三、ゲハゲハ団、再び
三、ゲハゲハ団、再び
昼前、トムとミュールは、廃屋を出発した。そして、人通りのほとんど無い路地裏を進んだ。
トムは、ゲオやその息の掛かった者達に出くわさないようにと祈る気持ちで、用心しながら、気を配った。何処に、ゲオの仲間が潜んで居るのか、判らないからだ。そして、うんざりした頃に、人通りの多い大通りに差し掛かった。その瞬間、思わず歩を止めた。間も無く、左隣のミュールを見やり、「ここまで来れば、大丈夫だと思うけど」と、微笑み掛けた。陽の高い内から、人目に付きやすい通りで騒動を起こすほど、愚かではないだろうからだ。
「………」と、ミュールは、心配事でも有るかのように、浮かない表情をしていた。
「何か、気になる事でも有るのかい?」と、トムは、問い掛けた。ここまで来て、不安要素でも有るのかと思ったからだ。
少しして、「昨日、チビハゲが言っていた言葉が、引っ掛かって…」と、ミュールが、口を開いた。
「確かに。あいつ、君の事が、諦め切れないといった態度だったな」と、トムは、すんなり頷いた。そして、「奴らに出くわしたら、君を護る為に、戦うよ!」と、力強く言った。騎士を気取る気は無いが、女の子を護れないのでは、男が廃るからだ。
次の瞬間、「あ、ありがとう…」と、ミュールが、感極まって、涙ぐんだ。
「さあ、早いとこ、この街からおさらばしようじゃないか」と、トムは、ミュールの右肩に、左手を置いた。
「うん…」と、ミュールが、冴えない顔で、頷いた。
少しして、トムは、左手を引くなり、「君が、昨日追い掛けられていたのが、左手の方だから、こっちだな」と、右を向いて、歩き出した。自分が来た道ならば、ゲオ達の隠れ家とは反対方向なので、出くわす事も無いからだ。
ミュールも、ぴったりと左隣から付いて来た。
しばらくして、二人は、閑散とした木造の倉庫が並ぶ通りを進んだ。やがて、東出口の門柱に、差し掛かった。
その途端、ゲオと大男が、煉瓦塀の外側より、左右から現れた。そして、ニタニタしながら、立ちはだかった。
その瞬間、トム達は、必然的に、足止めを食らってしまった。
「若造よ、わしの所有物を無断で持ち出そうとは、盗みを働くのにも、ほどが有るのではないのかな?」と、ゲオが、してやったりと言わんばかりに、会心の笑みを浮かべた。
「そうだぜ。盗みは、いけないぜ」と、大男も、口添えした。
「チビハゲ、お前のしている事は、盗み以下だぜ。異種族の者を物扱いするのが、そんなに偉いのか? それに、ミュールは、心を持っている誰の物でもない。それに、所有物って言うのなら、証拠を見せてくれよ」と、トムも、見据えたままで、強気に、提示を要求した。ミュールの体に、ゲオの名前が、書かれている筈が無いからだ。そして、「どうせ、そんな物なんて、無いんだろ!」と、冷ややかに、言葉を続けた。
「うるちゃい! 口答えするな!」と、ゲオが、剥きになって、語気を荒げた。
「じゃあ、あんたらの言っている事は、ただの言い掛かりだな」と、トムは、素っ気無く言った。ミュールを一方的に、所有物だと主張するゲオ達の方が、理にかなっていないからだ。
「どうやら、力ずくで、所有物を取り戻すしかないようだな!」と、ゲオが、怒りを露わにした。
「ほう。証拠が出せ無いとなると、暴力で、奪いに来るのかよ!」と、トムも、胸を張りながら、一歩進み出た。暴力に屈する訳にはいかないからだ。
「暴力が、何だぁ? 若造、ゲオ様に、減らず口を叩く、お前が悪いんだぜ」と、大男も、凄みながら、踏み込んで来た。
「どうやら、あんたらを倒さないと、街から出られないようだな…」と、トムは、右手を腰の左側に差している刀の柄に当てながら、身構えた。力ずくで来るのであれば、受けて立つまでだからだ。
突然、大男が、右手の親指と人差し指を輪にしてくわえるなり、「ピューイ!」と、指笛を吹き鳴らした。
その直後、「へへへ、待ちくたびれたぜ」と、男の声が、背後からして来た。
少し遅れて、「ゲオ様の所有物を横取りしようとしている奴って、こんな小僧かい?」と、粗野な男の声も聞こえた。
