八、二人の気持ち
八、二人の気持ち
日が暮れて、レイミーの家の玄関から入って右手に在る広間では、ロバートが、近しい者達を呼び集め、レイミーの帰還に伴うトム達への返礼の宴が、催されていた。しかし、主役の一人であるトムの姿は、この席には無かった。酔った振りをして、抜け出していたからである。
トムは、その足で、玄関から右へ折れた。あまり酒が飲めないので、場の雰囲気が、息苦しかったからだ。少しして、照光石の明かりが届くか届かないかの場所で、外壁に寄り掛かった。そして、夜風に当たりながら、星々が瞬く漆黒の空を、何気無く眺めていた。
不意に、「トムさん…」と、レイミーの声が、聞こえた。
トムは、はっと我に変えるなり、咄嗟に、玄関を見やった。すると、レイミーが、柔和な笑みを浮かべながら、立って居るのを視認した。そして、直立して、向き合うなり、「ん? どうしたんだい?」と、何食わぬ顔で、問い掛けた。何用かと思ったからだ。
「ト、トムさんと…、その…、ゆっくりと…お話しをしたかったもので…」と、レイミーが、上目遣いに、両手を前で、もじもじと動かしながら、申し出た。それと連動するかのように、兎の耳も、忙しく動いていた。
その瞬間、「え?」と、トムは、誤魔化すように、照れ笑いを浮かべた。突然の事で、何を、どう話せば良いのか、思い付かないからだ。
その直後、「トムさん、私とお話しをするのは、迷惑でしょうか?」と、レイミーが、不安げな表情で、問い掛けた。そして、「でしたら、無理にとは、申しませんが…」と、気弱な言葉を付け足した。
「レイミー、そう結論を急ぐなよ。俺は、別に、君と話すのは、迷惑じゃないぜ。ただ、女の子と面と向かって話すのなんて、初めてだから…」と、トムは、苦笑しながら、理由を述べた。急な事で、心の準備が出来ていなかっただけだからだ。
「私も、男の方と面と向かって話す事なんて、初めてですわ…。でも、トムさんとは、何だか、じっくりと話をしてみたいと思ったもので…」と、レイミーが、しずしずと歩み寄って来た。間も無く、寸前の所で、立ち止まった。
その直後、「へぇ~。君って、結構、積極的なんだな」トムは、感心した。自分に対する言動に、おしとやかさを覆す意外な一面を見せられたからだ。
「トムさん、一つ質問を良いですか?」
「ん? 俺で答えられる事なら、答えるけどな」
「じゃあ、トムさんは、どうして人間なのに、私やミュールさんのような異種族の者に、優しくしてくれるのですか?」と、レイミーが、真顔で、問うた。
「そうだな…」と、トムは、突然の難題に、黙した。言われてみれば、理由など考えてもみなかったからだ。しばらくして、「レイミー、逃げるようで悪いけど、今すぐには、答えられそうも無いよ」と、溜め息混じりに、答えた。そして、「すまない…」と、詫びた。成り行きで、助けたようなものだからだ。
その途端、「あ、トムさん! あまり、気になさらないで下さい! 困らせるつもりで、質問をした訳ではないのですから!」と、レイミーが、取り消すかのように、慌てて告げた。
その瞬間、トムは、はっとなり、「そうだ! 一緒に、その答えを見付けようじゃないかっ!」と、声を張り上げて、提案した。共に考えれば、答えも見付かると思ったからだ。
「はい! そうですね!」と、レイミーも、嬉々としながら、力強く返事をした。
そこへ、「トォ~ムゥ~。見つけら~」と、ミュールの呂律の回らない声が、レイミーの背後からして来た。少しして、レイミーの右側から、目の据わった表情で、姿を現した。
「ミュ、ミュール…、酔っているのか…?」と、トムは、苦笑しながら、問い掛けた。まさか、ミュールの酔った姿を目の当たりにするとは思わなかったからだ。
「酔っれ、無いわよ~」と、ミュールが、赤ら顔で、否定した。そして、レイミーを迂回して、覚束無い足取りで、左隣に来るなり、左腕に寄り掛かって来た。間も無く、レイミーに振り返り、「レイミーぃ~。トムはぁ~、あらしの物よぉ~」と、レイミーへ向けて、焦点の定まらない右手の人指し指を突き付けるように指しながら、宣言した。
その刹那、トムは、ミュールを見やり、「ミュ、ミュール…。俺は、別に、君だけの物じゃないんだがな…」と、苦々しく、照れ笑いをしながら、否定した。慕われているのは嬉しいが、レイミーの手前、こう言うしかないからだ。そして、レイミーへ視線を戻すなり、「すまない、レイミー。ミュールが、酔うと、こんなになるなんて、思わなかったから…」と、場を取り繕うように、陳謝した。
「トムさん、お気になさらないで下さい。私は、酔ったミュールさんに、何を申されましても、何とも思ってませんから」と、レイミーが、酔っ払いの戯れ言など気にしないと言うように、平然とした態度で、返答した。
「ははは…」と、トムは、逆に、気まずくなり、苦笑した。絶対に、気分を害していると思うべきだからだ。そして、「おい、ミュール…」と、ミュールへ、再び、視線を移した。すると、「すやすや」と、ミュールが、そのままの姿勢で、穏やかな表情をしながら、寝息を立てているのを視認した。その途端、「やれやれ。俺の気苦労も知らないで…」と、神経の図太さに、呆れた。この場で、呑気に、寝ていられるからだ。
「何だか、ミュールさんが、羨ましいですわ」と、レイミーが、羨望の声を発した。
「そうか? 単に、独占欲が強いだけなんだろう?」と、トムは、小首を傾いだ。レイミーにとって、そんなに羨ましいものなのか、理解出来ないからだ。
「私も、トムさんを独り占めしたいですわ…」と、レイミーが、言葉を発した。その直後、両手で、口元を押さえるなり、視線を避けるように、顔を左へ向けた。そして、「言っちゃった…」と、照れながら、呟いた。
トムは、その言葉を耳にするなり、「レ…、レイミー…」と、些か、動揺した。レイミーも、同じ気持ちなのだと知ったからだ。そして、「レイミー、そろそろ戻ろうか? このままだと、ミュールが、風邪をひいちゃうからな」と、提言した。気持ちを知った以上、ミュールの組み付いている姿を見せるのが、気の毒だからだ。
間も無く、レイミーが、顔を向き直すなり、「はい!」と、力強く返事をした。そして、「じゃあ、二階の客室へ、ご案内いたしますわ」と、にこやかに、申し出た。
「じゃあ、頼むよ」と、トムは、快諾した。そして、左腕を、ミュールの両腕から抜くなり、素早く、ミュールの後頭部へすけた。少し後れて、右腕をミュールの脛の裏へ回すなり、「よっこらせっ!」と、抱え上げた。次の瞬間、「おっとっと!」と、左へよろけた。見掛けによらず体重が有るからだ。少しして、体勢を立て直した。
「では、戻りましょう」と、レイミーが、踵を返した。
「あ、ああ」と、トムも、ミュールを落とさないように、均衡を保ちながら、亀が歩くような歩調で、付いて行くのだった。