五、恋敵出現
五、恋敵出現
トムは、三階に上がって、薄暗く毒々しい紫色の内装の通路を左向きに、真っ直ぐ進んだ。やがて、突き当たりに差し掛かった所で、左へ向きを変えるなり、二歩移動した。その直後、白い壁全体が、キラキラ輝く小綺麗な広い場所に出た。そして、目を凝らして見つめた。すると、その正体は、無数のちりばめられた水晶の欠片だった。それらが、梁に吊り下げられた球状の照光石の明かりにより、光の当たり具合で、赤、橙色、黄、緑、青、藍色、紫と、様々な色を放っていた。それは、宝石箱の中に居るような幻想的な雰囲気が、醸し出されていた。それに、些か、見入ってしまった。
不意に、「小僧! まさか、ここまで来るとはな!」と、場に相応しくないどすの効いた男の声がして来た。
その瞬間、トムは、現実に引き戻されるかのように、我に返った。気分も、ぶち壊しとなったからだ。そして、憮然とした表情で、左を見やった。すると、約六歩離れた先で、大男を視認した。その途端、向かい合うなり、戦闘態勢を取った。
「ほう。この俺様とやる気かい?」と、大男が、結果が見えていると言うように、薄笑いを浮かべながら、高圧的な態度を取った。そして、「ゲオ様の所有物に、未練たらたらとは、女々しい奴だ」と、続けて、蔑みの言葉を吐き掛けて来た。
「いいや。ミュールは、ゲオの所有物なんかじゃないよ」と、トムは、淡々とした態度で、頭を振って、否定した。
「あんな出来損ないの異種族の女の為に、ここまで来るなんて、いかれているぜ。と言うか、街で伸された時に、殴られた所が悪くて、おかしくなったんじゃないのか?」と、大男が、自身の左側のこめかみへ、左手の中指を突くように、指し示した。
「人間の出来損ないに、言われたくないな」と、トムも、澄まし顔で、素っ気無く言い返した。そして、一呼吸間を置くなり、「性根の腐った人間様だと威張っているお前達よりも、俺が、出会ったミュールを始めとする、お前達が、蔑む異種族の者達の方が、好感が持てるぜ」と、毅然とした態度で、大男を見据えながら、反論した。自分の事を気遣ってくれたのは、異種族の者達だったからだ。更に、「ここまで来られたのも、異種族の者達のお陰さ」と、言葉を付け足し、「おつむの弱い脳みそ筋肉野郎のあんたには、異種族の者達の良さは、理解出来ないだろうけどな」と、皮肉った。
その直後、「こ、小僧…、何て…言った…!」と、大男が、押し殺した声で、怒り始めた。
「おつむの弱い脳みそ筋肉野郎って、言ったんだけど、何か?」と、トムは、悪びれる風も無く、平然とした顔で、態と一部分を強調して、繰り返した。この語句以外に、腹を立てる部分は、思い当たらないからだ。
次の瞬間、「い、一度ならず、二度までも!」と、大男が、憤死しそうな勢いで、語気を荒げるなり、「い、生かしちゃ置けねぇ!」と、怒りに任せて、突進して来た。
「おおっと!」と、トムは、翻弄するかのように、咄嗟に、右へかわした。
間も無く、大男が、間一髪の差で、さっき居た位置に来るなり、「おっとっと!」と、勢い余って、前のめりに、体勢を崩した。
その間に、トムは、位置関係を意識しながら、距離を取る為、更に、右へ移動した。まともにやり合って、勝ち目の有る相手ではないからだ。そして、左奥に、上部の弓形になっている扉が、大男の背後から垣間見える部屋の隅に差し掛かった所で、向き直った。
大男も、ようやく体勢を立て直して、すぐに、視認するなり、「この! ちょこまかしやがってぇ!」と、怒りを露にした。
「ほら、来いよ! 脳筋野郎!」と、トムは、怒りの炎を煽るように、手拍子を交えて、挑発しながら、右斜め後ろへ移動した。
「お、おちょくりやがってぇ!」と、大男が、腰の右側にぶら下げて有るかなり使い込まれた鉄製の棍棒を、右手に持って振り上げるなり、「ここで、お前は、死ぬんだ!」と、猛然と駆け寄って来た。
トムは、寸前まで引き付けると、再び、紙一重の差で、右へ避けた。そして、回り込むように、扉の前まで移動するなり、大男を真正面にして、照光石のほぼ真下で立ち止まった。大男を撃退するには、この方法しか無いからだ。
