一、巻き込まれて
一、巻き込まれて
驕り高ぶった人間達が蔓延り、獣の容姿を成す異種族の者達が、虐げられる時代。
ライランス大陸の大平野コーライの南東部のパテシ国と西部のソリム国を繋ぐ拠点である交易の街ムオル。その東口から、トレジャーハンターを自称する若者が、沈み行く夕陽の陽光をまともに浴びながら、足を踏み入れた。
名は、トム・レイモンド。その容姿たるもの、黒髪に、ややあどけなさの残る顔立ちで、身体的には、これといった特徴がなかった。身形は、草色の服の上に、茶色い革の胸当てを着用しており、下は、厚い布地の青ズボンと色褪せた茶色い革の長靴。そして、腰に巻いてある黒革の腰帯の左側に、艶やかな朱色の鞘に収めてある手垢の付いていない柄の刀を差していた。この街へ立ち寄った目的はと言うと、駆け出しである自分の力量に見合った宝探しの情報収集の為である。
トムは、勢いそのままに、夕闇迫る煉瓦で舗装された大通りを進んだ。しばらくして、左右に、木造平屋建ての倉庫群の通りに差し掛かった。
その途端、立ち並ぶ街路灯の照光石が、灯り始めた。
その間に、鉄仮面を被った甲冑姿の性別不明の剣士、背中に大きな荷物を背負った男、怪しい雰囲気を漂わす頭巾を目深に被ったみすぼらしい長衣の魔術師といった様々な者達が、瞬く間に、擦れ違った。
しばらくして、トムは、繁華街に差し掛かった。そこで、何人かの宿屋の客引きに、声を掛けられた。しかし、全て無視して、素通りした。宿泊するにしても、一リマでも節約したいので、客引きの言い分を鵜呑みにしたくないからだ。そして、中程まで進んだ時だった。
不意に、「そこの方、ちょっとお待ち下さい」と、背後から、女性の呼び止める声がして来た。
その直後、トムは、歩を止めるなり、反射的に、振り返った。次の瞬間、声の主と思われる目元以外の顔の部分を水色の面紗で隠している紫色のドレスを着た体型の良い占い師風の女性が、二歩離れた場所に立っているのを視認した。そして、「あんた、俺に、何か用なのか?」と、怪訝な顔で、品定めするように見回しながら、刺々しく尋ねた。一方的に、適当な事を言って来るなり、高い見料を要求するインチキ占い師の可能性が、高いからだ。
「私は、これから起きる事についての助言を、あなたにして上げようと思いまして…」と、占い師風の女性が、気にする風も無く、穏やかな口調で、告げて来た。
「俺は、助言なんて、必要無いぜ」と、トムは、すかさず、素っ気無く答えた。どうせ、いい加減な事だと踏んでいるからだ。
「あなたから、見料を頂こうなんて、少しも思っていませんわよ」と、占い師風の女性が、目を細めながら、意外な言葉を発した。
その途端、「へ?」と、トムは、想定外の言葉に、拍子抜けした。金を取らないという言葉が出るとは、思わなかったからだ。そして、「タダで良いのか?」と、すぐさま、確認するかのように、思わず問い返した。聞き間違いかも知れないからだ。
「ええ」と、占い師風の女性が、小さく頷いた。そして、「私が、一方的に、お節介を言わせて頂くのですから…」と、にこやかに、答えた。間も無く、「話を続けさせて貰っても、宜しいでしょうか?」と、言葉を続けた。
「ああ。良いぜ」と、トムは、注視しながら、表情を穏やかにして、同意した。タダならば、話を聞いても損は無い訳だし、例え、嘘をつかれたとしても、腹も立たないからだ。
突然、占い師風の女性が、右手で、トムの背後を指すなり、「これから、日の沈む方角より、娘が逃げて来ます」と、告げた。そして、「あなたが、その娘を助けるか否かで、運命が、大きく変わるでしょう」と、意味深長な言葉を付け足した。
その直後、「ははは」と、トムは、一笑に付した。運命が変わるなんて、あまりにも大袈裟過ぎるからだ。
占い師風の女性が、頭を振り、「笑い事ではありませんよ」と、厳かな口調で、たしなめた。
その瞬間、トムは、笑うのを止めた。占い師風の女性の本気を匂わせる態度からして、ただならぬものを感じ取ったからだ。
「信じるか、信じないかは、あなた次第ですわ」と、占い師風の女性が、淡々と告げた。そして、背を向けて、しずしずと遠ざかった。やがて、人混みに紛れて、見えなくなった。
