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ぐずったことで目をこすっているエーファちゃんは、公爵夫人が準備していた子供部屋に連れて行くことになったようだ。時間的にお昼過ぎということもあって、そろそろお昼寝の時間だから仕方ない。
エーファちゃんの姿が見えなくなると、公爵様はあからさまにガッカリとした様子で、そんな父親を見たミケ姉さんは公爵夫人と二人で笑いをかみ殺していました。
「旦那様、こんな場所で話せる内容ではありませんし、執務室でお話をされたらいかがですか。マリエル様もエーファ様にお会いたいでしょうし」
でも、なんでアニスさんの方を見るのだろうと思いったら、公爵様の視線はエーファちゃんにガブリつきで、どうやら初孫との面会が待ち遠しかったようだった。
「して、こちらが私の孫か」
「あーう?」
「おお、本当に愛らしい。 ミケーレの小さいころに似ている。どれ、エーファ、こちらにおいで――」
ようやく会えた初孫との対面で少々興奮気味と思しき公爵様は、杖をついている割には機敏な動きで、アニスさんの前に立った。そして、斜め後ろに居る執事さんに杖を預け、エーファちゃんを抱っこしようと両手を差し出した。
あ、ちょっと拙いと思って眺めていたら、大きな目で間近に迫る公爵様を凝視していたかと思いきや、見る見るうちに涙目になり、知らない人! 怖い! 無理! と言わんばかりに泣き出して、まさか手を差し出した瞬間に泣かれるとは思わなかった公爵様は、手を出したままの状態でピタリと硬直してしまった。
それほど人見知りをする子でもないし、馬車の中で揺られている間は超ご機嫌だったから、まさか公爵様の顔を見た瞬間に泣き出すとは思っていなくて、アニスさんもびっくりしていた。
火が付いたように泣き出したエーファちゃんはアニスさんがどうやっても泣き止まず、母親であるミケ姉さんが抱っこを交代しても無理で、ちょっと席を外した方が良いんじゃないかと思い始めたとき、公爵夫人が途方に暮れた様子の公爵様をエーファちゃんから見えなくするようにあやし始めたことが功を奏したのか、エーファちゃんはようやく泣き止んだ。
「旦那様、こんな強面で赤子に迫れば泣かれるでしょう。ミケーレの時もそれで泣かれたのをお忘れですか」
「む」
「そこの二人。わが夫が大変失礼した。ようやく会えた可愛い初孫であるし、許してやっておくれ」
そして、愕然としている様子の公爵様をスパッと叱りつけ正気に戻した公爵夫人は何というすごくかっこよかった。
許してほしいと言われても返事をしていいものかどうかの判断が付かないのと、素直に返事をするのも身分が違いすぎておかしい気がしたから、私は無言で頭を下げて公爵夫人からの謝意を受けた。
「閣下。エーファのことを含めてお話ししたいことが色々とございますが、王宮に向かう前に王都の事情を教えて頂きたいのですが」
「そうだな。私も政務は退いてはいるが、勇者を挟んだ派閥争いも今は沈静化している。王宮の話に関してはセヴランから話は聞いているから、そちらの話もしておいた方がよかろう」
王宮の話になると、事前の情報収集や根回しが何より重要になってくるみたいで、自分たちが居なくなった後の詳しい話を聞きたいとロビン兄さんは言った。
ロビン兄さんに話しかけられたことで、ようやくいつもの状態に戻ったような公爵様は咳払いをしてそちらに視線を戻したものの、表情を厳しい顔に戻して真剣な話をするぞと言わんばかりの雰囲気を醸し出しているけれど、未練がましくチラチラとエーファちゃんに視線を送って台無しな状態になっている。
早速爺バカになっちゃったなぁと、私たちはその光景を見ないふりをしながらそんなことを思った。
「それもそうだな。クレマン、執務室の用意を」
「すでに整ってございます」
「そうか、では小さなお客人はゆるりと休まれよ」
未練がましく子供部屋の方を向いている公爵様を見かねた執事さんが、真面目な話をするのであれば執務室に移動したらどうかと提案し、公爵様とロビン兄さんは執務室へ、ミケ姉さんも後で詳しい話をするからねと言い残し、私とギルはその場に取り残されました。
「まったく、わが夫と娘が失礼した。コレット、お客人をこのような場所に長居をさせてはいけない。小さなお客様たちを客室へ案内しておあげなさい」
「かしこまりました」
「滞在中になにか困ったことがあったら、彼女や他の侍女に言いなさい。特にサラ殿は私たちの娘夫婦と孫の恩人でもある。何かあったら力になろう」
「あ、ありがとうございます」
「晩餐はご一緒したいがどうだろうか。サラ殿は娘たちと一緒に暮らしているのだろう? 普段のあの子の話をぜひ聞きたい」
「よろこんで!」
私たちはどうすればいいのかとギルと顔を見合わせていると、公爵夫人が後ろに控えていた使用人を呼んで客間に案内をするようにと指示を出した。
公爵夫人は私たちの緊張をほぐす様にやさしく微笑んで、ドワーフ国での話を聞きたいと言ってくれた。
ここは、勇者が簡単には来られない場所ではあるけれど敵地にいると感じた私は、公爵夫人の言葉がとても心強く感じ、とても嬉しかった。
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使用人のコレットさんに案内されたギルと私の部屋は、廊下を挟んで向かい合わせになっている客間だった。大きなお屋敷で客間がいくつもあって迷いそう、案内なしで次にこの場所に来られるだろうか。
「こんな怖い部屋初めて入った……」
「俺も、触るのすら怖い……」
私たちが案内された客間はどちらも煌びやかで、豪華な調度品や確実にシルク製だろうと思われる光沢の寝具などを目の当たりにして、ガクブルしている私たちを見たコレットさんは、笑いながらそんなに緊張しなくても大丈夫ですよと言われてしまった。
だって、鑑定眼を使うまでもなく些細な小物でも途轍もなく高価な代物ばかりで、そんな部屋を一人で使うと思ったら絶対に背筋が寒くなる!