少し後れて、大男も、鼻息を荒くしながら、眼前で、立ち止まり、棍棒を振り上げた。そして、「こ、小僧! 観念したって、もう、遅いぞ! こ、この一撃で、あの世に送ってやる!」と、怒りに任せて、振り下ろした。
その瞬間、「今だ!」と、トムは、ここぞとばかりに、思いっ切り跳び退った。その直後、頭上で、弾ける音がした。
間も無く、「うぎゃあぁぁぁぁぁ!」と、大男も、悲鳴を発した。
その間に、トムは、着地をするなり、勢い余って、数歩後退した。少しして、背中が、扉へ少し触れた所で止まった。そして、大男へ、視線を戻した。
「うがあぁぁぁぁぁ!」と、大男が、棍棒を振り上げたままで、痙攣しながら、絶叫していた。
トムは、その様子に、ほくそ笑んだ。照光石に、強い衝撃を与えると、相応の稲妻に近い力が返るのを知っていたので、冷静さを欠いた大男が、力一杯叩き付ける事を見越した策が、上手く運んだからだ。
しばらくして、大男が、木偶人形のように、呆然とした表情で、突っ立って居た。
「お前なんか、ここから失せろ!」と、トムは、突進した。そして、大男の右太股へ、体当たりを食らわせた。千載一遇の勝機を逃す訳にはいかないからだ。
次の瞬間、大男が、独楽のように、右回りに、回転をしながら、後退を始めた。間も無く、壁の二、三歩手前に近付いた所で、足を縺れさせるなり、体勢を崩した。その途端、「おっとっと!」と、声を発しながら、壁へ倒れ掛かった。その直後、体重を支え切れずに、容易く破れた。そして、瞬く間に、外へ飛び出すなり、「うわあぁぁぁぁぁ!」と、断末魔のように絶叫しながら、落ちて行った。少し後れて、葉の擦れる音と枝の折れる音がした。やがて、すぐに、静かになった。
トムは、目を瞬かせながら、信じられない面持ちで、確認の為に、穴の際へ歩み寄った。あまりにも呆気ないので、実感が湧かないからだ。そして、下を覗いた。すると、すぐ傍の木の細い枝々が、上から削ぎ落とされるように無くなっており、落ちたという痕跡を視認した。更に、目を凝らして見たが、残った太めの枝葉と薄暗さで、根元までは確認出来なかった。少しして、穴に背を向けるなり、扉の方へ足を向けた。間も無く、一歩手前で立ち止まった。その刹那、右足で、扉を踏み付けるように蹴った。一瞬後、あっさりと、しょぼい音を立てて、室内へ倒れた。その直後、ゲオが、正面奥の窓際で、背を向けながら、両腕を広げて立って居た。その頭越しには、追い詰められたミュールの姿が、視界に入った。
間髪を容れずに、「ああ! トム!」と、ミュールが、いち早く気が付いた。
少し後れて、「な、何ぃ?」と、ゲオも、何事だと言うように、頭だけを振り向いた。次の瞬間、「な、何で…、お前が…」と、想定外だと言うように、愕然とした。
トムは、室内へ踏み込むなり、「おい! おっさん! この建物の中に居るのは、あんただけだぜ」と、トムは、不敵な笑みを浮かべながら、告げた。残るは、ゲオさえやっつければ、一件落着だからだ。そして、ゲオの手前まで距離を詰めた。
「ふん! 小僧、わしの所有物の為に、ここまで来るとは、押し込み強盗と同じだな!」と、ゲオが、強がるような態度で、憎々しげに言いながら、体も向けた。
「ははは。自分の事を言っているんじゃないよ!」と、トムは、一笑した。こっちの台詞だからだ。そして、「異種族の者達を物としか考えていない悪人に、非難される覚えは無いよ」と、淡々とした口調で、言葉を続けた。異種族の者達は、しっかりと意思を持っているからだ。
そこへ、「そうよ、そうよ」と、ミュールが、すかさず、合いの手を入れた。
「くぅぅぅ…」と、ゲオが、歯噛みをしながら、顔面を紅潮させた。
不意に、「退いてよ!」と、ミュールが、左腕で、払うように、ゲオを押し退けた。そして、勢いそのままに、歩み寄って来るなり、右隣で、立ち止まった。
トムも、つられるように、右を向いた。そして、ミュールの顔を見つめながら、そっと肩を抱くなり、「ミュール、待たせたね…」と、微笑みながら、言葉を掛けた。ようやく、ミュールの無事を感じ取る事が出来たからだ。
