“神”の定義 act.2
私には、見えないモノが見える。それは幽霊と呼ばれる存在。でも、今まで見えるモノは私に気づかないらしく、私は平穏無事に過ごすことができた。時折他の人には見えないモノに話しかけそうになるけれど、少し不思議な子として捉えられるぐらいだった。
だから、彼が目の前に現れたとき凄く不思議だった。今まであちら側からコンタクトを取られたことがなかったから。
でも、それは私の運命も、そして彼自身の運命も、大きく揺さぶることになることを当時は知る由もなかった。
*****
高校一年生のとき、桜の木の下にいる子供に話しかけた。その子はどこか儚げで、高校に子供がいることが気になった。近所の子かもしれない。そう思って声をかけたのだった。けれど、その子は私をまったく見向きもせず、桜の木を見続けていた。その時はそれ以上声をかけずにいた。
(あ、また居る……)
けれど放課後、翌日、そのまた次の日となってもその子はまだ桜の木にいた。さすがにその子どもが人間ではないってことは何となく気づいていた。友達にも言ったけれど、そんな子どもは見たことないと言っていたし。
それでも、どうしてもその子どもが気になっていた。最初は無表情だと思っていたけれど、何日も見つめるうちにその表情が悲しんでいるように見えたから。だから、放っておけなかった。
「ねぇ、今日もまだ見てるの?」
『……』
私はその子どもの隣に座って話しかけた。それでも、その子は私をまったく見ない。声が届いているのかすら分からない。それでも、私は話しかけ続けた。
「桜に何かあるの? 何を悲しんでいるの?」
「それじゃ、まったく話しかけてねーのと一緒だぜ」
「っ!?」
唐突に聞こえた声に、私は慌てて振り向いた。そこには見慣れない青年がいた。一見どこかの宮司のような格好の青年は雰囲気が全く別物であると感じる。人とも幽霊でもない。全く感じたことのない雰囲気。それでも、青年が人でないことは明らかだった。
「あなたは?」
「お、やっぱ驚くけど気配だけで感じられるのか。俺の見込んだ通りだ」
問いかける私の言葉を無視し、どこか楽しそうに笑う。その顔はどこか幼く、そして人間じみた笑い方だった。凄く不思議だった。感じる気配は全く別物だと分かるのに、彼の仕草が人間に近いと思ったから。
「あの……」
「あぁ、俺まだ名前ねーんだわ。だから名乗れない。それより、そいつのことが気になるのか?」
「え、あ……うん」
彼の話は脈絡がなく、自分の言いたいことをサラッと言ってしまうようだ。それでも、私の気がかりになっている子どもを指して、彼はそう言った。その言葉に私は頷き、再度その子どもへと顔を向ける。そこで驚いた。その子どもは何度声をかけても私を見ようとしなかった。けれど、今はこちらを向いて私を見ていた。見ている、というのはちょっと違うかもしれない。その子どもの瞳は酷く濁り、どこか虚空を見つめるようだった。
「どうやら俺を感じてアンタを見つけたみてーだな。あんまソイツの瞳を見続けるなよ。引っ張っていかれるぞ」
「えっ!」
「餓鬼って言っても幽霊は幽霊だ。抗う術を身につけてねーのなら簡単に持っていかれる」
青年の言葉の意味を咄嗟に理解し、私は慌てて目を背けた。それでも、彼は特に臆することなくその子どもへと対峙する。
「お前は何してんだ?」
『……』
「そうか。ここに囚われちまったんだな」
「あなた、誰と話してるの?」
「ん? そりゃこいつとだよ」
私の疑問に、青年はあっさりと答えた。その子どもは一言も喋っていないのに、青年は会話しているように耳を傾けていた。否、本当に会話しているんだ。そう肌が感じた。
「そっか。確かにこの木には多くの怨念が渦巻いてやがんな」
「ね、ねぇ。納得してないで、私にも話してくれない? 私が先に首を突っ込んじゃったわけだし、私もその子を助けたいの」
「……あぁ、分かった。こいつは浮遊霊だ。死んだあと、自分の死を受け入れられずずっとこの世を彷徨っていたんだと。そこでこの木に差し掛かったとき、こいつはここに囚われた」
「どうして?」
「この木……特に桜ってのは人と深い因縁のある存在だ。そのため、この桜には数多くの怨念が巣食っている。こいつがここに囚われているのはその怨念に絡め取られたせいだ。怨念はこいつを侵し、そして飲み込まれそうになっている」
