一七、奇襲
一七、奇襲
夕暮れになり、トム達は、昼間に飲み比べをした宿酒場の二階の通りに面した大部屋で、一晩、逗留する事となった。そして、室内に入り、奥と手前に、二台ずつ寝台が、並べられていた。しかし、人数分には、満たされていなかった。
トムは、戸口で、足を止めるなり、後方のフォッグへ振り返った。そして、「俺かフォッグが、床で寝る事になりそうだな」と、苦々しく告げた。ミュール達を床へ寝かせる訳にもいかないからだ。
「そうだな」と、フォッグも、すぐさま頷いた。
「あたしは、フォッグさんと一緒に寝ても、構わないわよ」と、ニルフが、フォッグの右腕に寄り掛かりながら、甘え声で、口を挟んだ。
その直後、「だったら、トムが、あたしと一緒に寝ると良いわ」と、ミュールも、提言した。
そこへ、「二人共、不謹慎ですわ。未婚の男女が、同じ寝台で、一夜を共にするなんて…」と、レイミーが、異を唱えた。
「うふふ。レイミーって、純情なのね。本当のところは、ミュールが、トムと一緒に寝るのが、嫌なだけでしょ?」と、ニルフが、口元をほころばせながら、核心を突いた。
その瞬間、レイミーが、顔を赤くするなり、「ち、違います! そ、そんなんじゃありません!」と、語気を荒らげて、否定した。
「レイミー、無理に、自分の気持ちを抑えなくても良いのよ。あなたも、ミュールのように、トムと一緒に寝る権利は有るのよ」と、ニルフが、やんわりと助言をした。
「レイミーは、真面目だから、トムと一緒には寝られないわよ」と、ミュールが、勝ち誇るように、言った。
「ミュール、残念だけど、あなたも、トムと一緒には寝られないわよ」と、ニルフが、意味深長に、告げた。
「それって、どう言う意味?」と、ミュールが、眉をひそめながら、すかさず問い返した。
「だって、円満に、この状況を解決するとすれば、あたしとフォッグさんが、同じ寝台で寝るのが妥当だと思うんだけどね」と、ニルフが、したり顔で、答えた。
その瞬間、「確かに、そうですね!」と、フォッグが、嬉々として頷いた。
「トムさんが、寝台で寝られるのでしたら、私も、ニルフさんの言葉に、賛成ですわ」と、レイミーも、渋々、聞き入れた。
「どうやら、ニルフの言う通りにした方が、良いようだな」と、トムも、ミュールを見やり、言い聞かせるように、同調した。ニルフの案ならば、全員が、寝台で寝られるからだ。
「ニルフったら、余計な事を…」と、ミュールが、顰めっ面で、歯噛みした。
「ミュール、お子様のあなたが、家族以外の殿方と寝ようなんて、考えない事よ」と、ニルフが、得意げに、言った。
その直後、「う…」と、ミュールが、渋い表情で、言葉を詰まらせた。
トムは、振り返り、「ニルフ、これくらいにしてやりなよ。これで、問題も解決したんだから」と、口を挟んだ。一方的に言われているミュールが、気の毒で、見て居られないからだ。
「分かったわ。あたしも、不毛な言い争いは、ごめんだからね」と、ニルフも、すんなりと承諾した。
「ニルフさん、あなたに巡り会えた事を祝して、お食事にしませんか?」と、フォッグが、意気揚々に、提言した。
「そうですわね。ついでに、お酒も、ご馳走になっても、宜しいかしら? 今夜は、乾杯したい気分だから」と、ニルフが、鼻を鳴らした。
「トム、良いよな?」と、フォッグが、にやけ顔で、伺って来た。
「ほどほどにな」と、トムは、溜め息混じりに、答えた。適量ならば、問題無いだろうと思ったからだ。
「へへ、悪いな」と、フォッグが、満面の笑みを浮かべた。
その直後、「え~? 昼間に、あれだけ飲んだのに、懲りないわねぇ」と、ミュールが、呆れ顔で、言った。
少し後れて、「そうですわ。トムさんが許しても、私は、あまり賛成出来ませんわねぇ」と、レイミーも、難色を示した。
その途端、ニルフが、些か、ムッとした顔つきになり、「あなた達、昼間に、何が有ったのか知らないけど、言い掛かりは、止して頂戴。軽く一杯だけ付き合って頂くつもりよ」と、弁護した。
「まあまあ、ニルフさん」と、フォッグが、ばつの悪そうに、苦笑しながら、事態を治めようと、宥めた。