その瞬間、トムは、挟まれた事を察した。そして、「ミュール、君は、逃げる事にだけ専念してくれ。俺だけなら、この場を凌げば、何とかなるだろうからな」と、前を向いたままで、考えを述べた。ミュールさえ逃げてくれれば、何とか切り抜けられそうだからだ。
「うん」と、ミュールが、返事をした。
「若造よ、大人しく猫耳族の娘を渡せ。そうすれば、今回の事は、見逃してやるとしようじゃないか。これが、最後だぞ」と、ゲオが、苛立ちを|抑《おさえながら、穏やかさを装って、やんわりとした口調で、通告して来た。
「ミュールを、お前のような奴には、絶対に渡せるか! 不幸な目に遭わされるだけだからな!」と、トムは、ゲオを睨みながら、頑とした態度で、語気を荒らげて、拒否した。昨日、ミュールが、逃げて来た事が、何よりもの証だからだ。
「そうか。わしの温情が解らないとは…。何とも愚かな事だな…」と、ゲオが、悲観するように、皮肉った。その直後、急に、不敵な笑みを浮かべるなり、「野郎共! 若造を痛め付けてやれ! そして、所有物を捕まえろ!」と、声を張り上げた。その刹那、右手の鞭を振るって、路面を叩いた。一瞬後、乾いた音が、響いた。
その瞬間、大男と背後の手下達が、一斉に、襲い掛かって来た。
トムは、手下達の殺気を感知するなり、右へ跳んだ。
ミュールも、左へと弾かれるように、移動した。
その直後、「何ぃ!」と、中肉中背で、小汚い身形の丸顔の男が、つんのめりながら、予想外と言うように、驚きの声を発した。
「うわっ!」と、その左隣の小柄で、がっしりとした体格の無精髭の男も、大男にぶつかる寸前で踏み留まった。
トム達は、間一髪の差で、手下達の襲撃を回避した。
トムは、背後の男達には、目もくれないで、ゲオと大男を見やり、「チビハゲ! 掛かって来な!」と、わざと露骨な挑発をした。自分に、連中の注意を向けさせて、ミュールが、逃げ易いようにする為だからだ。
しかし、ゲオと大男が、意に反して、挑発など気にもせずに、ミュールの方へ向かって行った。
その刹那、「ちっ!」と、トムは、舌打ちをした。動きからして、すでに、役割が出来上がっていたと考えられるからだ。
「小僧! なめやがって!」と、丸顔の男が、激昂した。
「ふざけんな!」と、無精髭の男も、憤怒の形相で、怒鳴った。
トムは、振り返り、二人の相手をする事に、切り替えた。先ずは、降りかかる火の粉から振り払わねばならないからだ。
その間に、二人が、少しずつ詰め寄って来た。
「小僧、俺達を虚仮にして、無事に帰られると思っているのじゃないだろうな? ああ?」と、丸顔の男が、凄んだ。
「ゲオ様に、余計な迷惑を掛けているんじゃないぜ」と、無精髭の男も、厳つい表情で、口添えした。
「おっさんらこそ、難癖付けて来て、大人気無いぜ」と、トムは、仏頂面で、冷ややかに言い返した。絡まれて迷惑しているのは、自分の方だからだ。
「ほぉー。生意気に、言ってくれるじゃないか! なあ!」と、無精髭の男が、逆上するなり、丸顔の男を見やって、同意を求めた。
「そうだな。口の利き方を知らない小僧には、世間の掟というものを、体に叩き込まなければならないようだな!」と、丸顔の男も、息巻いて、応えた。
その直後、完全に逆上せ上がった二人が、掴み掛かって来ようと、足を止めるなり、姿勢を低くして、身構えた。
その途端、トムは、距離を取ろうと後退りをした。だが、数歩下がった所で、間も無く、物が背中に触れた。次の瞬間、「くっ!」と、歯噛みをした。判断を誤って、逆に、自らを追い込む形となったからだ。
「さあて、どう、いたぶってやろうかな?」と、無精髭の男が、口元を綻ばせた。
「俺は、顔面に、一発お見舞いしないと、気が済まないな」と、丸顔の男も、半笑いで、告げた。
「じゃあ、俺は、腹にでも、食らわせてやろうかな~」
二人が、追い詰めた事に、嬉々とした。
トムは、この場を切り抜けようと、手下達の次の動きに、注意を払った。このままでは、ボコボコに伸されるのが、オチだからだ。しかし、最悪の展開だが、二人の欠点に、ふと気が付いた。先刻の態度からして、短気な性格なので、それを利用すれば、隙を作らせて、窮地を脱せられる可能性も、有り得るからだ。そして、挑発するように、不敵な笑みを浮かべた。
