師匠の望み。
私の名は、號玖。
江国に漂着した他大陸の父と、この集落出身の母を持つ。父の魔力を身に継ぎ、母の薬師の仕事を生業として継いで暫く経つ。
両親は、まだ私が成人する前に流行り病であっけなく逝ってしまった。まだ魔術師にも薬師にもなることのできないくらいだったひよっこの私を、それを生業にできるほどに仕立て上げてくれたのが師匠だ。
もともと両親が生きているころから、師匠には魔力の使い方や薬師、呪いに関して教えてもらってきた。薬師の仕事は知識を与えられればなんとかできるけれど、他と違う特徴を持つ魔力に関しては師匠がいなければどうにもならなかったと思う。
そこらへんは感謝してる。ミジンコくらいは。
深青は、そんな師匠が何年か前に連れてきた首都生まれの子供。
深青も独り。江国人同士の婚姻だったが、先祖返りなのか深青は黒い髪に真っ青な瞳をもって生まれてきた。浮気に関しては他国者を内に入れないこの国特有の事で疑わられることはなかったが、どちらかの血筋に他国の血が流れているのは明らかだった為、肩身の狭い思いをするよりはと子供のみこの集落に移された。今は未成年に宛がわれている共同生活所で暮らしている。
そんな深青をここに送った両親は、居住を移して首都のどこかに住んでいるという。
そして師匠は。
本来の名前はカタカナで横文字らしいが、この国では藍と名乗っていた。髭だらけのもじゃもじゃ師匠には似合わない名前だが、出身国の発音に似た響きがあるそうで国王からそう名付けられたらしい。
そう。あんなもじゃもじゃ師匠だけれど、首都に行けば私なんかが話しかけるのも許されない立場の国王の信任の厚い役人。あの面倒くさがりやな師匠が、身ぎれいにしてお役所勤めをしているところなんてすこっしも想像がつかないけれど、この集落に入る際に必ず受けなければならない検査を受けなくて大丈夫なところからやはり高位の役人なんだろうと思う。
そんな感じでフリーパスで入ってこられる特権を駆使して、本来この集落ではお目にかかることもないような本や器具、日持ちのする菓子などをよく持ってきてくれたりするんだけど……。
「まさか、あんな幼気な女の子をさらってくるとは思いませんでしたよ。師匠」
出来上がった食事をテーブルに並べながら、私はため息をついた。風呂に入ってきた師匠は髭も剃ってこざっぱりした顔をどこか物足りなそうに撫でながら、いやだから……と片手で突っ込みを入れてくる。
「攫ってないって言ってるだろうさ。起こすの可哀そうだから荷車で寝たままこの集落に入ったけど、あの子もここの子になるの! 隠して連れてきたんじゃないの! 號玖の視線冷たいから勘弁して!」
……? なんか今聞き流せない言葉があったぞ?
「いやまて、ここの子って何です? さらっと言ったけど、集落の子? まさか私んちの子?」
「……」
何も言葉にせずにへらと笑う師匠の頭を、思いっきり掴み上げた。
「いててててて!」
「うちですか、私に後見人になれといいますかたまにしかこない師匠が」
「まだ三歳の女の子を、深青と一緒に共同生活所に入れろと? お前鬼畜か? いや鬼畜だけどそれでも鬼畜すぎるだろ!?」
「鬼畜以外いうことないのかこの阿呆師匠」
最後にもう一度手に力を込めて頭を話すと、師匠は両手で頭を抱えながらよろよろと壁に縋りついた。はっきり言ってガタイのいいおっさんがそれやっても、気持ち悪いだけ。
「お前、力強くなったな……。そっち方面でも食っていけるよきっと」
「集落で一体どう使えというんです、いざこざなんてありませんよ。魔力が使い物にならないから、必然的に覚えるしかなかっただけなんですから」
「あの子もそうなんだよ」
ため息をつきながら椅子に腰を下ろした私に、頭を掻きながら師匠が苦笑した。
「あの子も?」
そういいつつ、師匠を椅子に促す。深青はとっくに家に帰っているから、ここには私たち二人だ。凪はもう寝室で寝ている。ちなみに私の寝床。
師匠が私と二人になるタイミングを待って事情を話そうとしていたことくらい、一応分かってる。からかうの面白いだけで。
師匠は椅子に座ると、少し話し辛そうに水を一口飲んだ。いつもと違う雰囲気に、思わず食べようとして持った箸をテーブルに置く。
「あー、あの子もな。凪も、お前と同じなんだ。通常役に立たないスキルしか使えない」
「それで私に?」
「魔法が使えなければ、魔力なしの人たちと同じように自分の身は自分で守らなきゃいけないだろ? けれど首都ではそれを大っぴらにして、あの子に教えることができないんだよ」
どういうことだ? 江国が一般的に魔力もちが多いことは確かだけれど、それを持たない人たちも一定数いる。それは別に差別の対象になるわけじゃない、江国の民であれば。
私みたいに、異国の血の流れている人間だとその時点で差別対象になるわけだけれど。
師匠は考え込む私を見て小さく息を吐くと、口を開いた。
「悪いが、出自をいう事はできない。ただ俺は首都に置いておくより、號玖に任せるのが一番だと思って連れてきた。もちろん両親からは許可をもらっている」
「世話をする私にも?」
「世話をするお前だからだ」
師匠は箸を手に持つと、お漬物を一欠けら口に放り込んだ。
「何も知らない方が、何かあった時お前にとって安全だ」
思わず、目を見開く。
という事は、ある程度高貴な家柄という事……だと思う。
「無茶言いますね、師匠は」
もう半ば諦めの境地でため息をつくと、箸を手に取った。
ここまで世話になってきた、どこか抜けていても自身の師匠。人間として信じているからこそ、師事した。その人がこういうのだから、意味が分からずとも引き受けるのが道理。
師匠はにこーっと笑うと、號玖ならそういうと思ってたと頷いた。
「あ、でもこれは教えとくわ。凪のスキルはな?」
そういって伝えられたスキルはほんっとーに通常使うことのないもので、神様って意地悪……と思わず呟いた。