「えーと……」
青年の説明があまりに言葉足らずなのか、もしくはこの手の話がまったく知識がないためなのか。私は彼の言葉が上手く飲み込めなかった。必死に理解しようと頭を回転させていると、彼が私の手を取った。驚いて顔を見上げると、彼は何も言わず子どもへと目を向ける。それに促され、私は目の前の子どもを見た。
「っ!」
「見えるか?」
「うん……」
子どもの様子がはっきりと分かった私は、彼の言葉を理解した。その子どもの体が酷く黒ずんで見えたのだ。体全身が黒く塗りつぶされているかのように、少しずつその子どもの体を蹂躙していく。そして、その黒いモノは桜の木へと繋がっていた。桜の木には人の顔のような黒ずみが広がっており、まるで私を飲み込もうとしているような錯覚を覚える。彼の手が離れたことで我に返った私は、背筋が凍っているのに気がついた。
「これって……」
「あんたには刺激が強かったな。あの怨念がこいつを囚え、新たな怨念の渦へと取り込もうとしている」
「どうやったら助けられるの? 助けてあげられるの?」
「助けるのは容易じゃない。だが、まだ助けられる。こいつを成仏させてやればいい。そうすれば怨念から開放され、こいつのことを待ってる奴らのところへ逝かせてやれる」
「それってどうやって……」
「引っこ抜いてやるのさ」
「え?」
「怨念を絡めている黒いモノ……人間で言えば木の枝みたいなもんだ。それからこいつを引っこ抜く。そんなイメージだ」
「そ、そんな無茶してこの子は大丈夫なの?」
「もちろん、無理に引っこ抜くのはこいつの魂自体に傷を残すことになる。残した傷は新たな怨念を生む可能性に繋がる」
「じゃあ駄目じゃない!!」
「まぁ、ちゃんと聞けって」
興奮して声を荒らげた私を、青年は冷静沈着な態度で窘めた。あまりの冷静な態度に、私は余計焦りを感じてしまう。けれど、彼の話なしに子どもを助けられる可能性はない。私は黙るしか手がなかった。
「もちろん、無駄に引っこ抜けばいいって話じゃない。こいつに絡んでる力を弱める必要がある。そこで使うのが、お前の力だ」
「私の、ちから?」
「そうだ。お前の力は浄化の力。穢れを払う力を持っている。そいつを使って一時的に怨念を払い、弱くなったところでこいつを引っこ抜く。そうすれば魂を傷つけることもなく、こいつを助けてやれる。成仏できるかどうかはこいつ次第だからな」
「もし成仏できなかったら? またこの子はこの怨念に捕まるの?」
私の言葉に、彼は無言で頷いた。その様子に喉がゴクリとなった。たとえこの子を怨念から助けられたとしても、成仏できなければまた怨念に捕まってしまう。あの黒い塊のような存在と一つとなってしまうということ。その恐ろしさは、先ほど見た光景が脳裏に焼き付いたほど濃く、また思い出しただけでも震えてくる。
「怨念の一部になれば、こいつは二度と大切な奴らと会えなくなる。そして、カルマから外れた魂は二度と戻れない」
「カルマ?」
「人は輪廻転生というものを信じているのだろう? それ同様に言うならば、人の魂は次から次へと同じ魂を宿すものだ。これは大きな渦であり、カルマとはその渦のことだ。カルマから外れるということは輪廻転生から外れるということ。それはすなわち魂はこの怨念に囚われたまま一生抜け出せない。もし祓ってしまえばそれは無に帰することになる。無となれば新しい人生を歩むことも、この世界に生まれ落ちることもなくなる。消滅、といったほうが想像がつくか?」
「どっちにしてもあんまりいいことじゃないってのは理解できたわ。でも、今なら助けられるってことでしょう? なら助ける! 助けられる人を見過ごすことなんてできない!」
そう言った私を、彼は少し不思議そうに見つめてくる。けれど、すぐさまいたずらっ子のような笑みを浮かべた。その笑みは不思議と嫌気を感じない。単純に、子どものような笑みだ。
「それで、私の力ってどう使うの?」
「は?」
助けようと決意した私は彼に力の使い方を訪ねた。けれど、すぐに返答が来るものと思っていた私は彼の様子に驚きを隠せなかった。あれだけ偉そうなことを言って、方法を知っているのだからどうやって力を使うのかも知っているものだと思っていた。しかし、彼はきょとんとした表情で私を見てくる。その様子に嫌な予感が胸をよぎる。
「えっと……だからどうやって力を使うの?」