その直後、「おい! 何がおかしいんだ!」と、丸顔の男が、すぐさま激昂して、怒鳴って来た。
少し後れて、「小僧、他人の顔を見て笑うなんて、失礼だぞ!」と、無精髭の男も、再び、逆上した。
「俺は、あんたらの顔を見て笑った訳じゃないんだけどな」と、トムは、何食わぬ顔で、やや、おどけ気味に、答えた。挑発に乗って、熱くなって貰った方が、好都合だからだ。
「小僧、どうやら、伸して欲しいって、言ってるみたいだな!」
「望み通りに、偉そうな口が利けないくらいに、コテンパンにしてやるぜ!」
その途端、手下達が、その言動で、拍車が掛かるなり、怒り心頭となった。次の瞬間、横並びに揃うなり、低い姿勢で、突っ掛かって来た。
トムは、ここぞとばかりに、無精髭の男に向かって、思いっ切り跳躍した。体格面で、飛び越え易そうだからだ。一瞬後、上手い具合に、飛び越える事が出来た。そして、着地をした。間も無く、背後で鈍い音が、聞こえた。その刹那、振り返った。すると、二人が、各々、額にたんこぶを作った状態で、酔っ払いのように、覚束無い足取りで、ふらついているのを視認した。その様に、安堵した。今の状態ならば、手下達に襲い掛かられる心配は無いからだ。
突然、「きゃあ!」と、ミュールの小さな悲鳴が、左斜め後ろからして来た。
その瞬間、トムは、その方向へ視線を向けた。すると、ミュールが、十数歩離れた場所で、尻餅を突いて、恐れおののきながら、後退ってるのが、視界に入った。そして、「お前達の相手は、この俺だ!」と、叫ぶなり、右足を踏み出そうとした。その直後、不意に、腰の辺りに、何かがまとわり付く感触が有ったので、その部分へ視線を落とした。間も無く、筋肉質の腕が、組み付いている事に気が付いた。その刹那、「放せよ! お前の相手なんかしていられないんだ!」と、語気を荒げた。
「ゲオ様の…邪魔は…、させないぜ…」と、無精髭の男が、弱々しく返答した。
その間に、トムは、上半身を前後左右に、大きく動かしながら、両手で、その腕を引き剥がそうと、躍起になった。しかし、声とは裏腹に、想像以上の力を発揮しているのか、何をやっても、びくともしないで、重い枷のように、振り解けなかった。その為、思わぬ足止めを食らってしまった。
更に、間の悪い事に、「小僧! もう、勘弁ならねぇ!」と、丸顔の男も、怒りに満ちた声を発した。
その直後、トムは、振り返る間も無く、延髄の辺りに、強い衝撃を受けた。その途端、全身の力が抜けて、前のめりで、地面に倒れ込んだ。
次の瞬間、「トォォォムゥゥゥゥゥ!」と、ミュールが、悲痛な声で、叫んだ。
やがて、トムは、突っ伏したままで、ぷっつりと、意識が途切れてしまった。
突然、「おい! しっかりしろ!」と、勇ましそうな男の声が、降って来た。
その途端、トムは、次第に、意識を回復させた。少しして、「うっ…」と、延髄の辺りに痛みが走るなり、顔をしかめた。まるで、あの世から、この世に呼び戻される気分だからだ。
「おいおい。天気が良いからって、昼間でも、こんな所で寝ていると、風邪をひくぜ」と、男が、冷やかした。
トムは、聞き流し、痛みを堪えながら、両手を突いて、起き上がった。今は、ミュールが、どうなったのか、気掛かりなので、冗談に受け答える気にはならないからだ。
「気に障ったのなら、謝るよ。で、本当のところは、何が有ったんだ?」
「女の子を巡っての騒動に巻き込まれてね。ご覧の通り、伸されたって訳さ」と、トムは、自らを蔑むように、答えながら、ゆっくりと立ち上がった。そして、顔を上げて、男の顔を見た。次の瞬間、逞しい体つきで、頭一つくらい背が高い焦げ茶色のバサバサした毛並みの狼の頭部が、視界に入るなり、両目を見開いた。人間ではなく、ウルフ族と呼ばれる種族とは、驚きだからだ。その直後、上半身は、黒ずんだ鎖帷子を纏い、灰色のズボンに、くたびれた革の長靴という身形で、背中には、装備品の中では、一番きらびやかな大剣の柄を左肩から覗かせているのを視認した。
