たちの部屋にあるクローゼットに入っていた服は、公爵夫人か侍女さんが用意してくれていたのだと思っていたのだが、驚いたことにマリエル様が用意してくれたものだった。
一着や二着ではなく、クローゼットの中身全部選んだらしい。受け取れと言ってきたということは、嫌な予感が当たってしまったということだ。
にこにこと微笑んでいるマリエル様を見ていると、いらないとは言えずにお礼を言ってありがたくいただくことになった。
とりあえず、どこに仕舞えばいいのか分からないから、考えるのは後回しにしよう……。
それにしても、マリエル様やコレットさんにも言われたが、私にはマリエル様がいうようなミケ姉さんたちの世話をしたという実感はあまりない。
公爵夫人の前では言いにくいけれど、私たちは家族だもの。ミケ姉さんとロビン兄さんは仕事があるから、私は留守番をして二人が居心地良い家を維持するのが仕事で、普通の庶民ならば子供は家の仕事を手伝うものだ。
やっぱり貴族の家で暮らしているから、家事は大変だという固定観念でもあるのだろうか?
住む世界が違えば常識も違うと理解して、少し複雑な気分になった。
「本当に、女の子って飾りがいがあっていいわねぇ……。ミケーレはドレスを着せるのも一苦労だったわ」
「そうなんですか?」
「そうなのよ。公爵家に生まれたからには立派な淑女を目指しなさいと教えたのだけど、よりによって、ディアーヌ様を見本にしてしまったの」
それは本人を前にして言ってもいいことなのだろうか……。気まずくなって、お茶を飲むふりをしながら公爵夫人に視線を向けるが、公爵夫人はどこ吹く風でスコーンを食べている。
「そこに、騎士見習いだったロビンと会ってしまってね、これはもう方向修正が出来ないと思ったの」
「マリエル、人には向き不向きというものがあるのだよ。だが、ミケーレは本当に剣の才能があったからな、鍛えがいがあった!」
「ミケーレ先生の剣は公爵夫人が手ほどきをされたのですか?」
「そうだ。まぁ元々はお淑やかとは程遠かった私の趣味だったのだが、思っていた以上に興にのってしまってな、当時の近衛騎士団長に手ほどきをして貰ったのだ。しかし、公爵夫人と呼ばれるのはなれんな、二人ともディアーヌと呼んでくれていいのだよ?」
「そんな、恐れ多いことは……」
「なぁに、ミケーレの妹と弟子なのだろう? それなら私の娘で孫弟子ということだ! 決まりだ、以後名前で呼んでくれ。むしろ母と呼んでくれても構わない」
「ああ、もうずるいわディアーヌ様! 私も、お母さんと呼んでほしいわ」
どこまで本気なのか分からず困惑していると、見かねた侍女さんたちが公爵夫人もといディアーヌ様達を叱ってくれた。
いや、もう本当に助かった……。
「そんなことを言われても、そなたたちの母上殿が困惑するだけだな。ジゼルの言う通りだ、すまなかった」
「サラさんとギル君のご家族は、ドワーフ国に住んでいる方かしら?」
「そうです」
「私は母が王都に居ます」
「え、離れて暮らしているの?」
「いえ、元々生き別れだったので……。つい数か月前に再開しました」
ミケ姉さんがドレスを好まなかったとか、ディアーヌ様の話も含めていろいろ聞けて楽しかった。
話の流れで家族のことを聞かれたが、ディアーヌ様はその話題には沈黙をした。どうやら私に家族が居ないことを知っていたようだ。
別に事実だし、隠すことでもなかったので素直に答えたら、マリエル様が地雷を踏んだと勘違いしてしょんぼりしてしまった。
「ごめんなさいね、無神経なことを聞いてしまって……」
「いえ、今回王都に来た目的でもありますから」
「サラの母上は王都に暮らしているのかな?」
「はい、とある貴族方の後妻になっているそうで、今回は旦那さんの方が遊びに来たらどうかと手紙をくれたので」
「ほぉ、どの家だ?」
「グラン・トワ・モンターニュ将軍です。母はソフィアという名前ですが、ご存知ですか?」
「何!? グラン殿だと!?」
公爵家の人たちならば、モンターニュ将軍のことは知っているだろうと思って名前を出したところ、ディアーヌ様はかなり驚いたようだった。
ここに来る前に、ミケ姉さんからモンターニュ将軍と公爵様は仲がいいと聞いていたから名前を出したのだけど、ディアーヌ様が急に立ち上がって声を上げたものだから、公爵家と何か問題がある人だっただろうかと、かなり気まずい気持ちになった。
「いや、失礼した……。グラン殿が近いうちに娘が出来ると小躍りしていてな、サラのことだったか……」
「小躍りされていたんですか?」
「昔から娘が欲しかったみたいでしたしね」
あの将軍が小躍り?
正直、それは想像ができない。
ディアーヌ様もマリエル様も言いにくそうに母のことを話してくれるのだが、元娼婦だから話しにくいというわけではなさそうだ。
「私もソフィア様は存じていますよ。|あの≪・・≫モンターニュ将軍の手綱を握れる得難いお方ですわ」
「えっと……、それはどういう?」
「グラン殿は騎士にありがちな……、うーむ、なんと言えばいいか……。直感で行動するようなところがあってだな……。貴族的な付き合いにはとことん向かなくてな」
ディアーヌ様達は言いにくそうにモンターニュ将軍の話をしてくれた。
初めて聞いた話しではあるが、ぶっちゃけると将軍は脳筋であると……。
「セヴラン様と同い年の御子息がいらっしゃいまして、その方が以前よりモンターニュ将軍の分まで他家との外交をされておりましてね、本当に苦労しておいででしたわ……」
「まぁ、グラン殿も仕事の処理能力も決断力も人望もあり、ましてや直感も外れたこともなかったのだが、なんというか周りを振り回す性格でな。前の奥方もそれについていけなくて離縁したのだ」
母はただの娼婦とは一線を画す高級娼婦だったから、貴族に引けを取らない知識量、時事の話題には敏感だろうし、脳筋の男を手玉に取るのはさらに余裕だったろう。
ディアーヌ様達の話を突き合わせると、あの母のことだから恩人でもある将軍の役に立てるように周りとの調整役を買って出ているに違いない。
「ソフィア殿を娶った際に、伯爵の地位を賜っているものが娼婦を後妻にするなどと揶揄されたもので、ならば爵位も将軍の地位も返上しよう仰いまして、あの時は宮廷中が大混乱になりましたからね……」
「セヴランも第二王子殿下と一緒に引き留めに入り、ソフィア殿が説得されてどうにかなったが、あの時は本当に大変だった」
「その後はソフィア様がうまく周囲の緩衝役になってくださって、周りの気苦労が減ったというか……」
「そのような事情があるゆえ、ソフィア殿の出自のことをとやかく言うものはどこにもいないから安心したまえ」
モンターニュ将軍が以前あった時のイメージ通り破天荒そのものだったが、ディアーヌ様に認められるほど母が貴族の社会で上手くやっているのが分かって安心したのだった。