「お前、力使えないのか?」
「そもそも、私にそんな力があることすら知らなかったわよ。ただ単に他の人が見えないものが見えるだけだと思っていたもの」
「……そっか。陰陽道に通じる者ではねーのか。そんじゃ、どうすっかな」
「え、まさか分からないの!?」
「他人の、というか人間の力の使い方なんて知るかよ。そういった力はそういった家系に現れるもんだ。力の使い方は普通教えてもらってるもんだろ」
「こんな力、他の家族は持ってなかったわよ。幽霊見えてたのだって、私ぐらいっぽかったし」
「そりゃこの時代にこれほど強い力持ってる奴見たのは初めてだったし、やっぱなくなってるのか。まぁ、あんまし溢れかえってるような世界だとこんな平和になってねーか」
「あなたって本当、何者なの?」
「ん? あぁ、そっか。そこは言ってなかったっけ。俺はもと“神”だよ。神って言っても世界の監視者? なんて言えば分かっかな?」
「いや、神ってだけで想像つくよ……って、なんで神様!? 本当に神様なの?!」
「だから元だって。今の俺は神であって神でない存在だ。万能の神様はこうやって干渉することできねーからな。めちゃくちゃ干渉している俺は神じゃねーよ」
「そっか……って、意味わかんないし!! 神様ですって言われて、はいそうですかって納得できる人どれだけいるのよ?」
「別に信じる信じねーはあんたの勝手だって。だけど、勘違いするな。俺はもと“神”だ。今は違う。だからあんたも最初で分かったんじゃねーのか?」
「え?」
「俺が“人”じゃないってな」
彼の言葉に、私はハッとさせられた。確かに最初彼を見た瞬間、人間ではない何かを感じた。それはいつも見ている幽霊等の可能性も考えられた。けれど、直感したのは人間でも幽霊でもない別の何かだということ。そして、彼は私が感じたことをずばり言い当てたのだった。
「なんで、最初に分かったって分かったの?」
「あんたが直感したように、俺にも分かるんだよ。お前の力が他より何倍も強く、また特殊だってな」
「浄化とかいってた力のこと?」
「浄化の力ってのは種類のことだ。人間の力は二種類ある。浄化と呪詛。浄化はその名の通り穢れを祓う力、呪詛はその名の通り何かを呪うこと。陰と陽の力は古来から人の中に存在するが、その力を自在に操れる奴らを、昔は陰陽師と呼んだ。陰陽師は陰陽道を使い、陰陽道というのは浄化と呪詛の力を使う術のことだ。だが、この二つの力は決して交わることのない力だ。だから、人はこの二種類のうち一種類しか使うことができない。ま、今まで見てきた生物の中で二種類の力があるって存在は人間ぐらいだ。お前たち人間って、本当に恵まれてんだぜ」
「えーと……ものすごく容量がオーバーしたせいで、全く言ってる意味が分からないんですけれど……」
彼の説明が足らないのか、私の頭が単に追いついていないだけなのか。そもそも全く知らなかったことをすらすら説明されてすんなり受け入れられる人はいないだろう。すでに現状を投げ捨てたい気持ちが出てきているが、怨念に捕まっている子どもを見捨てることもできない。そもそも、これほど悠長に聞いていていいのだろうか。
「あの、そろそろ本題に戻って欲しい……というか、あの子は大丈夫なんですか?」
「あぁ、悪い。つい話し込んじまったな。ま、使い方が分からねーのなら無理矢理使わせるしかねーか」
「え?」
「使う方法知らなくても使えないわけじゃねーんだよ。とりあえず目を閉じろ」
「いや、ちょっと……」
「つべこべ言ってると間に合わなくなるぞ。いいのか?」
「うぐ……わかりました」
文句の一つも言いたくなるけれど、私は彼の言う通り目を閉じた。言い争いはあとでもできる。けれど、今は目の前の子どもを助けるのが先だ。
「いいか? 目を閉じたあと、一面に波紋が浮かぶのをイメージするんだ。そうだな、水に石を入れたとき波紋が出るだろ。そんな感じであんたの周りに波紋が広がっていくのをイメージするんだ。いいぞ。次に、俺の力の一部をお前に貸してやる。これを、その波紋に馴染ませて飛ばせ。この力は傷つける力じゃない。お前の閉じている力を開けるだけのものだ。怖がらなくていい。あんたはただこの力を波紋に乗せて、あいつに届けるイメージをすればいい。いくぞ」
