story ‐ 07 影
この回は迷走回っぽいとこあります。(めそらし)
白は、残酷だ。
色で最も濃いのは黒であると思われがちだが、ことアナスタジア山脈において最も濃い色は白だった。
どれほど意味のある戦でも、一晩で全てを白が覆う。
事実が無くなることはなく、ただ降り積もるだけの白であるのに、それはどうしても喪失感を思わせる。
バルベルグの集落から少し外れた丘の上に、薄手の防寒具で一人座り込む女の影があった。
淡麗なその顔付きは白の中でも存在感を放っていたけれど、最強とうたわれる部族の一員としては覇気の欠片も見受けられなかった。
清く白に反射する白銀に魂を魅入られたように、女は銀の刃を見つめる。
丁寧に研がれたそれは、綻びも錆も一つもない。
「テオ様ーーー」
咆哮。
大地を統べる獣のような叫び声。
少しずつ強まる吹雪に一音もかすめ取られない、芯のある強い声色である。
女は丘の下で自分を呼ぶ戦士の姿を見下ろしながら、ゆっくりと肺の中の空気を吐き出した。
色無いものは、白さに包まれて地に落ちる。
女の目頭が熱く滲んだ。
刹那、戦士の頭上に影無き影が揺れた。
戦士は跳ねるように後ろへ飛び退き、崩れる体勢を筋力に物言わせ立て直し、落ちてきた影を確認した。
吹き荒れる白の猛威は、弱まる様子も見せない。
影はフードを深く被り、その表情を見せ無かった。
けれど召していた防寒具は同じ一族のもので、戦士はほっと肩をなでおろす。
影はその一瞬を見逃さなかった。
体勢を低く戦士の懐へ突っ込むと、手にあった銀の刃を振り上げる。
「テオ様 ....っ!?」
戦士はすんでのところで剣の軌道を己の剣で受け流し、影と距離を取った。
顔が見えずとも、何度も相手した太刀筋を戦士は見誤らなかった。
「 ....エルザ。」
テオはゆっくりと腰を起き上がらせると、被っていたフードを降ろした。
元々アナスタジアの民は色素が薄く、その中でもテオは色白であったけれど、冷気に肌を顕にしたテオの表情はまるで今にも白さに溶けて掻き消えそうだとエルザは思った。
真っ直ぐで凛々しかった眼差しは、痛いほどの哀しい闇を抱えた冷たい瞳となって愛弟子を見つめる。
「構えなさい。」
柄と刀身が共鳴する。
戸惑うエルザも、状況の緊迫さだけは理解したようで、輝く銀の剣をすらりと抜いた。
「 ....殺す気で、来なさい。でなければ、お前、死ぬぞ。」
冷たい言葉だった。
成長を即するために親が子を冷たくあしらう事は上等な教育の手段だけれど、そうではなかった。
少なくとも、テオにその心づもりは無かった。
殺し合いをすると、テオは言った。
斬り掛かったのはエルザだった。
流れを取られる前に取ろうと相手の足元へ奇襲をかける。
けれど剣はいともたやすく躱され、お返しといわんばかりに左肩に重い蹴りが撃ち込まれた。
押し殺した呻き声は銀の打ち合う音に掻き消され。
「テオ ....様 ....!」
一撃の重さが違い過ぎた。
エルザは少しずつ後退を余儀なくされ、とうとう尻餅をつく。
荒く冷たい凍土に勢いよく身体を打ち付けた鈍い痛みがあった。
焦りは戦いの手を鈍らせる。
戦う者ならば誰もが心得て居て、それでいていざ苦しい状況に陥った時実行できないことは幾つかある。
これは、その筆頭で。
愚策といえる座った状態からの足元への攻撃は、テオの硬い防寒靴の爪先に手首を打たれ不発となった。
鈍くじわりと広がる痛みを歯を噛み締めて我慢する。
「何故ですか、テオ様 ....!何故、」
「エルザ」
銀の刃が凍土に突き立てられ、テオは緩く微笑んだ。
手負いとは言え、殺し合いを宣言したテオが獲物を凍土に突き刺したのは、「降参」を意味する。
倒れたエルザの手の中には、まだ重い獲物の柄があったから。
「私を、斬れるか」
エルザは、いいえと言った。
微笑んでいるのに涙しているようなテオの笑顔があまりにも切なく感じられた。
いつの間にか吹雪は止み、代わりに眩しい橙の光が2人と白い大地を照らしていた。
握っていた剣を凍土に突き立てたエルザは、君主に向かって膝をつき、頭を垂れた。
「私は、貴方様の犬。私は、貴方様の盾。 .......テオ様。私の、族長様。あなたは、わたしの、すべてです。」
燃えるような蒼い瞳が大粒の涙で潤んだ。
気付けば噛み締めていた奥歯がぎしりと鳴り、握り締めていた手のひらが痛んだ。
テオは、初めてエルザの前で泣いた。
どれほど交友を深めても、どれほどの時間を共有しても、エルザにとってテオは族長で、テオにとってエルザは部下だった。
それが今、崩れる事なく繋がったのだとエルザは思った。
愛しい君主は、今、私を一人の人として見ている。
私もまた、目の前の人間を肩を揃えられる人として、見なければいけない、と。
「エルザ」
「はい」
皮肉にもテオの女の部分を殺したヒトはもうこの世に居らず、テオは自分の弱さに気付いてしまった。
無くしたと思っていたそれは、無くなるものではなく深く彼女の奥底に巣食っていた。
取り戻すことの出来ない循環に恐れをなした少女は、血に塗れた剣を振り下ろせずにいる。
「怖いんだ」
呟きは小さく、目線は低く。
見下ろされているはずなのに、エルザにはテオがとても小さく弱い幼子のように見えただろう。
「殺すのが、怖い。」
馬鹿げている。
そう笑われても仕方の無い戯言だった。
両手両足全てを掛けても満たない幾つもの生命を屠って来た、テオは戦が好きだった。
死というものを軽く認識しているつもりは無かったけれど、そのために戦い、そのために生きてきたテオが初めて経験した「死」はあまりにも重かった。
「私は、死にたく、無い」
どうして、彼女は笑っていたの。
「テオ様 ...!!!」
抱擁というよりは、掴みかかる形に近かった。
テオの頭を自分の肩へ寄せたエルザは、細い肢体を痛みのないように強く抱き締めた。
鍛え上げられた筋肉質で、且つしなやかなテオの身体は女の両手で抱き締めるには丁度いいだろう。
気付けば自分の頬を流れる涙を拭いもせず、エルザは暫くテオを抱き締めたままでいた。
その少し後、バルベルグ軍隊の笛の音が響いた。
第一軍出兵の合図である。
それに続く第二軍、第三軍の指揮者はテオとエルザだった。
エルザはゆっくりとテオから身体を離すと、一言だけ言葉を置いた。
テオは何も答えなかったけれど、それで構わないとエルザは思った。
白の大地を震わせる、血を血で洗い流す戦いの火蓋が、落とされた。
それぞれの思いを胸に、淡く白はまた積もり。
次へごー!(震え声)