story 06 - 血の誓い
今回、二人の女性のお話でした。読みにくさが少し。。。(´・_・`)
「テオ ...」
声は女のものだった。
テオが散り際の花を思わせるしおらしいその声を聞くのは久方振りのようで、
故に勢い良く振り返ると、「ユダ姉様!」と部下や父には見せることの無い女の笑顔を浮かべた。
女は、バルベルグ族長ジルの双子の娘の姉、つまりテオの姉にあたる者だった。
名を、ユダ。
生まれながらにして心臓を弱くし、戦場に立つことを否定されたアナスタジアの女戦士の片割れ。
瓜二つの整った顔をした二人の違いは髪の長さと服装だけで、初見の旅人となれば見分けは付かない。
それでも、長年二人の傍に居る者ならその微妙な雰囲気の違いを汲み取れるだろう。
テオは、研磨される熱い鉄のような。
ユダは、溢れる気品と穏やかな陽だまりのような。
ユダは硬い石楼の高壁に半身を預けながらテオの後方に佇んでいた。
凍りつく寒さの中生を持たない無機物の塊はゆっくりと体温を奪っていくのだろう。
ユダの顔色は優れず、それに気付いたテオはすぐさま姉の肢体を抱き抱え、暖かい建物に入った。
背丈はさほど変わらないのに、信じられないほど軽さにテオは顔を歪めた。
テオはユダの顔を見ず、真っ直ぐにユダの寝室へと向かった。
一定の間隔で設置された松明の火が赤いカーペットに影を揺らす。
ユダに負担が掛からないよう肩で寝室の扉を開け、天蓋付きのベッドに柔らかな肢体を下ろした。
余りにも心寂しそうな顔だった。
ユダはそんなテオの頭を撫で、言葉を置いた。
「ごめんね。 ...この後の食事の後、貴女に話があるの。少し時間空けられるかしら?」
暖炉にくべられた薪がパチパチと音を立てる。
穏やかなユダの笑顔は、何かを決意したものだとテオは思った。
先の会食では、アルベヴムとの戦の行く末について族長ジルからの意見とこれからの動きが言い渡されるだろう。
「ユダ姉様は、一度も戦場に立たれたことがありません。けれど、貴女は誰よりもお強い瞳を持っています。私は、それが、時々、怖い。」
区切られた言葉は、悲しみのようで、それでいて切なさのようで。
咲く前の木の葉を一枚一枚千切るような感覚。
ユダはそれを聞くと、「馬鹿ね」と微笑んだ。
テオが「怖い」と言うのは生涯ユダにだけだったことを、誰も知らない。
▷
静寂。
微かに響く鉄製のナイフとフォークが擦れ合う音。
バルベルグ王族の会食は、毎度このように静かであった。
楕円型のテーブルは金色が飾るクリーム色のテーブルクロスに覆われており、置かれた食器や食事はその高貴さを表した。
「―――さて」
族長ジルの声は低く、皆の鼓膜を震わせた。
席後ろに佇んでいた使用人らしき数人が空気を読み取ったように音なくその場を後にする。
最後の1人が部屋を出、扉を閉めたのと同時にジルがグラスに注がれた葡萄酒を一気に飲み干した。
空になったグラスはテーブルに置かれると、前兆無い水面の波紋を思わせるようにシャンと鳴った。
「話は、勿論戦の事だ。
これまでのどんな戦よりも大きな戦だ。
なに、そう気重になることは無い。」
少し重い、前置きだった。
この戦は後にアナスタジア革命戦争と呼ばれ、山脈を震わせる大戦として語り継がれることとなる。
が、今を生きる彼等がそれを知る事は無い。
「敵はアルベヴム。その傘下の数族が既に挙兵していると聞いている。数は二千から三千で、その半数は歩兵。騎兵の半数は剣ではなく弓を持っていたらしい」
機動力を重視した騎兵が弓を持つ理由は一つだった。
口を開いたのはテオ。
「奇襲を狙っているということですか。」
「そうだ。ベリナス」
「はい、此処に。」
名を呼ばれ、地を這うようにジルの足元に膝まづくのはバルベルグ軍師ベリナスだった。
顔をすっぽりと覆うローブから流れ出る髪は長く、濁る灰色をしていた。
表情の読み取れない軍師の声は女だった。
薄く引いた紅が歪んで、細々とした呟きが漏れる。
「偵察隊によると、アルベヴムは兵を三つに分けてこのバルベルグ本拠を目指しております。一つは歩兵、残りの二つは騎兵で御座います。
