二、逃避行も、悪くない
二、逃避行も、悪くない
トム達は、路地裏に入り、かなりの距離を駆け抜けた。
急に、「あたしが、先に行くわ」と、猫耳族の娘が、申し出た。
「分かった」と、トムは、前を向いたままで、すぐに返事をした。そして、少し速度を落とした。種族柄、猫耳族の方が速いので、娘を先行させた方が、距離を稼げると判断したからだ。
その直後、猫耳族の娘が、右側から追い越越すなり、数歩先を走り出した。
トムは、予想以上の足の速さに、付いて行くだけで、精一杯だった。疲れて来て苦しいが、ここで走るのを止めても、ゲオ達との戦闘は、必至である以上、猫耳族の娘を護りながら闘うのは困難なので、このまま逃げ切る事こそ、最善の選択だからだ。そして、「君、何処か隠れる当てでも有るのかい?」と、何気に、尋ねた。自分は、この街の事など、何一つ知らないからだ。
「あたしも、当てなんて無いわよ。あいつらの隠れ家から道なりに辿って来たら、この街に辿り着いたのだから」と、猫耳族の娘が、前を向いたままで、あっけらかんと返答した。
その瞬間、「………」と、トムは、絶句した。道を知っているものだとばかり思ったからだ。
しばらくの間、トム達は、成り行き任せで、さまようように、路地裏を駆け抜けた。
突然、猫耳族の娘が、急停止をした。
「わっ!」と、トムも、咄嗟に、足を止めるなり、ぶつかる寸前で、踏み留まった。そして、「どうしたんだい?」と、宵闇で、ほとんど視界が利かないからだ。
猫耳族の娘が、振り返り、「ご免なさい…。行き止まりに来ちゃった…」と、神妙な態度で、詫びた。
「今から引き返す訳にもいかないし…」と、トムは、険しい表情をした。ゲオ達が、すぐそこまで迫っている筈だからだ。
不意に、「ねぇ、あの中へ入りましょうよ」と、猫耳族の娘が、突飛な事を言い出した。
「え?」と、トムは、我に返った。そして、「あ、あの中って?」と、小首を右へ傾いだ。言っている意味が、今一つ理解出来ないからだ。
「行き止まりかと思ったけど、扉が有るわよ」と、猫耳族の娘が、左手で、奥の方を後ろ手に指しながら、予想外の言葉を告げた。
「そ、そうか? 俺には見えないけど、案内してくれっ」と、トムは、すがるような思いで、要請した。猫耳族の娘の案内無しでは、その扉でさえ行けないくらいに、もう、何も見えないからだ。
「うん!」と、猫耳族の娘が、力強く頷いた。そして、「こっちよ」と、背を向けて、歩き始めた。
少し後れて、トムは、微かに見える猫耳族の娘の背中を頼りに、付いて行った。
間も無く、猫耳族の娘が、数歩進んで、立ち止まった。
トムも、すぐに、歩を止めた。そして、立ち尽くした。猫耳族の娘の動きに合わせるほかないからだ。
その間に、猫耳族の娘が、何かを引く動作をした。その直後、再び、歩を進めだした。
トムも、その動きに合わせて、付いて行った。少しして、足下の感触が、変化した。そこで、立ち止まった。
その途端、「あたしが、扉を閉めるわ」と、猫耳族の娘が、申し出た。
「あ、ああ。頼むよ」と、トムは、承諾した。何処に居るのか、さっぱりなので、ここは、猫耳族の娘に、任せるしかないからだ。
その直後、猫耳族の娘が、闇に溶け込むように、消えた。
少しして、背後から、軋む音と短くぶつかる物音がして来た。
その瞬間、「扉を閉めたから、大丈夫だと思うわよ」と、猫耳族の娘が、安堵の声を掛けて来た。
「しっ! 静かに!」と、トムは、咄嗟に、小声で注意した。近付いて来る足音に、気が付いたからだ。その足音は、二人組で、すぐ近くで、聞こえなくなった。人数からして、ゲオ達だと、察しが付いたからだ。そして、息を殺しながら、聞き耳を立てて、外の様子を窺う事に、集中した。ゲオ達の行動によっては、戦闘も有り得るからだ。
