過去が動き出す 1
凪は、戸惑っていた。
あの北方戦から一カ月。従軍していた凪達もすでに王都での日常に戻っていた。
白のローブ男と対峙した後の凪はと言えば、気がついたら辺境伯令息の守る本拠に戻っており、既に戦は終わりもう帰るだけだと告げられた。
どうやら五日間は眠り続けていたらしい。
よく起こさなかったなとも思ったけれど、どうやら寝ているというのに凪の口は緩い粥くらいなら食べていたそうで、どんだけ食いしん坊だよと自分の事ながらちょっと絶望した。瞬殺で終わったけど。
煩いくらい心配をするイルクと、あんまり気にしてなさそうな隊長に、いつもの日常だなとぼんやり思ったのは嘘じゃない。邪魔な思いをしてまで得物を持ってきたというのに、振る機会もなく終わったことにも文句はない。
女だと気付いたイルクの過保護っぷりが、面倒くさいぐらいで。
そんなこんなで、すぐに王都へと帰還となり幾日かの休暇の後、日常へと戻っていた。
凪は戸惑っていた。
あの時、ローブの男に望みを聞かれた後。
はっきり言って、その後の記憶がない。まったくもって行動の記憶はないけれど、生まれた記憶が一つある。
號玖と深青。そして、ひとりのおじさん。
その三人の存在が、ぽかりと空いた記憶の空白地帯に浮かび上がって。なぜかしっくりと受け入れてしまった。顔も姿も分からない。けれど確かに三人の年上の男の存在は、自分の知らないどこかの凪と結びついていた。
凪は戸惑っていた。
九軍の中では中堅の部類に入る凪は、普段の扱いがどうあれ意外と重要な事も任される。
今日は、九軍の入隊試験の日。隊長と副隊長との直接試験の前に、現隊員との手合わせというものがある。その試験に、毎回凪は就いていた。
特に今日は北方戦の報告をしに辺境伯の息子が城に来ていて、隊長と副隊長もその謁見に参加していた。彼らが戻るのにはまだ少しかかる。それまでに、集まっている入隊希望者の振るい落としを終えなければならない。
なんで凪がやるんだというイルクからの圧を完全無視しながら、手合わせをこなしていたわけだけれど。
「……」
……凪は困惑している。
「よろしくお願いします!!!」
長い髪を後ろで一括りにした黒髪黒目の気のいいあんちゃん……風な青年と、
「よろしくお願いします」
刈り上げた黒髪と、同じく黒目。額を飾る組紐がゆらりと揺れる、がっしりとした体格の青年。
自分以外の黒髪黒目に興味を惹かれるという事もあるけれど、それ以上に。後者は初めましてだけれど、前者は……
「ナギ先輩! よろしくお願いします!」
色違いを、見た気がする。一カ月前くらいに。
思わずぽかんと口を開けたまま二人を見ていた凪は、首を傾げつつ後頭部を片手で掻き上げた。
「あー、と。こっちが雲居で、そっちが墨染でいいのか?」
二人を見る前に目を通した受験書類の名前の欄を思い出す。自分と似ている名前の付け方にも、少し親近感を持っていた。
その上遠目で見た感じ、色味という面で自分と似ているなと思って余計親近感を募らせた。
そして。
「僕の得物はこれだよ! 刀っていうんだけど分かる?」
「俺はほとんどのものは使えるが、槍や棒術が得意だ」
入隊したら最低限この国の得物にも慣れてもらわないと困るけど……そう凪は言いながら、ちらりと後ろに控えるイルクに視線を流した。
どうやらイルクは気づいていないらしい。
イルクとローブの男が対峙したのはほんの少しの時間で、すぐに術を掛けられたり撥ね退けたり逃げられたりでよく顔を見ていなかったのも頷ける。
そしてそれ以上に、髪も瞳も色が違いすぎて。前の色があまりにも印象的すぎて、多分気付く人は少ないと思う。
イルクは凪の視線に気づいて、雲居たちを見ていた目を凪に向けた。
「どうした?」
「あー、俺の得物ってイルクん所だっけ?」
イルクは雲居の持つ刀を見て得心がいったように頷いた。ちょっと待ってろと言い残すと、寮へと向かって走っていく。
初めて見る武器だから興味があるらしく、昨日から貸していたのだ。
凪はタイミングがちょうどよかったと小さく息を吐いて、二人へと視線を向けた。
「俺は難しい事とかよくわかんないんだけどさ、まぁなんてーの? お前、アレだよな?」
周囲に人が多い状態で、確信をつく言葉を言うのは難しい。けれど何も情報がないまま隊長に引き継ぐのはさすがに気が引ける。
そしてそれ以上に、危険を冒してまでなぜここに来たのか理由も聞かずに追い返すことはしたくない。
イルクにばれたら問答無用で捕まえそうで、追い払う理由があってよかった。
凪の遠回しな問いかけに、雲居は軽く頷く。
「うん、そうだよ。こっちはねぇ、僕の相方!」
「どうも」
なんて言うか、正反対の性格に見えてちょうどいい塩梅なんだろうか。
「凪!」
丁度イルクが得物を掴んで戻ってきたことで、凪は会話を中断した。
「ありがと」
「あぁ。ていうか、お前以外にもその武器使うやつがいるんだな」
凪に刀を手渡しながら軽く頷くと、腰に下げていた剣を外しそこに刀を鞘ごと紐で括った。
「ナギ先輩も刀使うんですね!」
何が楽しいのか、目を輝かせて雲居が一歩前に出る。
「僕からお願いします!」
凪は刀に手をかけながら、毒気を抜かれたように笑った。
結果。
「ナギ先輩強いなぁ!」
「はいはい、お前もな」
「勉強になりました、ありがとうございました」
「お、おう」
何度も切り結び、躱し、いなし。凪が力を受け流すように得物を使うのに対して、力押しの雲居との試合は相性の悪いものではあったが観戦している周囲にしてみればとても見ごたえのあるものだった。
墨染は棒術で挑み、凪は普段から使っているランディアの剣でそれを受けた。
今日試合した中でも技術も力もあったこの二人は、それでも凪に敵わず最後は得物を飛ばされて終了した。
「もう少ししたら次に進んでもらうやつらの名前張り出すから、それまで休んでな。じゃぁな」
イルクの持っている書類を受け取って何か書きつけていた凪は、そう言って踵を返す。その後姿を雲居たちは額の汗をぬぐいながら見送った。
「いやー、強いね。お姫様」
「あぁ、強いな」
でも、ここまで来た。
凪達の向かうその先の建物から、三人の男性がこちらへと歩いてくる。
その真ん中を歩く男を見て、雲居はにやりと笑う。
「さー、頑張ってアピールしようさー」
「はいはい」
じゃないとここまで来た意味がないからね。
言外の意味を受け取って、墨染がこくりと頷いた。