...端的に申し上げまして、敵は本拠の真上、谷上からの奇襲を企んでいると思われます。我等にもわかるように、動いております。我等を本拠から動かせぬようにする算段かと。弓騎兵は既に山の中枢を走っておりますので、兵を出しては相手の思うつぼ。戦力の分散の期を狙い、本騎兵を戦闘に全軍で噛み付く .... 」
そこまで言うと、ベリナスはテーブルの上に一つの古びた紙を広げた。
アナスタジア山脈の見取り図だった。
アナスタジアは大きくはない山脈だった。
けれど一年を通して厳しい環境下で、地図を作りながら歩く事は困難であり、更に〝 紙〟はアナスタジアの外気に一瞬で凍りつき散ってしまうので、地図などが作れるはずがなかった。
けれどベリナスの持つ紙は古びて入るものの、綺麗に長方形を保っていて、書かれた地形もきちんと見れた。
「 ...私は、バルベルグ族ではありませぬ」
皆の驚きを察したように、ベリナスは口を開いた。
その言葉の真意を知っているのはジルだけだったようで、皆は紙についての驚きとは比較にならないほどの衝撃を受けた顔を浮かべた。
「透視の力を持つ一族を、知っておられましょうか」
か の音が響く時、ジル以外の皆は目を見開いた。
己の前髪とローブのフードをシワの多い手が持ち上げると、そこには真紅の双方があった。
ガラス玉のように煌めくかと思えば、血液より黒く濁って見えたりもする、不思議な眼球だった。
「私には、山脈の全てが、視えています。」
昔話を話すように、ベリナスは続けた。
懐かしむように、悲しむように、悟るように。
声は灰色。けれど確かに。
それは、昔。
「アナスタジア最古の一族は、全てを見透す目を持つ魔女の一族でした。その数は数十人と少なく、腕の立つ者も居りませんでしたが、目のおかげで災害や侵略からも逃れられました。私達は血を濃く守り、山脈で初めて〝山脈と共に生きる〟と唱えました。それに一番に賛同したのがバルベルグです。バルベルグは昔からとても強い一族でした。次に、ナジア。この一族も理を超える力を持っていましたが、反乱を起こしました。我等魔女の一族とバルベルグ、ナジアの一族は家族のように生きていましたから、とても悲しい戦いでした。ナジアは滅亡しました。たったひとりの、獣の子を除いて ... 。
そして、私達魔女の一族もです。革命という言葉に仄めかされたある少数部族に殺されました。私の母と父も、殺されました。バルベルグが駆け付けた時には全て終わっており、私だけが生き残ったのです。幼子だった私は母に抱かれ、敵の手から逃れました。少しずつ冷たくなってゆく母の体温を、私はきっと忘れないでしょう。
....私を救って下さったのが、ジル様です。それからは軍師として身を沈めながら、バルベルグに生きました。家庭も、持ちました。夫はもう死に、子供は死産でしたけれど、とても、とても。幸せだったと思います。
今回の戦は、山脈の未来を分ける戦いだと、私の血が言うのです。」
ベリナスは立ち上がり、今にも泣き出しそうな子供の顔を浮かべ、吠えた。
「バルベルグの、戦士達よ。」
驚きや興味の表していた場の者の目が戦士のものへと変わる。
血と誇りを胸に、強い意志を持つそれは、真紅の瞳にも劣らない眩さであった。
けれどベリナスも怯まない。
長い話だった。
思い出せば、絶望は溢れかえるほどにあった。
けれど、目の前の戦士達には未来がある。
伝えたい言葉は、たった一つ。
「 ......アナスタジアを、守って。」
ぼろぼろとベリナスの双方から透明な雫が落ちた。
それが昔話をした反動なのか、己の未来の有無なのかはベリナス自身にもわからなかったけれど、流れた涙は熱かった。
山脈を築いた三つの部族は欠け、魔女最後の血も絶たれんとしていた。
愛した白の大地を託すことしか出来ないもどかしさは、ベリナスが誇り高き山脈の民である証だった。
「ったりまえだろ馬鹿野郎め」
ため息混じりにジルが呟く。
戦士達もそれに同意する様に己の心臓に手を当てた。
緩やかに微笑んだユダが優しく灰色の髪を自分の胸元に抱き寄せ、暫く離さなかった。
押し殺すような啜り泣く音が響いていた。
▷