「何かございましたら、何なりとお伝えください。妹から話は聞いておりますし、あのミケーレ様が大変お世話になった方ですもの、私たちは歓迎いたしますわ」
「え、妹?」
「ええ、アニスは私の妹ですわ」
なんと、コレットさんはアニスさんのお姉さんだった。
確かに、微笑んだときの目じりの感じがそっくりだ!
姉妹で公爵家に仕えるとか凄いなと思っていたら、コレットさんのお家は公爵家と遠縁とはいえ縁戚関係にあり、一応は爵位もあり領地を管理する代官を排出するお家なのだそう。
元々ミケ姉さん付きの侍女だったコレットさんとアニスさんは、ミケ姉さんの子供のころからよく知っており、時には同僚の愚痴を聞いたり、ロビン兄さん関連の恋愛相談をされたりしていたのだとか……。
「ロビン様と婚約するにあたって特訓はしたのですけど、家事が壊滅的にダメですからねぇ、ミケーレ様は……。奥様からミケーレ様が妊娠したと聞かされた時はあの方に絶対に家事をさせるな!と奥様が速攻でアニスを派遣しましたから。後からアニスからの手紙で肝心の時にサラさんが家事をしてくださっていたことを知って心の底から安堵しましたわ」
「そうなんですか……」
「幼少のころよりロビン様と同じ道を歩むと仰っていた方ですから、公爵令嬢という地位よりも騎士や冒険者としての生き方の方が合っていたのでしょうね。まぁ、家事は使用人に任せればいいものを、無理して取得しようと頑張ったのですが、生来の不器用さんだったようで……」
本当に主人と使用人という垣根もなく相談をしたりしていたのだなと思うほど茶目っ気たっぷりなコレットさんは、ミケ姉さんの昔の話をたくさんしてくれた。
気に入らない貴族の子息が結婚を迫ってきたから叩きのめしたとか、ロビン兄さんを貶した同僚に天誅を喰らわせたとか、なんか過激な内容が多いのは気のせいじゃなかったけれど……。
「そういえば、晩餐にはセヴラン様もご一緒するそうですわ」
「セヴラン様?」
「ミケーレ様のお兄様です。この国の現宰相様ですわ」
コレットさんに言われて思い出した。公爵夫人から晩餐を一緒にと言われていたんだ……。
服装とか庶民感丸出しなんだけれど、どうすればいいんだろうかと背中に冷たい物が流れるのを感じた。
「そんなに緊張されなくても大丈夫ですよ。お洋服に関しては、アニスからサイズも聞いてちゃんと準備してありますから、もちろんギル様の物も!」
「ええ!? そんなの何時の間に?」
「たぶん、旅支度をするときにミケ姉さんにギルの服のサイズを聞かれたから、その時じゃないかな……。私は装備のサイズを教えてほしいのかと思っていたんだけど」
「ああ、あのときか……」
そういえば、そんなこともあったなと二人で旅支度に必要なものを買いに行ったりするときに、さらりと聞かれたから忘れていたけども……。
「お客様に肩身が狭い思いはさせないようにとのことでしたので、奥様達と一緒に張り切って選びましたのよ!」
「……」
「……」
呆気に取られて無言になる私たちを前に、コレットさんは胸を張って衣装を添えておいたと言った。
どういうことかと頭で考えることを拒否していた私に理解させるためなのか、単純に自慢がしたかったのか、目の前でクローゼットを開いて見せた。成人前の女の子が着る丈が短めのドレスとか、お出かけ用のワンピースや小物類が並んでいる。たぶん、コレットさんの様子を見る限り、ギルの方も同様だろう……。
っていうか、この服は私たちが居なくなった後、この服をどうするのかが知りたい。持って帰れと言われても、こんなにいい布を使った服を入れておくような場所は私にもギルにもないんだけれど……。
よくよく考えてみると、公爵夫人が率先して衣装を用意してくださったのなら、それを身に着けないのは失礼に当たるんじゃないだろうか? 遠慮して着ないという選択肢はなくなってしまった。
公爵夫人には晩餐に招待されたし、普段会うこともないような雲の上の人たちとの晩餐ではあるが、別に嫌なわけではない。でも、ただでさえ緊張をしているところに、こんな肩が凝りそうな服を着ての食事は確実に味が分からなくなりそうだと思った。