少しして、「そんな事を言われてもなぁ」と、トムは、占い師風の女性が立ち去った方向をぼんやりと見やりながら、呟いた。未来の事など、判らないからだ。そして、気を取り直して、進行方向へ向き直った。その途端、かなり離れた前方から、異様な動きで、人にぶつかっても詫びずに駆けて来る者を視認出来た。間も無く、白い服に、赤茶色のスカートという格好のやや小柄な女性だと認識した。
その背後から、通行人よりも、約頭二つ分抜きん出ているつるつる頭の大男が、見えるなり、「待ちやがれ!」と、怒鳴り散らしていた。
トムは、その様子からして、ようやく、女性の異様な行動を理解した。通りでの追い駆けっこは、よく見掛ける光景だからだ。そして、通りの左脇へ歩を進めるなり、路地裏の入り口に立った。ここは、やり過ごした方が無難なので、二人の進路上にさえ居なければ、騒動に巻き込まれる事など、有り得ないからだ。
突然、小柄な女性が、石畳の目地で蹴躓いて、足を縺させた。その瞬間、よろけながら、向かって来た。
その直後、「な、何っ!」と、トムは、不測の事態に驚くなり、動揺のあまりに、状況の変化に対応しきれないで、その場を動けなかった。そして、瞬く間に、突進を食らうなり、声を発する間も無く、もんどりうって倒れ込んだ。少しして、気が付けば、夕焼け色に染まる空を仰いでいた。
そこへ、「大丈夫?」と、身近な場所から、妙に子供っぽい娘の声が、心配そうに、問い掛けて来た。
「あいててて…」と、トムは、ゆっくりと上半身だけを起こすなり、右側を見やった。その直後、両手を着きながら、横這いで居る少し丸みを帯びた顔立ちの娘を視認した。そして、視線を移動させるなり、茶色い髪の頭頂部から突出した一対の三角形の猫耳が視界に入った。その刹那、「あっ!」と、驚きの声を発した。猫耳族の者だと判明したからだ。
「何処か痛むんですか?」と、猫耳族の娘が、表情を曇らせながら、問うた。
「あ、頭は、打っていないようだから、大丈夫だよ」と、トムは、猫耳族の娘の青い円らな瞳を見つめながら、慌てて返答した。ぶつかられた割りに、これと言って、何処も痛めていないようだからだ。
その瞬間、「良かったぁ」と、猫耳族の娘が、安堵した。そして、「足が縺れてしまって、ご免なさい…」と、陳謝して来た。
トムは、頭を振り、「気にする事は無いさ。君こそ、大丈夫かい?」と、猫耳族の娘の身体を気遣った。娘の方が、怪我をしているとも考えられるからだ。
「ううん。あたしの方も、何とも無いわよ」と、猫耳族の娘が、頭を振って答えた。
「そうか。で、何かやらかしたのか? ひょっとして、財布か、何かを盗もうとして、見つかったのかい?」と、トムは、踏み込んだ質問をした。盗みが見つかって、追い駆けられていると思ったからだ。
その直後、「違うわ!」と、猫耳族の娘が、語気を荒らげて否定した。そして、「あたしは、あいつらの隠れ家から逃げて来たところなのよ! お願い、助けて!」と、瞳を潤ませながら、懇願して来た。
トムは、返事を保留した。現状での二つ返事は、余計な騒動に巻き込まれると判断したからだ。
そこへ、「ふぅ~。やっと、追い付いたぜ」と、大きく息を吐く野太い男の声が、割って入った。そして、間髪容れずに、「お前、売り物に、傷を付けちゃあいねぇだろうなぁ?」と、因縁を付けて来た。
その途端、「売り物って何だよ! 他人の会話に割り込みやがって!」と、トムは、声の主の顔を見ずに、ぶっきらぼうに言い返した。話の途中で割り込まれるのは、不快だからだ。
「小僧、なめて居るのか? ああ?」と、野太い男の声が、凄んだ。
「なめるも何も、この子と話をしていたのだから、少しくらい待っていてくれたって、良いじゃないのか?」
突然、「その猫耳族の娘は、わしの所有物じゃ!」と、子供っぽい男の声が、割り込んで来た。
