王妃の望み。3
「あんた、本当に馬鹿でしょう?! 馬鹿以外の何だというんです!」
「わぁお、號玖こわーい」
もちろん、殴り飛ばしました。
魔石から聞こえた師匠の言葉に、背筋が凍る思いがした。役に立っていない集落の諜報者は放っておいてもいいけれど、首都からきているたった一人の諜報者に見つかったらどうなってしまうのかと思うと気が気じゃなかった。
もしかしたら、もう師匠の魔力を感知されてしまっているかもしれない。
私は師匠に返事を返した後、普段ほとんど使うことのない自分のスキルを発動した。
「で? 俺の魔力変えてきたの?」
痛みからすばやく立ち直った師匠のお腹に右足をめり込ませつつ、変えてきましたよと吐き出した。
「まさか、あんな真っ向から魔力を使ってくるとは思ってなかったですよ。久しぶりにスキル発動したから、うまくいくかちょっと緊張したじゃないですか。師匠のせいですよ、師匠の、師匠以外の何物でもない! で! うちの子達は!?」
そのままの体勢できょろきょろと辺りを見渡すと、少し離れた木の傍に小さな黒い塊を見つけて慌てて駆け寄った。くるまっている布を少しめくれば、深青の顔が見えてほっとした。
よかった、生きてる。
「凪はどうしたんです」
生きているけれど、包まれているのは深青だけ。そこに、小さい凪の姿がない。
心無し低くなった声で師匠を振り返れば、あっけらかんとした声が返ってきた。
「首都に置いてきた」
「馬鹿かあんたは!」
瞬時に膨れ上がった怒りのまま、思わず声を荒げた。諜報者とかもうどうでもよかった。あんな小さい子を、首都に残してきたなどと馬鹿師匠の口から聞きたくなかった。
「足手まといだったのか!? あんな小さな子を置いてこなきゃいけない位、あんたには力がなかったのか!」
思いのまま振り上げた手を、師匠が軽く横に受け流す。自分で自分の勢いを殺すことができないまま、私は地面に転がった。
「お前ね、少しは落ち着きなさいよ。うーん、頭脳戦ならだれにも負けないように育てたはずだったんだけど、なかなかどうして熱い男だったかぁ」
「ふざけないでくださいっ」
地面に尻もちをついたまま顔を振り仰げば、苦笑したまま頭をかく姿。いつものだらけている師匠の姿に、膨れ上がっていた感情がすっと落ち着くのを覚えた。
「あの子は、江国の者だ。お前達と違って監視されてるわけじゃないし、一度、王がうちに来た時に顔を見せただけだから知るものも少ない。仮に知られていても、安全な場所に預けてきたから大丈夫だ。俺とくるより安心できる場所にな」
「安心な場所……?」
「王宮で、あの子の顔を覚えてるものなんて誰もいないからな。最後に会ったのが三歳じゃ覚えてても分からんだろ。結局実母には会えなかったし」
……王宮で……?
師匠の言葉に、どこか引っかかるものを覚えて眉を顰める。王宮で三歳まで……? それは一体……? え?
「號玖」
師匠に向けて開こうとした口を、師匠の声が遮った。内緒、とでもいうように自身の口に人差し指を当て笑う。
「だから安心しろ。お前たちをこの国から出したら、俺も逃げるからさ」
「師匠……?」
この国から出す?
「そんな事、可能なわけ……」
私達は、一生この国から出られないんじゃ……。
師匠は地面に座ったままの私の横にしゃがみ込むと、頭に手を置いた。
「王妃の望みを、俺は読み違えた。第二王子の右腕として深青を傍に召し、病を治すためにお前の薬を手に入れたいのだと思っていた」
頭に置いた手をゆっくりと前に下げるようにして私を俯かせると、少し間をおいて口を開いた。
「王妃はお前の薬を使って二人を深く眠らせ、王子の病を治すために深青を使おうとしたんだ」
深青を……?
「私の薬なんかで、そんな事できるわけない……」
「薬は下準備の一つなだけ。王妃が子飼いの医師や術師を使って過去の禁術から編み出した術だ。俺の知らないところで、きっとたくさんの者が関わっていた。……たくさんの者が、その身で試されたんだろう。呪いや病を魔力に溶かして、依り代と交換する禁術を」
そんなことまでやろうとしているなんて、王妃の闇に俺は気が付けなかった。