「ぜぇ、ぜぇ。奴ら、逃げ足が速いですね!」と、大男が、息を乱しながらも、語気を荒げた。
「ふん! ふざけおって! 若造らめ! このわしを虚仮にしおって! 逃げ得は、許せん!」と、ゲオも、怒りを露に、悔しさを滲ませていた。
「ゲオ様、これ以上の追跡は、無理ですよ。行き止まりみたいですし…。これだけ暗くなっちゃうと、何も見えませんので、逆に、小僧の闇討ちに遭うかも知れませんよ。今日のところは、闇雲に捜し回るよりも、明日、人数を増やして、捜した方が良いと思いますよ」と、大男が、諦め気味に、気の無い声で、進言した。
「うむ。お前の言う通り、深追いをして、返り討ちにされるという可能性も考えられるな」と、ゲオも、落ち着いた口調になって、同意した。
「明日、出直してから、奴らを捜しましょう」
「うむ、分かった。明日の朝一番で、ゲハゲハ団を総動員するとしよう。この街からは、絶対に、逃がしはせん!」と、ゲオが、決意を込めた言葉を吐いた。その直後、乾いた音がした。
「勿論ですよ!」と、大男も、相槌を打った。
「さあ、帰るぞ!」と、ゲオが、声を掛けた。
「へい、ゲオ様!」
次第に、ゲオ達の足音が、遠ざかって行った。やがて、聞こえなくなった。
その瞬間、「ふぅー」と、トムは、一息吐いた。ゲオ達が、あっさりと引き揚げてくれたからだ。そして、今頃になって、両膝が震えだした。ああいう物騒な輩を相手にしたのは、生まれて初めてだからだ。
突然、「ご免なさい! あたしの所為で…」と、猫耳族の娘が、しんみりした声で、陳謝した。
「き、君の所為じゃないさ。気にする事は無いよ。ま、あいつらに見付からないように、この街を抜け出るとしようじゃないか」と、トムは、慌てて、取り成した。騒動に巻き込まれたのは、事故のようなものだからだ。
「でも、あたしと一緒だと、あなたまで、あいつらに狙われる事になるのよ…」
「構わないさ。どうせ、俺も、奴らを敵に回したのだからね。それに、君を見捨てられないさ。逃避行も、悪くないしな。でも、一つ聞かせて貰うけど、君は、どうして、あんな奴らの隠れ家に居たんだ?」と、トムは、係わりついでに、尋ねた。少しでも、猫耳族の娘とゲオ達の情報を知っておきたいからだ。
「あたしの家の近くの森で、マタビの実を収穫していたら、あいつらに襲われて、その後の記憶が無いの…。気が付いたら、あいつらの隠れ家の何も無い暗い部屋に、閉じ込められていたの…」と、猫耳族の娘が、しんみりと答えた。
「君が襲われた森って、この街の近くかい?」
「ううん。この辺りに、見覚えは無いわ。あたしの住んでいた森は、人里離れた場所よ。他種族との交流なんて無かったわ」
「なるほどな。それで、チビハゲ達が、強気に、君の事を所有物だと言ってた訳か」と、トムは、ゲオ達の強気な態度に、納得した。遠くの異種族の者ならば、身元が判らないので、何とでも言えるからだ。そして、「どうせなら、君の故郷を探しがてら、一緒に旅をしようじゃないか。一人旅というのも、味気無いからね」と、はにかみながら、誘った。猫耳族の娘との旅も悪くないし、話を聞いて、このまま放って置くのも、無責任だからだ。少しして、「俺じゃあ、駄目かな?」と、最終確認するように、問い掛けた。後は、猫耳族の娘の気持ち一つだからだ。
その直後、「ううん。ありがとう!」と、猫耳族の娘が、歓喜の声を発した。そして、「あたしこそ、あなたしか頼れる方が居ませんので、宜しくお願いします!」と、同意した。
「そう言えば、名前をまだ言ってなかったね。俺は、トム・レイモンドだ」と、トムは、やんわりとした口調で、先に名乗った。
