近衛式の剣
頭を抱え気味に立ち上がったトンノが執務室を出ようと歩き出すのを見送りながら、レイノールはカップに残った最後の珈琲を飲み干した。
凪の前半生を聞くととても気の毒な少女に思えるけれど、現在の凪を見るとそんな感じを欠片も見つけられない。むしろ甘やかされて生きてきたんだろうと思う人が、大半を占めるはず。
けれど凪のあの性格を持ってすれば寂しいと思うこともあるにすれ、柵のない身軽な出自だと思えばいい点もあるのだろう。まぁ凪のことだから、柵があったって突破して粉砕して好きなように生きる気がするけれどね。
「レイノールいるー?」
ノックと同時に開いたドアが、今まさにノブに手を掛けようとしていたトンノの額を直撃した。
「いっ!!」
「んあ?」
ゴンッ……という痛そうな音の後に、体勢を崩したトンノがしりもちをつく。そのドアの向こうから、今まさに話をしていた凪が顔をのぞかせた。
「あれ?」
自分が開けたドアがトンノを直撃したことに気が付いたのだろう、しりもちをついているトンノの横にしゃがみこむとぽんぽんと頭を撫でた。
「わりぃ、トンノ。頭大丈夫か?」
「言い方!!」
トンノはそう叫ぶと、はっと口を両手で塞ぎ……じっと凪の顔を見て……バッと立ちあがった。
「すみませんっ! 失礼します!!! ぶっ」」
それだけ言い捨てると、凪の開けたドアから外へと駆けだしていく。そこにはイルクがいたらしく、これまた顔面から胸に飛び込む形となり……。
「大丈夫か?」
肩を支えられて顔を上げたトンノの叫び声が、再び響いた。
「うあっあっあぁぁぁぁあ」
後頭部しか見えなかったけどきっと真っ青になった顔でイルクに何度も下げると、そのまま廊下を駆け抜けていった。
「……」
「……」
「……」
思わず呆気にとられたまま、三人で顔を見合す。
「……どうしたんだ、トンノ。なんか変なもんでも食ったか?」
凪の斜め上の言葉に、思わず噴き出した。
「ちょっと話し込んでいたものだから、ぼうっとしていたみたいだね。それでどうしたんだい、凪。イルクも」
ここに呼び出した覚えはないから何か用事があるんだろうと思って問いかければ、凪は腑に落ちない表情のまま立ちあがった。
「今さ修練場にいたんだけど、イルクがレイノールと立会いしたいっていうからさ。どう?」
「ぶしつけで申し訳ありませんが、お願いできますか? 副隊長」
凪の言葉に続けるように、イルクが部屋の中に入ってきて重ねて問いかけてくる。レイノールは首を傾げた。
「私とですか? さして勉強になるような技術は持ち合わせてはいませんが……」
実力から言えば確かに隊長に次ぐ強さは持ち合わせているつもりだけれど、これといって特徴があるわけでもなく。
私の疑問を感じ取ったのか、イルクは申し訳なさそうに口を開いた。
「もしよろしければなのですが、こちらの正式な剣技をご教授願えればと……」
正式な剣技……。
「あぁ、近衛式ってことですか」
「一度拝見できればありがたいと思いまして」
近衛式の剣技は、見栄えを重点に置いた剣技。基本的には王族を飾りたてるための剣。
近衛は八軍まであるけれど、第六~八軍は基本的に近衛式の剣技しかできない軍事的には意味のない集まりだ。何かの催し物の際に、見栄えのために予備として設けられているだけの少人数の集まり。
第一軍〜四軍が国王、王妃、王太子、今はいないが王弟を護衛するそれぞれの近衛軍。王族の威厳を保つ要素もあるから容姿や立ち居振る舞い、実力も兼ね備えなければならない為、少数精鋭。
そして第五軍が、貴族達の中でも軍事的に一番の力を誇る。主に貴族…それも下級貴族の後継以外の男性が多く所属している。
五軍が一番人員もいるし、どちらかといえば九軍に近い。
「別にかまいませんが、誰に聞いたんです。私が習得したの、凪がここに来る前の事ですよ?」
するとふと二人が顔を見合わせて、「隊長」と声を揃えて言った。あぁ、なるほど。
「大体レイノールはくそ真面目だよな。なんで平民軍のくせにお貴族様の剣技まで覚えんだよ」
「必要があったんですよ。で、その隊長はどこに行かれたんですか」
「珍しく白の軍師に呼び出されたとかで、王宮に行くみたいだった。向かってる途中の隊長が修練場の横を通った時に聞いたんだよ。今頃、王宮門についてんじゃね?」
……、イルクはきっと最初隊長に聞いてみたんだろう。そして面倒くさがり屋の隊長から私に廻ってきたと。
「隊長は隊長のくせに近衛式知らないとかわっけわかんないよな」
「隊長は習得するのが義務ですから、できますよ。用事があるから私に任せただけでしょう」
フォロー位はしておいてあげますか。
凪は目を細めて、トントンとつま先を打ち鳴らした。
「面倒くさいだけだろ、よく隊長なんかやってんな」
……ばれてるし。
「イルク。立ち会うのは良いですが、アレ、実戦で役に立つかどうかわかりませんよ?」
近衛式なんて覚えても意味ないんですけれどね。
凪の冷たい視線から話を逸らそうとイルクに承諾を伝えると、嬉しそうに頭を下げた。
「構いません! ありがとうございます、副隊長。よろしくお願いします」
