イルクという男。7
「それで、状況はどうなんです?」
お茶を持ってきたリアトの従兵が部屋から出て行ったのをきっかけに、のほほんとしていた隊長がやっぱりほわほわした雰囲気のまま切り出した。
砦、まして戦時中という事もあり武骨な金属製のカップで出されたお茶を飲んでいたリアトが、大きく息を吐きだす。
「正直、かんばしくないですね。面倒といいますか」
「面倒?」
王都で聞いていた小競り合いという言葉からは想像できないほど、困惑したようなリアトの顔。
隊長は「面倒ねぇ」と呟いて、窓の外へと視線を投げた。そこは隣国と接している森林地帯。うっそうとした木々が、風景を埋め尽くしている。
リアトは地図を広げて、指で大きく楕円をなぞった。
「ここの辺りが、主な戦闘地域になります」
「……随分と広範囲ですね」
レイノールが右手の親指を、口元に当てて目を眇める。イルクも、さすがに常識はずれなのではと地図を見つめた。
それもそうだろう。イルク達の前に広げられている地図で指し示されている戦闘場所は、北方のほぼ国境すべてと言って差し支えなく、東西に沿って長く広がっていた。
これではいくら北方を守る為の辺境伯として爵位以上の軍備を持っていたとしても、対応できるものじゃない。むしろなぜ今回、王都の国軍をもっと連れてこなかった……軍師からの命令がなかった……方がおかしい。
地図に書き込まれている勢力図を見ても、自軍が分散されてしまっていて横のつながりや上からの命令系統が機能しているのか怪しい状態だ。北方辺境伯だからと言って、国境すべてを支配しているわけではない。そこには支配下や同盟を結ぶ地方領主が存在していて、表向き辺境伯がトップに立っているが実際はすべてを掌握するには至っていないだろう。
辺境伯の命令を軽んじて、自領の都合のいいように動いている領主もいるはずだ。
隊長は地図を眺めながら、ふむ……と呟く。
「これだけ広範囲だと、遊撃戦がメインですか」
「そうです。むしろ隊を組んでの本格的戦闘が少ないので、手を焼いているのです」
お手上げとばかりに両手を頭の後ろで組むと、リアトは面倒くさそうに天井を仰いだ。どちらかといえば直情的でもある彼は、自身も敵陣に乗り込みさっさと蹴散らして収束させたい欲の方が強かった。
辺境伯として総司令の立場にいなければ、剣を共に少数精鋭で切り込んでいきたいくらいだ。
隊長はリアトのジレンマを察して目元を緩ませながらも、それにしても……と地図を見つめた。
「北の……クレイグル皇国が相手と聞いていますが、それにしても一国が遊撃戦をメインにするとは」
その言葉に、リアトが驚いたように顔を上げた。
「え、待ってください。北の皇国が相手ではありません。いや相手ではないという言い方も語弊があるのですが、少なくとも表立って攻撃を仕掛けてきているのは所属不明の者達です。王都にはそのような報告がいっているのですか?」
「クレイグルが相手ではない?」
確認するように言葉を繰り返す隊長に、リアトは鍵付きの引き出しから封筒に入った報告書を手渡した。
「私が上げた報告書の写しになります。相手と言いますか、むしろ北の皇国からは援軍が派遣されていて、各所で共闘しています」
「……」
隊長はただ黙って報告書に目を通すと、読み終えて息をついた。
「なるほど。「クレイグルの関与が疑われる」という一文で、そのまま敵国だと判断したわけですか。お偉方は」
報告書を隊長から受け取って、レイノールとイルクも目を通す。所属不明の敵だと書いてあるが、最後の推測の点でクレイグルの関与が疑われると記述してあった。
もっともこれを見て「敵はクレイグルだ」と解釈したのなら、誇大もいいところだ。せめて可能性を含めて隊長に何かあってしかるべきだというのに、何も知らされないまま派遣されてきた。
