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白の姫  作者: 川端 怜汰
8/8

story ‐ 08 透明

二人目の白の姫の終焉です。。










晴れ晴れとした青空が見える昼は、何年ぶりだろうか。

アナスタジアにおいて自然とはすべて白い色をしている。

それが、これから起こる刃と刃の混じり合いを祝福し、照らすように鮮やかな青を見せていた。

太陽の光を直接肌に受ける事に慣れていない山脈の民は、いつになく厚着の防寒具となることだろう。


バルベルグ族長から受け持った騎兵隊を背後に起き、紅白の戦装束を纏い、テオは白い大地に佇んでいた。

背後はそそり立った崖壁になっており、時折岩の欠片が雪より荒く舞い落ちる。

前方は開けた平原だが、固まった凍土は光に照らされても冷たいままのようだった。


受けた命では、敵族の騎兵隊はこの平原を通りバルベルグ本陣へと向かう。

奇襲用の弓騎兵ではなく、奇襲後の決定打を打つための本騎兵隊で、それを蹴散らすのがテオとエルザの役目であり、信頼と重圧の伸し掛る重役だった。


それでも幼き頃から戦場に立っていたテオは他兵よりは幾分かゆったりとした趣きで、珍しく晴れた青空ではなく変わらない白い大地をずっと見つめていた。


声は、唐突に。


「テオ様」


テオは振り向かずとも声の主が誰なのかは分かっていたが、ゆっくりと振り向いては相手の顔を見て名を呼んだ。

惜しむような、撫でるような。


「なんだ、ゼファ。」


相も変わらず陽だまりのようなくしゃりとした笑顔を浮かべ、ゼファは立っていた。

腰には変わらない二対の銀刀。

同じ紅白の戦装束は、整った顔立ちのゼファにとても良く似合うように、テオには見えた。


「お前、これ似合うな。」


「ええ、私もそう思います。」


思わず吹き出してしまったテオの声を、子供のような無邪気な笑いでゼファが覆う。


「はは。お前らしいよ。」


「テオ様もお美しいですよ」


「世辞も上手いな」


「 ...そう思いますか?」


風が吹いた。

荒れる白い風ではなく、爽やかに大地を吹き抜ける透明な風である。

テオは揺れる艶やかな髪を手で抑え、一度下がった目線を戻した。

テオの視界に入ったのは紅白の戦装束ではなく、雪のように白い肌だった。

名を呼びかけた口は厚い胸板に頭部を覆われ塞がれる。


首が飛んでも可笑しくない無礼だった。

けれどテオは拒むこと無く、ゼファの抱擁を受け入れた。

決して抱き締め返すことはなくとも、心が通じている事を信じていた。確信に近かった。

親近感とはまた一風違った「近さ」だと思う。

交わる事が無くても、離れることのない平行に描かれ続ける線のよう。


まるで、最後の時を惜しむ親と子のような感覚だった。

緩くもなく、強くもなく、ゼファの全身から滲み出るような優しさに包まれている気がした。


言葉無く、静かな時が流れた。

しばらくして後方からした凍土を踏みしめる音と金属の擦れる音を聞き、ゼファは優しくテオを離した。

変わらない優しい笑顔を浮かべていた。


「テオ様」



兵隊から一人抜けてきたのはエルザだった。

二人とは違う漆黒の戦装束を纏い、長い髪は何時になく気合を込めて編まれたようだった。


「 .....もう直ぐ、予定の時刻です。兵も準備を終えています。ゼファ、お前それを伝えに言ったんじゃなかったの?」


申し訳なさそうな笑顔を浮かべ、ゼファは腰の剣を抜いた。

続けてエルザも同じように銀の刀身を輝かせる。

いつかの出会いを思わせる、服従の意を表すもの。

君主の足元にそれを置き、膝を付き、二人の戦士は声を揃えた。


「我等は貴方様の剣。我等は、貴方様の盾。どうぞ、なんなりと御命令を」


テオは少し考えた後、抜いた剣を胸元に掲げ言った。