「トムさんって言うの。良いお名前ね。あたしは、ミュール・シースターよ」と、ミュールも、名を告げた。そして、「トムさんは、どうして、この街に?」と、続けざまに、興味津々に、問い掛けて来た。
「この街なら、お宝の話が転がっているかも知れないと思って、来たんだけどね」
「お宝って、トムさんは、何者かしら?」
「俺は、駆け出しのトレジャーハンターさ」
「トレジャーハンター?」と、ミュールが、しっくり来ないと言うように、声を低くして、問い返した。
「そうだなぁ。簡単に言うと、宝探しをして、お金を稼ぐ仕事ってところかな?」
「面白そうなお仕事ね。でも、あたしに、お手伝いが出来るかしら?」
「ははは。そんなに、不安がらなくても良いよ。俺の力量じゃあ、危険な場所へは行かないからさ」
「そうなんだぁ。あたし、住んでいた場所以外の事は、何も知らなくて…。ご免なさい…」と、ミュールが、安堵の声を発した。そして、「トムさんは、何処から来られたのですか?」と、尋ねた。
「この街の東の田舎の村から出て来たばかりだよ」と、トムは、ぼやかし気味に答えた。その直後、「俺の方こそ、事情も知らずに、君を物盗りだと疑った事を、ごめん…」と、神妙な態度で、先刻の事を詫びた。これは、ケジメとして、謝罪しておくべきだと思ったからだ。
「正直な方ね。そんな事、あたしは、気にしていないわよ。それに、逃げている途中で思ったのだけど、どうして、道行く人達は、誰も手を差し伸べてくれないのかしら?」と、ミュールが、疑問をぶつけて来た。
「う~ん。俺も、上手く言えないが、君が住んでいた場所の外では、君のような猫耳族や、その他の人間以外の種族の者達は、蔑まれているんだよ。建前では、平等と謳っているけど、現実は、差別なんて、無くなっていないと思うよ。あの連中を見る限りじゃあね」と、トムは、溜め息混じりに、見解を述べた。
「そうなんだぁ。トムさんって、物知りなのね。あたし、何にも知らなかったわ」
「知らないんなら、これから一つずつ覚えていけば良いだけの事さ」と、トムは、照れ笑いを浮かべた。この程度の知識で褒められるのは、気恥ずかしいからだ。そして、「俺も、知らない事が多いからさ」と、言葉を続けた。
「うん!」と、ミュールが、力強く返事をした。
「ところで、話が変わるけど。ミュール、ここで、一晩過ごすとしようか?」と、トムは、ここでの逗留を提言した。正直、疲労困憊で、もう、宿を探す体力も気力も、ほとんど残っていないからだ。
「トムさんが宜しければ、あたしには、反対する理由なんて無いわ」と、ミュールが、すんなりと同意した。
「じゃあ、決まりだね」と、トムは、にんまりとした。暗闇と黴臭ささえ我慢すれば、良いだけだからだ。そして、「ミュール、何処かで寝られる場所は無いかな?」と、問い掛けた。暗闇で、間取りが判らない以上、下手に動けないので、ミュールを頼った方が、無難だからだ。
その直後、「この部屋には、長方形の食卓と、その周りに、幾つかの円椅子しか見当たらないわね。ここで寝るのは、無理みたいね」と、ミュールが、説明した。
「そうか。まだ、他に、何か見えないか? 別の部屋とかさ」
「この正面奥に、台所が在って、この右斜め奥に、梯子が有るわ」
「よし、梯子の所まで、案内してくれるかな?」と、トムは、願い出た。梯子が有るという事は、屋根裏部屋のような部屋が、存在するという事だからだ。
「うん!」と、ミュールが、すぐさま返事をした。次の瞬間、「こっちよ」と、声を掛けるなり、右腕を掴んで来た。
その直後、「おっと!」と、トムは、驚きの声を発した。異性に腕を掴まれるのは、初体験だからだ。そして、牽引されるように、暗闇の中を誘導されるのだった。