「フォッグさん、あんなお子様達に、好き勝手言われて、悔しくありませんのぉ? あたしは、我慢なりませんわ!」と、ニルフが、発奮して、闘志を剥き出しにした。
次の瞬間、「やる気!」と、ミュールも、声を荒らげて、喧嘩腰になった。
「ミュール、何も君が、そんなに剥きにならなくても良いんだぞ」と、トムも、表情を曇らせながら、仲裁に入った。揉め事は、勘弁して欲しいからだ。
「そうですわ。私も、一杯だけなら、目を瞑りますわ」と、レイミーも、譲歩するかのように、同調した。
「ニルフさんも、抑えて抑えて」と、フォッグが、懸命に、取り成した。
「いいえ、フォッグさん! お子様には、少々、口の利き方を、最初に教えておかないと、示しが付きませんわ!」と、ニルフが、フォッグの意図とは裏腹に、激昂した。
ミュールが、一変して、すまし顔になり、「何よ。お酒が飲めるからって、いちいち大人振っているんじゃないわよ。体は、大人かも知れないけど、頭の中味は、子供かもね」と、冷ややかに、言い返した。
「もう勘弁ならないわ!」と、ニルフが、怒鳴った。そして、冷淡な笑みを浮かべるなり、「爆炎魔法で、黒焦げにして上げようかしら?」と、使用を、しれっと示唆した。
その瞬間、フォッグが、息を呑むなり、「ニ、ニルフさん、ここで、そのような物騒な魔法の使用は、ちょっと、困りますよ…」と、表情を強張らせながら、苦言を呈した。
トムも、ミュールを見やり、「ミュール、君も、言い過ぎだぞ。これ以上、ニルフを刺激するなよ」と、困り顔で、たしなめた。これ以上の刺激は、本気で、爆炎魔法を使用する虞が有るからだ。
「だってぇ~」と、ミュールが、不満げに、口を尖らせた。
少しして、ニルフも、溜め息を吐いた。そして、「分かったわ。フォッグさんに免じて、今回は、我慢するわ。これ以上、フォッグさんを困らせちゃあ、申し訳無いからね」と、思い止まった。
その瞬間、トムは、安堵した。最悪の事態は、回避されたからだ。そして、フォッグへ視線を向けた。
フォッグも、緊張が解けて、穏やかな表情となっていた。
間も無く、トム達は、緊迫の空気から解き放たれて、和やかな雰囲気へ移り変わろうと、落ち着きを取り戻しかけた。
そこへ、通りの窓が、いきなり開くなり、何者かが、飛び込んで来た。
その直後、トムは、咄嗟に、振り返った。次の瞬間、見覚えの有る三人の男が居た。そして、「お前達は!」と、目を見張った。ゲオの手下達だったからだ。
「窓からの登場とは、相変わらず無礼な連中だな。そこから来るのは、虫くらいだぜ」と、フォッグが、呆れたと言うように、皮肉った。
しかし、今回は、ゲオの手下達が、返事どころか、眉一つ動かさなかった。
「おい、怒らないのか?」と、トムは、無反応な態度に、拍子抜けした。ゲオの手下達の誰一人も怒らないのが、かえって、不気味だからだ。
「トム、こいつら、何だか、別人のように、様子が変だぞ。何も言い返して来ないのが、かえって、気味が悪いぜ」と、フォッグも、異様さを、口にした。
「ああ。確かに、いつもと様子が変だ。まるで、人形みたいに、感情が無いな」と、見据えながら、頷いた。木偶人形のように、何を言っても、反応を示さないからだ。
「トム、何だか、いつもの連中と違うぜ。気を付けろよ」と、フォッグが、注意を喚起した。
「そうだな」と、トムも、頷いた。その直後、「ミュール、レイミー、後ろへ下がっててくれ」と、指示した。
「うん」と、ミュールが、同意した。
「はい」と、レイミーも、返答した。
間も無く、二人が、後退した。
その間に、トムも、雷電を抜いて、身構えた。
「ニルフさん、二人を頼みますよ」と、フォッグが、託すように言った。
「分かったわ」と、ニルフが、承知した。そして、「フォッグさんも、気を付けて下さいね」と、言葉を続けた。
「ええ。さっさと片付けてやりますよ!」と、フォッグが、意気揚々に、返事をした。そして、左隣まで進み出て来るなり、大剣を中段に構えた。
しばらくの間、トム達とゲオの手下達は、対峙したままで、その場を動かなかった。