彼がどういう行動をしているのか、私には想像つかなかった。ただ彼の言う通り、自分から発する波紋、波動のようなものをイメージしているだけだ。そして、何か暖かいモノが手に渡された。熱くも冷たくもない、ほんのりと暖かいそれを私は波動と一緒に溶け込むイメージをした。そして溶けたそれは波紋に乗って子どもへと伝わる。すると、その子どもについていた黒い影がスッと消えていくように見えた。私の勝手な想像でなければ、子どもに取り付いていた黒い枝が縮小していくように、子どもの体から抜けていく。
「よっしゃ、いっけぇぇぇぇぇ!!」
青年の声に驚き、目を見開いた。すると、そこには子どもを抱えた彼の姿があった。先ほどまで微動だにしていなかった場所から離れている。先ほどまでのイメージがそのまま現実になったような感じだった。
「や……った……」
喜びも束の間、私は一気に力が抜けるのを感じた。よく見れば体がドクドクと脈打ち、言いようのない倦怠感が襲ってきた。まるで全力疾走したあとのように、私は一歩も動くことができなかった。
「よくやったな。最初に結構力使っちまったからな。けど、あんたのおかげでこいつは無傷だぜ」
そう言ってその子どもを話してやると、その子どもは私の下まで駆け寄ってきた。そして、ギュッと首に腕を回してくる。触れているのかどうかも分からなかった。けれど、心で分かった。幽霊でも触れることができるのだと。
『ありがとう』
「あ……」
子どもの声が聞こえた気がした。抱きついていた子どもの体を抱き返そうとした瞬間、その子の姿はなかった。消えてしまったんだ。けれど、そのことがどういうことかすぐに理解した。青年が満足そうに笑っていたから。
「成仏、できたんだね……」
「あぁ」
息を整えてそう言うと、彼は頷いた。しばらく遠い空を見つめたあと、彼は私に手を差し出してくる。
「お疲れ。ほら、立てるか?」
「まだ、ちょっと……でも、良かった」
ホッと胸をなでおろす。子どもを助けることができ、無事成仏することができた。そしてなにより、子供らしい笑顔を見えることができた。あの無表情の中に見えた悲しそうな顔。その顔が、最後には満面の笑顔で見送ることができた。そのことで、胸の中がポウッと暖かくなるのを感じる。
「あんたって、本当に不思議だな」
「え?」
「今の人間が忘れたことが、根付いている。力もそうだが、あんた自身、やっぱり結構面白いわ」
「なによ、面白いって……」
「面白いから面白いって言っただけだ」
「まったく……あ、そうだ」
彼に助け起こしてもらい、私はようやく自分の足で立ち上がれるようになった。彼と手を繋いだ瞬間、あの暖かい何かが流れるのを感じたから、おそらく彼が助けてくれたのだろう。そう思っていると、思い出したように声を出した。彼は不思議そうに私を見てくるが、私はいたずらっ子のように笑みを向ける。
「あのね、あなたの名前考えたんだけど」
「なまえ?」
「そう。ね、名前がないのなら私が名づけてもいい?」
「あんた、それがどういう意味か知ってる?」
「どういうこと?」
「……ま、いっか。名前ないと不便だし。付けてもいいぜ、名前」
「やった! あなたの名前はカムイ!」
「カムイ、ね。面白い……」
「え?」
意気揚々と名づけたその名前を復唱すると、彼の体は不思議に輝き始めた。そうして光が収まると彼の衣装が変わっていた。宮司のような恰好ではなく、どこにでもいるような人間の青年のような姿だ。ジーンズのズボンに半袖Tシャツ、ボアベスト姿はどことなく軽そうな雰囲気である。
「なんで服変わったの?」
「お前が名づけたせいだ。名前というのはその存在を縛るもの。そして、俺たちのような存在は名づけた存在を主人とする。つまり、あんたは俺の主になったわけだ」
「主って? どういうこと?」
「あんたな……そういったことの知識もまったくねーんだな」
呆れ顔に言われ、少しムッとした感情がこみあげてくる。けれど、彼の言うとおり、私は何も知らないのだ。彼の存在も、名づける意味も、そして私たちの関係も。知らないことだらけのまま、私は二ヘラと笑う。彼の言っていることも、何もかも理解できていないけれど、今は一つの仕事をこなしたかのような達成感を味わっていた。
何もかも知らないことばかりのこの関係は、後に大きな問題へと発展する。もし、この時もっと彼のことを知っていれば……ううん。理解しようとしていれば彼をあそこまで傷つけることはなかったのかもしれない。