戦の陣形を話し終わったジル達は、一先ず解散ということで自室へと戻った。
作戦は真っ向勝負となり、バルベルグ本拠にジルとマタイの軍を置き、テオとエルザが本騎兵を散らしに行く事となった。
テオは自室に戻ったあと動きやすい服に着替えると足早にユダの寝室へと向かった。
扉の前でひとつ深呼吸を置いてから、優しく二度扉を叩いた。
「ユダ姉様、今、宜しいでしょうか」
返事は無かった。
けれど、部屋の中の気配をテオは感じ取っていた。
「入ります」
ゆっくりと開いた扉の隙間に、長い純白のドレスの裾が見えた。
「 ...ユダ、姉様」
部屋の中央に佇むのは、バルベルグ族ジルの娘ユダ。
純白のウエディングドレスに身を包む彼女は、美しいの一言だった。
長い髪は一つに纏められ、朱の髪飾りが付けられている。
戦時のような、張り詰めた空気だった。
陽だまりのようないつものユダからは想像出来ない、戦士の表情。
戦装束ではないのに、白い大地が目に浮かぶ様な。
「早かったわね、テオ。
...そこのヴェールを、取ってくれる?」
小テーブルの上に綺麗にたたまれた白いヴェールを指差しながら、ユダは微笑んだ。
「ねぇ、テオ。」
金属の擦れる音がした。
無意識に身体が臨戦態勢に入ったテオを見て、ユダは微かな笑いをこぼしながら手に持っていた懐剣を鞘に収めた。
ベッドに腰を下ろし、一つ間を開けて。
「明日、ベリナスがバルベルグを発つ。行き先は、魔女の一族が滅んだ山脈の切れ目。そこで、果てたいと言っていたわ」
山脈の切れ目とは、アナスタジアで一番大きい谷の事だ。
四季のないアナスタジアでは大地はすべて白で、底を正確に見定められない谷を恐れを込めて山脈の切れ目と呼んだ。
そこは、魔女の一族が滅びた場所でもあった。
「テオ。私は、この戦の勝利を信じています。けれど、私は、白い大地の上で死にたい。」
暖かい建物の中で死にゆく事をユダは否定した。
テオは身の切れる思いを感じた。
目の前に居る者は姉であり、戦士であった。
死にたいと懇願するそれを止めることは、戦士としての姉を殺す事と同等だった。
「貴方には、迷惑をかけ続けてきました。」
「いいえ」
「私の身体が弱いばかりに、貴方にばかり負担や責任を負わせてしまった」
「いいえ ....!」
「女としての貴方を殺したのは、私です。」
「違います、姉様 ...!」
「けれど、私は貴方が羨ましかった」
否定の言葉は、出なかった。
息を呑むようにテオはユダを見つめた。
わかっていたことだった。
けれど目の当たりにすれば痛みとなって胸を抉った。
「自由に走る、貴方が羨ましかった」
父に剣を習うのを、寝室の窓から見つめる貴女を知っていました。
「自由に跳べる、貴方が羨ましかった」
病状が悪くなるにつれ、拳を固く握りしめる貴女を知っていました。
「貴方が、憎らしかった」
それでも屈託の無い笑顔を浮かべて私を支えてくださる貴方の優しさに甘えていました。
「 ....テオ、このドレスは貴方の女の部分です。」
頬を濡らしたテオの頭を優しく抱き寄せながら、ユダは続けた。
「私が、女としての貴方を殺しました。テオ。お願いです。私を、戦士として殺してください」
テオは答えず、ただユダを力強く抱き締めた。
相手の身体のことなど気にせず、力一杯抱き締めた。
その夜、一頭の馬がバルベルグ集落から走り去った。
乗っているのは純白のドレスに身を包んだ美しい女と、戦装束を身にまとった戦士だった。
白い大地の上で、白い姫は舞った。
切れる息を気にもせず、雪に足を取られても舞い続けた。
病に侵された身体には酷な程に重い銀の剣を掲げ、高らかに己の名を叫ぶ。
それを相手取るのは、冷たい戦士。
腫れた目であるのに、暖かみのない双方は鬼のようだった。
構えもなく斬りかかった白い姫の剣を戦士は軽やかに弾き飛ばす。
赤い華が散った。
痛みを感じる間も無くその生涯を閉じた白い姫は幸せそうな微笑みを浮かべていた。
恨めしくも涙を流すのは戦士の方で、落ちた涙は大地に落ちる前に氷片となった。
深い深い藍色の闇の中で、戦士は誓った。
今は亡き片割れに、勝利を。
エルザを書きたい。エルザを。