トムは、フォッグを一瞥するなり、「フォッグ、このままじゃあ、埒が明かないから、俺が、仕掛けて、奴らの出方を窺う」と、切り込み役を申し出た。ゲオの手下達からは、行動を起こすような気配を感じられないからだ。
「そうだな。向こうが、動く気が無いのなら、こちらから動くしかないな」と、フォッグも、同意した。そして、「でも、連中、妙に落ち着いていて、焦らされている感じなんだよな」と、もどかしそうに、ぼやいた。
その瞬間、「後ろは、任せたぞ!」と、トムは、振り上げて、上段に構えた。その直後、「やあ!」と、真ん中に立つ大男へ、斬りかかって行った。
その途端、ゲオの手下達が、三方向へ分散した。
次の瞬間、「何!」と、トムは、想定外の動きに、思わず、立ち止まってしまった。意表を突かれたからだ。
間も無く、大男が、頭上を飛び越して行った。
その間に、二人も、両脇を駆け抜けた。
少し後れて、トムも、すぐさま振り返り、「フォッグ!」と、叫んだ。フォッグに任せるしかないからだ。しかし、フォッグさえも、すでに抜き去られており、ミュール達の場所まで到達していた。
その瞬間、フォッグも、我に返り、「野郎!」と、ミュール達へ、振り向いた。
その間に、丸顔の男が、ミュールを左脇に、抱え上げた。
その直後、「嫌っ! 放してっ!」と、ミュールが、じたばたしていた。
少し後れて、無精髭の男が、レイミーを右肩へ担ぎ上げた。
その途端、「は、放して下さい!」と、レイミーも、必死に動き回っていた。
大男も、ニルフへ、近付いていた。
そこへ、「待ちやがれ!」と、フォッグが、阻止しようと、大男左肩へ、右腕を伸ばした。そして、掴んだ。
だが、大男が、振り向く事なく、右手で、あっさりと払い除けた。
その瞬間、「何っ!」と、フォッグが、驚きの声を発した。そして、動きを止めた。
その間に、大男が、距離を詰めた。
「いやいやいやっ! 来ないでっ!」と、ニルフも、語気を荒らげながら、大男の顔を平手打ちを食らわせながら、激しく抵抗した。
少しして、大男が、怯む事なく、右腕で、捕獲した。そして、右肩へ担ぎ上げた。
間も無く、ゲオの手下達が、踵を返すなり、視線を向ける事無く、右側を速やかに通り過ぎた。そして、窓際まで移動した。次の瞬間、大男、丸顔の男、無精髭の男の順に、暴れるミュール達をものともしないで、外へ向かって、躊躇無く飛び出した。
その間、トムとフォッグは、気が動転して、棒立ちで見ているだけだった。
少しして、トムは、我に返り、「はっ! ミュール! レイミー!」と、慌てて、窓際へ駆け寄った。そして、すぐさま、上半身を乗り出して、通りを見回した。しかし、出たばかりだというのに、ゲオの手下達とミュール達の姿は、見当たらなかった。
そこへ、フォッグも来るなり、「トム、どうだ?」と、問うた。
トムは、引っ込めて振り向くなり、「奴らの姿は…、もう…見えない…」と、沈痛な表情で、頭を振った。やり込められて、何一つさせて貰えなかった気分だからだ。
「おいおい。そんなに思い詰めるなよ。俺だって、何にも出来なかったんだから」と、フォッグが、慰めるように、言葉を掛けて来た。そして、「それにしても、気味が悪かったのは、あの連中にしては、段取りが良いと言うか、動きに無駄が無いと言うか…。何か、調子を狂わされたんだよな」と、冴えない表情で、見解を語った。
「そうだな。それに、手下達だけで、ゲオの姿が無かったな。しかも、いつもならば、何かしらの返答が有る筈だが、今回は、受け答えどころか、俺達にすら、全く反応すらしなかったな。むしろ、ミュール達の誘拐だけが、目的という感じだったな」と、トムも、感想を述べた。好戦的な手下達にしては、要領良く事を運んでいった感が有ったからた。
「言われてみれば、確かにな。お前さんの言うように、あいつらからは、自我のようなものを感じられなかったな。まるで、人形のように、表情の無い顔だったぜ。誰かに操られているんじゃないのか?」と、フォッグが、憶測を言った。