「は?」と、トムは、小首を傾いだ。男の所有物という言葉の意味が、理解出来ないからだ。そして、猫耳族の娘の後方を見やった。すると、その先に、眉毛と睫毛以外の毛の無い厳つい顔をした半裸で黒ズボンの背の高い隆々とした筋肉の大男と、その右側に、右手に、黒い鞭を持った頭の天辺が禿げた黒眼鏡を掛けている大男の腰までしか身長の無い黒革の胴着と黒ズボンの小太りの男が、並んで立って居る姿が、視界に入った。その瞬間、「チビハゲのおっさん、この子が、所有物って、どう言う意味だ?」と、睨みを利かせながら、確認するように、不機嫌な顔で、問い掛けた。仮に、チビハゲの言葉が事実だとすると、異種族の者であっても、人買いという重罪となり、全財産没収の上に、国外追放の刑罰が、科せられるという話を聞いた事が有ったからだ。
「小僧、これ以上の深入りは、止した方が良いぜ」と、大男が、ニタニタしながら、脅し混じりに、忠告して来た。
「やれやれ。このまま立ち去る事は簡単だけど、この子を置いて行くのは、後味が悪いな」と、トムは、ゆっくりと立ち上がった。騒動に巻き込まれた以上、猫耳族の娘を置いて、自分だけ助かろうとは、更々思っていないからだ。そして、「君を助ける事にするよ」と、猫耳族の娘の前に、右手を差し出した。チビハゲ達の言動からして、猫耳族の娘が、人身売買で追われているという確信が、持てたからだ。
「あ、ありがとう…」と、猫耳族の娘が、両手で掴まって来るなり、自力で立ち上がった。
「ほほう。殊勝な心掛けだな。わしに引き渡す為に、わざわざ商品を立たせてくれるとはな」と、チビハゲの男が、上から目線で、言って来た。
「その逆だぜ」と、トムは、猫耳族の娘を庇うように、男気を出して、チビハゲの男達の前に進み出た。猫耳族の娘が、盗みを働いていないと判明したからだ。そして、「この子は、お前達の金儲けの道具なんかじゃない! 意思を持った子なんだ!」と、チビハゲの男に向かって、毅然とした態度で、言い放った。他人をなめくさった態度が、癪に障るからだ。
「小僧! ゲオ様に楯突く気か!」と、大男が、息巻いて、恫喝して来た。
「楯突くも何も、あんた達の物言いが、気に入らないからさ」と、トムは、さらりと言い返した。
「わしの怖さが分からんとは、身の程知らずのようだな」と、ゲオは、薄笑いを浮かべながら、意味深長な言葉を吐いた。
「うるせぇよ、チビハゲ」と、トムは、素っ気なく言った。妙に、苛つく表情だからだ。
「そうよ、そうよ」と、猫耳族の娘も、間髪容れずに、同調の声を発した。
「だってさ」と、トムは、右手の親指を立てて、背後の猫耳族の娘を指した。
「うるさい! うるさい!」と、チビハゲの男が、癇癪を起こして、右手に持った鞭で、地面を叩いた。
その直後、「ゲオ様、この小僧は、躾がなっていないようですから、自分が、大人の常識ってものを、体に叩き込んでやりますよ」と、大男が、嬉々として申し出るなり、揉み手をしながら、左手の指の関節をならした。間も無く、ゲオよりも前に、進み出た。
トムは、危機的状況に、不味いと感じるなり、逃げ道を探した。大男とやり合う気など、更々無いからだ。そして、すぐさま、左手に在る路地裏への曲がり角が、見えた。その瞬間、大男の動きに注意を払いながら、後ろを一瞥するなり、「君、俺が、奴らの隙を作るから、左の路地へ入るのだよ」と、小声で、指示を出した。自分だけ逃げても、意味が無いからだ。
「分かったわ」と、猫耳族の娘も、低い声で、返事をした。
その直後、トムは、ゲオ達に向き直るなり、「おおーい! 自警団さぁーん! ここに、人買いの連中が、居ますよぉー!」と、わざと両手を大袈裟に振りながら、実際には、自警団の居ない通りに向かって、大声で叫んだ。ゲオ達のような人買いが、係わる事を最も嫌がる事だと思ったからだ。
次の瞬間、「何っ!」と、ゲオ達が、通りの方へ、同時に振り向いた。
トムは、その反応を見るなり、「今だ!」と、叫んだ。その刹那、左手の路地へと迷わず駆け出した。少し後れて、猫耳族の娘の足音も、後方から聞こえた。
少し間を置いて、「自警団なんて、居ない…あ! 待ちやがれ!」と、大男が、すぐに気が付いて、叫んだ。
「おい! さっさと追えーっ!」と、ゲオの怒声も、聞こえた。
その間に、トム達は、角を曲がって、薄暗い路地に入り、懸命に走り出すのだった。