「何だよ? ウルフ族が、人間にでも、話しかけちゃあいけないのかよ」と、ウルフ族の男が、苦々しく言った。
トムは、すかさず頭を振り、「そ、そんな事は無いよ! 異種族の人に心配された事が、初めてなもので…」と、苦笑いした。そして、「気分を害したのなら、謝らせて貰うよ」と、取り成した。何気無い言葉でも、相手を傷付ける事も有ると、気付かされたからだ。
「ははは。気にする事は無いさ。大概の奴は、俺の顔を見て、逃げ出すばかりだからな。結構、傷付くんだぜ」と、ウルフ族の男が、笑いながらも、然り気無く、右手で、胸を押さえながら、心が傷付いたというような仕種をした。
トムは、心が痛んだ顔で笑っていても、本当は、傷付いたのだなと、察したからだ。そして、「ごめん…」と、一言詫びた。今出来る精一杯の謝罪だからだ。
「あんた、変わっているな…」と、ウルフ族の男が、興味津々の顔で、声を掛けて来た。
その瞬間、「え?」と、トムは、きょとんとした。ウルフ族の男の言葉の意味が、理解出来ないからだ。
「人間が、異種族の者に謝るなんて、変な感じだぜ」
「そうかな? 異種族の者でも、話の出来る相手に、礼を尽くすのが、当たり前だと、俺は、思うのだがな」と、トムは、見解を述べた。非礼を詫びても、不都合は無いからだ。
「なるほど。あんたが言うのも、一理有るな」と、ウルフ族の男も、納得するように、小さく頷いた。
「昨日、仲間になった猫耳族の子が、素直な気持ちにさせてくれたのかも知れないけどね」と、トムは、照れ臭そうに、言った。正直、騒動に巻き込まれるまでは、異種族の者と係わる気など無かったからだ。
「ようやく、あんたが、寝ていた理由が、分かったぜ。つまり、連れである猫耳族の子を狙う連中に伸されて、寝ていたって事だな。そして、猫耳族の子は、その間に、さらわれたって事だな。人通りが、こんなに有るのに、放置されていた感じからして、この周辺を根城にしている質の悪い連中辺りってところかな」と、ウルフ族の男が、推理を述べた。
「ああ。その通りだよ」と、トムは、憮然とした表情で、肯定した。そして、「猫耳族の子を連れた四人組の男達を知らないか?」と、尋ねた。伸されている間に、連中が、どの方向に向かったのか、判らないからだ。
ウルフ族の男が、表情を曇らせながら、右手の親指で、後ろの出口を指した。そして、「俺が、この街に来るまでは、そのような連中に出くわしてないな…」と、申し訳なさそうに、答えた。
「そうか…。だとすると、昨日、ミュールが、逃げて来た方向からすると、あっちの方かな…」と、トムは、呟いた。そして、左方向を一瞥した。ミュールが、逃げて来た方向を辿れば、連れ去られた所へ行き着ける可能性が、高いからだ。
「おいおい、一人で行くつもりかい?」
「ああ!」と、トムは、力強く頷いた。
「何なら、俺も、加勢しても良いんだぜ」と、ウルフ族の男が、にこやかに、申し出た。
「その申し出は、嬉しいんだが…。やっぱり、俺だけで、やってみるよ」と、トムは、冴えない表情で、頭を振った。そして、「すまないけど、見ず知らずのあんたを巻き込んじゃあいけないからね」と、言葉を付け足して、丁重に断った。申し出はありがたいのだが、この件に巻き込むと、今後、ゲオ達に、目を付けられる事が、申し訳無いからだ。
「あんたが、そう言うのなら、引き下がるしかないようだな」と、ウルフ族の男が、名残惜しそうに言った。そして、「あんたと、もう少し早く知り合っていたら、楽しい旅が出来たかもな」と、仕方がないと言うように、溜め息を吐いた。
「そうだね。俺も、残念だよ」と、トムも、苦々しく同調した。相方として、申し分無いからだ。しかし、今回は、諦めるしかなかった。ウルフ族の男には、無関係な案件だからだ。それに、自分の力で解決しなければならないという思いもあった。それと、やられっぱなしでは居られないからだ。間も無く、「じゃあ、俺は、こっちへ行くよ」と、左を向くなり、背を向けて、歩き始めた。そして、後ろ髪を引かれる思いで、西へ向かって、通りを突き進んで行くのだった。