「ああ、フォッグの言う通りだな。誰かに操られているのであれば、納得が行く。お間抜けなゲオの手下達が、あんなに、口も利かないで、きびきびと動ける訳がないからな」と、トムも、頷いた。これまでの事を思い返しても、何らかの言葉が返って来たからだ。
「あと、俺の手を、意図も簡単に払い除けられたのには、驚かされたがな」と、フォッグが、自嘲気味に、口にした。
「でも、あんたの掴んだ手を簡単に払い除けるなんて、何か裏が有るんじゃないのか? 普通なら、大男の力でも、その手を片手で払い除ける事なんて、そう易々と出来ないと思うよ。気にする事は無いさ」と、トムは、言葉を選んで、慰めた。ウルフ族の男の手が、易々と払い除けられた事が、腑に落ちないからだ。そして、「あれだけの事が出来るのと、無反応な事を考慮すれば、手下達が、何らかの術に掛かっているのは、間違い無さそうだな。ゲオは、誰かと組んだとしか、考えられないな」と、深刻な顔で、見解を述べた。術を掛けて、思考を奪えば、手下達でも、役立つ手先になれるからだ。
「そうだな。でも、あのオヤジと組んで、得するか?」と、フォッグが、冴えない表情で、疑問を呈した。
「自分の手下達を貸し出して、誘拐を働かせるとなると、三人を人身売買の業者へ売り付けて、その収益を山分けとか…?」と、トムも、右へ小首を傾いで、考え込んだ。金の亡者がやる事と言えば、すぐに、現金化する事が、思い浮かんだからだ。
「それだと、あのオヤジしか得しないぜ」と、フォッグが、指摘した。
「確かに…」と、トムは、苦笑した。ゲオは得をしても、協力者には、一つの得も無いからだ。
「トム、その協力者が、ニルフさん達に、何らかの価値を見出していると仮定してだな、あのオヤジへ、人身売買で得られるくらいの代価を与えていると考えた方が、合点が行くんだがな」と、フォッグが、仮説を述べた。
「ああ。ゲオの奴は、金にしか興味の無い奴だからな。フォッグの言う通りなら、取り引きが、すでに、成立しているのだろうな。手下達を利用させるくらいだからな。ミュール達の価値って…。ま、まさか!」と、トムは、後の言葉を出さずに、目を見開いて、はっと息を呑んだ。協力者が、三人に、代価を払ってまでも、別の価値を見出すとすれば、生け贄に利用するしか、考えられないからだ。
「俺も、お前さんの後から言おうとする言葉だと思う。多分、協力者は、クフーダの神殿で、出遭った黒ずくめの信者だろう。あのオヤジと、何らかの形で、組んだんじゃないのかと思うんだがな」と、フォッグが、補足するように、推理を語った。
「その線が、妥当かもな」と、トムも、頷いた。黒ずくめの信者ならば、違和感が無いからだ。そして、「そうと決まれば、早速、行こうぜ!」と、意気込んだ。一刻も早く、神殿へ乗り込むべきだからだ。
突然、フォッグが、頭を振り、「今は、止そう」と、静かに言った。
その直後、トムは、消極的な態度に、ムッとなり、「何故だ? 居所が分かっているのなら、早急に動くのが、先決じゃないのか!」と、食って掛かった。ここは、乗り込むべきだと思ったからだ。
「トム、頭を冷やせ。あくまで、俺の推測であって、三人が、神殿に居るとは限らない。逆に、こっちの動きを、何らかの形で、見張られているかも知れんからな。今夜は動かずに、奴らの出方を見てみよう。朝になって、何の動きも無ければ、神殿へ向かうというのは、どうだ?」と、フォッグが、代替案を提示した。
「分かった。ここは、フォッグの言葉に、従うとしよう」と、トムは、逸る気持ちを抑えて、聞き入れた。フォッグの言うように、見張られている場合も有るので、三人の身の安全の為には、相手を刺激しないで、大人しくしているしかないと、判断したからだ。そして、一息吐いて、気を静めた。
「先ずは、腹ごしらえからな。腹が減っていると、いざと言う時に、動けないからな」と、フォッグが、大剣を収めながら、にこやかに、言った。
「ああ、そうだな。気分転換になるしな」と、トムも、賛同した。確かに、空腹では、力を出せないからだ。その直後、雷電を収めた。そして、窓も、閉じた。
間も無く、二人は、部屋を後にするのだった。