消して大声ではなかったけれど、真っ直ぐに突き進む雷のようにそれは二人の戦士の心を痺れさせた。


「ーーー死ぬな。」


ただ、それだけだった。

無理な願いだった。

どれだけ兵が強くても、山脈を赤く濡らすほどの大戦である。

一人の命も欠けずに戦うことなど、出来るはずがなかった。

それでもテオは死ぬなと言った。

建前や力無い嘆願ではなく、決意のような。


二人の戦士は力強く「はい」と応えた。

そろそろいいかと言わんばかりに騎兵隊が後方から進んで来る。

どうやら三人のやり取りは完全に見聞かれていたらしく、出て来るタイミングを見図られていたようだった。

連れて来たのは、馴染んだ兵達。

何度も何度も戦場を共に駆けた、友たちであったから。


「はは。お前達には、叶わないよ。」


どっ、と響く笑い声が、赤く染まる前の大地を震わせた。










走り行く騎兵の先頭を駆けていたのは、琥珀色の髪を揺らす一人の女騎兵だった。

背には身の丈ほどある大剣を負い、馬の両脇を走る白い獣は、速さに物足りないと言わんばかりに余裕気な顔を浮かべていた。


「ガネッサ様ーーー!!!前方に敵兵確認しました!!!」


一つ後ろを走る望遠鏡を抱えた一兵が叫ぶ。

敵兵がこの平原で待ち構えている事は想定内だったようで、ガネッサの合図とともに騎兵は二つに分かれ平原を囲むように勢いを止めず駆けた。

相手が少数精鋭で来るだろうという予想は的中しており、右翼左翼に展開したどちらかの兵軍が敵兵を抑え、もう片方の兵軍が敵本拠へ向かうという算段だった。


けれど、誤算がひとつあった。

自軍我が騎兵を倒しに来た敵軍に、あの忌み子が居る。


族長の血を引く者が、本拠を離れ兵を叩きに来るとは思い得なかった。

バルベルグの少数精鋭の中でも、テオの率いる軍の強さをガネッサは痛い程知っていた。

治りきらなかった右肩の傷を抑えながら、一人方向を変え敵軍の目の前へ走る。


「敵軍大将は私が討つ!お前達は行け!」


声を受けた幹部らしき兵が騎兵を率いて走り行く。

敵軍の大将テオも両翼へ兵を散らせ、ガネッサの元へと馬を進めた。


「ーー ...討つなどと、よく言えたものだ。」


殆どの兵が奥の崖下で打ち合う。

混じりあった高らかな金属の音が度々聞こえた。

両軍の大将は広い平原の端と端で睨み合う。


馬を降りたガネッサは、腰元に寄ってきた白狼の額を撫でた。

テオから発された嘲笑の言葉など、耳に入らないと言うように。


「ここで死ね、バルベルグの忌み子」


「死ぬのは、お前だ。」


両者が剣を抜いた。

けれど、テオは構えなかった。


「なんのつもりだ?」


テオは、ゆっくりと口を開いた。

剣の切っ先は凍土に向いたまま。


「これが、お前の最後の戦いだ。だから、聞きたい。 ....お前は、なんのために、我等に抗う?」


血を問うものだった。

アルベヴムの民ではないガネッサだからこそ、テオは殺すことに躊躇していた。

今まで、ずっと。


ガネッサは激怒しそうな気持ちを抑え、大きく舌打ちを付いた。

敵族の大将は、己に負ける事など微塵も考えて居ない。

自分を憐れむような言葉は、ガネッサの身体中の血を沸き上がらせるように高揚させた。


「私は、お前達に滅ぼされた民の生き残りだ。」


「そんな筈はない。我等バルベルグは、我らに抗う血は根絶やしにする」


ガネッサは真実を口にはしなかった。

バルベルグにある恨みは真実であったけれど、己の命を救ったあの男にだけは、感謝すら述べたい所存だった。

けれど、もし敵族の、しかも族長の血を継ぐ者だとわかっていて逃がしたとあらば、あの男はただでは済まないだろう。

そう考えての事だった。

アルベヴムに育てられ、バルベルグを討つために鍛えられたこの人生だったけれど、あの男だけは、あの男と過ごしたあの馬車の中の事だけは、ガネッサの中で怨念に紛れない陽のものだった。