そんな態度を見ると、まだまだ十九歳の若者だと思うけれど。いつもは落ち着いているのにね。
「おっさんなんだから、無理して頭使うなよ? 脳味噌まで筋肉になっちまったら取り返しつかねぇ」
「お前にだけは言われたくない。お前の場合、身長に行くはずの栄養どこに消えてんだろうな」
君達、副隊長の前ですよ。おやめなさい。
待っていても終わらなそうないちゃいちゃに、レイノールは息を一つついて椅子から腰を上げた。
「では修練場に行きましょうか」
近衛式の剣は細身の両刃。平時は構わないけれど、戦時には弱すぎる見栄えの剣。細身のくせに両刃でどうやって戦うというのだろう。まぁそれもわかっていて不測の事態においては刃で薙ぐのではなく槍のように突きメインで戦うわけだけれど。その上、戦時には一般的な大きさの剣に変える。
王族を護衛する近衛達はどちらの剣技も習得しなければならないわけで、負担この上ないだろう。両方ともきちんと身に着けばいいが、中途半端にしか使えなければ戦で命を落とす可能性が高い。
……まぁ、近衛が戦に出てくることなどほとんどないけれど。戦で命を落とすのはもっぱら平民、貴族でも下っ端のそれも次男や三男。
ここ数年、不穏な空気を孕んだままとはいえ大きな戦はない。もしここで戦が起こったら、この国は大丈夫なのだろうか……。
久しぶりに持つ近衛の剣を鞘から抜き、横に薙ぎ払う。細いからこそ上がる、剣のしなる音。
「ほっそ……。そんなんで人殺せるのか?」
凪がぼそりと呟く。イルクは何も言わず、じっとレイノールの持つ剣を見ている。
「通常の使い方をしてしまえば、相手できるのは二.三人位ですかね。見て分かるように、細すぎるこの剣では、肉を切れても骨は断ち切れない。相手に無用の苦しみを与えてしまいます」
そう言いながら、イルクへと向き直った。
「ではどうぞ」
いつもより軽い剣を手にを馴染ませるようにもう一度握り直し、にこりと笑う。イルクは左手に掴んでいた鞘から剣を引き抜くと、それを凪へと渡した。
イルクの剣は、身幅の大きい両刃剣。どう見てもレイノールの方が不利。
「よろしくお願いします」
イルクは一つ礼をすると、剣を斜め下に構えてレイノールに向けて駆け寄る。下から薙ぐ様に振り上げられたその剣筋を読み、その軌道から体を外すように後方へとステップを踏んだ。
「……っ」
空振りになったイルクは、反動と遠心力を利用して逆方向から下へと剣を振り下ろす。レイノールはイルクの剣の身の中心に刃を滑らせるようにして軌道を反らすと、その力に逆らうことなく剣を横に流す様に円を描きそのままイルクの喉元に切っ先を当てた。
「……参りました」
イルクの呆然とした声が、修練場に落ちた。
「は? なに今の、なんだ今の」
イルクの声で我に返ったのか、凪が弾かれたように剣を下ろしたレイノールの側に寄ってくる。
「危ないですよ、凪。イルク、お疲れ様です。これが近衛式の剣の実戦での扱い方です。少しでも実用に足る方がいいでしょう?」
「はい。しかし、この細身の剣で軌道を変えさせられたのには驚きました……」
凪と同じように下におろしている剣を、興味深そうに見ている。レイノールは剣を持ち上げると、力を込めて左の掌に身を打ち当てた。
するとイルクが、なるほど……と呟く。
「細身だからこそ出来る技ですか……」
「んあ? 何でだよ」
やはり実践に出たことがあるイルクと小競り合いを治めに行ったことくらいしかない凪だと、経験則に差が出る。凪でこれなのだから、小競り合いにさえも出ない近衛たちは戦になったら戦えるんだろうか不安になる。
レイノールはもう一度剣を振ると、凪を見た。
「細身の剣はどう頑張っても、力には押し負けます。いくら持ち主が力強くとも、剣がその衝撃に耐えられない」
「それは分かる」
「ですが細身だからこそ、大きな身幅の剣にはないしなりと粘りがあります。その利点を踏まえて、相手の剣の力を利用して受け流すんです。そうして相手の懐に入り込んで、急所を切っ先で突く。そうしないと、この剣では戦えません」
「……難しい……」
凪が頭を抱えて唸り声をあげる。イルクはそんな凪を苦笑しながら見ていたけれど、次の瞬間姿勢を正した。
「……っ」
同じくレイノールも剣を鞘にしまって後ろ手に隠す。
「? レイノ……」
突然の行動に不思議そうに顔を上げた凪を、レイノールは剣を持っていない右手で背後へと追いやりそのまま頭を抑え込んだ。
「凪、静かにしていなさい」
何か叫ぼうとしていた凪が、口を噤んで大人しく頭を下げた。それほどに、いつものレイノールの声と違かった。
……なぜこんなところに。
レイノール……、そしてきっとイルクの脳裏にも浮かんだだろうこの言葉。
その元凶が、修練場内に足を踏み入れた。
「九軍は精が出るな」
やたらと大きい野太い声。その声に見合う、大きな体。一般的な兵士が纏うような軍服に華やかさをプラスした、華美な服装。
レイノールは歪みそうになる表情を押さえながら、口を開いた。
「国王陛下……」
ランディア国国王が、そこにいた。