「ううん」と、ミュールが、頭を振った。そして、「来てくれると信じていたわ…」と、安堵の笑みを浮かべながら、些か、涙ぐんだ。
そこへ、「コラァ! わしを無視しているんじゃない!」と、ゲオが、存在感を誇示するかのように、怒鳴った。
次の瞬間、「邪魔をするな!」と、トムは、見向きもしないで、反射的に、ゲオの声の方へ、左足を蹴り出した。何となく、しいからだ。間も無く、何かが折れる乾いた音と共に、足の裏に弾力を感じた。
「ぐわっ!」と、ゲオが、小さな悲鳴を発した。
少し後れて、ミュールも、同じ方へ右の拳を突き出すなり、「うるさいわね!」と、語気を荒げた。
その直後、「あうっ!」と、ゲオが、苦痛の声を上げた。
少しして、トムは、気になったので、その方を向いた。周りをうろついているようだったら、叩きのめしてやろうと思ったからだ。すると、ゲオの顔面には、黒眼鏡の右半分を境に、鼻当てから真っ二つに折られており、その上には、靴痕が、額から鼻にかけて、くっきりと付いているのが、視界に入った。更に、左の頬には、拳の痕も、視認した。
その間に、ゲオが、信じられない面持ちで、よろよろと、覚束無い足取りで、吸い寄せられるように、窓へ向かって後退していた。そして、見る見る内に、窓辺へと近付いた。やがて、窓枠へ腰を掛けるように、尻餅を突くなり、「ああ!」と、そのままの勢いで、後ろ向きに、転がり出た。その直後、「あぁぁぁれぇぇぇぇぇ!」と、金切り声を発した。
その瞬間、トムは、ミュールの肩から両手を離すなり、速やかに、窓辺へ移動した。そして、上半身を乗り出すなり、見下ろした。すると、ゲオが、丁度、団子虫のように丸まりながら、勢い良く地面を転がって、通って来た繁みの中へ、消える瞬間だった。その様を目の当たりにするなり、「人って、あんなに転がるもんなんだな…」と、思わず感心した。見た事の無い速度で、転がって行ったからだ。
少しして、ミュールも、入れ代わるように、右隣へ来るなり、「ふん! いい気味よ!」と、清々したと言うように、スッキリした表情で、毒づいた。
トムも、ミュールを見やり、「ははは。君の言う通りだ」と、納得するように、頷いた。ミュールが、そう言うのなら、罰としては、これで良いのかも知れないと思ったからだ。
「うふふ」と、ミュールも、含み笑いをした。
トムは、目を細目ながら、ミュールの笑顔を見つめた。ミュールの笑顔で、ようやく、一つの大仕事をやり遂げたという実感が、湧いて来たからだ。
不意に、「トムさん…」と、背後から、レイミーの声が、割って入った。
「ん?」と、トムは、すぐさま振り返った。すると、レイミーが、戸口で、見て居られないと言うように、俯きながら、もじもじと、両手で、小剣を弄んで居るのを視認した。
その直後、「トム、あのバニ族の子は、誰なの?」と、ミュールが、不機嫌に、小声で、問い掛けて来た。
「あの子は、レイミーって言う子なんだ。あの子も、被害者なんだよ」と、トムは、何食わぬ顔で、さらりと答えた。別段、疚しい事も無いし、隠す必要も無いからだ。そして、「レイミーには、さっき、世話になったからね」と、付け加えた。
「ふ~ん。そうなの」と、ミュールが、些か、鼻につくと言うように、刺々しい物言いとなった。
少しして、レイミーが、しずしずと歩み寄って来るなり、一歩手前で、立ち止まった。そして、ミュールへ向かって、右手を差し出すなり、「宜しくお願いしますね」と、柔和な笑みを浮かべながら、挨拶した。
その刹那、ミュールが、意外な行動に、面食らうなり、その手を反射的に、右手で握った。そして、「よ、宜しく…」と、ぎこちない態度で、挨拶を返した。
トムは、その様子に、胸を撫で下ろした。これ以上の揉め事は、ごめんだからだ。そして、「ミュール、レイミー、そろそろ出ようか?」と、声を掛けた。このような悪趣味な場所から、さっさとおさらばしたいからだ。
「うん」と、ミュールが、力強く頷いた。
少し後れて、「はい」と、レイミーも、にっこりしながら、返事をした。
トムは、先立って、戸口へ歩き始めた。すぐに、二人の足音も、背後から聞こえて来た。
間も無く、トム達は、部屋を後にするのだった。