吐き捨てるように、「そんな事は、どうでもいいだろう」と。

誇り高き山脈の民は、相手が構えるまで剣を振るおうとはしなかった。


カシャリ、と。

柄と刀身が鳴った。

銀色の輝きは琥珀の金糸に劣らず白い光となる。


厚い防寒靴の靴底が凍土の上に薄く張る氷を踏みしめ、鼓膜を不快にさせる。

ガネッサの周りを付いていた白狼も殺気を感じ取ったようで、ちょうどガネッサの大剣が届かない程度まで身を引いた。


張り詰めるような緊張感に、ガネッサは歯を噛み締めた。

生と死の淵が見える戦いはこれまでにも経験して居たけれど、無意識に脚が震える。凍えるような寒さであるのに、汗ばんだてのひら。


「 .....嗚呼」


これが、戦かーーー










勝負の決め手を左右したのは、甘さや策略等ではなく単純な実力の差だった。

加えて右肩を負傷していたガネッサは、白狼が手助けに入る間もなくテオに打ちのめされた。


一撃目の斬撃を打ち流され、大きく体制を崩したガネッサが筋肉にものを言わせニ撃目を振りかぶった事をテオは見逃さなかった。

つい先刻、己の部下が阿呆のようにしていたことであったから、筋肉の使い方や起き上がり方を覚えていた。


ニ撃目は受け流すではなく受け返えされた。

流しで殺された威力を斬り上げで跳ね返されら振りかぶる時と同じ形になったガネッサの鳩尾に強烈な蹴りが入った。

もしそれを耐えるではなく素直に蹴飛ばされて居たなら、まだ挽回の余地があったかもしれない。

ガネッサはその脚を掴んでしまった。

次の瞬間、捕えられた脚を軸に飛んできた回し蹴りに脳を揺さぶられ、ガネッサは倒れた。


胃液が逆流する感覚と、視点の焦点が渦の中央になったような感覚に、ガネッサは鈍いうめき声を挙げた。

頭を垂れた凍土に華びらように散らばる琥珀は美しかった。


「なあ、ガネッサ」


視界に入ったのは、敵族大将 忌み子の防寒靴のつま先。

何て無様な最後だろうとガネッサは笑った。

笑は表情にも声にもでない、心の中でのものだった。

痛みで歪む顔は意識的に変えることはままならず、目を開けて何かを見つめることさえも苦痛だったから。


「死ぬのは、怖いか」


驚くように目を見開き、ガネッサは顔を上げた。

視界はやはり白くもやのかかるようで、後頭部を絶えず襲う鈍痛は耐え難いものだった。

けれど、ガネッサはテオの顔を見たかった。


見上げられたテオの表情は、一言では表せなかった。

萎れかけの花のようで、けれど凛とした趣きで、雨が降り注ぐ灰色の世界のような瞳だった。


「な ....ぜ、泣いている ....」


テオは「わからない」と応えた。

テオにも、本当に涙の理由が分からなかった。


ガネッサの頬に、テオの涙が一滴落ちた。


朝露。

この山脈で見ることは無い、青い葉を濡らす朝露が太陽の光に照らされて輝いている。

吹き抜ける透明な風。広がる青。照らす橙。

白と赤ではなく、透明と鮮やかな色がある世界。


反乱軍がうたう新しい世界の片鱗を見たのだとガネッサは思った。

その世界は美しかった。


けれど、この山脈の民が求める色は、それではないとも思った。

全てを染める白と、それを飾る銀がこの山脈の色だと思った。

散る、咲く、赤も同じ。


止めることは叶うはずも無い。

彼等は、山脈を統べる王者であり、山脈は彼らを照らすのだから。




けれど、正しくない。


けれど、止められない。


ならば、待とう。




「怖く、無い。」


痛みを押し殺し、振り絞った声はたったの五音だった。

その一言に、テオは綺麗な顔を歪めて驚いた。

その言葉が本心では無いとわかっていても、意味する結末を思えば驚きは隠せなかった。


琥珀色の髪が、白い肌が、鉄の甲冑が、小刻みに震えている。

幸い天候は晴れで、このまま放っておけばガネッサは助かるかもしれない。


「 ガネッサ ....お前は、凄いな。」


放っておくことを許さなかったのは、ガネッサだった。


「 .....その、命。赤く、でも、白く、でも、散るまで。山脈を、生きればいい。お前は、美しい。綺麗だ。お前は、白い。だから、だから、もう、もう、私を、」


最後の言葉をテオは言わせなかった。

瞬きをする間に琥珀はもう一度凍土に散った。



何度も何度も焦がれたあの男との再開は果たされなかった。

あの約束も、果たされなかった。


果たさないために、選んだ死も、また。


白さに絶望した。

彼女もまた、白の姫だった。


白に生きる、唯一の、姫だった。


ガネッサぁぁぁぁ( இ﹏இ )

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