「ただ、派遣されてきている北の皇国の軍があまりにも協力的すぎて、遊撃戦でも規模の大きいものに関してはランディアを後方に配して自分達が前線に張り付くんですよ。逆を言えば、小規模戦以外は私達に敵は見えない」
「そうですか。まぁ、状況から考えればクレイグルが一枚噛んでるのは、やはり事実でしょうね。大規模戦闘を担うことで疑いの目をそらし、同士討ちを避けるために偽りの戦をしている状態と」
「えぇ、恐らくは」
リアトの言葉に、隊長は面倒くさそうにため息をつくと体の前で腕を組んだ。そうしてトンノの名を呼ぶ。
「後方拠点の街に、あなたの実家の支店でも流通倉庫でも何でもいいんですがありましたっけ」
「うちの商会、ですか?」
短く返事をしたトンノだったが、その後の問いかけに首を傾げた。
「確か支店があると思います。商店の経営を手伝ったことは立場上ないですが、北方辺境伯の城下は、治安もよく商いがし易いと父が話していたことがあったので」
「それは嬉しいね」
自身の城下を褒められたからか、リアトが目元を緩ませて笑う。隊長はトンノの言葉に、小さく頷いてトンノを手元によんだ。
「トンノ。情報を集めて来てもらえますか? レイノール、この件の裏どりを。あとは任せます」
「了解しました。トンノ、行こうか」
「え? あ、はいっ」
トンノは展開についていけないのか戸惑うように視線を動かすと、頭を下げてレイノールの後を追った。バタバタというせわしない音と、扉の開閉音。
「ははっ、可愛いなぁ。レイノールの従兵ですか?」
閉まった扉から視線を外しながら、リアトが隊長へとそれを向ける。
「そうですよ、セダ商会の三男坊です。レイノールにサポートを任せましたし、有益な情報を取ってくるでしょう。商会ならば、流れの商人や冒険者、旅行者からの情報も入るはずですからね」
「それは頼もしい」
「さてと、凪こちらへ」
扉の脇で立っている凪を、隊長が傍へと呼ぶ。凪は小さく返事をすると、隊長の横へと移動した。
「凪も一緒に見ていなさい。イルク、貴方ならこれをどうみますか?」
「……私ですか?」
地図を見て考え込んでいたイルクは、ゆっくりと顔を上げると口元に拳を当てた。言っていいものかどうかほんの少し考えたが、その視線を変えることなく口を開く。
「叱責を受ける覚悟で申せば、十中八九ランディアも関与してると思われますが」
その言葉に眉を顰めたのは、当たり前だろうリアトだ。面前切って、内部に裏切り者がいると指摘されたと同じなのだから。しかし何か言おうとした言葉を、口から出さずに飲み込んだ。
「どうしてそう思います?」
隊長はリアトの反応を視界の端に収めながら、イルクに先を促す。
「リアト殿。その大規模戦闘の際のこちら側の兵士は、閣下の兵ではなく先に派遣されている国軍や他の地方領主などなのではないでしょうか」
リアトは少し驚いたように目を瞠った。
「それは、そう、ですが」
イルクはそれに頷くと、こん……とリアトの治める領地の東端を指差した。そこはクレイグルへと続く、大街道がある場所。治めているのはリアトの父であるが、実際領地経営をしているのはその従弟であるダラン子爵だ。
現在クレイグルが一番兵力を投入している、そして親戚筋だからと中央から西端に布陣しているリアトがその指揮権を任せている場所。
「バラけた戦線には、一番信頼できる軍を投入しなくては戦況を掌握できない。その裏をかかれているのではないかと」
イルクは先ほど戦場を示された地図を、前線を指先でなぞった。
「通常なら前線に出るのは自国側が普通です、こちらの被害が多いわけだし国境的にも。それをあえて皇国が前に行き、それを了承してしまっているダラン子爵の意図が見えません。今の状況がまかり通っているならば、皇国との間に何らかの約定があると推測されます」
「約定……」
ぽつりとこぼしたリアトの言葉に、隊長は小さく頷いた。
「私もイルクの意見に同意します。トンノの帰りを待つ間に、やれる事を進めてしまいましょう」




